八人目の適合者
真顔で謝罪した長谷川に、渡部がわざとらしく咳払いをする。
「まあ……『竜宮』の処遇に関しては、とりあえず上層部に判断を丸投げすることにしてだ。――フェンリル。もうわかっているかもしれないが、きみの妹さんは『ワダツミ』にはいない」
フェンリルは、すっと目を眇めた。
皮肉げな笑みを浮かべ、口を開く。
「ったく、ガキ相手にひでえ嘘をついたもんだよな」
「それについては、詫びのしようもない。だが――」
言いさした渡部を、フェンリルは軽く右手を挙げて制する。
「俺は、拓己じゃない。だから、詫びの必要もない」
「……そうか」
渡部は項垂れ、口をつぐんだ。
フェンリルは淡々と続ける。
「拓己に謝罪する気があるなら、沙弥を探せ」
「フェンリル……」
――実際のところ、関東一帯のシェルターを管理する大人たちは、誰ひとりとして新堂沙弥の生存を信じてはいなかった。
彼の亡くなった妹を弔いたいという気持ちは、充分理解できる。
しかし、ネフィリムの跋扈する広大な砂の大地で、たったひとりの少女の遺骸を探し出すなど不可能だ。
そう言いかけた渡部に、フェンリルは告げた。
「沙弥は、生きている」
しん、と誰もが呼吸を忘れたかのように、部屋の空気が静まりかえる。
フェンリルは、六花と冬騎を振り返った。
「拓己も『ラオデキア』を出る前に、言ってただろ? 沙弥が、イスラフィールタイプに気をつけるよう忠告してたって」
「は……い」
六花がぎこちなくうなずき、冬騎は血相を変えてフェンリルに詰め寄った。
「拓己は……っ、夢の中で、沙弥さんに会ったと言っていたんだ! 沙弥さんがネフィリムに襲われて行方不明になってから、一年だぞ! なんの訓練も受けていない女の子が、たったひとりでシェルターの外で、どうやって今まで生きてこられたってんだ!?」
フェンリルが小さく息をつく。
「そんなの、こっちが知りてえよ。――でも、沙弥は生きてる。どこにいるかは、俺にもわかんねえけどな。あいつ、口を開けば拓己の心配してばっかだし。つーか、しょっちゅう寝ぼけてぼーっとしてるし。もしかしたら、自分がどこにいるかもわかってねえのかも」
あっさりとそんなことを言われた冬騎は、言葉を失った。
彼は、拓己がどれほど妹の沙弥を求めて泣いていたか、いやというほどよく知っている。
もし本当に、沙弥がこの世界のどこかで生きているのなら――。
そこで、すっと六花が右手を挙げた。
「……フェンリル」
「なんだ? 六花」
白い髪の少女は、まっすぐに己の主を見上げた。
「イスラフィールタイプの存在確認が、新堂沙弥さんによってもたらされた。それはつまり、彼女が間違いなくあなたと同じ、ウイルス勝利条件適合者だということですか?」
フェンリルは、あっさりと答える。
「ああ。その通りだ」
周囲の者たちが、鋭く息を呑んだ。
それは、八人目の『適合者』。
新たな人類の希望となりえる者。
新堂沙弥が本当に存在していたなら、それは拓己にとって――否、人類にとって、一体どれほどの福音か。
そうですか、と六花は一度目を伏せる。
少し考えるようにしてから、彼女は再び口を開いた。
「フェンリル。わたしは、あなたの言葉を信じます。ですが、『新堂沙弥さんの助言』が、あなた自身の異能の発現形態ではないと証明できない以上、彼女の捜索に従事する戦力の増強は難しいでしょう」
フェンリルが、ちっと舌打ちする。
「俺は、沙弥みてえに他人と意識を繋ぐなんてできねーぞ」
「……意識を、繋ぐ? それが、新堂沙弥さんに発現した異能ですか?」
六花の問いかけに、フェンリルは首を傾げた。
「いや、ホントのところはどうなのか知らねぇけどよ。拓己と夢の中で話したり、俺が目え覚ましそうになるたび『寝てろ』って言ったりしてたってことは、そんなカンジの能力なんじゃねーの?」
「どう……なのでしょう。あれだけ正確に、ネフィリムの存在確認をしていたというのは……」
考えこんだ六花に、フェンリルはめんどうそうに手を振った。
「んなことは、どうだっていいんだよ。別に、俺自身が沙弥に執着してるわけじゃねーし。――ただ、拓己にとって、沙弥は生きる理由だ。もし拓己が壊れたら、俺だってどうなるかわかんねえ。あんまり、不安定にさせるような真似はすんな」
彼らの会話が、『竜宮』から出てきたばかりの長谷川には理解できなかったようだ。
困惑した様子の彼が、おろおろと周囲を見回したときだった。
突如、けたたましい警報が辺りに響き渡る。
即座にパソコンのキーボードを叩いた渡部が、ざっとそのディスプレイを確認するなり、机上のマイクを掴んで口を開く。
「総員、甲一種戦闘配備。北西より新種の中位種、オファニエルタイプの大群が接近中。数、八十七。なお、オファニエルタイプは飛行種である。今までにない規模の戦闘となることが予想される。各員の健闘に期待する」
八十七、と六花がつぶやく。
その顔が、わずかに青ざめていた。
『ワダツミ』に到着する直前に遭遇した、飛行タイプの中位種。
分厚い羽毛に包まれた巨大な体で、信じられないほどの高速で飛ぶネフィリムは、地上からの狙撃をものともしなかった。
先ほどの群れを構成していたのは、十二体。
そのうちの四体は、夜刀があっという間に討伐した。
あのときの群れの生き残りが、仲間たちを呼んで戻ってきたのだろうか。
現状、オファニエルタイプとまともに戦えるのは、翼を持つ夜刀だけだ。
芽依をはじめとする『レオパルト』たちの正確無比な射撃でさえ、対象にダメージを与えることはできても、撃ち落とすまでには至らなかった。
フェンリルの異能も、連中が飛ぶ高度までは届かない。
この状況を、一体どうしたら打開できる――。
「――夜刀」
「はい」
フェンリルが、胸ポケットから取り出したインカムを夜刀に放る。
「おまえのインカムの周波数を、これに合わせろ。――ああ、おっさん。俺の栄えあるデビュー戦だ。邪魔なんて野暮な真似は、しねえよなあ?」
渡部を振り返ったフェンリルは、楽しげに笑っていた。
獲物を目前に舌なめずりする、獰猛な獣のような笑み。
わずかに目を瞠った渡部が、ぎこちなく口を開く。
「まさか……きみたちだけで、八十七体のオファニエルタイプを相手にするつもりか?」
夜刀から渡されたインカムを装着しながら、フェンリルが当然のようにうなずいた。
「ああ。よけいな手出しはすんじゃねーぞ。うっかり巻きこんじまっても、責任は取らねえからな。それから、うちの連中に必要な装備を渡してやれ。――六花、冬騎。おまえらは、陽人と壮志、芽依とともに防衛システムライン上で待機。ほかの連中は、まだ使えねえだろう」
「はい」
「……わかった」
フェンリルは、六花たち主要メンバー以外の不調に気づいていたらしい。
短く答えたふたりが、仲間たちと合流して装備を調えるべく執務室を駆け出していく。
彼らの背中を見送った夜刀が、小さく笑みをこぼした。
「どうした? 夜刀」
「いえ。こんなときに、不謹慎かもしれませんが……。あなたとともに戦えることが、嬉しくて仕方がないんです」
ふぅん、と首を傾げたフェンリルは、渡部を振り返ってにやりと笑う。
「地下から出る、出口を開けておけ。『人類の希望』絡みの緊急時なら、『ワダツミ』所属のハルファスが、防衛システム圏外でネフィリムと戦っても大丈夫なんだろ? 俺たちがここに来たとき、夜刀はシステム圏外まで迎えにきたもんな」
渡部は、わずかな逡巡のあと口を開いた。
「……フェンリル。夜刀は、『キメラ』だ。きみは――」
「こいつが短命種だって話なら、もう聞いた」
長谷川が驚いたように夜刀を見る。
フェンリルは淡々と続けた。
「それがどうした? 俺は、自分がこの世界に存在している限り、こいつを飛ばせてやると決めた。こいつは、俺とともに飛ぶことを選んだ。わかったら、夜刀の『ラオデキア』への転属手続きでもしてろ」
そう言うなり、フェンリルは夜刀を従えて執務室を出ていった。
残された渡部は、もの問いたげな長谷川に苦笑を向ける。
「聞きたいことはさぞたくさんあるだろうが、あとにしてくれ。いくらフェンリルがああ言っていても、八十七体ものオファニエルタイプを前にじっとしていられるほど、私は肝が据わっていないのだよ」
「……はい。ただ、渡部海佐。ひとつだけ、よろしいでしょうか」
なんだね、と視線だけで返した渡部に、長谷川は言った。
「『竜宮』にいる間、僕は自分が生きているのか死んでいるのかもわかりませんでした。けれど今は、間違いなく生きていると実感できます。……さっきの今で申し訳ありませんが、前言撤回させてください」
長谷川は一度深呼吸をして、静かに告げる。
「僕は、僕自身をあのふたりのために使いたい。……許可して、いただけますか?」
渡部は、小さく笑った。
「長谷川くん。それは、きみの人生を人類のために使うのと同義だと、私は思うよ」




