第151話 イーサンの失恋
ダークネス辺境伯からの連絡を受けたウィルが、双子と俺を連れて、釘を刺すために会いに行くことになった。内容は当然、『クリスティアーナ=モーリスへの、イーサンの接触を禁ずる』というものだ。ウィルは合宿でイーサンの命を救ったことで、ダークネス辺境伯やイーサンの実家である伯爵家から頭を下げられたばかりだというのにな。
「ウィリアム皇太子殿下! この度は、多大なご迷惑を……!」
「大変申し訳ありませんでした! 命を救っていただいた恩を仇で返すとは! イーサンは、クリスティアーナ嬢がウィリアム殿下の隣にいらしたことに気づかなかったなどと……」
「ああ、それは本当に気づいていなかったようだったね。声をかけたら、心底驚いていたから」
「な、なんと、本当でしたか……。皇太子殿下がいらっしゃる場にありながら、他のことに現を抜かすなど言語道断!」
「クリスティアーナは、この世のものとは思えないほどに美しいから仕方ないさ。だが今後は近づかないと、イーサンに約束させてほしいのだが」
「もちろんでございます!」
「口を酸っぱくして言い聞かせます。次回、殿下が不快に思われることがありましたら廃嫡も考えております。イーサンに伯爵家を任せるのは、正直不安でして……」
「あはは……。それは伯爵家の問題だからね。判断は伯爵に任せるよ」
大人たちとの話し合いを終え、ウィルは別室で待機していたイーサンの元へと向かった。扉を開けると、そこには青ざめた顔で立ち尽くすイーサンの姿があった。
「……イーサン。君の父上からは、厳しい言葉を預かっている」
ウィルの声は低く、冷ややかだ。皇太子としての威厳を纏ったその瞳に射抜かれ、イーサンは肩を震わせた。
「君が彼女に惹かれたことは、否定しない。だが、君の『恋』は彼女を困惑させ、さらには君の家をも危うくしている。……身の程を、わきまえるんだな」
「っ……」
冷徹な引導を渡され、イーサンが絶望に顔を歪めた、その時だった。タイミングを見計らったかのように、部屋の前をティアが通りがかった。
「あ、ウィル! 終わったの? 待ってたんだよ。早く遊びに行こう!」
重苦しい空気を一瞬で塗り替えるような、明るく無邪気な声。ティアはトコトコと駆け寄ってくると、当然のようにウィルの腕をぎゅっと引っ張った。
「お、おっと……。ああ、ティア。待たせて済まなかったね」
つい先ほどまで、一国の主たる厳しさを見せていたウィルの表情が、一瞬で崩れた。目尻は下がり、まさに「鼻の下が伸びる」という言葉がぴったりの、締まりのない笑みを浮かべている。
「さあ、行こうか。今日はどこへ行きたいんだい?」
ウィルは背後のイーサンのことなど、もう視界にも入っていないようだった。ティアに引かれるまま、足取りも軽く部屋を去っていく。
一人残されたイーサンは、その光景を呆然と見送っていた。
ウィルからは厳しい断罪の言葉が投げられた。だが、ティアからは名前すら呼ばれない。
彼女にとって、自分は景色の一部でしかなかったのだ。
皇太子を無邪気に振り回す彼女の瞳には、自分への憎しみすら宿っていない。ただ、一ミリも映っていないだけなのだ。
その圧倒的な「特別」の差。
「……あ、ああ……っ」
イーサンはがっくりと膝をついた。喉の奥から絞り出すような声が漏れ、やがてそれは、隠しようのない号泣へと変わった。
それは、叶わぬ恋への未練を断ち切るような、無様な、けれど真っ直ぐな男泣きだった。
ウィルの腕を引っ張って部屋を出ようとしたティアが、ふと足を止めた。視線の先には、がっくりと膝をつき、肩を震わせているイーサンの姿がある。
「……? ウィル、あの方はどうしたの? 顔色がとっても悪いし、泣いているみたい……」
心配そうに眉を下げて、ティアがイーサンに歩み寄る。ウィルは「おい、ティア」と苦い顔で止めようとしたが、彼女の真っ直ぐな善意を前に、結局は黙って見守ることにしたようだ。
「大丈夫ですか? どこかお体が痛むのでしょうか。……これ、使ってください」
ティアは、大切に持っていた真っ白なハンカチをイーサンの前に差し出した。その瞳には、彼を責める色など微塵もなく、ただ純粋な「心配」だけが宿っている。
「ひ……っ、あ……」
イーサンは顔を上げることができなかった。自分が向けたのは、醜い独占欲と執着だったと気づいてしまったのだ。それなのに、彼女が返してくれたのは、汚れのない慈愛だった。
彼女はイーサンを「悪い人」だと蔑むことすらしない。ただ、目の前で泣いている『かわいそうな人』として、平等な優しさを向けている。
自分の矮小さと、彼女の神々しいまでの清らかさ。その埋めようのない「魂の格差」を突きつけられ、イーサンは差し出されたハンカチを受け取ることすらできず、地面に額を擦りつけた。
「……っ、うああああああん!!」
「えっ? ウィル、どうしよう。もっと泣かせちゃった……」
慌てるティアの肩を、ウィルが優しく抱き寄せる。
「大丈夫だよ。彼は、自分の過ちに気づいて、心から反省しているだけだから。……さあ、行こう」
ウィルに導かれ、ティアは何度も後ろを振り返りながら部屋を後にした。
後に残されたのは、豪華な絨毯を涙で汚し続ける、惨めな敗北者だけだった。




