夢
拓己、と自分を呼ぶ沙弥の声がする。
暑さも寒さも感じない、淡い光の中でぼんやりとその声を聞いていた拓己の頬に、柔らかな細い指先が触れる感覚があった。
沙弥だ、となんの疑いもなく確信する。
――うん。元気そうで、安心した。……大丈夫。まだ、寝てていいんだよ。
そうか、とひどくふわふわした気分で頷く。
あの日以来、ときどきこんな夢を見る。
眠っているからだろうか。目を開いて姿を見ることは叶わなくて、沙弥の声ばかりが聞こえる白い夢。
――ただね、拓己。これから、あんたが戦うことになる化け物なんだけど。ちょっと面倒くさいタイプみたいだから、気をつけて。今はお腹が空きすぎて砂の中で眠ってるけど、人間が近づいたら目を覚まして襲ってくるよ。
化け物。
それならば、随分殺した。
数え切れないほどの数を焼いて、凍らせて、砂に変えた。
元々は普通の人間であった、ネフィリムたちを。
そっか、と沙弥が少し悲しそうな声で言う。
――あんたばっかりに、辛い思いをさせてる。ほんとに、ごめん。
そんなことはない。
自分は安全なシェルターの中で、食べるものにも着るものにも不自由のない暮らしをしている。
いまだ見つけられていない妹に比べれば、何も辛い思いなどしていない。
沙弥。
いったい、どこにいる。
あの崩壊した街の中で、結局六花たちは沙弥を見つけることができなかった。
元の自宅があった座標は瓦礫の山と化しており、彼女の生体反応どころか遺体すら発見できなかったという。
……普通に考えるなら、沙弥はネフィリムに食われてしまったと判断するべきなのだろう。
実際、周囲の大人たちがそう考えているらしいことは、なんとなく伝わっている。毎日一緒に訓練している『ヴォルフ』の仲間たちは、いつも心からの励ましをくれるけれど、不安に思いはじめているのも本当で。
――わかんない。なんか、わたしもずっと夢を見ているみたいな感覚なんだよね。でも、お腹は空いていないし寒くもないし、きっと安全なところにいるんじゃないかな。
なんだそりゃ、と思いながらも、あっけらかんとした沙弥の言葉にほっとする。
――それより、さっきの化け物の話ね。めちゃくちゃ大きくてうるさいから、あんた以外の人たちは耳栓がいるよ。特に、あんたが今一緒にいる子たちはすごく耳がいいみたいだし、気をつけてあげたほうがいいんじゃないかな。
耳。たしかに、『ヴォルフ』の仲間たちはみな、狼の特性を持っているだけあって、とても耳がいい。
拓己自身、以前よりも遙かに五感が鋭くなっているけれど、さすがに狼の聴力には及ばなかった。
……五感だけではない。肉体そのものが、以前の自分とはまるで違う生き物になっている。
人間の姿形こそ保っているけれど、化け物の肉体を素手で引きちぎることができるこの体は、本当に人間だと言えるのか。
――別に、気にしなくてもいいんじゃない? あんたが人間でもそうじゃなくても、わたしの双子の兄貴だってことは変わらないんだしさ。
あっさりとそんなことを言う沙弥に、思わず笑う。
その通りだ。
むしろ、脆弱な通常人類の肉体のままでは、沙弥を迎えにいくことなど絶対に不可能なのだから、今の自分自身を否定することに意味などない。
大丈夫だよ、と笑う沙弥の声がする。
――わたしのことは、心配いらない。だから……『あなた』はまだ、眠ったままでいいんだよ。
こつん、と軽く額が触れ合う。
涼やかな風が吹き抜けていくような感覚が、心地よい。
夢ならば、その姿を見ることは叶わなくとも、こうして沙弥に会うことができるのに。
会いたい。
この世にたったひとりの、自分の半身。同じ血を分けた、大切な家族。
必ず、迎えにいく。
絶対に、諦めたりしない。
――うん。……待ってる。ずっと。
声が、柔らかなぬくもりが遠ざかる。
おやすみ、と言う沙弥の声が、どうしてかいつもより少し、硬かった。




