第十九話 持参金詐欺・後編
餌は、驚くほど早く食いついた。
ダルトン夫人の社交網を通じて「元男爵家の娘の縁談話」を流してから、わずか十日。
ミレーヌのもとに、南方の「ベルナン男爵家三男」を名乗る男から、絵に描いたように丁寧な文が届いたのだ。ベルナン家――名鑑で引けば実在し、そして二年前に家紋を改めている。封蝋は、旧紋。同じ手口、同じ男。
文通は一月続き、男は王都に現れた。三十代半ば、甘い顔立ちに人好きのする笑み、仕立ての良い旅装。名乗った偽名はテオバルド。喫茶室での初対面から、男の口説きは教本のように滑らかだった。
「ミレーヌ嬢。爵位を失われたことなど、あなたの価値を一リルも減じません。私は、あなたご自身に懸想したのです」
「まあ……嬉しい。(――局長、今の台詞、三軒隣のコレットが聞いた台詞と一言一句同じです。手口帳に追記お願いします)」
ミレーヌは頬を染める演技の裏で、扇の陰の唇だけでそう報告した。
囮になって三週、彼女の演技と観察は、もはや玄人の域である。ちなみに給仕に扮したダリオは、盆を持つ手つきが岩を運ぶそれで、三回に一回は茶器を鳴らしていた。人には向き不向きがある。
そして四度目の逢瀬で、男はついに、本題を切り出した。
「実は……南方には、婚約の証として持参金の一割を先に預ける習わしがありまして。形式だけのことですが、母が古風なもので。ミレーヌ嬢の持参金は八千リルとお聞きした。つまり八百リルを、婚約式の前に」
「まあ、そういう習わしが。……分かりました。では明後日、わたしの後見人立ち会いのもと、証書を交わしてお渡ししますね。後見人は、お堅い官職の方なので、受領書にご署名だけお願いします」
「し、証書、ですか。いや、習わしはあくまで内々のもので、書き付けなどは無粋と申しますか」
「あら。八百リルは、庶民の家族が半年暮らせるお金ですよ? 書き付けなしで動かしたら、わたし、後見人に叱られてしまいます。――それとも」
ミレーヌは、扇をぱちりと閉じた。演技の頬の赤みが消え、監査官の顔が現れる。
「書き付けを残せない理由が、おありですか。テオバルドさん。……いえ、先月はオルレア家の嫡男を名乗っていた、お名前も知らないどなたか」
男の顔色が、変わった。椅子を蹴って身を翻し――喫茶室の出口で、山にぶつかった。
「動くな、であります」
給仕の前掛けを剥ぎ取ったダリオが、仁王立ちしていた。男は懐の短剣に手を伸ばしかけ、その手首を、岩の手が万力のように掴む。ただ――勢い余ったダリオは、男を取り押さえたその巨体で、卓を三つ、椅子を五脚、薙ぎ倒した。茶器の破損、締めて百四十リル。
後日、彼の給金から几帳面に弁済されたことを、記録しておく。
「ミレーヌ嬢! ご無事でありますか!」
「へ、平気です。それより手首、離してあげてください、折れちゃいます」
「はっ! ……そ、それと、その、僭越ながら申し上げます。先ほどの……騙りの男の口説きより、貴女が扇を閉じて悪党の名を暴いた瞬間のほうが、自分は、その、何倍も、格好良いと思ったのであります!」
「…………ふぇ?」
ミレーヌの顔が、演技ではない速度で赤くなった。後にわたくしの手元に届いた彼女の業務日誌には、こう記されている。
『本日の反省。心拍数に異常あり。原因不明。要検算』――原因は、明白だと思うのだけれど。
男の宿からは、名鑑の古い版と、既製の封蝋判が三種、そして被害者の名を記した手帳が押収された。
手帳の「次の候補」の欄には、没落した家の娘の名が、まだ七人分。全員に、監査局から注意喚起の文が送られた。コレット嬢たち三家への弁済は、男の隠し金から全額。
利子代わりに、ミレーヌは友人の家へ、監査局特製の「縁談相手の検分手引き」を届けた。曰く、家紋の版年を確かめること。習わしを名乗る金銭要求は疑うこと。
そして――書き付けを嫌がる相手とは、結婚しないこと。




