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SHAKER & STIRRER  作者: 猫ネコユズキ


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第五話 ゴッドファーザー Second Sip

お酒が進むにつれて、話は仕事の愚痴から、昔の「武勇伝」へ。


上司は得意げに語り、部下は静かに耳を傾けます。


それでは、二口目をどうぞ。

「面談で、俺の言い方が怖いって話が出たらしいんだよ」


原はそう言って、鼻で笑った。


「怖いって、子どもじゃないんだからさ」


晴人は原の方へ顔を向けたまま、黙って聞いていた。


「人事も人事だよ。どんな言葉を使ったのか、何人の前で注意したのか。そんなことばっかり聞いてくる」


「部長からも、事情は説明されたんですよね?」


「したよ。何度も同じミスを繰り返すから、指導しただけだって」


原はジョッキを持ち上げたが、飲まずに戻した。


「そうしたら、馬鹿だの、給料泥棒だの言ったかって聞くんだよ」


「言葉まで、確認されたんですか」


「馬鹿なことしてる奴に、馬鹿って言って何が悪いんだ?」


原は晴人を見た。


晴人は小さく頷いた。


「部長としては、仕事の話をしているんですもんね」


「そうだよ。人格を否定したとか、大げさなんだよな」


原はビールを一口飲んだ。


「人事の奴も、妙に張り切っててさ。正式に調べる必要があります、だと」


「調査になるんですか?」


「ならないよ」


原は口の端を上げた。


「営業の足を引っ張って、数字が落ちたら、お前が役員に説明するんだなって言ってやった」


晴人はグラスを置いた。


「それで?」


「まだ俺に突っかかってくるから、今度役員と飯を食うとき、お前の名前も出しておくよって」


原は声を立てずに笑った。


「少し脅したら、黙ってくれたからな」


カウンターの向こうで、亜衣子が布巾を畳み直した。


「結局、今後は言葉に気をつけてください、で終わりだよ。最初からそう言えばいいのに」


原は椅子の背にもたれた。


「お前、明日あいつと話すんだったよな」


「はい」


「言っといてくれよ。人事に泣きついても、仕事ができるようにはならないぞって」


晴人は、いつもの笑みを浮かべた。


「分かりました」


*


それからも、二人は店に来た。


原が先に席を決め、晴人が隣へ座る。


原はビールから始め、晴人はゴッドファーザーを頼んだ。


原の話は、その日に腹を立てた部下のことから、昔の仕事の話へと移っていった。


「あの契約、最後に決めたのは俺だからな」


「部長が直接、先方へ行かれたんですか?」


「最後の挨拶にはな」


原はジョッキを持つ手を止めた。


「そこまで担当の奴が何か月も通ってたんだよ。資料を作って、先方の要望を聞いてさ」


「では、ほとんど話はまとまっていたんですね」


「まあな。だから最後は俺が行った。大きな契約だったから、上司が出た方が格好もつくだろ」


「担当の方も、ご一緒に?」


「連れていかなかったよ」


原は笑った。


「別の仕事を頼んでおいた。あいつがいると、先方もそっちばかり見るからな」


晴人は原の顔を見た。


「それで、部長の実績になったんですか」


「俺が交渉をまとめたって報告したよ。役員にも、よくやったって言われてさ」


原は胸元のネクタイを指で直した。


「担当の方は、何も?」


「何か言いたそうにはしてたな。だから先に言っといたよ。お前一人で取れた契約だと思うなって」


晴人は短く相槌を打った。


「部下の手柄を横取りしたとか言う奴もいるけどさ」


原はジョッキを軽く持ち上げる。


「部下が働いた結果が、上司の評価になる。当たり前の話だろ」


亜衣子が空いた皿を下げに来た。


原は皿を持ち上げず、指先で彼女の方へ押した。


「逆に、失敗したら担当の責任だけどな。いちいち俺がかぶってたら、きりがない」


原が笑う。


晴人も、口元を緩めた。


「勉強になります」


その言葉に、原は満足そうに頷いた。


会計になると、原は財布を取り出した。


「今日は俺に任せろ」


晴人も、自分の財布を開いた。


「いえ、自分の分は払います」


原は一度、晴人を見た。


「律儀だねえ」


晴人は笑い、マスターが示した金額を確認して紙幣を置いた。


その次の来店でも、会計は別々だった。


*


ある夜、原は席に着くなり、晴人の肩を叩いた。


「お前、あいつの話を聞いてやったんだって?」


「はい。少し、疲れていたみたいです」


「だから、みんな疲れてるんだって」


原はおしぼりを広げ、顔を拭いた。


「自分だけ大変だと思ってるから、駄目なんだよな」


亜衣子が注文を聞くと、原はビールを頼んだ。


晴人も、いつもの一杯を注文する。


「俺のこと、何て言ってた?」


「期待されているのは分かるけれど、ついていけない、と」


「そこは分かってるんだな」


原は頷いた。


「お前からも、うまく言っといてくれよ。俺は嫌いで怒ってるわけじゃないって」


「はい」


「こういう奴が一人いると、助かるんだよ」


原はもう一度、晴人の肩を叩いた。


運ばれてきたビールを手に取り、隣のグラスへ近づける。


「今日はお前に乾杯だな」


グラスが触れ合う、短い音がした。


原がビールを飲む間、晴人はゴッドファーザーを手にしたまま待っていた。


「昔の方が、厳しかったんでしょうね」


晴人が言った。


「そりゃそうだよ。今じゃ、とてもできないことばっかりだ」


原は笑った。


「一人、石野って奴がいてな」


「石野さん、ですか」


「ああ。石野優人。真面目なんだけど、仕事が遅くてさ」


原はジョッキの底を、コースターの中央へ置き直した。


「資料を出してきても、気が利かないんだよ。俺が欲しいのはそういうものじゃないって、何度もやり直させた」


「何度も?」


「三回目だったかな。あいつ、前に言われたとおりに直しましたって言うんだよ」


原は眉を上げた。


「だから、俺が間違ってるって言いたいのかって、みんなの前で聞いてやった」


晴人はグラスを置いた。


「そうしたら黙るんだよ。馬鹿なのか、お前は。返事くらいできないのかって言ったら、すみません、すみませんって」


原は首をすくめ、声を細くした。


「そんな声じゃ聞こえないだろって、もう一度謝らせたよ」


肩を揺らして笑う。


晴人は、原へ顔を向けたまま頷いた。


「周りの方も、見ていたんですね」


「見せてたんだよ」


原はすぐに返した。


「一人をきっちり叱っておけば、ほかの奴も気をつけるからな」


亜衣子が洗っていた皿を、水切り籠へ置いた。


原はその音へ顔を向けず、続けた。


「最初は、石野を手伝おうとする奴もいたよ。でも、俺が止めた」


「どうしてですか?」


「甘やかすなって。あいつの分までやるなら、お前の仕事も増やすぞって言ったら、誰も手を出さなくなった」


晴人の指が、コースターの縁に触れた。


「それで、一人で作り直していたんですか」


「夜中までやってたみたいだな」


原はビールを飲んだ。


「そのくせ、朝はぼうっとしてるんだよ。会議で話を振っても、すぐに答えられない。だから、立ってろって言ってやった」


「会議中に?」


「座ってるから眠くなるんだろって」


原は笑い、ジョッキを置いた。


「いい年した男が、立ったまま泣くんだよ。情けないよな」


晴人は相槌を打たなかった。


次の曲が始まり、低いピアノの音が店内に流れた。


「休みたいとは、言わなかったんですか?」


「言ったよ。眠れないとか、朝になると吐くとか。病院の紙まで持ってきてな」


「診断書ですか?」


「ああ」


原は片手を振った。


「休むなら、戻ってきても席はないぞって言ったんだよ」


晴人が顔を上げる。


「奥さんも子どももいるんだろ。お前が逃げたら、誰が食わせるんだって」


原はおしぼりで口元を拭った。


「家族がいる奴は、そう言えば来るからな」


亜衣子が蛇口を閉めた。


原の声が、はっきりと響く。


「一度、もう限界ですって言われてさ」


晴人は原を見ていた。


「何をやっても駄目で、迷惑ばかりかけてしまうって。こっちは忙しいのに、いつまでも目の前に立ってるんだよ」


「……そのときは?」


原は面倒そうに息をついた。


「そんなに役に立たないと思うなら、死ねばいいんじゃないかって言ったよ」


晴人の指が、コースターから離れた。


「本当に、そう言ったんですか」


「言ったけど、本気なわけないだろ」


原は鼻で笑った。


「それくらい言えば、黙って仕事に戻ると思ったんだよ」


マスターが原の前から空のジョッキを下げた。


「同じものを?」


「ああ、頼む」


晴人のグラスには、まだ酒が残っていた。


「石野さんは、その後どうされたんですか?」


原は椅子へ深く座り直した。


「亡くなったよ」


少し間を置き、付け加える。


「自分でな」


晴人は動かなかった。


原は足を組み替えた。


靴の爪先が、カウンター下の足掛けに当たった。


「だから、参ったよ。途中の仕事も残したままだし、こっちまで調べられてさ」


「部長が言ったことも?」


「いや。そんなこと言ってませんって答えた」


新しいビールが置かれる。


原は取っ手へ手を掛けた。


「休みたいと相談されたことは?」


「それも、聞いてないって」


晴人は原から目を離さなかった。


「ほかの方は、何もおっしゃらなかったんですか?」


「言えないだろ。俺の下で働いてるんだから」


原はビールを一口飲んだ。


「一人だけ、何か知ってるような口ぶりの奴がいたから、呼んで話したよ」


「何を?」


「お前は、石野が困ってたのを知ってたのかって」


原は晴人の方へ顔を寄せた。


「知ってて何もしなかったなら、お前にも責任があるんじゃないかってな」


口元が緩む。


「そうしたら、特に気づきませんでした、だと」


晴人はゆっくり頷いた。


「……そうやって、誰も話さなくなったんですね」


「余計なことを言われたら、部署全体が困るからな」


原はジョッキを持ち上げた。


「俺が守ってやったんだよ」


一口飲み、息をつく。


「お前は分かってくれるから、こういう話もできるけどさ」


晴人は笑った。


原は声を少し落とした。


「今の会社じゃ、この話はやめとこうな。知らない奴も多いし」


「はい」


「ここだけの話だぞ」


「もちろんです」


原は安心したように肩を落とした。


晴人もグラスを持ち上げた。


けれど、口元へ運ぶ前に、その手を止める。


琥珀色の酒をしばらく見つめ、それから、音を立てずにグラスを戻した。

二口目、お付き合いいただきありがとうございます。


「ここだけの話だぞ」

その言葉とともに語られた、過去の出来事。


二人の夜は、最後の一口へと続きます。

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