第5話 俺の金で、母は生かされていた
夜明け前の宿の部屋で、俺はミラの写した帳簿を広げた。
期限は明後日の夕刻。叙勲式まで、あと五日。
「読むの?」
ヴェルディアが、固パンをかじりながら覗き込む。
「数字なら誰でも読める。俺が読むのは、その下だ」
【鑑定】
名称:報酬分配台帳(写し)
真の名:横領記録
追記:リオ名義の報酬の九割は、魔導院「名の保管庫」へ送金。備考欄「E延命費」
ページを遡る。三年前、俺が旅に出た月から、毎月同じ額が、同じ宛先へ。
指が止まった。
【鑑定】
名称:E
真の名:エルナ・ヴァン
状態:生存。王城地下にて名を封じられ、延命術で眠らされている
喉が、ひゅっと鳴った。
「……生きてる」
母の顔は、覚えていない。ただ、寝かしつけられる時の、手の温度だけが残っている。
「俺の金で、母さんは生かされていたのか。閉じ込めている連中の手で」
ヴェルディアが、俺の拳に手を重ねた。
冷たい手だった。それでも、そこだけ息ができた。
「怒るのは、あとにして。今は、助け方を読みましょう」
「……ああ」
*
部屋を出ると、廊下にガレスが座っていた。
一睡もしていない顔で、鈍い鉄の剣を膝に置いている。
「見張りだ。魔導院の犬が来たら、俺が斬る」
「その剣でか」
「……鞘で殴るぐらいは、できる」
俺は、返事に困った。
許してはいない。けれど、扉の前で夜を明かした背中を、笑う気にもなれなかった。
その時、階段から足音がした。
現れたのは、昨日の兵長だった。鎧を脱ぎ、剣も持たず、両手を上げている。
「待て。話をさせてくれ」
ガレスが鞘を構える。俺は、手で制した。
「首の印が、疼いているんだろう」
「……ああ。あんたに暴かれてから、眠れていない」
【鑑定】
名称:忠誠の誓約
真の名:隷属契約(条文偽装)
状態:署名者は、内容を正しく説明されていない
「あなたは、騙されて署名した。この契約は、最初から無効だ」
「娘が病気でな。軍に入れば薬を出すと言われた」
兵長は、拳を握った。
「名前を、教えてくれ」
「バルト。バルト・ケインだ」
その名を、静かに呼ぶ。
「バルト・ケイン。あなたは、誰のものでもない」
ぱきん、と首の印が割れた。
バルトは、膝をついて肩を震わせた。やがて、顔を上げる。
「礼に、一つ言う。叙勲式は、褒賞の儀式じゃない。王は、民の前で勇者の名を刈り取るつもりだ」
ガレスの顔が、白くなった。
「保管庫の鍵は、ロドリックが持っている。だが式の間だけは、王の隣に立つ。地下が、手薄になるのはその時だけだ」
「……手を貸す、ということか」
「俺が、内側から扉を開ける」
ヴェルディアが、腕を組んだ。
「いい駒ね」
「駒じゃない。仲間だ」
「……分かってるわよ。言ってみただけ」
少し拗ねた横顔が、年相応に見えた。
*
宿の裏庭で、小さな声がした。
窓から覗くと、セレスティアが杖を両手で握りしめていた。
「おはよう。今日も、頼むわ」
杖は応えない。
「……頼みます」
三度目で、声が震えた。
「違う。あの子は、もっと何でもない声で言っていたのよ。毎朝、眠そうに」
その時、杖の先が、ほんの一瞬だけ光った。
セレスティアが、目を見開く。
「……光った」
俺は声をかけなかった。
「声をかけないの?」
ヴェルディアが、小声で言った。
「許してない。それに、あれは彼女が自分で見つけるものだ」
「そう。……それでいいわ」
窓の向こうで、セレスティアは、杖を胸に抱いて泣いていた。扇のない顔は、ひどく幼かった。
*
部屋に戻り、俺は自分の掌を見つめた。
【鑑定】
名称:リオ
真の名:████████
状態:名縛り(解除率31%)
「十二から、三十一……」
「嘘を一つ暴くたびに、上がっているのね」
ヴェルディアが、指を折る。
「偽造の辞退届。偽装の返還状。そして、あなたの母親の存在」
「このまま全部暴けば、俺の名前は戻る」
「ええ。……でも」
ヴェルディアの声が、急に低くなった。
「待って。表示が、増えているわ」
目を凝らす。さっきまでなかった一行が、黒い染みの下に浮いていた。
【追記】
偽名「リオ」:母が与えた、初代王の目を欺くための盾
防護残量:69%
背筋が、凍りついた。
「盾……」
「第2話で、王は『呼ばれたな』と言った。あなたが契約印を壊した時、盾が一気に薄くなったのよ」
ヴェルディアは、唇を噛んだ。
「だから、居場所が割れた。そして、嘘を暴いて名前を取り戻すたびに、盾は削れていく」
「……百パーセントになったら」
「あなたを守るものは、何もなくなる」
俺は、帳簿の「E」の文字を見た。
母を救う道は、俺の名前を取り戻す道だ。
そしてその道は、俺を王の前に丸裸にする道でもあった。




