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婚約破棄された「帳簿の令嬢」は、十年分の記録で王国を詰ませる  作者: 青雨あき


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第三十二話 散歩の効用

 審問の第二回は、敵の追撃で始まった。


「新たな鑑定書を提出する。王都の筆跡鑑定人三名の連名により、五通の書簡は『エルディア・グランフェルトの真筆と認められる』との所見である」


 三名の連名。傍聴席がざわめく。審問官の一人が、痛ましげにわたくしを見た。だが、慌てる場面ではない。鑑定人の目は正しい。正しい目に偽物を見せるのがこの仕掛けの肝だと、初回に申し上げた通り――そして正しい目は、いずれこちらの武器になる。


「所見を承ります。その上で、弁明側から鑑定人の皆さまに、追加の検分を一件、ご依頼したいですわ。……五通の書簡の文字と、市中に出回ったわたくしの公文書の写し――ほら、半年前から高値で買い集められていた、あれですわ――との、重ね合わせの検分を」


「重ね合わせ、とは」


「文字の輪郭を、一字ずつ、透かして重ねるのです。詳細は検分の場で。……鑑定人の皆さまの目が確かであればあるほど、面白いものが見えるはずですわ」


 審問官は訝しみつつも、検分を認めた。急いては事を仕損じる。この検分の結果が出るまでの間に、敵はもう一手、打ってくるはず――。


 打ってきたのは、その夜だった。


 王都の公証人役場に、賊が入ったのである。狙いは明白、ブノワ老の保管庫――わたくしの封緘手帳。

 後の憲兵調書によれば、賊は二人組。


 裏窓の錠を焼き切り、書庫の並びを抜け、保管庫の扉まであと十歩、というところで――役場の門前から、地鳴りのような誰何(すいか)が響いた。


「――夜分の役場に、御用でありますか」


 深夜の「散歩」の途中だった巨躯である。賊の一人は即座に窓へ引き返そうとして書架に激突し、もう一人は果敢にも短刀を抜いて――三秒後、二人まとめて、片腕ずつ吊り上げられていた。


 ダリオ本人の報告書には『侵入者二名を発見、制圧。器物破損、書架一台(自分がぶつけたのではなく賊がぶつけたのであります)。以上』とだけある。相変わらず、報告書だけは簡潔な男だ。


 翌朝、現場検分に立ち会ったブノワ老は、白眉の下の目を、むしろ嬉しげに光らせていた。


「公証人を四十年やって、役場に賊とは初めてじゃよ。……お嬢さん、これは誉れですぞ。盗みに来られる紙というのは、本物の紙だけでな。あんたの退屈な手帳、どうやら王国で一番高い紙になったらしい」


 翌朝、審問所に憲兵の報告が届いた。賊は雇われの空き巣で、前金三百リル――庶民の三月分の稼ぎで雇われたと自白。


 依頼主は酒場で会った「顔を隠した紳士」、それ以上は辿れず。だが、依頼の中身だけは、はっきりしていた。『公証人役場の、革表紙の手帳の束を、燃やせ』。


 審問の場で、わたくしは静かに、この報告書を掲げた。


「審問官の皆さま。ひとつ、論理の検算をお願いいたしますわ。――わたくしが本当に売国の密書を書いたのなら、わたくしの手帳は、わたくしの罪の証拠のはず。焼きたいのは、わたくしのはずですわね? ところが現実には、告発する側の誰かが、わたくしの手帳を焼きたがっている。……なぜかしら。手帳の中身が、告発にとって、都合が悪いからではなくて?」


 審問官たちが、初めて、告発文書そのものを疑う目になった。潮目は、物証より先に、論理で変わる。


 ――審問の帰り、門前の「散歩人」に、わたくしは深く頭を下げた。


「ダリオ。あなたの散歩が、わたくしの十三年を守ってくれたわ。正式な感状は職権が戻ってから出します。今は、これだけ」


「は、はっ。……その、局長。自分は、難しいことは分からんのでありますが。ミレーヌ嬢が申しておりました。『局長の手帳は、局長の人生そのものだから、何があっても守る』と。自分は、その検算を、足でやっただけであります」


 ……この巨躯、口下手のくせに、時々いちばん効く台詞を言う。

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