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婚約破棄された「帳簿の令嬢」は、十年分の記録で王国を詰ませる  作者: 青雨あき


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第七話 二国間照合という名の夜会

 深夜の監査室。燭台の火が、机いっぱいに広げた二国分の帳簿を照らしている。


 彼の持参したアルヴェイド側の送金記録と、こちらのグレイン商会の入金記録。片方だけでは無意味な数字の羅列が、突き合わせた瞬間、意味を持ち始める。


 三月四日、アルヴェイド側から出た四万リルが、五日後、両替商を経てグレイン商会に三万八千リルで着金。差額の二千は手数料。この規則性が、十四件。


「……鍵と鍵穴ですわね。片方の国の帳簿は鍵、もう片方は鍵穴。合わせて初めて、扉の存在が分かる」


「ええ。そして開いた扉の向こうが、これです」


 セドリック卿が、集計表を滑らせてきた。グレイン商会と同根の業者が納入している品目の一覧。干し草、蹄鉄、天幕、矢柄、兵糧の塩漬け肉。


「全部、軍需ですわね。モルダートの頃は宝飾と劇場――つまり王族個人の財布に寄生していた。今度は」


「国家の兵站に寄生している。そして、ここが厄介なのですが」


 彼は声を落とした。燭台の火が、彼の理知的な顔に影を刻む。


「我が国の軍務省でも、半年前から同じ症状が出ています。担当官の交代、業者の切り替え、納入品の質の低下。手口が、貴国の馬糧費と鏡写しです」


「両国の軍に、同じ寄生虫。……ヴェイル卿。寄生虫にとって、宿主が最も肥え太る瞬間はいつだと思われます?」


「戦時です。軍備は拡張、調達は倍増、そして監査は『非常時ゆえ』後回しになる」


「ええ。つまり彼らには、両国の関係を悪化させる動機がある。国境の小競り合い、要人への中傷、密輸の摘発合戦――火種の撒き方など、いくらでも」



 沈黙が落ちた。インクと蝋の匂いの中で、わたくしは初めて、自分の扱っている数字の重さに指先が冷えるのを感じた。これは横領の帳簿ではない。開戦の見積書だ。



「エルディア嬢。提案がある――失礼、あります」


「奇遇ですわね。わたくしもです。……お先にどうぞ」


「いえ、レディファーストで」


「では遠慮なく。両国合同の会計監査を、正式な枠組みにしましょう。名目は『モルダート事件の残務照合』。実態は、軍需の寄生虫を両側から挟み撃つ網。――国と国が疑い合えば戦争の種になる。けれど帳簿と帳簿なら、突き合わせるほど信頼が育ちますわ」


 彼は目を見開いた。それから、こらえきれないように、声を立てて笑った。夜の監査室に、若い笑い声はひどく無防備に響いた。


「一言一句――本当に一言一句、私が言おうとしたことです。枠組みの名称まで考えてきました。『両国残務照合委員会』。地味であればあるほど、政治家は警戒しない」


「まあ。わたくしの案は『合同帳簿整理室』でしたわ。地味さで負けましたわね」


「いえ、引き分けということに。……エルディア嬢。あなたと私は、どうやら同じ言語で考えているらしい」


「あら。数字は万国共通ですもの」


「ええ。ですが」


 彼は照合の済んだページに、丁寧に栞を挟んだ。青い栞。論点解決済みの色。


「同じ数字を見て、同じ場所で笑い、同じ場所で背筋が冷える人には――生まれて初めて、会いました」


 燭台の火が、ぱちりと爆ぜた。わたくしは扇を探したが、あいにく夜間業務に扇は持ち込んでいない。顔を隠すものが、何もない。



「……ミレーヌ。お茶のおかわりを」



「ミレーヌさんは一時間前に仮眠室へ行かれました。『お邪魔でしょうから』と言い残して」


 あの娘、あとで説教ですわ。摘要欄付きで。


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