『ラオデキア』
私はあなたのすべての業を知っている。
あなたは冷たくもなく、熱くもない。
生ぬるい安寧と堕落に生きる者よ。
――悔い改めよ。
***
極東最大のシェルター、『ラオデキア』。
かつて厚木基地と呼ばれた施設を中心に建設された、人類最後の砦のひとつ。
その東西南北にブロック分けされた区画の最も外縁に、ハルファスの宿舎と訓練施設はある。
東ブロックの防衛を担当しているチームは『ヴォルフ』。
その名の通り、遺伝子に狼の特性を組み込まれた彼らは、優れた筋力・跳躍力・持久力を持ち、集団行動に最も適している。
西ブロックのチームは『レーヴェ』。
獅子の特性を持つ彼らは頑健な肉体、桁外れの膂力と体力を有しており、火器よりもコンバットナイフ一本での近接戦闘を得意とする。
南ブロックのチームは『レオパルト』。
豹の柔軟で強靱な筋力に加え、単独行動を主とするゆえの驚異的な集中力を誇る彼らは、遠距離からの狙撃を得意とする者が多い。
北ブロックは『フォーゲル』。
猛禽の目のよさと俊敏さに加え、圧倒的な握力によりネフィリムの頭蓋を素手で砕くこともできる彼らは、『ラオデキア』トップの討伐成績を叩き出している。
ゲーム開始と同時に実戦投入された彼らのほとんどは、十五歳以下の少年少女だ。
生まれたときから人類を守護する兵器として育成されてきた彼らは、それまで普通の子どもと接したことは一切なかった。
もちろん、記録映像の中で自分たちの庇護対象として学んだことはある。
こんな脆弱な生き物、自分たちが守ってやらなければすぐに死んでしまいそうだ、とひどく不安になったものだ。
ハルファスとして生み出された子どもたちにとって、人類とは『親代わりの研究者』『武器の扱い方を教えてくれる指導教官』『教育映像越しに見る庇護対象の子ども』に分類されていた。
彼らが、シェルターの中央区画で保護されているネイティブたちと接することは、ほとんどない。
――ただひとりの、例外を除いて。
***
「うん。よし。……つまり、あんたらはあのネフィリムとかいう化け物と戦うために、狼と、ライオンと、豹と、猛禽の遺伝子を混ぜて作られた新人類です、っていう理解で間違いないか?」
「はい。訂正するほどの認識の齟齬はありません」
世界が崩壊してしまった以上の驚きなど、そうあるものではない。
そう思っていても、さすがに自分と同じ姿をした『人間の子ども』だと思っていた相手が、遺伝子操作で作り上げられた『狼人間』でした、というのは、なかなか飲み込みにくい現実である。
空っぽだった胃へ、栄養補給ゼリーパックを流し込んだ拓己が最初に希望したのは、すっかり伸びてしまった髪を切ることだった。
拓己は基本的に男女差別はしない派だが、男のロングヘアはよほどの美形しかやってはアカン、という主義の持ち主でもあるのだ。
そんな彼の希望に、六花はあっさりと頷いた。
拓己が目覚めたのは、この『ラオデキア』というシェルター最深部にある、医療棟の一室だったらしい。そこから移動した先の、広々とした会議室のような部屋には、さまざまな物資が保管されているようだ。
壁一面に埋めこまれている引き出しから、いかにも切れ味のよさそうなハサミを取り出した六花は、当然のようにそれを冬騎に手渡した。
「へ? おれ?」
「私は、自分の前髪しか切ったことがない。これは、あなたのほうが適任」
そんなふたりの会話に、拓己は思わず片手を上げる。
「えっと……六花さん?」
「六花、で結構です。新堂拓己さん。あなたが我々ハルファスに敬称を使う必要はありません」
相変わらずの無表情で淡々と言われ、鼻白む。
「じゃあ、おまえたちも拓己でいいよ。敬語もいらねーし」
「了解。では、拓己。何か聞きたいことでも?」
相手の対応の早さに一瞬気圧されたものの、堅苦しい敬語が取れたのはありがたい。
「単なる好奇心だから、いやなら答えなくてもいいんだけど。ひょっとしてあんたが髪を伸ばしてるのって、切るのが面倒だったからとか言う?」
「違う。視界の邪魔になるから前髪はある程度切っているけれど、あまり髪を切ると勘が鈍って、パフォーマンスも落ちてしまう。だから、切らない」
彼女の答えに、冬騎が苦笑を浮かべて続けた。
「六花はおれたちの中でも、特に狼の特性が強く出ているからな。野生の狼は、自分の毛を刈ることはないだろう? 六花にとっては、髪が長いのが普通で、落ち着く状態なんだ」
「へー……。おまえは? 冬騎。髪を切ることに、抵抗はないのか?」
拓己の素朴な問いかけに、冬騎は軽く首を傾げる。
「まるで抵抗がないわけじゃないが、髪が長くて鬱陶しいほうがいやなんだ。――あんたの髪は、はじめて会ったときみたいにすればいいか?」
「お願いしまーす」
それから手際よく拓己の髪を切り落としていった冬騎は、とても器用な少年だったらしい。
素人のすることなのだし、多少見苦しかろうと文句を言うつもりはなかったのだが、仕上がった姿を鏡で確認してみれば、とてもいい感じに整えられていた。
(散髪が得意な狼人間……。いや、それはめっちゃありがたいんだけど。えー……。22才のオレって、こんな感じなの?)
拓己が困惑したのは、鏡の中の自分が、記憶の中にあるそれとはまるで別人になっていたからだ。
双子の妹とよく似ていたはずの顔立ちは、どことなくその面影があるような気はするけれど、少女めいた線の細さなど欠片もない。少なくとも、沙弥が言うところの『双子コーデ』とやらは、もはや絶対に不可能だろう。
やたらと伸びてしまった身長といい、今の風貌で女装などしようものなら、周囲から全力でどん引きされるに違いない。
(……いやいやいや。オレは別に、沙弥と一緒に女装がしたいわけじゃなくて!)
切り落とした髪を丁寧に掃き集めた冬騎が、それを詰めた袋を室外に出すのを見ていた六花に、片手を上げて問いかける。
「あのさ、六花。オレの妹――沙弥って、まだ見つかってないんだよな?」
「ええ。現在、『ラオデキア』のハルファスチームが鋭意捜索中。……ただ、申し訳ないけれど言わせてもらう。すでに、大崩壊の発生から72時間が経過している。負傷していたというあなたの妹さんが、生存している確率はとても低い」
災害発生時によく言われる『72時間の壁』。
拓己とて、それくらいのことは知っている。
けれど――。
「沙弥は、生きてる」
考えるより先にこぼれ落ちた言葉に、自分自身で驚いた。
軽く目を瞠った六花が、少し考えるようにしてから問いかけてくる。
「なぜ、そう思う?」
「……ふ、双子の勘?」
沈黙が、落ちた。
自分でも頭の悪い発言をしたとは思うが、何もそこまでブリザードな目つきをしなくてもいいのではなかろうか。
しかし、理屈ではなくわかるのだ。
――沙弥は、自分の片割れは、間違いなく生きている。
ただ、その確信をどう他人に説明すればいいのかわからない。




