第十一話 封印帳簿と、王家の百年の恥
年が明けた。王都に降り積もった雪が、朝の光を弾いている。
両国合同監査局の局長室で、わたくし――エルディア・グランフェルトは、一冊の帳簿と向き合っていた。
栗色の髪はいつも通りきっちりと結い上げ、左耳の上には羽根ペン。婚約者からは「戦支度のようだ」と笑われる仕事装束だけれど、今日ばかりは、この装いで正解だった。
机の上の帳簿は、分厚い革表紙に、百年の埃。そして表紙の中央には、蝋で捺された王家の禁忌印――「開くことを、王の名において禁ず」の紋章である。
「王家の書庫の最奥から見つかった、百年前の封印帳簿。開封には王命が要る、と書庫番は震えておりましたけれど」
「その王命を、今から陛下ご自身が下しにいらっしゃる。……緊張しますね」
隣に立つのは、婚約者のセドリック・ヴェイル卿。癖のない黒髪を後ろへ撫でつけ、灰青色の瞳、癖のように隙なく結ばれたクラヴァット。わたくしより頭ひとつ高いところから帳簿を覗き込む横顔は、隣国の財務卿補佐というより、宝箱を前にした少年のそれだ。
「緊張なさっているわりに、目が輝いておりますわよ、セドリック様」
「あなたに言われたくありません。三日前から禁忌印の蝋の成分を調べていた方に」
「じゅ、準備は監査の基本ですもの!」
扉が開き、国王陛下が入室された。還暦を過ぎてなお背筋の伸びた偉丈夫だが、今日はどこか、足取りが重い。陛下は帳簿を一瞥し、深い、深い溜息を吐かれた。
「……開けよ。王命である。ただし先に言っておく。余は嫌な予感しかしておらぬ」
助手のミレーヌが、恭しく封蝋切りを差し出す。ふわふわの亜麻色の髪に大きな琥珀色の瞳、小柄な体に、胸には常の検算帳。元男爵令嬢の彼女も、今や正式な監査官補だ。
わたくしは蝋を割り、百年ぶりに、表紙を開いた。
最初のページの表題は、こうだった。
『王家内々費 別冊 ――決して民に見せてはならぬ支出の記録』
局長室の空気が張り詰める。内々費の裏帳簿。百年前の疑獄か、それとも粛清の記録か。わたくしはページをめくり――めくった姿勢のまま、固まった。
『初代陛下 愛犬「勇者号」御殿 造営費 八十万リル』
「…………」
「エルディア嬢? どうしました」
「……犬の、御殿ですわ。八十万リル。職人の日当が百二十リルの時代に、です。人が住む屋敷が三軒建つお金で、初代陛下は、犬小屋を」
「はっ?」
次のページ。『二代陛下 御自作詩集「暁の獅子吼」全貴族家配布費 十二万リル』。註記に小さく『回収希望の声、多数』。
その次。『三代陛下 御髭専用香油 年間契約 二万四千リル』。月々二千リル――庶民の家賃ふた月分を、髭に。
ページをめくるたび、歴代陛下の、誰にも言えない散財が几帳面な字で並んでいく。
四代陛下の「星占い師三人の掛け持ち契約」。六代陛下の「負けが込んだカード遊びの精算」。極めつけは最終ページの一文だった。
『本帳簿を読みし者、王家の帳の内を、生涯語るべからず。――三代陛下がこれを封印す。理由――恥ずかしいゆえ』
「恥ずかしいゆえ、って書いてありますわ……理由の欄に、直筆で……」
ミレーヌが検算帳で口元を押さえ、肩を震わせている。セドリック様は天井を仰いで真顔を保とうと闘っている。そして陛下は、両手で顔を覆っておられた。
「……余は、てっきり百年前の疑獄の証拠かと、この三日、眠れなんだ。それが、それが犬の御殿と、髭の油と……先祖よ……!」
「へ、陛下。よろしいですか」
わたくしは、笑いを腹の底へ押し込めて、監査官の顔を作った。
「監査の結論を申し上げます。本帳簿の支出はいずれも王家の私費の範囲内であり、国庫への影響は軽微。百年を経て時効も成立。よって本件、『指摘事項なし』として――再封印を、ご提案いたしますわ」
「……再封印してよいのか」
「はい。ただし条件がひとつ。目録だけは監査局で作らせてくださいまし。『存在は知っているが、中身は言わない』。それが、秘密の一番安全な保管方法ですの」
陛下は顔を上げ、初めて笑われた。
「帳簿の令嬢よ。そなた、良い監査官になったな。……数字だけでなく、恥の扱い方まで心得るとは」
――封印帳簿は、こうして再び眠りについた。蝋を捺し直しながら、セドリック様がぽつりと言う。
「私たちの家計簿は、百年後に読まれても恥ずかしくないものにしましょうね」
「あら。それでしたらセドリック様、先週の『資料代』の内訳を伺いたいのですけれど。書店の領収書にしては、金額が丸すぎましてよ」
「…………再封印を、ご提案いたします」
「却下ですわ」
新年の監査局に、笑い声が満ちた。
……そしてその翌日、わたくしたちの元へ、最初の「事件」が持ち込まれることになる。




