第三十七話 世紀の結婚戦争、開戦
婚約再開の報は、両国の社交界を、稲妻のように駆け抜けた。
偽造書簡事件の無罪、家宰ギュスタンの断罪、そして王命による婚約凍結の完全撤回。ヴェルメイユ家の仕掛けた工作は、ことごとく裏目に出て、むしろわたくしたちの婚約を、王国とアルヴェイド両国公認の「試練を乗り越えた絆」へと、押し上げてしまった。
――普通の物語なら、ここで大団円だ。けれど、社交界という戦場は、そう甘くない。
「宣戦布告が、届きましたわよ」
監査局の局長室に、孔雀の扇のダルトン夫人が、勢いよく飛び込んできた。
「ヴェルメイユ公爵家より、両国の全貴族家へ、招待状。名目は『両国親善の大舞踏会』。ですけれど、ねえ、エルディアさん。開催日をご覧なさい。――あなたとセドリック卿の、結婚式の、三日前ですのよ」
「……あら。同じ社交の季節に、二つの大きな催し。貴族たちは、どちらに出るか、選ばされますわね」
「そういうことですわ。しかも招待状の但し書きが、これ」
夫人が指した一文を読んで、わたくしは、思わず感心してしまった。
『ご出席の各家におかれましては、格式に相応しい装いにて』――たったそれだけ。
けれど社交界の文法では、これは「金に糸目をつけず着飾れる家だけ来い」という選別だ。ヴェルメイユ家の舞踏会に相応しい装いを整えられる家格・財力を、暗に問うている。
「対するわたくしたちの結婚式は、両国の緊張緩和を祝う、いわば『公』の式。派手を競えば、ヴェルメイユ家の潤沢な財力には、逆立ちしても勝てませんわ」
「では、どうなさるの? まさか、張り合わずに?」
「いいえ、夫人。張り合いますわ。ただし――向こうの土俵では、戦いません」
わたくしは、机に、結婚式の予算案を広げた。まだ白紙に近い、費目だけが並んだ紙。
「ヴェルメイユ家の舞踏会が『格式は、金額である』と問うなら。わたくしたちの結婚式は、こう答えます。――『格式とは、透明性である』と」
「透明性……?」
「結婚式の全費用を、一リル残らず、公開明細で運営いたしますの。どこに、いくら使い、その金がどこから来たか。招待客への引き出物一つ、花一輪の値段まで、式の当日に、明細書として配ります。……賄賂も、見栄も、隠れた借金も、一切ない。ガラス張りの結婚式。それが、監査局長の、格式ですわ」
ダルトン夫人が、孔雀の扇を、ぱちりと閉じた。その目が、悪戯っぽく光る。
「……エルディアさん。あなた、社交界の戦い方を、根っこから書き換える気ですわね。『高価な式』ではなく『誠実な式』。それに惹かれる若い貴族や、財力で見栄を張れずに肩身の狭い思いをしてきた中小の家は――」
「ええ。きっと、こちらに来てくださいますわ。金額では買えない格式に、飢えている方は、社交界にも、大勢いらっしゃるはずですもの」
――こうして、世紀の結婚戦争が、開戦した。
その夜、わたくしはセドリック様に、この方針を打ち明けた。彼は、予算案の白紙の費目を眺めて、しばらく考え、それから、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「……あなたらしい戦い方です。金額で殴り合えば、我々は必ず負ける。だから、土俵そのものを、動かす。ヴェルメイユ家の『金額の格式』を、我々の『透明性の格式』で、時代遅れにしてしまう」
「ご不満ですか? 質素な式に、なりますわよ」
「まさか。……エルディア嬢。私は、あなたと二年前、二国の帳簿を夜通し突き合わせた、あの夜に、恋に落ちました。数字が誠実であることの、美しさに。……その美しさを、結婚式にするというのなら、これ以上の式は、ありません。私は、明細書の一行一行を、生涯の宝にします」
「……もう。そういうことを、真顔で仰るから」
わたくしは、扇で顔を隠した。この人は、二年経っても、こういうところが、少しも変わらない。
ヴェルメイユ家の「格式は金額」の大舞踏会と、グランフェルト家の「格式は透明性」の公開明細の結婚式。
三日違いの、二つの催し。
両国の貴族たちが、どちらの「格式」を選ぶのか。それは、単なる二つの家の意地の張り合いを超えて
――社交界の価値観そのものを問う、静かな革命になろうとしていた。




