第2話「すれ違いの家から」
あの子は、昔からよくできた子――らしい。
“らしい”というのは、
私はあの子の実の母親ではないからだ。
いわゆる、後妻。
あの子と暮らし始めたのは、
中学生になってからだった。
だから、小さい頃のことは知らない。
母親のように接することも、
きっと、うまくはできていなかった。
それでも、
あの子はちゃんとしていた。
学校のことは、食事のときに話してくれる。
成績も、きちんと報告してくれる。
休日には、買い物に付き合ってくれることもあった。
周りから見れば、
きっと「仲のいい家族」だったと思う。
でも、違う。
あの子は、
私に心を開いてはいなかった。
いつもどこかで、気を使っている。
無理をして、笑っている。
あの笑顔が、私は苦手だった。
子どもの笑顔ではない。
大人の顔色をうかがうことに慣れている、
そんな顔だった。
――どうして、あんな顔をさせてしまったのだろう。
九月のはじめ。
夏休みが終わって、しばらく経ったある日。
あの子は、帰ってこなかった。
帰宅部のあの子が、
十八時を過ぎても帰らないことなんて、ほとんどない。
たまに学校の手伝いで遅くなることはあったけれど、
こんな時期に、そんな用事があるとも思えなかった。
おかしい。
そう思い始めたのは、二十時を回った頃だった。
胸の奥に、
じわじわと嫌な想像が広がっていく。
幼なじみの子の家に連絡をした。
あの子とよく一緒に登校している子だ。
その子は、もう帰宅していた。
部活が終わるまで、ずっと学校にいたらしい。
じゃあ、あの子はどこに――
不安と恐怖が、一気に膨らんだ。
夫は帰りが遅い。
最近、出世したばかりだった。
そんなこと、今は何の意味もなかった。
警察に連絡をした。
捜索願を出して、
町の人たちも動いてくれた。
最後の目撃情報は、
学校からの帰り道の坂の上。
あの山道。
車で通ることはあっても、
歩くにはあまり気持ちのいい場所ではない。
もし、あんなところで――
考えたくなかった。
でも。
あの子は、見つからなかった。
次の日も、その次の日も。
学校で、あの子の話を聞いた。
教師の口から語られる、あの子の姿。
「よくできた子です」
「周りからも信頼されています」
やっぱり、そうなんだと思った。
でも同時に、
どうしても引っかかる。
本当に、それが全部?
あの子は、
それを“演じて”はいなかった?
自信がなくなっていく。
でも、ひとつだけ確信があった。
あの子は、
あれが全部じゃない。
一緒に暮らしてきた時間が、
それだけは教えてくれていた。
私は、あの子が心を開かないと思っていた。
でも――
違ったのかもしれない。
あの子は、
開こうとしていたんじゃないか。
学校のことも、
幼なじみの子のことも、
自分から話してくれていたじゃないか。
じゃあ、私はどうだった?
ちゃんと、母親として笑えていた?
受け入れられていないと、
心を閉じていたのは――
私のほうだったんじゃないか。
あの子がいなくなってから、
初めて気づいた。
あの子の存在が、
どれだけ大きかったのか。
どれだけ、家族として愛していたのか。
三日目の朝、夫と口論になった。
「……もう、見つからんかもしれん」
その一言が、許せなかった。
「どうしてそんなこと言うの?
親でしょ、私たち」
声が震えていた。
夫はすぐに謝った。
でも、その言葉が出たことが、
どうしても悲しかった。
あきらめるなんて、考えたくなかった。
その日一日、
何も手につかなかった。
夕方。
電話が鳴った。
警察からだった。
「あの子が見つかりました。学校にいます」
頭が真っ白になった。
気づいたら、走っていた。
三日前と同じ姿のあの子が、
教師や警察に囲まれていた。
私は、抱きしめた。
声をあげて、泣いた。
「よかった……本当に……」
あの子は、少しぼんやりしていた。
でも、顔色は悪くない。
その日は、そのまま検査を受けて、
一晩入院することになった。
次の日。
夫と一緒に迎えに行った。
病室で、あの子は窓の外を見ていた。
静かで、少しだけ冷たい空気をまとっている。
「お待たせ」
そう声をかけると、
あの子は振り返った。
そして、笑った。
「ありがとう。お母さん、お父さん」
その笑顔を見たとき、
私は少しだけ戸惑った。
初めて見るような気がした。
でも、きっと気のせいだ。
あの子の笑顔は、
ずっと前から、こんなふうに――
こんなふうに、やさしかったはずだから。




