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崩壊した世界で、『人類の希望』と呼ばれています  作者: 灯乃


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あなたと、いきます

 足下の柔らかな緑は人工物ではなく、本物の芝生だった。この維持管理だけで、いったいどれほどの手間暇がかかるのだろう。

 建物周辺に、武装した男たちの気配はない。

 夜刀は、首を傾げた。


「あちらの監視カメラで、我々の姿を確認しているでしょうに。随分、無防備ですね」

「まあ……。向こうさんも、空を飛べる人間が侵入してくるとは想定していなかっただろうからな」


 苦笑まじりに言ったフェンリルが、すう、と大きく息を吸う。

 両手で口の前にメガホンを作り、緊張感のかけらもない声で口を開く。


「おーい。ここに、ウイルスの完全抗体っつって意味がわかるヤツ、いるかー? いたら、ちょーっと顔出してくんねーかなー!」


 なんとも気の抜ける呼びかけだが、内容が内容だ。

 少しして、あちこちの窓からおそるおそる様子をうかがう顔が現れた。白衣を着た者もそうでない者も、ハルファスの戦闘服を着たふたりに訝しげな視線を向けてくる。

 フェンリルはそんな彼らに、再び声を張り上げた。


「おまえらん中にー、地上でネフィリムと戦ってる連中のために、完全抗体の培養を手伝いたいってヤツ、いるー? 周り中から白い目で見られるかもしんねーし、二度と『竜宮』には戻れねえだろうけどー。ひとりでも多くの人類を救いたいー、って研究者のプライドがー、ちょびっとでも残ってるやつなー」


 ざわ、と建物内の空気が揺らぐ。


「あー、ちなみにー。このおまえらの勧誘は、俺個人が勝手にやってることだからー。『ワダツミ』のトップには、全然話通してねーしー。もちろん、あっちの研究所がおまえらを歓迎するとか、ありえねーしー。ここにいる連中、みーんな地上の連中を裏切って、見捨ててきたようなもんだもんなー?」


 嘲るでもなく、ただ淡々と事実を並べるだけの口調で。

 それでも――と。


「――地上に戻りてえってやつがいるなら、俺と来い。俺は、『竜宮』の連中を人類の指導者とは認めない。俺が認めるのは、自分の意思でネフィリムと戦うことを選ぶやつだけだ」


 凜と響く声で、告げる。


「選べ。俺とともに、地上でネフィリムと戦うか。それとも、ハルファスをけだもの呼ばわりする連中と、この海の底で無為に腐っていくのか」


 しんと静まりかえる中、フェンリルは小さく笑った。


「悪いが、俺たちには時間がない。――一分やる。俺と来る覚悟ができたやつは、出てこい」


 窓辺に立ち竦む人々は、凍りついたように動かない。

 それはそうだろう、と夜刀は思う。

 フェンリルは、己が何者なのかを語っていない。鼻の利かないネイティブの中に、ハルファスの戦闘服を着た彼が『人類の希望』であるとわかる者はいないだろう。


 もし彼が名乗っていたなら、その名に希望を見出し、縋る者はいたかもしれない。

 しかし、名もなきハルファスに「ともに戦え」と言われ、その手を取れる者などいるだろうか。この海底の楽園を捨て、いまだネフィリムの闊歩する地上の地獄に戻ろうと決意できる者など――。

 そして、残り時間が十秒を切ったときだった。


「……お?」


 フェンリルが、愉快げに唇の端を吊り上げる。

 何やら騒がしい物音と、人々の怒鳴り声を突き破るようにして、建物の裏手から飛び出してきたのは、一台のオープンカー。

 スポーツカータイプのそれは、上層部の人間の個人的な所有物なのか、傷ひとつない真っ赤な車体がぴかぴかに磨き上げられている。黒い革張りのシートも、実に座り心地がよさそうだ。


 オープンカーは、急ブレーキでフェンリルたちから少し離れたところに止まった。

 そのハンドルを握っているのは、ひょろりとした白衣姿の青年だ。

 眼鏡をかけた顔は真っ青で、血の気の失せた唇はぶるぶると震えている。

 フェンリルは、腕組みをして首を傾げた。


「俺は、覚悟のできたやつは来い、と言ったはずだが?」

「覚、悟……なんて……っ」


 ハンドルに顔を埋めた青年が、上擦って掠れた声でわめくように言う。


「できるわけが、ないじゃないですか……! でも……っ、ずっと、後悔してたんです! 毎朝目が覚めるたび、苦しくて仕方がなかった! ここで、あなた方と行かなかったら、きっと僕は一生、後悔し続けるんです! ずっと、自分に卑怯な言い訳をしながら、でも、そんなの……!」


 支離滅裂な言葉の羅列に、フェンリルはそうか、とうなずいた。


「おまえ、名は?」


 静かな声で問われた青年がびくりと固まったあと、のろのろと顔を上げる。

 何度か口を無意味に開閉してから、掠れきった声で口を開く。


「長谷川……広也、です」

「そうか。俺は、フェンリル。おまえたちが望んだ、人類の希望だ」


 は、と長谷川の目が丸くなる。

 フェンリルは、くくっと肩を揺らして軽く右腕を持ち上げた。


「安心しろ。おまえは、俺を選んだ。その選択を、後悔なんかさせねえよ」


 ぶわり、とその右腕にまとわりつくように現れたのは、紅蓮の炎。

 揺らめく黄金を孕んだそれを掲げ、フェンリルは児戯のように右手で拳銃を形作った。


「BANG」


 次の瞬間、建物内部のあちこちで悲鳴が上がる。

 そちらを振り返った長谷川が、声をひっくり返してフェンリルに問う。


「な……っ、なな、何をしたんです!?」


 炎を消したフェンリルが、ひょいと肩を竦める。


「ん? 『竜宮』のトップが俺の仲間を侮辱しやがったから、その報復措置をちょっとなー。その辺の機材をいくつか溶かしてやったから、スプリンクラーが作動してんだろ。――夜刀、こいつと運転代われ。十時方向、非常脱出艇ポイント」

「はい」


 フェンリルの命令と同時に、夜刀が長谷川の襟首を掴んでオープンカーの後部座席に放りこむ。

 ふぎゃっと奇妙な声が上がったが、それには構わず夜刀は運転席に、フェンリルは助手席に飛び乗った。


「出します」

「おう。――そんじゃーなー」


 フェンリルが、揃えた人差し指と中指を、火災報知器の鳴り響く建物に向けて、ぴっと振る。

 呆れたことに、彼らが乗りこんだ真っ赤なオープンカーは、ガソリンエンジンのままだった。

 その辺を走っている移動用電動自動車とは比べものにならないスピードで、非常脱出艇ポイントまで一気に突っ切る。

 オープンカーが停止するなり飛び降りたフェンリルが、薄いプラスチック板に保護された赤いボタンを押す。

 白い壁と一体化していた扉が、瞬時に開く。


「夜刀。中、あんまり高さがなさそうだ。気ぃつけろよ」

「はい」


 フェンリルは、いまだ青ざめたままの長谷川を振り返り、にやりと笑った。


「今なら、まだ引き返せるぞ?」


 びく、と長谷川の白衣に包まれた肩が震える。

 それから、覚束ない足取りで車から降りてきた彼は、ぐっと両手を握りしめて顔を上げた。


「あなたと、いきます」

「よし。これからはおまえを、ウラシマと呼んでやろう」


 厳かにうなずいたフェンリルに、長谷川は何度か瞬きをする。


「……は?」

「ぼけっとしてんな。さっさと来い」


 夜刀は、すでに先頭の脱出艇に乗りこみ、システムを起動させていた。

 数十人は乗れそうなそれは、つるりと丸いフォルムの白い潜水艇だ。

 先に行け、と長谷川を促したフェンリルは、振り返って赤いスポーツカーを燃やした。

 ガソリンに引火し、すさまじい勢いで発する熱と煙を感知したのだろう。開かれたままだった非常扉が閉じ、完全にロックされる。

 フェンリルが脱出艇に飛び乗ると、夜刀が苦笑を浮かべて振り返った。


「まったく、行き当たりばったりもいいところでしたね」

「臨機応変と言え。出せるか?」


 はい、とうなずいた夜刀は、硬く鎖された扉のほうを見ながら、あんぐりと口を開いている長谷川を見る。


「シートベルトをしてください」

「玉手箱……」


 ぼうっとした口調でつぶやいた長谷川に、夜刀が眉をひそめて繰り返す。


「シートベルトを。地上へ出る前に、頸椎骨折で死にたくはないでしょう?」

「は、はいっ」


 長谷川が、壊れた人形のように首を縦に何度も振る。

 ふたりがシートベルトを装着したのを確認し、夜刀は脱出艇をシェルターから射出させた。

 一瞬、息が詰まるほどのGがかかったが、浮上ポイントとして設定した『ワダツミ』外縁に向けてゆっくりと進みはじめれば、側面の窓から見える海は何度見ても変わらぬ美しさだ。

 自動操縦の脱出艇は、射出させてしまえばもう操作する必要はない。

 夜刀は、翼を圧迫されて苦しくて仕方がなかったシートベルトを、さっさと外した。

 それに気づいたフェンリルが、同じくシートベルトを外して近づいてくる。


「羽根、痛めてねぇか?」

「問題ありません。大丈夫です、これはそれほど柔なものではありませんよ」


 夜刀が笑って応じると、フェンリルはほっと息をついた。

 そんなふたりに、長谷川がおそるおそる片手を挙げる。


「あのー……。ものすごく、今更なのですが。その翼は、やっぱり本物なんですか?」


 どうやら長谷川は、『キメラ』の存在を知らないらしい。

 彼が好奇心で瞳をキラめかせているのを見て、フェンリルはびしっと宣言した。


「こいつの翼は、俺のもんだ。勝手に触ってみろ、死なない程度にじっくりこんがりあぶり焼きにしてから灰にすんぞ」

「脅し方がえげつない!」


 悲鳴を上げた長谷川に、夜刀がすまなそうに告げる。


「申し訳ありませんが、わたしは今まで、育て親以外の人間に翼を触られたことがないもので……。迂闊に触られると、反射的に相手の手を切り落としてしまうかもしれません」

「わかりました! 絶対に触りませんので、そーゆーことを剣に手をかけながら言うのはやめてください、怖いです!」


 蒼白になった長谷川が、ぷるぷると震えながら座席の背もたれにひっついた。

 フェンリルが困ったように首を傾げる。


「俺も、触れねーの?」

「いえ。あなたは、わたしの主です。お好きにどうぞ」


 夜刀はにこりと笑って言ったが、フェンリルは少し考える顔をしてから首を横に振った。


「や、いい。触られて気分のいいモンじゃねーんだろ?」

「……どうでしょう? あなたなら、平気のような気がするのですが」


 そう言って、夜刀は軽く開いた翼をフェンリルに向ける。

 まったく気負いなく差し出されたそれに、わずかに戸惑った顔をしたフェンリルがおそるおそる手を伸ばす。

 指先で軽く触れ、感嘆の声を上げる。


「おおー。さすが、羽毛百%。あったけー」

「……その感想は、少々想定外でした」

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― 新着の感想 ―
ウラシマ? 玉手箱? まぁ、竜宮だしなー。 だけど、乙姫いねーーー!!! 美人さん、プリーズ!  ちなみに、夜刀さんは、カッコいいお姉様です。 うもー100% 夜刀さんの黒い翼 羨ましい···
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