第1話「見てた」
あいつは、少し変わってしまった。
何がどう変わったのかと聞かれると、うまく説明できない。
自分の勘違いなんじゃないかと、不安になることもある。
でも、確かに変わった。
あの日――三日ぶりに、あいつが戻ってきた日から。
あいつは昔から、いわゆる「いいやつ」だった。
成績もそこそこ、態度も真面目。
クラスの雑用や面倒ごとも、誰かに頼まれれば断らない。
正直、俺には無理だと思う。
そんなこと、わざわざ引き受ける理由が分からない。
でもあいつは、文句も言わずにやる。
かといって、自分から進んでやるタイプでもない。
ただ、頼まれたらやる。それだけだった。
そんなやつなのに、部活には入らなかった。
中学の頃からずっと帰宅部で、
放課後は一人で、あの坂道を登って帰っていく。
グラウンドからよく見えるんだ。
山の方へ続く、あの道。
俺は野球部で、練習の合間に何度も見かけた。
あいつは振り返らない。
いつも同じ速さで、黙って歩いていく。
家は、山を挟んで反対側だった。
だから、朝はたまに一緒に登校する。
あいつは、俺の話をよく聞く。
でも、自分の話はあまりしない。
特に――家のことは。
高校に入ってから、一度も聞いていない気がする。
そんなあいつが、突然いなくなった。
下校中だったらしい。
最後に見たのは、坂の上。
対向車の運転手が、すれ違ったのを覚えているらしい。
そこから先の足取りは、どこにも残っていなかった。
その日の夜、捜索願が出された。
警察も、学校も、町の人間も動いた。
特に、あの山道は集中的に探されたらしい。
でも、見つからなかった。
みんな、口々に言った。
「大丈夫かな」
「事故じゃないよな」
そして、誰かがぽつりと呟いた。
「……神隠し、じゃないよな」
三日目の夕方だった。
部活帰りの俺の前に、あいつはいた。
ガードレールのところ。
あの坂の途中で、
何事もなかったみたいに立っていた。
少しだけ、汚れていた。
服に土がついて、ところどころ擦れている。
でも、三日間も山にいたにしては、妙にきれいだった。
あいつは、手に何かを持っていた。
木の板みたいな、小さなもの。
「……おい」
声をかけると、あいつはゆっくり振り返った。
その動きが、少し遅れている気がした。
「お前、どこ行ってたんだよ」
あいつは、すぐには答えなかった。
少しだけ間を置いてから、
――笑った。
でもその笑い方が、
どこか違って見えた。
結局、俺はあいつを学校まで連れていった。
そこからは大騒ぎだった。
先生も、警察も、親も、
みんな一斉にあいつに詰め寄る。
あいつの母親は、泣きながら抱きついていた。
安心したって顔だった。
でも、あいつは――
どこか、遠くを見ていた。
二日後、あいつは学校に戻ってきた。
教室に入った瞬間、みんなが集まる。
「よかった」
「どこ行ってたの?」
質問が飛び交う。
あいつは、いつもの顔で笑って言った。
「……あんまり、覚えてないんだ。ごめん」
そのあとの受け答えも、似たようなものだった。
はぐらかすでもなく、
でも核心には触れない。
ふわふわと、かわしていく。
その日の帰り、久しぶりに一緒に帰った。
「ほんとに、何も覚えてないのか?」
そう聞くと、あいつは少しだけ立ち止まった。
それから、あの山の方を見る。
「……どうだろうな」
少し考えるようにしてから、言った。
「覚えてない、と思う」
間があった。
「でもさ」
あいつは、少しだけ笑った。
昔、よく見ていたクシャっとした笑い方だった。
「大事なのって、記憶だけじゃない気がする」
そのとき、
なんとなく思った。
あいつは、何かを置いてきたんじゃなくて、
何かを持って帰ってきたんだと。
それから、あいつは少し変わった。
頼まれごとを、断ることが増えた。
先生の期待に、無理に合わせなくなった。
でも、不思議と悪い感じはしない。
むしろ――
前より、ちゃんとしてる気がする。
前のあいつは、
どこか“弱かった”。
今のあいつは、
ちゃんと自分で立っている。
……なんていうか。
やっと、人間になったみたいだ。




