第二話 アフィニティ First Sip
第一話『ピュア・ラブ』をお読みいただき、ありがとうございました。
第二話は『アフィニティ』。
同じ地下のバーで、今度は別のお客様のお話です。
今回も First Sip、Second Sip、Last Sip の三部構成でお届けします。どうぞ、最後の一口までお付き合いください。
南波翔は、声をかけるきっかけを探していた。
カウンターの三席向こうに、ひとりの女性が座っている。
店に入ったとき、最初に目に留まったのが彼女だった。年は翔とそう変わらないだろうか。ひとりでグラスを傾け、時刻を気にする様子もない。
待ち合わせではなさそうだ。
そう思ったのは、もう十分以上も前のことだった。
バーには、低く抑えた音楽が流れている。グラスを置く小さな音や、氷の触れ合う音が、曲の合間に聞こえた。階段を下り、重い扉をくぐると、地上の賑わいが嘘のように遠くなる。翔はこの静けさが好きだったが、今夜は自分のためらいまで聞こえてしまいそうだった。
声をかけるなら、今かもしれない。
翔は女性のほうを見た。ちょうど彼女がグラスに目を落としたところで、目は合わなかった。
いきなり話しかけるのも不自然だろう。けれど、きっかけを待っているうちに相手が帰ってしまうかもしれない。そんなことを考え、さっきから空になりかけたグラスを持ったり置いたりしている。
「……あの人、よく来るんですか」
翔が声を落として尋ねると、マスターは磨いていたグラスから顔を上げた。翔の視線の先を確かめ、また手元に目を戻す。
「さあ。初めてお見かけする方ですね」
「そうですか」
常連なら、少しくらい話のきっかけを教えてもらえたかもしれない。
翔はグラスに残った酒を飲んだ。溶けた氷のせいか、最初のひと口よりもずいぶん薄い。
「おかわり、いかがですか」
「いや、もう少ししたら帰ろうかな」
そう答えながら、翔はまだ席を立つ気になれなかった。
女性がスマートフォンを手に取った。一瞬、誰かから連絡が来たのかと思う。だが彼女は画面を確かめると、すぐに伏せて置いた。
翔はそれを見て、妙にほっとした。
ここで声をかけずに帰れば、明日の朝、きっと後悔する。席を立つ前に、せめてひと言だけ。
翔は椅子の上で姿勢を正した。
そのとき、マスターが言った。
「あちらの方は、アフィニティを飲んでいらっしゃいます」
「アフィニティ?」
「スコッチウイスキーに、甘口と辛口、二種類のベルモットを合わせたカクテルです」
「へえ。どんな味なんですか」
「ウイスキーの深みがありますが、ベルモットの甘みや香りもあって。ひと口では分からない味ですね」
翔は女性のグラスを見た。薄い琥珀色の液体が、店の灯りを静かに映している。
「名前も、なんだかいいですね」
「アフィニティには、親近感や、親密な関係という意味があります」
「親密な関係、か」
思わず女性のほうへ目が向いた。まだ言葉も交わしていない相手に、ぴったりとは言いがたい名前だ。
酒の話なら、自然に声をかけられるだろうか。
そんなことを考えていると、マスターが棚にグラスを戻した。
「昔、それを注文されたお客様がいました」
「ここで?」
「ええ。あの席でアフィニティを飲んでいらしたので、覚えています」
「どんな人だったんですか」
「話しやすい方でしたよ」
マスターの声は、いつもと変わらず穏やかだった。
それなのに翔は、磨き終えたグラスを棚に戻す手つきが、ほんの少しだけゆっくりになったような気がした。
「その方も、ほかのお客様に声をかけていました」
翔は女性のほうを見ようとして、やめた。
「……今の、俺への忠告ですか?」
「いいえ。ただ、思い出しただけです」
マスターは小さく首を振った。
翔も笑おうとしたが、うまく笑えなかった。自分が声をかけようとしていることを、すっかり見抜かれていたらしい。
「その方は、初めて会った相手と打ち解けるのが、とてもうまかったんです」
First Sipをお読みいただき、ありがとうございます。
声をかけるきっかけを探す翔に、マスターが語り始めた、アフィニティを飲んでいた客の話。
次回のSecond Sipで、その続きをお届けします。気になっていただけたら、ブックマークしてお待ちいただけるとうれしいです。




