第二十三話 白鳥座の赤字・後編
決め手は、半券だった。
白鳥座の木戸では、客の券をもぎり、半券を回収箱に落とす。
当日売りの券は白い紙、招待券は赤い紙――三百年変わらぬ、劇場の仕来りである。
わたくしたちは出資者の権限で、直近十公演分の回収箱を封印させ、中身を数えた。数えるのは、監査局の総力と、なぜか手伝いを買って出たダリオ(半券の山を運ぶ姿は完全に荷役だった)。
結果。白い半券、平均五百二十枚。赤い半券、平均三十五枚。
帳簿の記録。売上三百八十席、招待百八十席。
「白が百四十枚、多い。赤は百四十五枚、少ない。……つまり毎公演、百四十人前後のお客が払った木戸銭が、帳簿の上で『招待』に付け替えられている。平土間中心で一人三リルとして、一公演で四百リル余り。年二百公演、三年で――およそ二万五千リル。差配できるのは、金箱と帳簿を握る、ただ一人」
応接室に呼ばれたラモンは、半券の山を前に、最初は揉み手のまま笑っていた。
「か、監査官様、何かのお間違いで。半券の数え違いということも」
「三度数えました。数え手は六名、二人一組の突き合わせ式ですわ。それから、あなた名義の隠し口座――両替商二軒を経由した預け入れの日付は、公演日の翌日に、三年分、綺麗に並んでおりましたわよ。総額、二万三千六百リル」
男の顔から揉み手が剥がれ落ち、代わりに出てきたのは、開き直りの嗤いだった。
「……ふん。だから何だってんです。出資のお貴族様がたは、配当の数字しか見やしない。座長は舞台のことしか頭にない。芝居小屋の帳簿なんぞ、誰も読みやしないんだ。読めやしないんだよ、あんたら上つ方には……!」
「読めますわ。現に、読みましたでしょう」
わたくしは、静かに遮った。
「それにね、ラモンさん。あなたの手口でいちばん許し難いのは、お金ではなくてよ。あなたは抜いた分を『招待』と記帳した。――座長が救貧院の子どもたちに開けてきた席の名前を、あなたは三年間、盗みの隠れ蓑にしたの。数字の上で、善意に泥を着せた。監査官として、それがいちばん、腹に据えかねますわ」
ラモンは司直へ、弁済は隠し口座から全額。
――そして残ったのは、招待そのものの扱いだった。出資者たちは言う。「不正は分かった。だが座長の大盤振る舞いも、赤字の一因には違いなかろう」と。
楽屋で、ジョルジュ翁は、皺だらけの手を膝に置いて、ぽつりと語った。
「わしはな、監査官様。孤児だった。九つの冬、腹が減って劇場の裏口でへたり込んでたら、木戸番の爺さんが、黙って一幕だけ入れてくれた。……舞台の上で、王様が笑って、悪党が転んで、みんなが唄っとった。芝居は、腹の足しにはならん。だが、あの晩からわしは、明日を生きる理由を持った。それだけの話よ。招待をやめろと言うなら、わしが座長を降りるだけだ」
「やめる必要は、ございませんわ」
わたくしは、新しい定款の草案を、翁の前に広げた。
「招待枠は廃止せず、『次代の客への種蒔き費』として正式な費目にいたします。上限を定め、名簿を取り、毎年の報告書に載せる。出資者の皆さまへの説明はこうですわ――九つの冬に無料で入った子は、六十年後、劇場一の演目を打つ座長になった。招待は施しではなく、この劇場でいちばん回収率の高い、長期投資ですのよ、と」
翁は目をしばたたき、それから、舞台の上のように高らかに笑った。
――再建初日の公演に、わたくしはセドリック様と桟敷で観劇した。演目は三百年ぶりの再演という歌劇。開幕前、彼がすっと肘を差し出す。
「エルディア嬢。本日の演目に際し、腕組みのご提案を。……却下されると、私は幕間まで立ち直れませんが」
「……しょ、承認、いたしますわ。議事録には、残さない方向で」
初めて組んだ腕は、思いのほか、あたたかかった。そして開幕の直前、向かいの桟敷に、白金の髪が見えた。
カサンドラ公女。彼女は歌劇の序曲が始まると、譜面を目で追うように舞台を見つめ――膝の上の指先が、ほんのかすかに、拍を刻んでいた。
手帳の摘要欄、二行目。『公女、歌劇にて指揮の癖。空白の輪郭、確度上昇』。




