第三話 スターレット First Sip
第三話「スターレット」へようこそ。
静かなバーに、明るいアルバイトの女の子がやって来ました。
彼女が運んでくるのは、新しいお客さんと、これまでとは少し違う夜。
まずは、最初の一杯からお楽しみください。
「今日からお世話になります。河合亜衣子です!」
開店前の店内に、よく通る声が響いた。
亜衣子は二十代前半。胸元にエプロンを当てながら、壁の鏡をちらりと見た。髪を整え、口角を上げる。
「どうですか? バーの店員っぽいですか?」
「似合っていますよ」
マスターが答えると、亜衣子は満足そうに笑った。
バー「LIFE is BAR」にアルバイトが入るのは、久しぶりのことだった。
グラスの置き場所を教わり、注文を覚え、客が帰ればテーブルを拭く。亜衣子はよく動いた。失敗すると大きな声で謝り、褒められると、それ以上に大きな声で喜んだ。
数日もすると、常連客は彼女を「亜衣子ちゃん」と呼ぶようになった。
「マスター。このお店、SNSやってないんですか?」
客の途切れた時間に、亜衣子がスマートフォンを差し出した。
画面には、カウンターを背景にした彼女の写真が映っている。実物より少し目が大きく、肌も明るい。
「もう作っちゃいました。お店のアカウントじゃなくて、私のですけど」
マスターは画面を見た。
《今夜はLIFE is BARにいます。私と飲みましょ♡》
「お客さん、増えると思いますよ。友達にも声かけてみます」
「そうですか」
「なんですか、その反応。嬉しくないんですか?」
「嬉しいですよ。ただ、ほどほどに」
「大丈夫ですって」
亜衣子は笑いながら投稿ボタンを押した。
その週末、店には初めて見る客が何人も来た。
「亜衣子ちゃんの投稿を見て」
そう言われるたびに、彼女は嬉しそうにマスターを振り返る。マスターもそのたびに小さく頷いた。
忙しさが落ち着いた頃、一人の男がカウンターに座った。
「亜衣子さん、いますか」
亜衣子が顔を上げると、男は照れたように笑った。
「写真、見ました。実際に会えてよかった」
「ありがとうございます。何を飲まれますか?」
男はメニューを開かずに答えた。
「亜衣子さんのおすすめで」
「じゃあ、マスター。スターレット、お願いします」
「スターレット?」
男が聞き返すと、マスターはグラスを手に取りながら答えた。
「これからスターになることを夢見る、若い女優のことですよ」
「私も、このお店のスターになれるかな」
亜衣子が冗談めかして言うと、男は笑った。
「もう、なってますよ」
亜衣子は「上手ですね」と笑い、別の客に呼ばれてカウンターの奥へ向かった。
男はマスターの手元を見ていなかった。別の客と話し始めた亜衣子を、黙って目で追っていた。
その夜、男は閉店近くまで席を立たなかった。
帰り際、亜衣子が「また来てくださいね」と言うと、男は一度だけ振り返った。
「はい。また、あなたがいる日に」
それから男は、亜衣子がいる夜に何度も店を訪れた。注文するのは、決まってスターレットだった。
ある夜、男が帰ったあと、亜衣子は売上を数えるマスターの横で、嬉しそうにスマートフォンを見ていた。
「ほら、今日の投稿、こんなに反応があります」
画面に並んだ数字を見つめる彼女に、マスターはもう一度だけ言った。
「亜衣子さん。ほどほどにしてくださいね」
「はーい」
亜衣子は画面から目を離さずに返事をして、次の投稿に載せる写真を選び始めた。
第三話「スターレット」First Sipをお読みいただき、ありがとうございます。
亜衣子が入って、いつものバーも少し賑やかになりました。マスターの「ほどほどに」は、彼女に届いているのでしょうか。
続くSecond Sipも、読んでいただけたら嬉しいです。




