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あたりまえの夕日  作者: 半田南都


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第6話 揺らぎの午後


昼を過ぎ、奈美が厨房で遅めの昼食をとっていると、ノックの音とともに勝手口がそっと開いた。


「あれ? 奈美ひとり?」


顔を覗かせたのは祐介だった。


「うん。お母さん買い物。お父さんは寝てる。今日も漁出たし、さすがに疲れたみたいやわ」


「ビール、中入れとこか?」


「ああ、お願い」


祐介は冷蔵庫の横にケースを運び、慣れた手つきで積み重ねていく。


その背中に向かって奈美は何気なく声をかけた。


「いつまでおるん?」


「明日帰るわ。哲也が車で帰って来ててな。乗せてってくれる言うから午前中には出るわ」


哲也も幼馴染で、神戸の学校に進学している。祐介と同じく連休で島に戻って来ていたようだ。


「そうなんや。気ぃつけて帰りや」


それだけ言って、会話は終わるはずだった。


けれど──


祐介は帰ろうとせず、そのままそこに立っている。


奈美は箸を置き、顔を上げた。


「……コーヒー飲む? 缶やけど」


「あ、サンキュー」


冷蔵庫から缶コーヒーを取り出し、祐介に手渡す。

プルタブを開ける音が小さく響いた。


「髪、伸びたな」


急に向けられた言葉に、奈美は一瞬戸惑った。


「え? ああ……」


奈美は自分の髪に触れた。

束ねても背中の真ん中あたりまであり、下ろせば腰に届きそうだ。


「洲本まで切りに行こう思ててんけど、行きそびれてるうちに伸びてもうて」


この辺りにも昔ながらの散髪屋や、近所のおばさんがやっているような美容室はある。けれど、若い人たちのほとんどは、バスに揺られて一時間半ほどかけて洲本まで行っていた。


「それやったら神戸か大阪まで出たらいいやん。橋できたんやし。美容院なんていくらでもあるで」


祐介の言葉に、奈美はすぐに返せなかった。


「そう言えばさ、もう橋は渡ったん?」


奈美は小さく首を振った。


「奈美、運転できるんやろ? 橋渡ったら洲本行くのとそんなに変わらんで」


悪気がないのはわかっている。

それでも、どこか引っかかるものがあった。


「……そやね」


奈美が曖昧に返すと、祐介はそのまま話を続けた。


「行くんやったら、帰りちょい遅めにしたらええわ。橋な、ライトアップしてるし。こないだな、久美子と神戸まで見に行ってんけど、めっちゃ綺麗やったで」


その言葉は、奈美にはノロケに聞こえた。


「光の道がな、ばーっと伸びててな。ああ、島まで繋がってるんやなって──」


「……ゆう君はええよな」


思わず祐介の言葉を遮っていた。


少し驚いた顔をした彼に、奈美は視線を落としたまま続ける。


「島出て、大学行って、デートして、美容院とかおしゃれな店もあるとこで生活して──」


奈美は、島を出て行きたかったことを誰にもはっきりとは話していなかった。父に店を手伝ってほしいと頼まれるまでは進学するつもりで、友だちにも先生にも相談していたし、神戸や大阪の学校の下見にも行っていた。


けれど進学を諦めた時も、その理由をそのままは言わず、あくまで自分の意思で決めたこととして周りには話していた。それ以降も未練や愚痴を口にすることはなかった。


親の言いなりだと思われたくないという意地もあったし、同時に、親に余計な負い目を感じさせたくないという気持ちもあったからだった。


だから祐介もまた、奈美がそこまで島を出て行きたかったことを知らず、あくまで奈美自身の選択でここにいるのだと思っていた。


「……奈美、お前、やっぱり進学したかったんか。ごめん、俺、知らんくて……」


困った顔をして謝る祐介に、奈美はしばらく何も言えなかった。

視線を落としたまま、やっと言葉を押し出す。


「……進学とか、そうやなくて。ここにおっても、何も変われへんやん」


「島を出たかったってこと?……何で?」


「何でって……決まってるやん。こんな何もないところにおってもしゃあないやん。そやから、みんな島出ていくんやん」


声を大きくすれば泣きそうになる気がして、奈美は下を向いたまま呟くように言った。


祐介は少し身をかがめるようにして、そっと尋ねた。


「奈美はここが嫌なんか? やりたいことがあって出たいんとちゃうくて、ただ出たかっただけなんか?」


「……やりたいことがあるとかないとか、そういうことちゃうねん。ここにおっても何もできひんやん。だからみんな出ていくんやん」


奈美が言い切ると、祐介はすぐには返さず、少し間を置いてから言葉を続けた。


「でもな、奈美……島出ていく理由ってひとつやないで。戻ってくるつもりで出ていく奴もおるしな。俺だって──」


祐介の言葉を遮るように、奈美が強く言葉を重ねる。


「ゆう君も一緒やん! お兄さんおるし、店継がんでもええやん。戻る言うても、ほんまに帰って来る人なんて、ほとんどおらへんわ」


祐介は何も返さなかった。


奈美もまた、それ以上は続けられなかった。

言うつもりのなかったことまで口にしてしまったことだけが、静かに残っていた。


沈黙が苦しくなって、何か言わなければと思い、奈美が口を開きかけた時──


「ただ〜いま〜。あ、ゆう君来てたん?」


買い物から帰った母が、両手に大きな袋をぶら下げて厨房に入ってきた。


一瞬だけ空気が止まる。


母は二人の顔を見比べ、それからすぐにいつもの口調で言った。


「お父さんまだ寝てるやんな。そろそろ起こしてくるわ」


そう言って、そのまま厨房を出ていった。


母の気配が遠ざかると、さっきまでよりも静けさが際立った。


奈美は、何か言おうとして結局口を閉じた。


祐介は少しだけ視線を外し、言葉を探すように間を置く。


「なんか、俺、奈美のこと全然わかってなくて──」


そこで一度言葉を切り、わずかに苦笑した。


「……でも、また戻ってきた時、会いに来てもええか」


奈美はすぐには答えられず、小さく頷いた。


「……うん」


それだけ返すのがやっとだった。


祐介はそれ以上何も言わず、軽く手を挙げて厨房を出ていく。


奈美は、その背中を見送ることしかできなかった。


しばらくして、母が厨房に戻ってきた。


「ゆう君、帰ったん?」


「……うん」


「そっか」


それだけ言って、母は袋の中身をひとつずつ取り出し始めた。


袋がこすれる音だけが静かに響く。


奈美も何も言わず、黙って食器を片付け、洗い始めた。


母はそれ以上何も聞かなかった。

水の音だけが、静かに続いていた。


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