第二十九話 五通の密書
それは、セドリック様の出国から十二日目の朝、両国の社交界に、同時に落ちた。
『帳簿の令嬢の売国』――王都の複数の夜会と、アルヴェイドの宮廷筋に、五通の書簡の写しが一斉に出回ったのだ。
差出人はエルディア・グランフェルト。宛先はセドリック・ヴェイル。内容は、合同監査局の未公開の監査情報――アルヴェイド側貴族の資産調査の中身――を、婚約者に流す密書。
文面の端々に、謝礼の受領を匂わせる一文。日付は、この半年に散らばる五通。
そして筆跡は――ぞっとするほど、わたくしのものだった。
「局長、これ、これっ……偽物です! 偽物ですよね!?」
「ええ、偽物よ、ミレーヌ。落ち着いて。……見事な偽物だわ。買い集めた公文書の写しから、字を一文字ずつ拾って組んだのね。『い』の払いも、『わ』の結びも、わたくしの癖。よく研究してある」
落ち着いて、と言った自分の指先が、冷えていた。恐ろしいのは筆跡ではない。設計だ。密書の内容にされた「未公開の監査情報」は、実際に監査局が扱った実在の案件で、しかも閲覧権限がわたくしを含む数名しかない。
内部の情報が、敵に漏れている。そして宛先がセドリック様である以上、疑いは二人まとめて掛かる。婚約は売国の道具、という筋書き。
昼までに、事態は雪崩れた。両国政府から、合同監査局への疑義照会。夕刻には、王命が下った。
『疑義の解消まで、エルディア・グランフェルトとセドリック・ヴェイルの婚約を凍結する。両名の私的な接触、文通を禁ず。エルディア・グランフェルトは監査局長の職務を停止し、疑義解消の審問に服すこと』
――婚約、凍結。
二年前、わたくしは公衆の面前で婚約を破棄された。あのときは、清々していた。積む価値のない婚約だったから。けれど今度のは、違う。今度のは、十三年の帳簿を懸けて積み上げた、本物だ。それを、偽の紙五枚が、凍らせにきた。
審問の初日。居並ぶ両国の審問官を前に、わたくしは背筋を伸ばした。ダルトン夫人は傍聴席で扇を握りしめ、ミレーヌは記録係の席で、震える手に検算帳を抱いている。
「エルディア・グランフェルト。この五通の書簡に、見覚えは」
「ございません。すべて偽造ですわ」
「筆跡鑑定人は『本人の筆跡と高い確度で一致』と述べているが」
「でしょうね。わたくしの字を、わたくしの公文書から集めて組んだ字ですもの。鑑定人の目は正しい。正しい目に、偽物を見せるのが、この仕掛けの肝ですの」
「では、どう反証する。書簡の日付にお前が何をしていたか、証明できるのか。半年も前の日々のことを」
審問官の声には、憐れみさえ混じっていた。半年前の日常のアリバイなど、誰にも証明できるはずがない――普通の人間なら。
わたくしは、息をひとつ、整えた。切り札は、最適の一手で切る。今では、ない。今切れば、敵は次の偽造で上書きしてくる。切るのは、敵の仕掛けの全体が出揃い、逃げ道が塞がってから。
「証明の方法は、ございます。審問の場で、順を追ってお示しいたしますわ。――つきましては審問官殿、まず五通の原本の提出を、正式に要求いたします。写しが五十枚出回ろうと、偽造の証拠は原本にしか残りませんの。紙に、インクに、封蝋に。……原本を出せない告発は、告発の形をした、ただの噂ですわ」
審問官たちが、顔を見合わせた。
……さあ、ヴェルメイユ公。原本を出せば物証を検められ、出さねば告発が痩せる。どちらに転んでも、次の手はこちらが読みやすくなりますわよ。
その夜、停職中の身で灯りを落とした自室で、わたくしは一人、手帳を開いた。会えない人の名を、備忘欄に一行だけ書く。
『照合は、二人で。――あなたの側の帳簿を、信じています』




