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崩壊した世界で、『人類の希望』と呼ばれています  作者: 灯乃


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竜宮

 あなたは、〈わたしは金持ちだ。豊かになった。わたしには欠けているものは一つもない〉と言う。

 しかしあなたは、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることを知らない。


***


 旧横須賀基地、『ワダツミ』。

 現在、日本国内で護衛艦の運用を可能としている、数少ないシェルターのひとつである。

『ワダツミ』の統括責任者、海上自衛隊一等海佐の渡部邦彦は、執務室で『ラオデキア』からの通信を受けていた。

 ノートパソコンの液晶画面に、陸上自衛隊の制服を着た壮年の男が映っている。


「――ああ。完全抗体に関する臨床データは、すでにこちらのラボに回してある。フェンリルの受け入れ準備は万全だ」

『そうですか。先ほどこちらに、『ワダツミ』派遣チームから定時報告が入りました。彼らは予定通り、順調にルートを南下しております』


 通信相手は、人類の希望――フェンリルの『ワダツミ』派遣計画を立案した、陸上自衛隊の三隅准尉だ。

 かつて、海上自衛隊と陸上自衛隊は犬猿の仲であったが、こうして世界が崩壊した今、呑気にそんなことを言っていられる余裕など、どこにもない。


『渡部海佐。フェンリルには彼の妹がそちらにいる可能性がある、と告げて送り出しております。彼女の不在がわかれば、精神的に不安定になるかもしれません。くれぐれも、彼の負担を増やすようなことはなさらないでください』


 三隅の言葉に、渡部はやんわりと苦笑した。


「フェンリルはまだ、十七歳の少年なのだろう。それでなくとも、彼はこの国に生きるすべての人類の希望だ。心配には及ばんよ」

『……それでは、単刀直入に言わせていただく。彼に関する権限のすべては、ネフィリム対策研究室の最高意思決定機関『バエル』にあります。たとえ海の底からなんらかの要請があったとしても、そちらに優先権は一切存在しないのだということは、どうかお忘れなきよう』


 宣言通り、随分とストレートな物言いである。

 渡部は、軽く目を眇めた。


「私が今、何を考えているのかわかるかね? 三隅准尉。――『ワダツミ』の最優先任務を『竜宮』の安全確保と定めた者が目の前にいたなら、顔の形が変わるほど殴ってやりたい、だ」


 液晶画面の向こうで、一瞬黙りこんだ三隅がなるほど、とうなずく。


『ご苦労なさっているのですね』

「それほどでもある。だが、実際のところ『竜宮』がなければ、『ワダツミ』に今も護衛艦を運用できるほどの予算は回ってこなかっただろう。おかげで我々は、毎日美味いメシを食えているよ」


 皮肉げに言った渡部に、三隅は苦笑する。


『それは、うらやましい限りですな。フェンリルたちがそちらに到着したら、ご自慢の食事をふるまってやっていただけますか』

「ああ。約束しよう。――彼らが、本当に生きてここまでこられたら、な」


 期待と不安、そして焦燥。

『ラオデキア』から、この国に生きる人類の多くを救済しうる完全抗体の話を伝えられてから、ずっと胸の奥がざわついている。

 そんな渡部の言葉に、三隅はあっさりと応じた。


『彼らは現在、この国で最強のチームです。彼らには、完全抗体のサンプルも持たせております。それを誰に使用するかは、渡部海佐の判断にお任せいたします』


 そうか、と渡部はうなずく。


「幸い、『ワダツミ』の最優先任務は『竜宮』の安全確保であって、その収容者に最優先で完全抗体を投与せよというものではない」

『……本当に、ご苦労されているのですね』


 三隅が、同情の眼差しになる。

 日頃から少々疲れ気味の渡部は、自分の苦労に共感を示してくれた相手に、危うく怒濤の愚痴をこぼしそうになった。

 当たり障りのない挨拶を最後に『ラオデキア』との通信を切ると、渡部は椅子の背もたれに体を預けた。


 ――この国で唯一発現した、人類の希望。

 コードネーム・フェンリル。


 彼が『ワダツミ』に派遣されたことを知っているのは、上層部と研究所の中でもごくわずかな人数だけだ。

 見せられた希望が大きければ大きいほど、それが失われたときの絶望は計り知れない。

 渡部は、ぽつりとつぶやいた。


「よくもまあ、手放したものだな」


 ネフィリムに対する人類側の切り札ともいえる、すさまじい異能を持つ対ウイルス勝利条件適合者。

 そんなものを、いくら最強を誇る護衛チームをつけているとはいえ、敵の闊歩する砂の大地に放り出すとは――。


(よほど、『ラオデキア』のハルファス部隊が優秀なのか。あるいは……いや。いずれにせよ、不完全な阻害剤に頼らなければ明日をも知れない我々に、未来はないか)


 まだ国内では確認されていないが、海外のシェルターの中には阻害剤を投与されていた大人たちが集団発症し、それによって内側から食い尽くされたという事例がいくつか報告されている。

 そうでなくとも、なんの予備知識もなくすべてを失い、シェルターに収容されたネイティブ――子どもたちや阻害剤投与者たちは、いまだに正常な精神状態とはいいがたい。

 PTSDによる睡眠障害、フラッシュバック、そのほかさまざまな症状で現れる体調不良。

 おそらく、どこのシェルターでも似たようなものだろう。


 だが、この国には一カ所だけ、そういった問題とは無縁の場所がある。

 ウイルスに冒されながら、そこに集う者たちすべてが己の救済を信じて疑わない場所。

 ネフィリムの脅威に怯えることなく、人々が家族とともに笑い合いながら日々を過ごし、かつてと変わらぬ豊かな生活を享受しているこの世の楽園。


 そこに生きるのは、選ばれし者たちではない。

 彼らは、自らの意思で選び取った。

 人類がこの終末を乗り越えるまでの黄昏を、蒼く清浄な世界で生きる現在を。

 そしていつか、血まみれになった人類が夜明けを迎えたとき、何ひとつ穢れを知らないまま彼らの頂点に君臨する未来を。


『ワダツミ』――海神の名を冠する者たちに守護されるその楽園を、『竜宮』という。

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― 新着の感想 ―
龍宮。 なるほど、楽園。 だけど、“楽園“ の前に厨二っぽいけど “虚ろなる” とか入れたい気分。 何も知らずにキャッキャッウフフしていた人達を、地獄にいた人々が敬うとは思えない。  アイドルスタ…
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