かみさま
(まあ、いつか沙弥が夜刀さんや六花に会うことがあったら、めっちゃ面白いリアクションをしてくれそうだけど。あいつ、男女問わず美人が大好きだったもんな)
呑気にそんなことを考えていると、冬騎が湯気の立つ食事の載ったトレイを持って戻ってきた。
「さんきゅー」
「ああ。ここの食事は、すげえ美味いぞ」
彼の言う通り、消化によさそうな雑炊は、なんだか懐かしい味がしてとても美味しい。
数種類の野菜と鳥挽き肉の団子が入った、昆布出汁。
こんな雑炊を、以前どこかで食べたような気がする。
首を捻った拓己は、土鍋からお代わりをよそいながら冬騎に尋ねた。
「なあ、冬騎。オレ、『ラオデキア』に保護されるまでは、どうやって暮らしてたんだっけ?」
「……え?」
思いつくまま、勝手に口からこぼれ出た突然の問いかけに、冬騎がわずかに目を瞠る。
拓己は、へにょりと眉を下げた。
「あ、冬騎が知るわけねえよな。悪い。……えっと、なんかな? 昔沙弥と暮らしてたときに、こういう飯を作ってくれた人がいたような気がして」
『ラオデキア』に入る前のことを、拓己はよく覚えていない。
沙弥とふたりで同じ高校通っていたのは、なんとなく頭の隅に残っている。
けれど、世界がすべて壊れて、それからいろいろなことがありすぎて――ただ穏やかに平和なばかりだった頃の出来事は、もうあまり思い出せない。
それでも、ときどきふいに胸の奥がつきんと疼く。
何か、とても大切なことを忘れているような気がして。
拓己にとって、とても大切な何か。
……絶対に忘れてはいけないはずなのに、思い出そうとすると頭がひどく痛む。
思い出すな、と。
そう命じるような痛みに、拓己はすぐに自分の記憶を辿ることをあきらめた。
だって、沙弥を探さなければならないから。
沙弥を探すために、化け物をすべて倒さなければならないから。
そのためには、忘れてしまったことをわざわざ思い出そうとするヒマなんてないのだ。
拓己は、雑炊をすくった木のさじをじっと見た。
(もしかしたら、オレが忘れちまったのって、昔オレたちに飯を作ってくれた人のことなのか?)
もう、顔も思い出せない誰か。
それでも、これだけはわかる。
きっと拓己は、とてもその人のことが好きだった――。
「……拓己」
「ふぁんだ?」
ちょうど雑炊を口に入れたところに話しかけられて、おかしな声が出た。
失敗失敗、と思っていると、冬騎が低く掠れた声で口を開く。
「それは、おまえの――」
「オレの?」
きょとんと首を傾げた拓己を、冬騎がどこか苦しげな顔で見つめてくる。
拓己は、慌てた。
「だ、大丈夫か!? どこか、痛いのか!?」
「……違う。どこも――大丈夫、なんだ。拓己」
立ち上がり、でも、と言いかけた拓己に、冬騎はゆっくりと首を振る。
「ごめん。ほんとに……大丈夫だから」
冬騎は、なぜ――何を、謝っているのだろう。
彼が拓己に謝るようなことなど、何もないのに。
むしろ、いつもいつも彼に迷惑をかけているのは拓己のほうだ。
拓己は、むーんと眉を寄せた。
「大丈夫じゃねーやつほど、大丈夫だって言うらしいぞ。というわけで、何が大丈夫じゃねえのか、さっさと吐け」
「……尋問、下手過ぎかよ」
目を伏せた冬騎が、小さく肩を揺らす。
はあ、と息を吐き、顔を上げる。
「いや。実は、夜刀の『ラオデキア』への転属が決まってな」
「………………はい?」
拓己は、固まった。
「キメラである夜刀の能力は、おれたちとは比べものにならない。オファニエルタイプのネフィリムを単騎で討伐できるのは、今のところ彼女だけだ」
「お……おう? ていうか、キメラって? 夜刀さんみたいに、羽が生えたタイプのこと?」
ああ、と冬騎が苦笑する。
「そうじゃない。おれたち最終世代のハルファスが作られる前は、夜刀みたいに複数の獣の特徴を組みこんだタイプを作る研究がされていたんだ。ちなみに、夜刀に組みこまれているのは猛禽と虎と羆らしいぞ」
「猛禽と虎と羆」
何その最強過ぎるラインナップ、と拓己は戦慄した。
ただ、と冬騎の声が少し揺らいだ。
「キメラは、短命種なんだ。夜刀は例外的に二十歳を超えられたけれど、キメラのほとんどは十歳になる前に亡くなってる」
え、と目を見開いた拓己に、冬樹が言う。
「だから……たぶん、おれたちが夜刀と一緒に戦える時間は、そう長くない。ただ、本人の強い希望で、命ある限りフェンリルとともに戦いたいってことで、『ラオデキア』への転属が決まったんだ」
「そんな……」
嘘だろう、と咄嗟に思う。
あんなに強くて美しい女性が、短命種だなんて。
「もちろん、夜刀の寿命を延ばすための研究はされている。……新しく入った、優秀な研究者が必死に働いているらしいから、もしかしたら状況は変わってくるかもしれない。それでも――これは、おれが言うことじゃないかもしれないけど」
冬騎の目が、まっすぐに見つめてくる。
「頼む。夜刀のことを、忘れないでやってくれ」
「……忘れない、ぞ?」
突然何を、と拓己は首を傾げた。
あんなに美しい女性のことを、忘れられるはずがない。
はじめて彼女の姿を見たときには、本当に天の使いかと思って見とれてしまったくらいなのに。
おかしなことを言うなあ、と戸惑っていると、冬騎の顔がくしゃりと歪んだ。
「忘れ、ないでくれ……。拓己」
「忘れないって。どうしたんだ? 冬騎」
――拓己は、知らない。
自分が母親に関する記憶を、すべて忘れてしまっていることを。
かつての平和だった世界で、彼女は誰よりも拓己を愛し慈しみ、安全な住まいと温かな食事を与えてくれた。
ごく普通の子どもとして育った拓己にとって、母はたしかに『かみさま』だった。
優しくて、あたたかくて――ときに厳しく叱ることもあったけれど、拓己のすべてを受け入れ、愛してくれる。
そんな母親の喪失を受け入れるには、拓己が置かれている現実はあまりに残酷すぎた。
だから、拓己は忘れた。
自分が母に愛されていたことを。
自分が母を愛していたことを。
すべて忘れてしまえば、それを喪った悲しみが彼の心を痛めることはないのだから――。




