目覚め
第一の災いは過ぎ去った。
見よ、こののちまた、ふたつの災いがおとずれる。
***
目を開いて、真っ先に目に入ったのは白い天井。
ぼんやりと瞬きをした拓己は、自分がひどく空腹であることに気がついた。
腹へったなー、と思いながら起き上がろうとしたとき、すぐそばで何かがぶつかる硬い音が響く。
「拓己!? どっか痛くないか、大丈夫か、なんともないか!?」
「へあ?」
いきなり、血相を変えた冬騎の両手に顔を挟まれた。
どこか泣きそうな、心配でたまらないという顔をした彼に至近距離で見つめられて、戸惑う。
「お、おう……。どこも、痛くないけど――」
「けど、なんだ!?」
ほとんど怒鳴りつけるような剣幕で問われ、拓己はびくびくと引き気味に口を開いた。
「は……腹、へった」
「……そうか」
よかった、とつぶやいた冬騎の手が、頬から離れる。
「冬騎? どうかしたか?」
彼が、こんな疲れた姿を見せるのははじめてだ。
「……拓己」
「なんだ?」
冬騎の声が、少し掠れていた。
「おまえ……何があったか、覚えてるか?」
「何がって……」
拓己はまだ少し寝ぼけている頭を、どうにか動かす。
「えっと……ありゃ? ここ、どこだっけ?」
「……『ワダツミ』だ。おれたちは、三日前にここに着いた」
へ、と拓己は目を丸くした。
言われて今までのことを思い出してみれば、『ワダツミ』に到着したところまでは、なんとなく脳裏に浮かんでくる。
冬騎たちと高機動車に乗って、もうすぐ目的地に到着するというところで、空を飛ぶ化け物が現れて――。
「セクハラは、立派な犯罪ですッ!」
「……は?」
思わず両手で顔を覆って叫ぶと、冬騎が間の抜けた声を零した。
「いや、だから! オレは夜刀さんの羽がめっちゃキレーだなー、と思って見とれてただけで! いや、ご本人もとんでもない超絶美人さんでしたけども! 初対面の女性に体を触らせてくださいー、なんてお願いするわけなくてですね!?」
「お、おう……。夜刀に会ったところまでは、覚えてるわけか。それから?」
それから、と呟いた拓己は、ぎこちなく首を傾げる。
「……あるぇ?」
なんだろう。
夜刀に案内されて、『ワダツミ』に入って――それからの記憶が、ない。
ぺしぺしと頭を叩いてみるが、それで飛んでしまった記憶が戻る気配もなく、拓己は困惑して冬騎を見た。
「なあ。オレって、ここに着いた途端気絶とかしちゃったわけ?」
もしそうであるなら、さぞ周囲に心配を掛けてしまったことだろう。
サポート役である冬騎はもちろん、彼の仲間であるハルファスたちが『人類の希望』である自分をとても大切にしてくれていることは、いやというほど自覚しているのだ。
(なんか、たまたまそういう体質だっただけなのに、こんなによくしてもらってるとかなー……。まあ、貧血にならない程度にだったら、いくらでも献血させてもらうんで、沙弥を見つけるまではみなさんご協力お願いします!)
時折、居心地の悪い気分になるのは否めないが、やはり一番ともに過ごす時間が多いからだろうか。冬騎だけは、拓己に対して腫れ物に触るような扱いをすることなく、ごく普通の同年代の少年らしい反応をしてくれるのがありがたい。
今も、深々とため息を吐くなり、じっとりと無遠慮に睨みつけてくる。
「いろいろ、あったんだよ。……まあ、その辺はおまえの体調が完全に戻ってから話すけど」
それから、と冬騎の声が一段低くなる。
「沙弥さんは……やっぱり、ここにはいなかった」
「……そっか」
沙弥の不在については、予想していたことだからショックはない。
「うん。……ああ、悪い。腹減ってんだったな。なんか持ってくるから、ちょっと待ってろ」
特に気を遣うふうでもない、いつも通りの口調で言われて、ほっとする。
冬騎が部屋から出ていくと、部屋の窓辺にかかっているカーテンがふわりと揺れた。
『ワダツミ』は海のそばのシェルターだと聞いていたけれど、窓の向こうは観葉植物が植えられた中庭で、潮のにおいもさほど感じられない。
ベッドから立ち上がり、少しだけ開いていた窓をロックぎりぎりまで開いてみる。
(おぉー……)
そのときちょうど、頭上で雲が切れたのだろうか。
中庭に、温かな陽光が差しこんだ。きらきらと輝く日差しが、木々の緑の上で弾けて眩しい。
目を細めた拓己は、軽く腕を伸ばして深呼吸をした。
三日も眠っていたことについてはさすがに驚いたけれど、気分はとてもすっきりしている。
近くにあった椅子に腰掛け、窓辺に頬杖をつく。
(……沙弥のやつ。マジで、どこにいるんだか)
ため息をついた拓己は、目の前の穏やかな光景をぼんやりと眺める。
たしか、こんなふうに雲の切れ間から差しこむ光を、『天使のはしご』というのだと、どこかで聞いた。
そこで思い出したのは、美しい漆黒の翼を背負った夜刀のことだ。
一般的な天使の羽といえばやはり白なのだろうが、彼女の翼はそんな概念を超越するほど美しかった。翼だけではない。本人の顔立ちも天使というより女神レベルに美しくて、正面から相対するのはちょっと遠慮したいくらいである。
拓己の精神は一般的な男子高校生のままなので、あまりにもぶっとんだレベルの年上美女を目の前にすると、緊張して上手く話せなくなってしまうのだ。
(うん……。ハルファスの顔面偏差値って基本的にみんな激高だけど、夜刀さんの超絶美女ぶりは、ちょっと規格外過ぎる気がする。サラサラの黒髪ロングもめっちゃポイント高いし。あの羽は、羽布団みたいにぬくいんだろうか――って、オレはセクハラ野郎になるのはごめんです!)
なんだかすぐに、思考ぼんやりとズレていく。
やはり少し、疲れているのかもしれない。
ぐっと伸びをして、深く深呼吸をする。
(六花もなー……。アイツもそのうち、夜刀さんレベルの美女になりそうな超絶美少女なんだけど。基本的に無表情だし、めっちゃクールだし。それ以前に、完全にオレの上官化してるから、あんまり美少女って感じがしないっつうか)
訓練を重ねるたび、厳しくダメ出しをしてくる六花については、もはやジャンルが『美少女』ではなく『怒らせたらマジでヤバい上官』になってしまった。
たまに何かの拍子に、「あ、コイツってマジで美少女だったんだな」と思い出して、驚いてしまうくらいである。
ただ、六花の有能な指揮官ぶりを何度も目の当たりにした身としては、彼女をその外見の美しさだけで評価するのは申し訳ないというか、どうにもおこがましい気分になるのだ。




