七名の適合者
小さくため息を吐いた六花が、口を開く。
「まあ、いい。あなたの能力は、一般人類の常識を遙かに逸脱している。私たちには理解できないことがあっても、不思議はない」
「へ?」
間の抜けた声を零した拓己をまっすぐに見て、彼女は告げる。
「大崩壊から三日が経って、混乱しきっていた世界中の情報も少しずつ集まってきている。その中で、最優先で世界各国に伝えられているのが、あなたを含めた七名の適合者――人類をネフィリムに変えたウイルスに対する、勝利条件適合者に関する情報」
「……適合者?」
ええ、と六花が頷く。
「あなたはウイルスに感染していながら、それに対する完全抗体を持っている。十六歳を超えていながらネフィリム化することもなく、それどころか単独でネフィリムを倒しうるすさまじい異能を発現させた。――覚えている? あの日あなたは、半径百メートル以内にいたネフィリムを、あなた自身の異能ですべて燃やし尽くした」
静かに向けられた問いかけに、ひゅっと喉が鳴る。
さまざまな姿をしたネフィリムが――かつてヒトだったはずの化け物が、自分たちを食らいにやってきた。
覚えている。
あれらを燃やし尽くしたのは、たしかに自分だ。
無意識に持ち上げた右手を見つめている間にも、六花は淡々と語っていく。
「現在、世界中で確認されている適合者は、あなたを含めて七名。みな、大崩壊の最中にすさまじい異能を発現させて、数え切れないほどのネフィリムを倒している。その能力の詳細はいまだ不明だけれど、あなた方は間違いなく人類の希望。だから、覚えておいて。私たちは、何があってもあなたを守る」
「……なんだよ、それ」
人類の希望、だなんて。
突然そんなことを言われたって、どう受け止めたらいいのかわからない。
ぐっと両手の指を握りしめた拓己に、それまで黙っていた冬騎が口を開いた。
「拓己。あんたはあの日、おれたちの誰も傷つけなかった。あんたの炎は、ネフィリム以外の誰も燃やしたりはしなかったんだ」
だから、と彼は柔らかな声で言う。
「大丈夫。あんたの力は、人を守るためのものだ。これから少しずつ知っていって、自由に使えるようになれば、きっとあんたの妹さんを助けにいける」
「あ……」
混乱に揺らぎかけていた意識を、引き戻される。
そうだ。
人類の希望だとか、自分自身の体の変化だとか、そんなことはどうでもいい。
今の自分にとって唯一の希望は、あの日生き別れた沙弥だけなのだから。
「オレ、は……」
掠れた声を、絞り出す。
「沙弥を、助けにいく。そのための、力が欲しい。……教えて、くれ。あの化け物――ネフィリムとの、戦い方を」
怖くない、わけがない。
恐ろしいに決まっている。
あんな化け物と戦うだなんて、想像するだけで体に震えがきそうだ。
それでも、諦められない。
母は、砂となって消えてしまった。
父も、きっと同じように消えたか――あるいは多くの大人たちと同じように、人を食らう化け物となってしまったのだろう。
今の自分に残されたのは、沙弥だけだ。
……失えない。絶対に。
「沙弥は、オレの双子の妹だ。でも、砂にも化け物にもならなかった。オレと同じように、あいつもあんたらの言う『適合者』なんだと思う」
だったら、と吐き出す自分の言葉が、ひどく苦い。
「あいつも、人類の希望ってやつなんだろう? だから、あんたたちはあいつを探しにいってくれていたんだろう?」
沙弥が、人類にとって利用価値のある子どもだから。
そうでなければ、きっとこのシェルターに生きる者たちは、彼女を捜索しようなどとは決して思わなかったはずだ。
それが悪いなどと、言うつもりはない。
拓己だって、そこまで頭の悪い子どもじゃない。
今のこの世界に生きる人々に、無価値な子どもを救うために無償で動けるような余力など、どこにもないのだから。
「オレは、オレの全部を使ってネフィリムと戦う。だから、頼む。オレが諦めない限り、あんたたちも沙弥を諦めないでほしい」
なぜかは、わからない。
ただ、沙弥は生きている。
理由を説明することはできない。本当に、勘としか言いようがない。
けれど、ごく当たり前の事実として、そう感じるのだ。
もしこの感覚がなくなるときがきたなら――それはきっと、拓己自身が壊れるときなのだろう。
拓己の懇願に、一拍置いて六花が頷く。
「了解した。問題ない。ここの総司令官から、あなたの願いは、どんなものでも最優先に叶えるよう命じられている」
「え、そうなの?」
ここの総司令官、というと、先ほど機械越しに話をした宇賀という人物のことだろうか。
子どもの願いをどんなものでも叶えてやろうとは、随分子育てが下手そうな御仁である。
他人事ながら、大丈夫なのかあのヒト、と拓己が首を捻っていると、冬騎が軽く肩を竦めた。
「それくらい、あんたは――ウイルス勝利条件適合者は、人類全体にとって貴重な存在ってことなんだよ。まあ、何はともあれ、まずはその体で普通に動けるようにならなきゃだな」
「う……おう」
彼の言うとおりだ。
これから何をするにせよ、歩こうとしただけで無様に床に張り付くような有様では、あの恐ろしいネフィリムと戦うどころの話ではない。
(……あれ。なんか、オレの記憶、おかしくねえ?)
気を失う直前、ネフィリムと対峙したときのことを思い出した拓己は、恐る恐るふたりに問いかける。
「あの……さ。オレ、気絶する前に、なんか素手でコンクリート砕いてなかった?」
そうだな、と冬騎が当たり前のような顔で応じる。
「あんたに発現した異能は、一般人類の枠から完全に逸脱している。その詳細の把握はこれからの課題だが、炎を操る異能だけじゃなく、身体能力そのものも相当向上していると思って間違いないと思う」
「そ、そうなのか……」
我が事ながら意味不明にもほどがあるが、世界が崩壊した今、常識を語っても意味はない。
(うむ。そもそも、いきなり体がこんなにデカくなっただけでも、異常極まりないわけだしな! 考えても仕方がないことは考えないで、沙弥を助けにいくためにできることだけを考えよう!)
いろいろと考えるのが面倒――ではなく、前向きな開き直りをした拓己は、よいせとその場に立ち上がる。
……こんなにも大きくなった体を、まるで重たく感じない。
その事実に違和感を感じないことが、逆に気持ち悪かった。
だが、そんな些細な問題はどうでもいい。
今の自分がどんなに化け物じみた力を持っていようと、それが沙弥を探しにいくために役立つのであれば、ありがたいばかりの代物だ。
(……待ってろよ、沙弥)
必ず、迎えにいく。
邪魔をするものなどすべてなぎ倒して、絶対にこの手に取り戻す。
この世にたったひとり残された、大切な家族。
自分の半身。
――ごめんね、と。
困ったように言う沙弥の声が、聞こえた気がした。
***
――『ウイルス勝利条件適合者』。
彼らは、まさに人類の希望だった。
それぞれの感染した型のウイルスに対する完全な抗体を持ち、同じ抗原性を有するウイルスに感染した者たちを、発症の恐怖から解放した。
彼らの肉体は、まるで『ウイルスに勝つこと』に特化した存在であるかのようだった。
七名の『適合者』たちは、ウイルスへの完全抗体を有するだけでなく、ゲーム開始時に受けた衝撃をトリガーに、ネフィリムに対抗しうるすさまじい異能を発現させたのだ。
神の意志に抗う人類の牙が具現化したかのようなそれは、あるいはひとつの進化のカタチだったのかもしれない。
だが、彼らはあまりに若かった。
そして、あまりに何も知らなかった。
なんの予備知識もないままに目の前で肉親を、友人を失い、身近な人間が恐ろしい化け物に変わり、それらに襲われ――自らの肉体も、それまでとはまるで違うものに変容したのだ。
生まれたときからウイルスの発症時期に合わせ、それぞれの国の国防組織で厳しい教育を受けてきたハルファスたちとは異なり、平和な日常の中で普通の子どもとして育ってきた彼らの心は、その急激で残酷な変化に耐えきれなかった。
レイチェル・ロウは、世界を拒絶し自分の殻に閉じこもった。
李詩夏は、ヒトとしての感情を失った。
アンドリュー・マクミランは、周囲の命令に従い戦うだけの人形になった。
フレデリック・エトワールは、毎日不思議な絵を描くばかり。
ハインリッヒ・ミュラーは、ネフィリムに対する殺戮衝動が暴走し、制御不能と判断されたのち拘束・幽閉された。
サンドラ・ニェーゼは、研究所の奥でひとり歌をうたい続けている。
そして、アジアで唯一確認された『適合者』である新堂拓己は――。
癖のない褐色の短髪が、風を孕んでふわりと舞う。
とん、とブーツの靴底が傾いた高層ビルの壁を蹴る。
ダークグレーの詰め襟ジャケットとワークパンツに包まれた長身が、砂の大地に蠢くネフィリムの群れに、直上から突っこんでいく。
「死ねよ」
低く平坦な声とともに、巨大な獣たちが焔の槍に貫かれた。
立ち枯れていた街路樹が、一瞬で炭化する。
耐火素材の戦闘服が、紅と橙の乱舞を映して鈍く輝く。
無造作に振った彼の右腕に、獣たちを焼いた焔がまとわりつくように収束し、何事もなかったかのように消え失せた。
灼熱を孕んだ砂地に、空中で軽く一回転した青年が、まるで重力を感じさせない動きで降り立つ。
あとに残されたのは、ぶすぶすと燻る街路樹と淡く輝く砂ばかり。
青年は、インカムに触れて口を開いた。
「六花。ポイントF2、状況終了。次はどこだ?」
『ポイントF2におけるネフィリム反応の消失を確認。ポイントD3とM9に、クシエルタイプとラハティエルタイプの群れがいる。D3を優先して対処』
「了解」
かつて人類の生活圏だった土地のほとんどは、ネフィリムの闊歩する砂の大地となった。
各国が国防施設を中心として、密かに建設していた大規模シェルターは、頑強な隔壁で生き残った人類を守っている。
それぞれ収容した人員が自給自足できるだけのシステムは完備しているものの、点在するそれらの間に横たわるのは、捕食者たちが蠢く不毛の砂漠だ。海路や空路を使えば行き来は可能だが、そのために必要な燃料の確保は決して容易いものではなかった。
人類が再び自由を手に入れるため、ネフィリムに対抗しうる戦力は欠かせない。
……たとえそれが、手足の伸びきった青年の肉体と、いまだ幼さの残る少年の心を持つものであったとしても。
(ネフィリムを殺し尽くして、沙弥を迎えにいく)
カウントダウン終了から、一年。
現在確認されている『適合者』は、世界に七人。
彼らの能力は、いまだ未知数。
人類の存亡を賭けたゲームは、はじまったばかりである――。




