第126話 結界の柵の向こう ★ウィリアム side
転移した魔物の森の手前には、ぐるりと高さ十メートルはある鉄の柵に、結界が張り巡らされていた。
「高さがありますね。柵の隙間が思っていたより狭いので、上まで行きましょうか」
僕は何気なくエルフに提案すると、国王陛下が驚いて声をかけてくる。
「こ、皇太子殿下! お怪我でもなさった日には!!」
「え? この程度では怪我もしないと思うのですが」
コテンと首を傾げてジョセフを見る。すると、彼は苦笑いしながら説明してくれた。
「陛下、私の孫たちと殿下は大変仲が良いのです。オベール辺境伯領の魔物の森で、毎日のように魔物を狩っていらっしゃいました。我が領で一番強いと言われている魔物である『ギーニ』すらも、お一人で斃せるほどの実力をお持ちですから大丈夫ですよ」
「な、なんと……。皇太子殿下が、ですか?」
「辺境伯領は我が国で、一番危険な領地だと習いました。私は、そんな辺境伯領で暮らす者たちの生活にも興味があったのです。そして、私も魔物を狩り、捌き、親友たちの仕事を体験させてもらっただけですよ」
「……私も、我が国の王太子にも、爪の垢を煎じて飲むべきでしょうな」
ショックを受けたのか、宰相が持って来た椅子を手で制し、立ったまま柵の中を眺めていらっしゃった。
「殿下、ジョセフ。私が足場を作りますので、あとはお願いしますね」
綺麗な笑顔でお願いしてくる賢者のエルフに大きく頷くと、エルフが作ったシールドの足場を上り、柵の上までたどり着いた。上から見る魔物は、数キロメートル先まで続いているのだろう、足の踏み場もないくらいに真っ黒だった。
「ジョセフ、これだけ魔物が密集していると、影に隠れて斃せない魔物も多くなりそうだね」
「そうですな。一部は柵の手前に斃してから移動させましょう。斃した魔物を積み上げる場所すらありませんからな」
「ああ、それは大丈夫ですよ。斃された魔物は、私がこちらに積み上げましょう」
「それは助かります。一時間もあれば終わりそうですね。ジョセフ、いくよ!」
「かしこまりました」
僕とジョセフは全力で『風の刃』を放った。クリスが放つ『風の刃』を模倣したものだ。放った刃は、一匹だけではなく、勢いがなくなり止まるまで、魔物を斃し続ける。僕はやっと一枚で三体斃せるようになったのだけれど、クリスは五体斃せるんだ。少しでも近づけるように、必死に練習したいんだけれど、皆で森に行くと狩り過ぎてしまうから封印していたんだよね。今日は思いっきり練習できるから嬉しいな。
「二人とも笑顔で魔物を斃し始めたぞ……。宰相、帝国は絶対に敵に回してはならん。話している間にも、柵の前から魔物が随分といなくなった。我が国の魔導師ではまったく減らなかった魔物が、あっという間に殲滅されていくぞ……」
「陛下、ジョセフ殿は、貸しを作りに来たとおっしゃいました。我が国に、彼らが満足するような物資がありましたでしょうか?」
「そんなものなかろう。最近ではサザラシア王国とも友好国になったらしいしな。あの国は鉱石類に強い。それに比べれば、うちは海があるぐらいで、特筆するようなものはないな」
魔力が半分ほど減った頃、魔物は見える範囲からはいなくなっていた。この国の人は真面目なんだね。ジョセフの要求が何かと、一生懸命考えてくれているみたいだ。コーダリア王国は帝国の友好国なのだから、『助けて』の一言で良いのにね。
「シド、終わったようですよ。帝国側から『魔溜まり』に向かってもよろしいですか?」
「は、はい、問題ありません。下手すれば、我が国に向かうはずの魔物すら帝国側に流れていたのであれば、謝るだけでは済まされないでしょう……」
「よく分かっているではありませんか。今回、戦い慣れているはずの守り人たちですら苦戦したのです。シドも、王国の人間も、帝国には感謝すべきでしょうね」
「はい、もちろんです。今回のことで、急ぎ騎士たちを鍛え上げ、魔術師には手当も出しましょう。我が国の防衛を、しっかり強化していきたいと思います」
やっと納得したらしい賢者のエルフは頷き、優しい笑顔を国王に向けた。
「役者は揃いました。それでは、『魔溜まり』に向かいましょうか」
僕たちと、陛下の執務室にいた面々が転移した。目の前には、おどろおどろしい『魔溜まり』なのであろう、真っ黒い沼があった。
「ぐ、ぐえっ……。き、気持ち悪い……」
国王陛下が『魔溜まり』の臭いに耐えられないようだね。確かにこれは、魔物の解体に慣れている僕でも厳しい。
「待たせたな。言われた通り、ラビィと教皇猊下を呼んでおいたぞ」
僕とジョセフは、教皇猊下に頭を下げる。それに気づいた王国の人間も、慌てて猊下に頭を下げていた。
「ウィル! あれ? 随分と魔力が減ってるね? 大丈夫?」
頭を上げると、クリスが駆け寄って来たところだった。僕のことをよく見てくれてるんだね。それが分かっただけでも、今日は隣国へ来た甲斐があったよ。
「僕は大丈夫だよ、クリス。『魔溜まり』で気持ち悪くなっていない? 大丈夫?」
「平気だけど、日が沈む前に浄化しないと駄目だから急がないとだね。ここまで大きいと、どれくらいかかるか分からないし」
「ああ、そうだね。まさかこんなに大きいとは思わなかったよ」
『魔溜まり』は、辺境伯邸が二つ入るほどに大きい。ラビィと教皇猊下、賢者のエルフとレオンで話し合いがなされていた。クリス一人では、浄化している逆側から逃がしてしまう可能性があるらしい。知性はないが、生存するために逃げることがあると話しているね。
「私とラビィが逆側に立ち、結界を張りましょう。教皇猊下は私たちの補佐を。レオン様はクリス様と行動してください」
「相分かった。クリス、行くぞ」
「うん! ウィル、ボクの後ろに、少し離れてから皆で固まっていてくれる? 何かあったときに動きやすいから、お願いね」
「分かったよ。頑張ってね」
笑顔で頷くクリスに、僕も頷き返す。さて、陛下たちをクリスの後ろに移動させないと。
「皆さん、こちらにお願いします。この範囲にいらっしゃらなかった場合、守り切れるとは言えませんので、動かないでくださいね」
「で、殿下! 本当に大丈夫なのですか? 賢者様の後ろにいたほうが安心だと思うのですが……」
「あちらに向かって浄化しますので、『魔溜まり』が、あちらに流れてしまう可能性が高いらしいのですが……。あちらがよろしかったですか?」
「い、いえ! こちらで大丈夫です!」
時間がないのだから、余計な面倒は避けてほしいところだよね。浄化を始めたら、クリスの圧倒的な力を理解するだろうけど。
「始めるよー!」
クリスは大きく手を上げ、その後ろにはレオンが立った。クリスが淡く光り出すと、空気が揺れた。まるで『魔溜まり』が抵抗しているようだ。クリスは手前からじわじわと様子を見ながら浄化しているようで、少しずつ地面が見えてきていた。行けると踏んだのか、クリスの放つ光は『魔溜まり』の上を滑り、全体に広がった。光の湖は、とても神秘的な輝きを放っていた。
★★★
光の湖があまりにも美しくて、僕たちはその光をぼーっと眺めていた。ハッとして懐中時計を見ると、すでに一時間近く経っていた。エルフたちは汗をかきながら、必死に光を受け止めていた。クリスは背中しか見えないから、あちらがどうなっているか分からない。
「終わった……」
それだけを呟いたクリスの体からは、光がすぅーっと引いていった。
まるで、最初から存在しなかったかのように、あの光の湖は消え失せる。『魔溜まり』のあったその場所には、何も残ってはいなかった。魔力の残滓すら感じられない。まるで、最初から“穢れ”など存在しなかったかのように。
次の瞬間――
クリスは、音も立てずに、その場に倒れた。後ろで控えていたレオンが慌てて抱き留め、横抱きにして抱え上げた。
他の者たちは誰一人、動けなかった――いや、動こうとすることすら、許されていないように感じた。さっきまで確かにそこにあった“奇跡”が、あまりにも静かに終わってしまったからだ。
僕は、レオンに抱かれている、倒れた小さな体を見つめながら、ただ、息をするのも忘れて立ち尽くしていた。
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