第三十五話 解ける氷
評決は、翌夕、両国同時に下った。
審問所の大扉が開き、首席審問官が評決文を読み上げる間、わたくしは背筋を伸ばして立っていた。十三年、帳簿をつけてきた。二年、監査をしてきた。数字の側は一度も、わたくしを裏切らなかった。
だから、評決の中身は聞く前から分かっていた――はず、なのに。
『五通の書簡はすべて偽造と認定する。エルディア・グランフェルトに対する疑義は、完全に解消された。婚約の凍結、職務の停止、その他一切の措置を撤回する。両国政府は、偽造工作の全容解明と関係者の訴追を、合同で行うものとする』
読み上げが終わった瞬間、膝から力が抜けそうになったのは、監査官として、記録に残さないでおく。
監査局に評決文が届いたとき、ミレーヌは検算帳を取り落として泣き、ダリオは直立不動のまま目だけ赤くし、ダルトン夫人は孔雀の扇を三本、その場で振り折った(後日、わたくしから新しい扇を三本贈った。摘要欄は「戦勝祝い」)。
訴追は、雪崩のように進んだ。ラング氏は司法取引で証言者となり、弟の療養は王妃陛下の恩養費の枠で引き継がれることになった(「制度は、こういうときのためにあるのでしょう」と陛下は仰った)。
アルヴェイド側では文書課長が失職、そして家宰ギュスタンは国境で確保された。取り調べに対し、彼は最後まで、定規のような姿勢でこう繰り返しているという。「すべて、私の独断である。主家は関知せぬ」――。
「……トカゲの尻尾、ですわね」
「ええ。見事なほど、綺麗に切れた尻尾ですわ」ダルトン夫人が扇(新品)を鳴らす。
「社交界のヴェルメイユ公は、涼しいお顔よ。『忠義者の暴走とは、嘆かわしい』ですって。網の綻びを繕うのに必死のはずですけれど、あの鷲、綻びごと羽織って見せる胆力だけは、本物ね」
尻尾の先から胴体までは、まだ、一本の帳簿の線で繋がっていない。家宰の私財では説明のつかない工作資金の出所――そこが次の戦場になる。だが、それは明日からの仕事だ。
――夕刻前、一通の私信が届いた。上質だが紋章のない封筒。中身は、短い三行だった。
『家宰の件、当家の恥として、恥のままお預けいたします。それと――装飾音の件。あなたの耳は、確かでしたのね。次にお会いするときは、盤を挟んで。 C・V』
「局長、これ……カサンドラ様、ですよね。恥って、認めてる……? あれ? でもまだ敵、ですよね?」
「ええ、敵ですわ。網の戦は、これからが本番。……ただね、ミレーヌ。敵の書簡の二行目に、政治と関係のない一行が混ざるのは――帳簿でいえば、私費の記帳が始まったということ。悪くない兆しよ。摘要欄に記録しておきましょう」
今日は。今日だけは。
夕刻、監査局に早馬の報せが届いた。アルヴェイド側の全手続きを終えたセドリック・ヴェイル卿が、本日、国境を越えて帰還の途に就いた、と。到着は明朝、王都の東門。
「局長! お、お迎え、行きますよね!? 馬車、手配します! 衣装は!? 髪は!?」
「ミレーヌ、落ち着きなさいな。明朝の話でしょう、支度の時間は十分に――」
言いかけて、わたくしは、窓の外を見た。秋の終わりの、暮れかけた空。東の街道の方角。
……明朝。あと、一晩。二月と十二日、数字の暗号でしか話せなかった人と、あと一晩で会えるという算術が、どうしてこんなに、長いのかしら。
「……前言を、訂正いたしますわ」
「はい?」
「馬車を。今すぐ。東門ではなく、街道の最初の宿場まで迎えに出ます。停職は解けましたもの、王国のどこへ馬車を走らせようと、わたくしの自由ですわ」
「――はいっ!!」
夜の街道を、馬車が東へ走る。振り落とされそうな速さの車内で、わたくしは手帳を開き、今日のページの最後に、一行だけ書いた。
『本日、疑義解消。なお、貸方(わたくしが差し出したいもの)の残高――計測不能。至急、本人へ照合を要す』




