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SHAKER & STIRRER  作者: 猫ネコユズキ


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第一話 ピュア・ラブ Second Sip

第一話「ピュア・ラブ」、二口目です。


突然、連絡がつかなくなった取引先の男性。


そして、帰り道で感じる誰かの視線。


良子の話を聞いたバーテンダーは、静かにある可能性を語り始めます。


どうぞ「Second Sip」をお楽しみください。

「それは、いつ頃からですか?」


バーテンダーの問いに、良子は記憶をたどった。


「一週間くらい前……かな」


「告白を断ったあとですか?」


「たぶん」


良子は曖昧に答えた。


最初に気になったのは、会社からの帰り道だった。


駅へ向かって歩いていると、背後から一定の間隔で足音が聞こえた。


良子が立ち止まると、足音も止まる。


振り返っても、スマートフォンを見ながら歩く会社員や、傘を差した学生がいるだけだった。


別の日には、自宅近くのコンビニを出たところで、道路の反対側に誰かが立っているのを見た。


暗くて、顔までは分からなかった。


良子が視線を向けると、その人物は背を向けて歩き去った。


「姿をはっきり見たわけじゃないんです。だから、私の気にしすぎかもしれないけど」


「同じ人物だと思われますか?」


「それも分かりません」


「警察には?」


「まさか。何かされたわけでもないのに」


良子は笑ってみせた。


「誰かにつけられている気がします、なんて言っても、考えすぎだと思われるだけですよ」


バーテンダーは、すぐには答えなかった。


カウンターの中でグラスを取り上げ、白い布で静かに磨き始める。


「その取引先の男性だと思っているのですね」


「ほかに、思い当たる人がいないので」


「ですが、姿を確認したわけではないのでしょう?」


「そうですけど……」


「でしたら、その方だと決めつけるのは危険かもしれません。別の誰かという可能性もあります」


良子は言葉を濁した。


確証など、何もない。


それでも、告白を断った直後に男性が姿を消し、その頃から誰かの視線を感じるようになった。


無関係だと考えるほうが難しかった。


「でも、タイミングがよすぎません?」


「そうですね」


「もしかして、私が帰るところをどこかで見てるんじゃないかって。最近は、そんなことまで考えちゃって」


良子は自分で口にしてから、肩をすくめた。


「やっぱり、ちょっと怖いですよね」


「ええ」


バーテンダーが、磨き終えたグラスを棚へ戻した。


「ご友人には、相談されましたか?」


「友達?」


「以前、ご一緒にいらした方です」


「忍には話してません」


良子は即座に答えた。


「昔から、私のことになると心配性なんです。こんな曖昧な話をしたら、毎日送り迎えするとか言いだしそう」


「長いお付き合いなのですか?」


「女子校時代からなので、もう十年以上ですね」


良子の表情が、少しだけ和らいだ。


「テニス部で、ずっとダブルスを組んでたんです。私が前に出たら、忍が後ろを守ってくれて。私が無茶な球を追いかけても、絶対にカバーしてくれるんですよ」


「信頼されているのですね」


「私が忍を、ですか?」


「お互いに、ではありませんか?」


「どうだろう」


良子は照れくさそうに笑った。


「忍は昔から優しいんです。私が失恋するたびに話を聞いてくれたし、彼氏ができたら一緒に喜んでくれたし。なんでも話せる、一番の親友ですね」


バーテンダーの視線が、良子の隣にある空席へ向けられた。


そこは以前、忍が座っていた場所だった。


あの夜も良子は、過去の恋愛について楽しそうに話していた。


そして忍は、口元に微笑みを浮かべたまま、良子の横顔を見つめていた。


「ただ、忍はちょっと奥手すぎるんですよね」


良子はそんな視線に気づかないまま、話を続けた。


「自分のことになると、全然駄目で。だからこの前、知り合いの男性を紹介したんです」


「ご友人に?」


「はい。真面目で優しい人だし、忍にも合うと思って」


取引先の男性から告白され、それを断ったことは、数日前に忍にも話していた。


「でも今日、忍から、紹介してもらった人とは付き合えそうにないって言われたんです。せっかく紹介してくれたのに、ごめんって」


「それで、何と?」


「謝らなくていいよって。私もこの前、好きでもない人からの告白は断ったんだから、忍だって無理に付き合う必要はないでしょって」


「そうお伝えになったのですか?」


「はい。忍には幸せになってほしいから」


悪意など、少しもない。


むしろ良子は、長い間そばにいてくれた親友のために、良いことをしたつもりでいた。


「私、人のことになると放っておけないんですよね。余計なお世話だって、よく言われますけど」


「ご自身では、良かれと思って?」


「もちろんです」


良子は屈託なく笑った。


バーテンダーは、カウンターに置かれたピュア・ラブへ目を落とした。


淡い赤色の液体が、静かな光を反射している。


「恋愛というものは、不思議ですね」


「どうしたんですか、急に」


「相手を大切に思う気持ちと、相手を自分だけのものにしたいという気持ちは、よく似ています」


良子の笑顔が、わずかに消えた。


「最初は純粋な思いでも、強くなりすぎれば、本人にも止められなくなることがあります」


「それって……」


良子の頭に、姿を消した取引先の男性が浮かんだ。


「やっぱり、あの人もそうなってる可能性があるってことですか?」


バーテンダーは、肯定も否定もしなかった。


「愛情と執着は、時にほんのわずかな違いしかありません」


「男の人って、告白を断られただけで、そこまで思い詰めるものなんですかね」


「それは、男性に限ったことではありません」


「え?」


「恋愛に、男も女も関係ありません。誰であっても、強い思いを自分で制御できなくなることはあります」


良子は首をかしげた。


「女性でも、ストーカーになるってことですか?」


「あり得ないことではありません」


「ああ、確かに。ニュースで見たことあります。女性のストーカーもいますもんね」


良子は納得したようにうなずき、それ以上は深く考えなかった。


「恋は、相手を見ることから始まります」


バーテンダーは静かに続けた。


「けれど思いが深くなりすぎると、いつしか相手ではなく、自分の中に作り上げたその人しか見えなくなる」


「自分の中に作り上げた、その人……」


「人は、遠くにいる誰かの好意には敏感でも、すぐそばにいる人の想いには、案外気づかないものです」


「そういうものですか?」


「近すぎるからこそ、見えないこともあります」


良子は少し考えたあと、肩の力を抜いた。


「マスターって、カウンセラーみたいですね」


「お客様のお話を聞くのも、仕事の一つですから」


良子が笑う。


先ほどまで胸の奥にあった重苦しさが、少しだけ薄くなっていた。


誰にも言えずに抱えていた不安を、言葉にできたからかもしれない。


取引先の男性が無断欠勤していることも。


誰かにつけられている気がすることも。


こうして話してみると、自分が勝手に二つを結びつけ、怖がっていただけのようにも思えた。


良子は残っていたピュア・ラブを飲み干した。


そのとき、店内にかすかに届いていた雨音が消えていることに気づいた。


スマートフォンで時刻を確認する。


「あ。そろそろ帰らないと、終電に間に合わなくなっちゃう」


「雨も上がったようですね」


「ちょうどよかった。今日は話を聞いてもらって、ありがとうございました」


良子はバッグから財布を取り出した。


「少しスッキリしました。やっぱり私、考えすぎてたのかも」


会計を済ませ、席を立つ。


バーテンダーは空になったグラスを下げながら、良子を見た。


「タクシーをお呼びしましょうか?」


「大丈夫ですよ。駅まですぐですし、まだ人通りもありますから」


「ですが、誰かにつけられている可能性が」


「本当に危ないと思ったら、すぐに警察へ行きます」


良子は安心させるように笑った。


「今夜は、たまたま雨宿りでここに入っただけです。誰かが私をつけていたとしても、どこへ入ったかまでは分からないと思います」


バーテンダーは、それ以上引き止めなかった。


「では、なるべく大通りを歩いてください」


「はい。次は忍も連れてきますね」


良子は扉へ向かい、振り返った。


「ごちそうさまでした。ピュア・ラブ、おいしかったです」


「ありがとうございます。お気をつけて」


扉が開く。


カラン――。


ベルの音を残して、良子は店を出た。


雨上がりの空気は冷たく、濡れたアスファルトが街灯を映している。


大通りには、駅へ向かう人の姿がまだ残っていた。


良子はバッグを肩に掛け直し、人の流れに沿って歩き始めた。


マスターに話したおかげで、少し気持ちが軽くなっていた。


足音が聞こえても、もう何度も振り返ることはなかった。


駅の入口が見え始めた、そのときだった。


「良子」


背後から、自分の名前を呼ぶ声がした。

お読みいただき、ありがとうございます。


バーテンダーの言葉をどう受け取るかは、良子次第。


第一話「ピュア・ラブ」も、残すは最後の一口です。


続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援していただけるとうれしいです。


次回、「Last Sip」をお楽しみください。

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