第140話 名残の前夜
サザラシア王国への訪問当日。
朝から遠足前の子どものように浮き足立っているクリスとウィル。そんな二人を微笑ましく見守る双子とルカ、そして俺は、転移装置を使ってサザラシア王国の王都へと足を踏み入れたのだった。
王城へたどり着いた俺たちは、さっそく国王への謁見を申し込んだ。待ち時間が長くなることも覚悟していたが、意外にも「すぐに」という返答が届く。そうして俺たちは、サザラシア王国の王とその家族へ、和やかな雰囲気の中で挨拶を済ませたのだった。
だが、慣れない儀礼の場に、クリスは少し疲れたようだった。それを見抜いたブルース卿が、「我が家でゆっくり休んでください」と屋敷へ招いてくれる。
少し休もうと声をかけたが、クリスはやるべきことを早く終わらせて遊びたいらしく、屋敷に荷物を置くと同時に、サザラシア王国側の『魔物の森』の視察へと向かうことになった。
「わあ、綺麗に間引かれてるねー!」
「さすがはクリス様。一目でそこまでお分かりになるのですか?」
「はい、そうです。ブルース卿、魔力を『攻撃』ではなく、ただ『飛ばす』ことはできますか?」
「え? 攻撃せずに、魔力だけを飛ばすのですか?」
「やって見せますね。こう、魔力を細く……細――く伸ばして、遠くに突き刺すイメージです」
「うーん……こうですか? おっ」
「そうです、そうです! その感じで三方向くらいに魔力を飛ばすと、跳ね返ってくる密度の違いで、森の様子が手に取るように分かるんですよ」
「な、なんと! 目からウロコです、クリス様。ご指導ありがとうございます!」
「あはは……」
「へえ、クリスはそうやって感知していたんだね。僕は薄い魔力を押し広げるようにして調べていたよ。一度に広範囲を探ろうとしたせいで、かえって精度が落ちているのか……やっぱりクリスはすごいね!」
「ウィル、それができるのも十分すごいと思うよ! ボクがそれをやると、多分、敵までやっつけちゃうから加減が難しいと思うし」
「……二人とも次元が違いすぎる」
後ろで見ていたネルソン卿とルカが、呆れたように呟いた。彼らも適度に魔物を間引いてはいるが、森の全域を把握するなど神業に近いのだろう。「これくらい増えたら危ない」と予測はできても、リアルタイムですべてを知る術は持っていないのだ。
「魔物の森は、まったく問題ありませんね。……そういえば、隣国とのいざこざはどうなりましたか? まだ解決しそうにありませんか?」
ルシアンの問いに、ブルース卿が表情を引き締めた。
「はい。まだ時間がかかりそうです。ただ、我が国の魔物の森が『脅威ではなくなった』という噂が広まったらしく……。こちらの戦力を警戒しているのか、あちらも手出しをしてこないのです」
「なるほど。帝国には四方を守る辺境伯がいますから、魔物の脅威は抑えられていますが、やはり大陸全体では深刻な問題ですからね」
「本当に、帝国は素晴らしい。おかげで民が怯えずに外出できるようになったのですから」
「そう言ってもらえて嬉しいよ。魔物の森を制圧することが、結果として近隣諸国まで牽制になるとは思わなかったけどね」
「ええ。すべてが良い方向へ向かっていると言っても過言ではありません。王弟が亡くなって以来、沈んでいたこの国も、今では王都に活気が戻っています。我らサザラシア王国の民は、帝国に深く感謝しているのですよ」
「気にしないでくれ。これも何かの縁だ。これからも良き友人として付き合っていきたいと思っているよ」
「「「ありがとうございます!」」」
談笑しながらも、俺の視線は無意識にクリスを追っていた。
「ウィル、クリスが少し眠そうだぞ」
「……本当だね。ブルース卿の屋敷へ戻りましょう。レオン、全員移動できる?」
「ああ、問題ない。屋敷の前で良いか?」
「できれば、馬車止めの前にお願いします」
「分かった」
俺たちは、ブルース卿の屋敷へ転移した。眠そうなクリスを抱いて、俺は部屋のベッドへ寝かせる。それから俺は、皆が待つ応接間に戻った。
「クリス、寝ちゃったね。大人の話は退屈だったかな」
「ああ。それもあるだろうが……昨晩は楽しみすぎてなかなか眠れなかったらしい」
「朝から眠そうだったもんね。不慣れな謁見や初めての土地で、気が張ってたのかもしれないね」
「そういえば、帝国へは明後日帰るんだったな。ティアのドレスを見に行くのは明日か?」
「その予定だよ。すぐに大きくなるから、サイズ違いを十着ずつくらい用意して帰ろうと思っているんだ」
「ルシアン、僕も選びたい。もちろん、代金は僕が払うよ」
「ふふっ、かしこまりました。明日は殿下もご一緒しましょう」
大きく頷いて嬉しそうなウィルと、それを温かく見守る双子。
――「クリス」としての姿は、明日で見納めとなる。これからは、ティア……クリスティアーナとして、新たな道を歩んでいくのだ。
部屋に戻ると、眠っているクリスの寝息が聞こえてきた。いつもと変わらない、安らかな響き。
だが、その顔を見つめる時間が、妙に長くなっている自分に気づいた。俺は慌てて視線を逸らす。
明日からは、ティアだ。
それでいい。そうなることを、誰より願ってきたはずなのに。
それでも――。
あと少しだけ、あともう少しだけ、“クリス”でいてくれ。
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