第二十一話 完璧の内訳
宣戦布告の翌朝、監査局の会議室に、対策会議の顔ぶれが揃った。
わたくしと、セドリック様。検算帳を抱えたミレーヌ。護衛として壁際に立つダリオ。
そして特別顧問として招いた――孔雀の扇のダルトン伯爵夫人である。
「社交界の戦の軍師役なんて、腕が鳴りますわねえ。四十年分の耳寄り話、洗いざらい持って参りましたわよ」
「心強いですわ、夫人。……さて、皆さん。戦の前の鉄則から始めましょう。敵を知ること。カサンドラ・ヴェルメイユ公女とは、何者か。――まずはセドリック様。あなたの知る彼女を、伺えます?」
セドリック様は、少し目を伏せてから、慎重に言葉を選んだ。
「……幼い頃から、社交の席で隣に並べられてきた人です。ヴェイル家とヴェルメイユ家は家格が釣り合う。周囲は当然のように縁組を望み、三年前、正式な打診がありました。私は書面で辞退した。それだけの間柄です。彼女個人と、親しく話したことは――実は、一度もない」
「一度も? 幼馴染でいらしたのに?」
「ええ。妙に聞こえるでしょうが……彼女は、いつも完璧に話すのです。天気の話も、音楽の評も、政治の見解も、すべて礼法の教本のように正しく。ですが、教本のどのページにも、彼女自身の言葉がない。私が辞退した理由は、あなたに出会う前からひとつでした。あの人の本当の声を、誰も聞いたことがない。私も含めて。……そういう結婚は、二人分の孤独にしかならない」
会議室が、静かになった。ダルトン夫人が扇をゆっくり動かしながら、引き取った。
「わたくしの耳も、同じことを言っておりますわ。完璧公女の経歴――五か国語、宮廷礼法の皆伝、慈善事業の後援が十二件、刺繍と乗馬と歌唱は師範級。ヴェルメイユ家が娘に注ぎ込む『養成費』は、年に二万リルという噂。庶民の家が二十軒建つお金ですわね。ところが、ですのよ。あれだけの費えの中に――公女ご自身が選んで使ったお金が、一リルも見当たらないの。針子たちの噂では、ドレスの注文は二十一年間、一度も本人の指定がないそうよ。すべて公爵様のお決めになった意匠」
「……支出ゼロ、ですか」
わたくしは、手帳の摘要欄を開いた。『要調査。公女と、音楽』――親善夜会の、あの一秒の視線。
「セドリック様。ひとつ、照会をお願いできますか。アルヴェイド王立音楽院の、十年ほど前の入学推薦名簿を」
三日後、外交便で届いた写しを開いて、わたくしたちは息を呑んだ。十年前の推薦者名簿、その末尾。
『C・V(十歳)――クラヴィーア、院始まって以来の才』の一行に、太い抹消線。欄外の註記には、事務官の几帳面な字で、こうあった。『辞退。ヴェルメイユ公爵閣下の意向により』。
「十歳……」ミレーヌが、掠れた声で言った。「音楽院が『院始まって以来』って書くほどの才能を、お父様が、線一本で」
「ええ。そして、それきり公女の経歴から、音楽は消えた。人前の演奏は『嗜み程度』。夜会で楽譜に向けた一秒の視線だけが、生き残った」
わたくしは、会議室を見渡した。
「皆さん、方針を申し上げます。敵の帳簿はね、恨みで読んではいけませんの。空白で読むのです。カサンドラ様の帳簿には、二十一年分の莫大な支出と――たったひとつ、支出ゼロの『欲しかったもの』がある。この戦、網には網で応じます。ですが、それだけでは勝っても後味の悪い勝ちになる。相手の空白を見失わないこと。それを全員の胸に置いて、始めましょう」
「……エルディア嬢。あなたは、敵の救い方から戦を組み立てるのですね」
「あら、セドリック様。それが一番、確実な勝ち方ですのよ」
壁際で直立不動を続けていたダリオが、恐る恐る、といった体で挙手した。
「はっ、発言をお許しください。自分は、その、騎士の戦しか知らんのでありますが……敵の弱点ではなく、敵の『欲しかったもの』を調べる軍議というのを、自分は生まれて初めて見たのであります。これは、その、どういう兵法でありますか」
「兵法ではなくてよ、ダリオ。監査ですわ。監査というのはね、数字の間違いを見つける仕事に見えて、本当は――数字の後ろの人間を、正しく理解する仕事なの。敵でも、それは同じ」
「な、なるほど……! ミレーヌ嬢、今の、書き取ったでありますか」
「三行前から書いてます。あとで写しをあげます」
その夕、ダルトン夫人の伝令が最初の戦況を運んできた。
王国側の伯爵家三家に、ヴェルメイユ網からの縁組打診――網が、こちらの岸に、掛かり始めた。




