第十四話 孤児院の寄付金・前編
銀食器事件の評判は、雪解けより早く王都を巡った。
監査局の窓口には相談が並び始め、その中に、一通の匿名の手紙があった。
『聖ロザ孤児院に、王家と貴族から毎年多額の寄付が届いているはずなのに、子どもらは冬にすり切れた靴を履いている。誰かが抜いているのではないか』
「聖ロザ孤児院……南地区の、一番大きな孤児院ですわね。寄付の帳簿を確認しましょう」
王家の下賜金と貴族十二家の寄付、合わせて年間二十四万リル。職人二千人分の日当に相当する、決して小さくない額だ。
入金の記録は完璧で、全額、確かに孤児院の口座に入っている。抜かれているとすれば、入口ではなく、出口――孤児院の中の支出だ。
三日後、わたくしはミレーヌと二人、寄付貴族家の代理という名目で孤児院を訪ねた。
監査と名乗らないのは、ありのままを見るためである。帳簿は取り繕えても、暮らしの匂いまでは取り繕えないものだから。
院長のマグダ夫人は、七十に近い小柄な老婦人だった。
白髪を古びた頭巾にまとめ、深い皺の刻まれた顔に、穏やかな灰色の瞳。差し出された手は節くれて、指先にあかぎれの跡がある。羽織った外套は上等な生地だが、袖口も裾も、色の違う糸で幾重にも繕われていた。
応対は丁寧で、帳簿の開示も快く応じてくれた。
「寄付をくださる皆様に、暮らしぶりを見ていただけるのは、ありがたいことです。……何もない所ですが、子どもらは、元気だけが取り柄でして」
案内された院内は、床が白く磨き上げられ、廊下の端々まで掃除が行き届いていた。中庭からは縄跳びの歌。すれ違う子どもたちは、揃って足を止め、ぺこりと頭を下げていく。躾が良い。愛されて育っている顔だ。
けれど、監査官の目は誤魔化せない。
食堂に貼られた献立表――肉の日は、月に二度きり。あとは豆と根菜の煮込みが並ぶ。子どもらの靴は、手紙の通り、底を何度も張り替えた跡。窓の硝子には、割れを紙で塞いだ箇所が三つ。廊下の隅には、雨受けの木桶。年間二十四万リル――職人二千人分の日当に相当する寄付がある施設の暮らしでは、断じて、ない。
それでいて、子どもたちの髪は丁寧に梳かれ、繕われた服は清潔だった。金はないのに、手はかかっている。
……この組み合わせを、わたくしは知っている。実家の領地の、貧しくとも子を大事にする村々で、何度も見た組み合わせだ。
「ミレーヌ、支出帳簿はどうでした?」
帰りの馬車で、彼女は検算帳を開いた。目つきが、もう一人前の監査官のそれになっている。
「食費、被服費、薪代……どれも切り詰めた金額で、不正な感じはしません。ただ一項目だけ、変です。『修繕費』。毎月、二千リル。……毎月きっかり二千リル、一リルの端数もなく、三年間、三十六回。しかも支払日が全部、月末の二十八日です」
「実際の修繕はどうでした?」
「屋根の雨漏り、直ってませんでした。雨受けの桶が廊下に三つ。……修繕費が毎月出ているのに、です」
「毎月同額、同日、端数なし、実態なし。……偽装計上の教科書のような数字ね。本物の修繕費というのは、雨漏りの月に跳ね、何もない月は眠るもの。生きた支出は、必ず不揃いですのよ。年に二万四千リル、三年で七万二千リル――庶民の家賃が月に千リルの世で、家一軒分を優に超えるお金が、『修繕』の名で、どこかへ流れている」
「あの、局長。わたし、もうひとつ気になって……厨房のおばさんに、世間話のふりで聞いてみたんです。修繕の職人さんは来るのかって。そうしたら『職人? この三年、屋根に登ったのは院長先生ご自身だけだよ』って。七十のご老体が、瓦を、ご自分で」
「……着服した人間は、自分で屋根に登りませんわ」
けれど、腑に落ちないことがあった。マグダ院長の暮らしぶりだ。あの繕いだらけの外套。院長室の家具は孤児院で一番古く、私腹を肥やしている人間の部屋ではなかった。
着服なら、金はどこへ?
答えの糸口は、思わぬところから来た。帰り際、庭で毬つきをしていた女の子――十歳くらいの、利発そうな子が、ミレーヌの袖をそっと引いたのだ。
「ねえ、貴族のおねえちゃんたち。……院長先生を、助けに来てくれたの?」
「え?」
「月末になるとね、黒い馬車が来るの。えんび服のおじさんが降りてきて、先生とお話しするの。おじさんが帰ったあと、先生、いつも御堂で長いお祈りをしてる。……昨日ね、あたし聞いちゃった。おじさんが言ってた。『次こそ、あの銀髪の姉弟を渡していただく』って」
背筋が、冷えた。
月末の二十八日。黒い馬車。子どもを「渡せ」と迫る男。そして毎月同日の、二千リル。
「ミレーヌ。これは、着服事件ではないかもしれませんわ」
「……はい。もっと、悪いやつの匂いがします」




