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崩壊した世界で、『人類の希望』と呼ばれています  作者: 灯乃


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『崑崙』からの知らせ

 人々は、その獣を拝んで言った。

「誰が、この獣に匹敵することができようか。」

「誰が、それに戦いを挑むことができようか。」


***


『ラオデキア』から『ワダツミ』へ向かった派遣チームが、無事到着してから三日。

 チームリーダーである六花から、新堂拓己が意識を取り戻したと連絡を受けた三隅は、ほっと胸を撫で下ろした。


「目を覚ましたのは……拓己くん、だったのだな?」


 ――彼らが『ワダツミ』へ到着した日、新堂拓己の中で眠っていた第二の人格が覚醒したという報告は、すでに受けている。

 過酷な経験をした子どもが、自己防衛のため本人とはまったく別の人格を生み出すのは、そう珍しいことではない。

 だが、その人格が自ら『人類の希望』を名乗ったと知ったとき、三隅の胸にどうしようもない苦さがこみ上げた。

 拓己のカウンセリングを担当した医師の話を思い出す。


 彼は一見素直で聞きわけのいい子どもだが、双子の妹を助けられなかった自分自身に対し、ひどい忌避感を抱いているらしい。

 強烈な自己嫌悪と、罪悪感。――痛々しいほどの、自己否定。

 それらがネフィリムに対する憎悪や恐怖と絡み合い、その殲滅を望む周囲の要望を叶えることで、己の存在意義を確立しようとしているようだ、と。


 そんな拓己の不安定すぎる精神状態を理解したうえで、三隅は選択した。

 何も知らない少年を、ネフィリムと戦える『人類の希望』に育て上げることを。

 集団行動に長ける『ヴォルフ』の特性ゆえか、拓己のサポート役と定めた冬騎は、三隅の期待以上に献身的に彼を支えた。

 すべてを失い、不安定になりがちな少年がどれほど泣き喚いても、辛抱強く声をかけてひたすらそばに寄り添い続ける。

 同世代の少年同士、ときに乱暴な手段に出ることもあったようだけれど、そんな冬騎のありようが拓己にとってはどれほどの救いだったのだろう。


 拓己はいつしか、冬騎に絶対の信頼を抱いていた。

 弱音を吐くことが許される唯一の『友人』として、彼の前では年相応の少年らしく笑うようになったのだ。

 それは、拓己を『人類の希望』に育て上げる上で、非常に役立つ要素だった。

 どんなに辛い訓練だろうと、冬騎が「がんばろう」と告げれば、拓己が抗うことはない。

 だからこそ、これほどの短期間で実戦投入できるレベルに調整可能だったのだ。


 そうして彼らは、拓己を『人類の希望』という名の従順な兵器に仕立て上げた。ネフィリムと戦う力だけが、周囲の人間が彼に求めているものなのだと、強くその心に刻みこんだ。

 その結果が――。


『はい。どうやら彼は、自分の中にフェンリルという人格がいることを知らないようです』


 六花の淡々とした答えに、三隅は安堵した。

 まだまだ精神状態の不安定な少年に、もうひとりの人格を受け入れろというのはあまりに酷だ。

 下手をすれば、『拓己』という主人格のほうが崩壊しかねない。

 だが同時に、いまだにネフィリムの脅威に晒されている人類を解放するためには、彼が『拓己』よりも『フェンリル』でいてくれたほうが都合がいいと考える己を自覚し、自嘲する。

 人類は、あまりに弱い。

 わかりやすいカタチで目の前にある『人類の希望』に縋らなければ、未来への希望を見出せないほどに。


「そうか。――こちらでは、新堂沙弥の生存確認について討議中だ。だが正直なところ、やはりフェンリルの証言だけでは、今以上の規模で部隊を動かすのは難しいだろう」

『……はい』


 新堂沙弥のサポートにより、フェンリルがドイツの『適合者』の異能を発動させたという報告は上がっている。

 だが、その『適合者』――ハインリッヒ・ミュラーに事実確認してみようとしたところ、彼の所属しているシェルター『シュトライヒ』に何度問い合わせをしても、まったく返事がこなかった。

 彼の身に何かあったのかと、ほかのシェルターにあちらの状況を尋ねてみても、現在確認中と判で押したような答えが返ってくるばかり。


(まあ……。あちらも忙しいのだろう)


 ネフィリムの討伐と、各『適合者』たちの血液を素体とする完全抗体サンプルの作製。

 このふたつが、現在人類が最優先で成し遂げなければならない課題である。

 EU各国と北米大陸の主立ったシェルターには、すでにハインリッヒの完全抗体サンプルが空輸されたと聞く。

 その迅速な対応には、随分驚かされたものだ。


 拓己の血液から作る完全抗体は、いまだそれほどの量を確保できているわけではない。

 研究員たちは昼夜を問わず必死に培養作業に当たっているが、それでもようやく『ラオデキア』に収容された人員の半数に投与できたところである。

 崩壊前の世界で、ドイツは医療大国だった。それぞれのシェルター内部に造られた研究施設も、さぞ素晴らしいものに違いない。


 一方、かつては技術大国と謳われたとはいえ、優秀な研究者の海外流出を抑えられなかった日本が、完全抗体の培養に後れを取っているのは、明らかだ。


(『適合者』が存在していることは、この国にとっては本当に幸運だったが……。世界にとっては、不運なことだったのかもしれないな)


 六花からの定時連絡を聴取し終えた三隅は、通信を切ると小さく息をつく。

 ――『ワダツミ』に、日本国民の八割を救える完全抗体のサンプルが届いた。

 彼らは、残存するシェルターに届けられる量を培養できたら、すぐ沿岸部を北上・南下するコースで護衛艦を二隻出す予定になっている。

 それまでには、拓己も負傷したチームメンバーも回復しているだろう。

 何より、拓己のそばには『フェンリル』から彼を守るよう命じられた、『キメラ』の夜刀がいる。この国最強のハルファスが守護についた以上、拓己の安全について今のところ不安はない。


(さて……。どうしたものかな)


 その航海のどちらかに拓己たちを同行させるか、それとも一度『ラオデキア』に帰投させてから、陸路で京都の『カグヤ』に向かわせるか。

『ワダツミ』に配備されている護衛艦の足は速いが、横須賀から京都までは北上ルートを使っても南下ルートを使っても、かなりの日数がかかるだろう。

 加えて、今回はじめて確認された飛行タイプの中位種、オファニエルタイプ。

 もし護衛艦が航海中に連中の襲撃を受けたなら、おそらく艦砲だけで対処するのは不可能だ。


 やはり、どちらか一隻だけでも任務を達成できるよう、オファニエルタイプの討伐経験のある彼らを護衛につけるべきだろうか。

 だが『カグヤ』には、『ラオデキア』、『ワダツミ』、『アマテラス』と並び大勢のウイルス研究者が所属している。あちこちに寄港しながら日本列島を一周する護衛艦よりも、陸路を使ったほうが京都到着は早いかもしれない。

 臨床データは、すでに国内すべてのシェルターに送ってある。完全抗体の素体となる拓己の血液を『カグヤ』に届けられれば、培養速度は格段に跳ね上がるだろう。


 あちらにも、まだ運用できる護衛艦が残っているはずだ。そうすれば日本海側からも海路を使って、沿岸部のシェルターに完全抗体サンプルを届けることができる。

 三隅が改めて地図と海図をチェックしていると、『ラオデキア』の統括官である陸上自衛隊一等陸佐の宇賀武雄から連絡が入った。

 通信を繋ぐと、ノートパソコンの液晶画面に、くっきりと眉間に皺を刻んだ上官の顔が映る。

 滅多なことでは他人に感情を読ませない彼の、思いがけない様子に、三隅は何かよくない報せかと身構えた。

 宇賀が、よく響く低い声で口を開く。


『三隅准尉。北京のシェルター『崑崙』から通信が入った。――あちらに、ラファエルタイプが出現したそうだ』


 三隅は、ひゅっと息を呑んだ。

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― 新着の感想 ―
三隅准尉、常識人。 医療大国、さすが! としか想像できなかったとは··· ハインリッヒが、どんな境遇にいたか知ったら、怒りのあまり拳振り上げたのは良いけど、どこにもぶつけようがなくてグノノノノノと唸…
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