第十話 精算のお時間です
アルガス確保の報せが届いたのは、初雪の朝だった。
国境の関所。穀物を積んだ荷馬車の二重底から、男は引きずり出された。抵抗はしなかったという。
観念した彼の懐にあった裏帳簿は皮肉なことに実に几帳面な筆跡で、両国の協力者の名が、受領日付と金額付きで整然と記されていた。
「裏帳簿まで正確に付けるなんて、敵ながら見上げた記録精神ですわ。……この筆跡、几帳面を通り越して、少し寂しい字ね。誰にも見せられない帳簿を、誰より丁寧に付けていたなんて」
「あなたに褒められて、彼も本望でしょう。減刑の材料には、なりませんが」
協力者は両国で四十名余りが検挙され、軍需調達の膿は、開戦の火種ごと摘出された。
馬たちの干し草は、ドリス牧場組合の良質なものに戻ったそうだ。厩務員長から届いた礼状には『馬どもの毛艶が戻りました』とだけあった。今回の監査で、いちばん嬉しい報告書だった。
――そして今日、監査室には両国の関係者が集まっていた。
国王陛下から労いの言葉とともに下されたのは、王宮会計監査室の常設化、そして両国合同監査局の新設。
「エルディア・グランフェルト。合同監査局の初代局長に、そなたを任ずる。……受けるな?」
「謹んで。ただし陛下、条件が三つございます」
「申せ」
「一つ、監査局の独立性の保障。監査対象に王族と閣僚を含むこと。
二つ、ミレーヌ・ハトフォードの正式登用。功績には地位で報いるのが、帳尻というものですわ。
三つ、監査局自身の予算執行は、わたくしが毎年、公開の場で説明いたします。人を監査する者こそ、誰より監査されるべきですもの」
陛下は珍しく声を立てて笑い、三つとも認めた。隣でミレーヌが、堪えきれずに泣いていた。記録係の彼女が記録を忘れるほど泣いたのは、後にも先にもこの日だけだ。
式のあと。雪の中庭で、セドリック卿が待っていた。肩に雪を積もらせて、どれだけ待っていたのか。
「局長就任、おめでとうございます。……ところで、以前お願いした任意提出の件、その後いかがでしょう。催告状は、本日で三通目になりますが」
「……提出書類に、不備がありまして」
「ほう。どのような」
わたくしは、息を吸った。白い息が、雪の間に消えていく。十年間、義務としての婚約を生きた。
これからの言葉は、人生で初めて、自分の意思で綴る恋の記録だ。
「提出先の記載欄ですわ。『セドリック・ヴェイル卿』とだけでは、書類として不完全でしょう。……将来の続柄まで書けと、様式が要求しておりますの」
彼は一瞬、雪ごと固まった。それから帽子を取り、雪の中で、腰から深く一礼した。
「では正式に。エルディア嬢――私と、生涯の共同監査をお願いできますか。家計簿は、二人で付けたい。摘要欄で喧嘩をして、決算で仲直りをする、そういう一生を」
「……承認、いたしますわ。条件は、なしで」
その夜、三百三十冊目の帳簿の最初のページに、わたくしはこう記した。
『本日、人生でいちばん大きな資産を計上。取得原価――十年分の孤独。摘要欄――セドリック。なお本資産は、減価償却いたしません』
もっとも、平穏は長く続かない。年明け、王家の書庫の最奥から見つかった百年前の「封印帳簿」――表紙に王家の禁忌印が押された分厚い一冊が、わたくしたち二人の、次の仕事になるのだけれど。
それは、また別のお話。




