第六話 軍馬は、そんなに食べない
王宮会計監査室、設立から二月。わたくしの机には今日も帳簿が積まれている。
目下の案件は、あの馬糧費だ。
「軍馬千二百頭に対し、馬糧費が二千頭分。差分の八百頭分、年額にして三百二十万リル。……帳簿の上では、王国は幻の馬八百頭を飼っていることになりますわね」
「幻の馬、ですか」ミレーヌが書き付けながら首を傾げる。
「でも変です。頭数の水増しなら、査閲で一発でばれるはずじゃ」
「そう。だから頭数は本物のはずよ。厩舎の視察、参りますわよ」
軍務府の厩舎は王都の北にある。監査室の紋章を示すと、厩務員長は渋い顔をしたが、拒否はできない。
監査室には帳簿と現物を照合する権限がある――この権限を勝ち取るために、設立時にどれだけ条文を練ったことか。
馬房を順に数えていく。千二百頭、確かにいる。だが。
「……この子たち、毛艶が悪いですわね」
わたくしは一頭の鹿毛の首筋に触れた。実家の領地で、馬の世話は少しだけ齧っている。良い干し草を食べている馬の毛は、もっと光る。
厩務員長が、ちらりと部下たちを見て、それから声を落とした。
「……お嬢様、いえ、監査官殿。あっしらも変だと思ってたんでさ。三年前から、納入される干し草の質がガクンと落ちた。量は帳簿通り届く。だが中身は、古いのや黴臭いのが混じってる。馬は正直でね。食いが悪くなって、毛艶も落ちた。上に言っても『帳簿は合っている』の一点張りで」
「量は合っていて、質が落ちた」
視界が開けた。頭数の水増しではない。単価のすり替えだ。
二千頭分の予算で、質を落とした干し草を千二百頭分買い、差額を抜く。帳簿の上では量も金額も合う。犠牲になるのは、物言えぬ馬と、馬を愛する現場だけ。
「厩務員長。三年前、納入業者が替わりましたわね? 前の業者の名と、今の業者の名を」
「へえ。前はドリス牧場組合。今は――グレイン商会でさ」
監査室に戻り、商業ギルドの登記を取り寄せる。グレイン商会、設立三年前。業者切り替えを決裁したのは、軍務府経理局のダントン局長。
ダントン。
この名前、どこかで見た。わたくしは書庫に入り、三百二十七冊の背表紙を指でなぞる。記憶にはある。四年前の、確か夜会の――あった。王太子府主催夜会、招待客名簿。ダントン局長の席次は、モルダート商会の代理人と同じ卓。
「ミレーヌ。モルダート商会は摘発されたけれど、あの商会の『取引網』はどうなったのかしら」
「え……解散した、はず、では」
「商会は看板よ。看板は下ろせても、人の繋がりは帳簿から消せない。グレイン商会の出資者、洗いますわよ」
嫌な予感が、背筋を這い上がる。あの摘発は、トカゲの尻尾だったのではないか。胴体は、名前を変えて、今も王国の血管の中を――。
そのとき、監査室の扉が叩かれた。セドリック卿だった。この二月、彼はモルダートの背後関係を追って両国を往復している。今日の彼は、珍しく前置きを飛ばした。
「エルディア嬢。悪い報せと、もっと悪い報せがあります。どちらから聞きますか」
「悪いほうから。良い報せで口直しできない日は、せめて順番だけでも選びたいですもの」
「では。我が国で追っていたモルダートの資金が、三筋、貴国に還流していました。うち一筋の行き先は、軍需関連の商会です」
「……もっと悪いほうは?」
「その商会の名は、グレイン商会と言います」
ミレーヌが小さく息を呑んだ。わたくしは静かに立ち上がり、戸棚から新しい帳面を一冊取り出した。三百二十八冊目。糸綴じの匂いのする最初の頁に、羽根ペンでこう記す。
『国際照合 第一巻』
「ヴェイル卿。夜は長い、と以前申し上げましたわね」
「ええ。今夜は、特に長くなりそうです」




