たったひとりの友人
「――九時方向よりアズラエルタイプ四、五時方向よりゼルエルタイプ十三。フォーゲル三名と陽人、芽依はアズラエルタイプの足止めを。指揮は壮志に任せるわ。残りの全員でゼルエルタイプを排除したのち、アズラエルタイプを総攻撃にて殲滅。散開!」
『ワダツミ』派遣チームが『ラオデキア』を出発してから三日。
彼らは、予定通りのルートを順調に進んでいた。
ただ、フェンリルは体を急激に成長させた影響なのか、時折なんの前触れもなく深い眠りに落ちることがある。一度そうなると、どれだけ体を揺さぶっても大声で呼びかけても、最低でも二時間は目を覚まさない。
彼がそんな状態になるのは、必ずサポート役の冬騎とふたりでいるときだけだ。
体が休息を欲しているからこその反応なのだろうから、その眠りを妨げるわけにはいかない。
こういうときこそ、フェンリルの護衛メンバーたちの出番である。
六花の指示に従い、ハルファスたちが各々の手に武器を持って駆けていく。
第二車両の後部座席では、毛布にくるまったフェンリルが昏々と眠り続けている。
その傍らには、愛用の剣を片手に、じっと周囲の様子をうかがう冬騎の姿。
運転席では、銃を持った六花がいつでもアクセルを踏めるようにしながら、仲間たちの戦いをレーダー越しに確認している。
「ゼルエルタイプ、排除完了。……壮志がアズラエルタイプを一体討伐。陽人、芽依も同様。最後の一体は――誰が討伐したのかしら。アタックが重なりすぎて、わからなかったわ。あとで報告してもらわないと。ゼルエルタイプに向かったメンバーが補助するまでもなかったわね。全員、通常時より二十%近くパフォーマンスが向上してる。……フェンリルと群れを形成した影響かしら」
仲間たちの圧倒的な戦果を淡々と語る六花に、冬騎は低く声をかけた。
「なあ、六花」
「何?」
少し迷うような沈黙のあと、冬騎は低い声で小さくつぶやく。
「おれには、わからない。……なぜ、おまえたちがそこまでコイツに心酔するのか」
「なぜなのかしらね」
淡々と、六花は応じる。
「本当に、わからないわ。なぜ、あなただけがわたしたちと違うのか。あなたは、間違いなくハルファスなのに――なぜ、フェンリルをただの庇護対象の少年と見ているのかしら」
「……おれだけ、か」
剣を握る冬騎の手に、ぐっと力がこもる。
冬騎も、薄々気がついていた。
仲間たちの中で、自分だけが彼を『フェンリル』という人類の希望ではなく、『新堂拓己』という名の、ただの少年だと思っていることに。
どれほど、大きな体に成長しようとも。
どれほど、すさまじいまでの力を顕現させようとも。
彼はただ妹を思って泣く、ひとりの少年でしかないのだと――。
「わかんねえよ。……そんなの」
「そうね。それであなたは、いったい何が不満なの?」
冬騎は苦笑した。
「そんなふうに、見えるか?」
「ええ。あなたは、彼をただの少年にしておきたがっているように見える。一応言っておくけれど、それは不可能。彼はすでに、人類の希望となってしまった。強くならなければ、いずれ周囲からの期待の重みに潰されてしまうわ。ただの子どもに、人類すべてから向けられる期待に応えられるはずがない」
わかってる、と冬騎はつぶやく。
「コイツは、もう充分強い。強すぎるくらいにな。……けど、もっと強くならねえと、人類の希望なんてやってらんねえ。それくらい、わかってんだよ」
わかっている。理解はしている。
ただどうしても、納得ができない。
なぜ、たまたまウイルスに対する完全抗体を持っていただけで、こんな少年が人類の希望なんてものを背負わなければならないのだろう。
六花が仲間たちに帰投を命じたあと、インカムを外してさらりと告げる。
「いいんじゃないの。フェンリルは、あなたを友人だと認識している。同じように、彼を人類の希望ではなく、ひとりの友人として見ているあなたを。実際、彼はまだ十七歳なのだもの。そういう存在が、ひとりくらいは必要でしょう」
冬騎は、低い声でぽつりと問う。
「六花。……おまえたちにとって、コイツはなんだ?」
「一言で言うなら、主かしら。――冬騎。これだけは覚えておいて。フェンリルにとって、あなたはとても大切な存在。彼の心はまだ、とても幼い。あなたを失ったら、彼は正気を保っていられないかもしれない」
再び、わかっていると返しかけた冬騎に、六花は続けた。
「理解しなさい。あなたはすでに、わたしたちにとって、フェンリルに次いで守護すべき対象になっている。彼の心が、人類の希望となるに相応しい強さに成長するまで、わたしたちは何があろうとあなたを守るわ」
それっていつだよ、と冬騎は笑う。
拓己の心はまだ、こんなにも幼いのに。
守られていろ、というのか。
戦うために生み出された、ハルファスの自分に。
「さあね。そんなのは、わたしにだってわからない。彼は、たった数時間で肉体をここまで成長させたのだもの。心がいつそんなふうに成長したって、何もおかしくないでしょう?」
「……ダメだ」
考えるより先に、冬騎の口は勝手に開いた。
「それは……それだけは、ダメだ。……だってコイツは、この姿になってから、ネフィリムと戦うことしか覚えてない。ほかの何も、知らないのに」
体だけでなく、心までそんなふうに成長してしまったら、彼はもう本当に『ネフィリムと戦うためだけのもの』になってしまう。
本来、大人たちから守られているべき、普通の子どもとして育った少年が。
「わたしは、それでもかまわないわ」
「六花!」
思わず声を荒らげた冬騎に、六花は薄く笑う。
美しく、冷たく。
「言ったでしょう。わたしたちにとって、フェンリルは主なの。彼が成長して、より強く成熟した存在になった姿を想像するだけで、ぞくぞくするわ」
冬騎は、愕然とした。
そんな彼に、六花は笑みを消して静かに言う。
「冬騎。『ヴォルフ』のアルファとして、命じるわ。――生き延びなさい。わたしたちの誰を盾にしても、あなた自身の誇りをすべて捨てても。フェンリルが友人としてのあなたを必要としている限り、わたしより先に死ぬことは許さない」
『ヴォルフ』の冬騎にとって、上位存在からの命令は絶対だ。
「イエス……マム」
抗えない。
どうしても。
――六花は、冬騎よりも強いから。




