第16話 三日後に災いが来る。だから俺たちは、まず「ご飯」を作った
夕暮れの広場に、まだ金色の粒が漂っていた。
人々は帰らなかった。名前を取り戻した喜びと、空の北に立つ黒い雲への不安が、ごちゃ混ぜになっている。
「三日だ」
俺は、壇の残骸の前で言った。
【鑑定】
名称:千年の遅れた災い
状態:王国の守りが消えた瞬間から進軍中
追記:到達まで、三日
追記:王が千年、竜の力で押し返してきたもの
「守りを切ったのは、私よ」
ヴェルディアが、腕を組んで言った。
「後悔はしてないわ。でも、責任は取る」
「君ひとりの責任じゃない」
「そうね。国中の責任よ。だから全員で背負わせるの」
彼女は、くるりと民衆に向き直った。
「聞きなさい!」
ざわめきが止まった。
竜の声は、大きくないのによく通った。
「千年、この国は、私の力と名前を使って守られていた。あなたたちは、知らなかった。だから責めないわ」
静かだった。
「でも、これからは、知った上で選びなさい。私に頼り続けるか。自分たちで守るか」
沈黙が落ちた。
最初に声を上げたのは、意外な人物だった。
「……うちの町は、守る」
杖をついた老婆だった。マーサの妹だ。
「姉さんが、返ってきた国だ。私は、まだ、死ぬわけにいかない」
「俺もだ」
「うちの鍛冶場を、使ってくれ」
声が、次々に上がった。
ヴェルディアの目が、わずかに潤んだ。
「……固パンの国民ね」
「それ、褒めてるのか」
「最高の褒め言葉よ」
*
その夜、王城の大広間が、臨時の作戦室になった。
玉座は、誰も座らなかった。壇の残骸から運ばれた壊れた椅子が、部屋の隅に置かれている。
集まったのは、十人ほどだった。
俺とヴェルディア、ガレス、ミラ、セレスティア、バルト、ロデリクとレオン。そして、レオンの身体を借りたカイ。
「まず、現状の確認だ」
ロデリクが、地図を広げた。
「災いは、北の山脈を越えて、三日で王都へ到達する。進軍路は、ミルトンの町を通る」
「ドーラのいる町か」
「そうだ」
俺は、ぎゅっと拳を握った。
「兵は、どれだけ動かせる」
「王城の兵は、二千」
バルトが答えた。
「ただし、半分は、首の印の影響で、まだ動けない。解除が追いついていない」
「全員、読むには時間が足りないな」
「リオさん一人では、無理です」
ミラが、きっぱり言った。
「だから、読み方を教えてください」
全員が、彼女を見た。
「第2話で、リオさんは言いましたよね。『読んで、疑って、それから信じる』と。それを、皆が、できるようになれば」
「……鑑定を、教える?」
「はい。私たちが、リオさんの目の代わりになります」
沈黙が落ちた。
その沈黙を破ったのは、セレスティアだった。
「できるわけないでしょう。【鑑定】は、あなただけのスキルよ」
「だが、読むという行為は、スキルじゃない」
俺は、少し考えてから答えた。
「俺の鑑定は、名前を見る目だ。でも、疑って、確かめるのは、誰にでもできる」
「……契約書を、ちゃんと読む、ということ?」
「そうだ」
ガレスが、がしがしと頭をかいた。
「俺は、三年間、契約を読まなかった」
「ああ」
「それが、一番の失敗だった。……いいぜ。教えろ。俺は、真っ先に習う」
その声に、全員の顔が、少しだけ緩んだ。
*
夜が更けて、会議は終わった。
俺は、城の回廊を歩いていた。
廊下の奥で、小さな物音がした。
覗くと、厨房だった。
灯りの下で、ミラが、鍋を覗き込んでいる。隣で、バルトが、無骨な手で芋を剥いていた。
「何してるんだ」
「あ、リオさん」
ミラが、少しだけ顔を赤くした。
「みなさん、今日、何も食べていないでしょう。だから、スープを」
「俺は、手伝ってるだけだ」
バルトが、ぶっきらぼうに言った。
「娘に、台所の腕を、褒められた」
その背中が、少しだけ誇らしげだった。
俺は、笑った。
「ありがとう。食べよう」
「ええ」
気づけば、全員が、厨房に集まっていた。
ガレスが、パンを焼いている。
「母ちゃんのパンの焼き方を、思い出したんだ」
「それ、成功してるの」
「……少し、焦げてる」
ヴェルディアが、一口かじって、目を細めた。
「固いわね。しょっぱい。……おいしい」
「また、それか」
「千年経っても、変わらないのよ」
彼女は、パンを半分に割って、カイの身体を借りたレオンに差し出した。
「半分こ。約束だったでしょう」
少年が、目を丸くした。
「……僕に?」
「ええ。ほら、早く食べなさい」
少年は、震える手で、パンを受け取った。
一口かじって、顔をくしゃくしゃにして泣いた。
「……おいしい。母さんの、味と、少し、似てる」
その場の全員が、何も言わず、パンをかじっていた。
窓の外、北の空の雲は、まだ黒かった。
けれど、厨房の灯りは、あたたかかった。
*
食事の後、ガレスが、俺を呼び止めた。
「リオ。ひとつ、頼みがある」
「何だ」
「ミルトンの町に、先に行かせてくれ」
「……なぜ」
「あそこの冒険者ギルドで、ドーラさんに、ちゃんと、謝りたい」
ガレスは、まっすぐ俺を見た。
「三年間、あの人は、お前の偽造に、気づいてた。でも、俺たちは、一度も、礼を言わなかった」
「…………」
「ついでに、町の防衛も、見てくる。俺は、もう、勇者じゃない。ただの、兵だ」
「分かった」
俺は、頷いた。
「頼む。ただし、ひとつだけ条件がある」
「何だ」
「無茶は、するな」
「……お前が言うか」
ガレスは、くしゃりと笑った。
「俺は、三年分の無茶を、使い切った」
その背中を見送った時、廊下の窓の向こうで、何かが光った。
俺は、目を凝らした。
北の山脈の稜線に、ぽつりと、小さな灯りが見えた。
【鑑定】
名称:災いの先触れ
状態:偵察。人型。単独
追記:王国の守りが切れたことで、国境の封が緩み、侵入した
追記:その者の真の名は、リオ・ヴァンデ・アルクと、一致する部分がある
背筋が、冷えた。
「……俺の名前と、一致する?」
灯りは、ゆっくり、こちらへ近づいていた。
ヴェルディアが、背後から、そっと俺の腕を掴んだ。
「リオ。あれは、敵じゃないかもしれない」
「え?」
「名前が似ているということは」
金色の瞳が、細く揺れた。
「あなたの、血縁か、あなたの名の続きを知る誰か。……あなたのお父さんの、手がかりかもしれないわ」




