第二十七話 遠征費と、名前の読める男
夏の終わり、軍務府から監査依頼が来た。依頼主は軍務府自身――ダントン事件(あの馬糧費の一件だ)の後に経理を任された、改革派の新局長である。
「北の国境の魔物討伐遠征、その兵站費に、どうも臭い項目がある。うちで洗ったが尻尾が掴めん。頼む、『帳簿の令嬢』の目で見てくれ」
項目は「従軍人夫の賃金」。遠征には物資を運ぶ人夫が徴用され、日当八十リル――王都の職人よりやや安いが、危険手当込みの相場だ。名簿上の人夫は三百二十名、遠征四十日で、賃金総額はおよそ百万リル。庶民の家が十軒建つ。
「ミレーヌ、名簿の検算は?」
「合ってます。金額は、一リルも狂ってません。……でも局長、この名簿、なんだか、気持ち悪いんです。三百二十人分の名前が、全部……綺麗すぎるというか」
分かる。筆跡が、全員分、同じなのだ。名簿は補給官が清書するものだから、それ自体は不正ではない。
だが受領印の欄――人夫が賃金を受け取った証の拇印や判が、よく見ると、同じ判子の使い回しが混じっている。角の欠け方が同じ「山型判」が、四十七箇所。
「架空の人夫、ですわね。実在しない名前を名簿に混ぜ、その分の賃金を抜く。四十七名分なら、遠征一回で……十五万リル。手口は古典的。けれど証明が厄介よ。『この名前の人夫は実在しない』ことを、どう示すか。悪魔の証明ですもの」
そこで手を挙げたのが、意外な男だった。
「じ、自分に、やらせていただきたいのであります」
ダリオである。護衛騎士の巨躯を縮めるようにして、彼は言った。
「自分は、その、数字はからっきしでありますが……騎士団の前は、国境軍の出でありまして。人夫徴用の村は、だいたい決まっております。それに自分は――名前なら、読めるのであります。数字は覚えられんのですが、人の名前と顔だけは、一度聞いたら忘れません。部隊三百人の名を、三日で覚えた男であります」
かくして、ダリオの泥臭い行軍が始まった。名簿の三百二十名の出身村を回り、村長と付き合わせ、一人ずつ「実在」を確かめていく。
十日後、彼は埃まみれで帰還し、名簿の写しを机に広げた。四十七の名前に、赤い線。
「報告いたします。この四十七名、どの村にも、おりません。村長らの証言、連判つきであります。それと……妙なことに気づきました。この四十七の偽名、全部、実在する人夫の名前の『文字を入れ替えた』ものであります。ロマン、がマロン。テオル、がロテオ。……名簿を清書した者は、名前を一から考えるのが面倒だったのでありましょう」
「あら。……あらあらあら。ダリオ、あなた、大金星よ。文字の入れ替えは、清書した本人にしかできない癖ですわ。つまり架空の名を仕込んだのは、名簿の清書役――補給官その人」
補給官は、赤線の名簿と連判と、自分の私室から出た「山型判」を前に、三十分で落ちた。
抜いた十五万リルは酒と賭場に消えていたが、給与と家財から弁済の算段が組まれた。軍務府の新局長は「これで軍の帳簿から、幽霊が消えた」と笑い、ダリオには軍務府から正式な感状が出た。
感状の授与式のあと、ミレーヌが検算帳を胸に、ぽつりと言った。
「……ダリオさんって、すごいんですね。わたし、数字の読めない人のこと、ちょっとだけ、下に見てました。反省です。名前が読めるって、数字が読めるのと、同じくらい強いんだ」
「ミレーヌ嬢にそう言っていただけるなら、自分は、その、三日徹夜した甲斐が」
「三日徹夜!? だめです! 倒れます! ちゃんと寝てください! ……もう、心配、させないでください」
「……はっ。じ、自分の心拍数も、要検算であります」
あなたたち、いい加減、両想いの検算も済ませなさいな。




