第三十一話 紙の出所
停職生活は、四日目にして、思わぬ被害者を出していた。実家の侍女頭マーサである。
「お嬢様……お願いでございますから、お屋敷の帳簿はもう、お許しくださいまし。厨房の帳面は昨日一日で二十年分の検算が済み、薪の在庫は一本単位で台帳化され、今朝がたはとうとう、庭師が『球根の減価償却とはなんですか』と泣きついて参りました」
「あら。仕事のない監査官ほど、危険なものはなくってよ、マーサ」
「その危険が、当家に着弾しております」
――そこへ、監査局の正式な使いとしてミレーヌが通されたのだから、マーサの安堵の顔ときたらなかった。
停職中のわたくしに代わり、局の権限で動けるのは彼女だけ。国境の両側で、二つの帳簿が同時に動き始めていた。
こちら側――停職中のわたくしに代わり、監査局の正式権限で動くのはミレーヌである。彼女の最初の標的は、内部の漏れ口だった。偽の密書に書かれた「未公開の監査情報」を、この半年に閲覧できた者。
閲覧簿によれば、五名。わたくし、ミレーヌ、書記官二名、そして――合同監査局のアルヴェイド側連絡官、ラング氏。
「ラングさん……四十絡みの、物腰の柔らかい方ですよね。着任して八月。仕事は丁寧だし、皆に好かれてます。お茶の淹れ方が上手で、書記官の誕生日を全員覚えてて。……疑うの、正直、気が重いです」
「気が重いまま、疑いなさいな。監査というのは、好き嫌いと関係なく、全員を同じ目で見る仕事よ。それにね、ミレーヌ。着任八月で全員の誕生日を覚える気配りは、美徳でもあり――職業技能でもあるの。人に好かれる技術と、人を欺く技術は、道具箱が同じですのよ。使い手の心ひとつで、どちらにも化ける。……それでね。閲覧簿で見るべきは『誰が見たか』ではなくてよ。『誰が、必要もないのに見たか』。閲覧の日付と、その日の各人の担当案件を突き合わせてごらんなさい」
三日後、彼女の検算帳に、答えが並んだ。書記官二名の閲覧は、すべて担当案件と一致。
ラング氏の閲覧は二十六回のうち五回が、担当外の案件――そしてその五回の中身が、五通の密書に使われた情報と、過不足なく一致していた。
「……過不足なく、です、局長。多くも少なくもなく、ぴったり五件。偶然なら、担当外の閲覧はもっと散らかるはずです」
「ええ。几帳面な泥棒ほど、盗んだ分しか触らないの。――ただし、これだけでは確証にならない。彼が『漏れ口』である証明には、盗んだ情報が『外へ流れた瞬間』を押さえる必要があるわ。……泳がせましょう。餌をつけて」
――そして国境の向こう側。検閲を潜る数字の暗号で、セドリック様の側の帳簿も、こちらに届いていた。月次報告の参考数値欄を、わたくしは深夜、一人で読み解く。
『科目・特級紙、数量五〇、摘要・廃棄』
アルヴェイド財務省の官用特級紙。一枚五十リル――庶民の半日分の稼ぎに相当する、透かし入りの高級紙だ。
その払い出し記録に、半年前、五十枚の「書損につき廃棄処理」があった、という報せである。
……あら、まあ。どこかで聞いた手口だこと。鑑定書事件の「欠番」と、同じ骨格。正規の紙を、書損の名目で帳簿から消し、外へ流す。不正の手口というのは、国が違っても、驚くほど貧しい語彙で回っている。
『承認印・文書課長』『課長・縁戚・V』
廃棄を承認した文書課長は、ヴェルメイユ家の縁戚。……糸が、あちらの内側で、双頭の鷲に繋がった。
わたくしは返信の数字を組んだ。『科目・課長、摘要・泳がせ、金額〇(まだ触るな)』『科目・こちら、摘要・同じく泳がせ中』。
そして末尾に、業務外の一行を、取引番号の形で紛れ込ませる。一七〇一――彼が初めて扉を叩いた日。金額の欄には、一〇〇一。
千と一夜。まだまだ、語り合う夜が足りない、という意味。伝わるかしら。伝わるでしょうね、あの人なら。




