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第9話_魔法少女は悪魔を見逃さない!

 星が瞬く夜。


 静まり返った校舎の屋上に、ひとすじの光が舞い降りた。


 それは流れ星ではない。


 それは花火でもない。


 それは、文化祭の片づけ忘れのイルミネーションでもない。


 ひとりの少女は、正義の光を手にした。


 悪しき契約に囚われた人々を救うため。


 闇に潜む悪魔を浄化するため。


 愛と勇気と、長すぎる決め台詞を胸に、彼女は立ち上がる――。


 まばゆい光の中、リボンが翻った。


 星の飾りが輝き、ふわりとスカートの裾が揺れ、謎のステッキがきらきらと尾を引く。


 少女はまだ顔を見せない。


 だが、その声だけは、やけに凛としていた。


「悪しき悪魔よ。その契約、浄化します!」


「俺を救出対象にするな!」


 真央直樹のツッコミが、夜空と嘘ナレーションをまとめて叩き割った。


 星の光が砕ける。


 屋上が消える。


 魔法少女アニメ風のオープニング映像が、強制終了する。


 そして現実。


 文化祭翌日の朝。


 真央家のリビングで、直樹は食卓に突っ伏していた。


「……なんで文化祭が終わった翌朝に、俺は魔法少女に救われかけてるんだ」


 誰も答えない。


 答えられる者もいない。


 ただ、テーブルの向こうでは、天満アイがソファにぐったり沈んでいた。


 制服姿ではなく、真央家で借りたゆるい部屋着。


 小さな翼も尻尾も力なく垂れている。


 昨日の文化祭で、接客、片づけ、紫煙騒動、ラッキーくじ沈黙処理、直樹の叫び鑑賞を一通りこなした結果、仔悪魔見習いは完全に電池切れだった。


「ダーリン……あと五分……」


「起きろ。学校だ」


「文化祭の翌日は魔界では休養日だよ……」


「ここは人間界で、普通に平日だ」


「人間界、文化祭に厳しい……」


 アイはクッションに顔を埋めた。


 直樹はため息をつく。


 昨日、魔界風ドラ焼きカフェはどうにか終わった。


 煙も収まった。


 真奈会長の赤ペンも、最終的には追加報告書一枚で済んだ。


 アイも最後には「学校に参加した」と言っていた。


 つまり、今日は平穏が戻るはずだった。


 文化祭の翌日。


 少し疲れたクラス。


 少し余った段ボール。


 少しだけ残る祭りの余韻。


 そして、何事もなく始まる普通の一日。


 直樹は、その普通を心から望んでいた。


「今日こそ平穏……今日こそ普通……今日こそ俺は、ただの高校生……」


 ぶぶっ。


 スマホが震えた。


 直樹は固まった。


 嫌な予感がした。


 こういうときの通知は、だいたい人生を壊しにくる。


 直樹は恐る恐るスマホを手に取る。


 画面には、鏡星学園の校内連絡アプリからの通知が出ていた。


『文化祭後の未確認魔法反応について』


『関係者は念のため生徒会室へ』


 直樹は無言でスマホを伏せた。


 見なかったことにした。


 ぶぶっ。


 また震えた。


『既読確認が必要です』


「逃げ道を塞ぐな!」


 アイがソファから顔を上げる。


「なに? また申請?」


「申請ならまだいい。いや、よくないけど、まだ分かる」


 直樹はスマホをアイへ向けた。


 アイは眠そうな目で文字を追い、首をかしげる。


「未確認魔法反応?」


「文化祭の最後に出たやつだろ。悪魔とは別って宙が言ってた」


「魔法……」


 アイの目が少しだけ覚めた。


「魔法少女?」


「まだ確定してない。確定させるな」


「でも、昨日の嘘次回予告で言ってたよ?」


「嘘次回予告を現実の根拠にするな!」


 そのとき、台所から真実が顔を出した。


「あら、今度は魔法少女さん?」


「母さん、受け入れが早い!」


 遊羅も階段から降りてきて、目を輝かせた。


「お兄ちゃん、今度は救出されるの?」


「されない! 俺は囚われてない!」


 アイがむっとする。


「ダーリンはアタシの契約者だよ」


「そこで張り合うな。余計に囚われて見える」


「じゃあ、仮契約者?」


「それも見た目はアウトだ!」


 直樹はスマホを見つめた。


 文化祭後の未確認魔法反応。


 関係者は念のため生徒会室へ。


 念のため。


 その四文字が、まったく念のために見えない。


 直樹の人生では、「念のため」はだいたい本番である。


 アイはようやくソファから起き上がり、まだ眠そうな顔で言った。


「ダーリン、行くの?」


「行かなかったら、真奈会長がもっと怖い文面で呼び出す」


「“出頭してください”?」


「それは前にやった。次はたぶん“説明責任があります”だ」


「書類の魔法だ」


「魔法にするな。あれは現実だ」


 直樹は立ち上がった。


 平穏は、始業前に終わった。


 いや、始まってすらいなかった。


 文化祭が終わって、やっと普通の日常に戻れると思ったのに。


 悪魔の次は、魔法少女。


 しかも自分は、どうやら救出対象。


 直樹は天井を仰ぎ、魂から叫んだ。


「平穏の始業前に終業式が来た!」


 その叫びに、アイがぼんやり拍手した。


「ダーリン、朝から元気」


「元気じゃない! 絶望の発声だ!」


 こうして、真央直樹の文化祭明けの一日は、まだ登校もしていないのに、魔法少女アニメ風の不穏な光に包まれはじめたのだった。


* * *


 文化祭の翌日の学校は、妙に静かで、妙に騒がしい。


 矛盾しているようだが、本当にそうだった。


 廊下の壁には、昨日まで貼られていたポスターの跡が残っている。


 教室の隅には、回収しきれなかった段ボールが積まれている。


 どこかのクラスでは、まだガムテープの芯が転がっている。


 黒板には、消し忘れた『文化祭お疲れ!』の文字。


 空気には、祭りのあとの疲労と、少しだけ甘い匂いが残っていた。


 そして、その空気の上に、妙な噂が乗っていた。


「なあ、昨日の夜、校舎で光ったってマジ?」


「見たやついるらしいぞ。星みたいなやつ」


「星型の魔法陣が一瞬出たって」


「魔界風ドラ焼きカフェの近くだろ?」


「やっぱり悪魔ちゃん案件じゃん」


「でも、悪魔反応とは違うらしいぞ」


「じゃあ何?」


「魔法少女」


 直樹は靴箱の前で立ち止まった。


「……今、最後に変な単語が聞こえたんだけど」


 隣で、アイが目をぱちぱちさせる。


「魔法少女?」


 直樹は即座に言った。


「聞かなかったことにしろ」


「でも聞こえたよ」


「聞こえなかった。朝の疲労が見せた幻聴だ」


「音なのに?」


「細かいことを言うな」


 しかし、現実は直樹に優しくない。


 教室に入った瞬間、クラスメイトたちが一斉に振り向いた。


「来た!」


「悪魔ちゃん来た!」


「真央も来た!」


「中心人物来た!」


 直樹は鞄を机に置く前に叫んだ。


「俺を事件現場の到着みたいに扱うな!」


 アイは少し得意げに胸を張る。


「アタシ、今日は悪魔ちゃんカフェの店長じゃないよ」


「昨日も店長じゃない。勝手に役職を増やすな」


 クラスメイトの一人が、机に身を乗り出した。


「真央、魔法少女来るってマジ?」


「俺に聞くな」


「悪魔ちゃんの次は魔法少女?」


「次とか言うな。シリーズ管理するな」


「ジャンル増えすぎじゃない?」


「俺をジャンル交差点にするな!」


 教室のあちこちから笑いが起きる。


 直樹は机に手をついて、深く息を吐いた。


 昨日、文化祭が終わった。


 それだけで、今日くらいは普通に授業を受けられると思っていた。


 だが、現実はもう次のジャンルへ走り出している。


 悪魔。


 契約。


 魔界案件。


 生徒会。


 文化祭。


 そして、魔法少女。


 高校生活とは、もっと単位と小テストと進路希望調査で構成されているべきではないのか。


「ねえ、ダーリン」


 アイが直樹の袖を引いた。


「魔法少女って、悪魔の敵なの?」


 教室が一瞬、ざわっとした。


 美咲が自分の席から振り向く。


「普通はそういう扱いかもね」


「普通をそんなところに使うな」


 直樹が突っ込む。


 アイは真剣な顔で考え込んだ。


「じゃあ、敵対する前に友好関係を築いたほうがいいよね」


「珍しく平和的だな」


「先にドラ焼きで懐柔する?」


「正義の味方を買収するな!」


 クラスメイトが吹き出した。


「悪魔ちゃん、交渉材料が全部ドラ焼きなの好き」


「魔法少女にも契約不要セット出す?」


「浄化不要セットとか?」


 直樹は黒板の前に立った。


「誰だ、今、新メニューを増やそうとしたやつ」


 アリスが後ろの席から手をひらひら振った。


「いやー、でも魔法少女が来るならさ、悪魔ちゃんとの対決ビジュ、めっちゃ強くない?」


「強くしなくていい」


「星とリボンの魔法少女。黒と赤の悪魔ちゃん。間に挟まる真央」


「俺を構図の中心に置くな!」


 アリスはにやっと笑う。


「でも絶対そうなるじゃん」


「絶対にするな!」


 美咲がため息をついた。


「アリス、無断撮影はだめだからね」


「分かってるって。今は心のサムネだけ」


「その表現もやめろ」


 直樹は朝から疲れた。


 文化祭の翌日なのに、疲労が昨日より増えている気がする。


 そのとき、教室の隅で宙がぽつりと言った。


「悪魔反応とは、波形が違う」


 直樹はゆっくり振り向いた。


「宙。お前、何を知ってる」


 宙はいつものように無表情で、ワラ人形を抱えている。


 ワラ人形が低い声で言った。


「星型。浄化系。正義寄り」


「人形がそれっぽい分析をするな!」


 アイは少しだけ身を引いた。


「浄化系って、アタシに効くやつ?」


 宙は首を傾げる。


「試したい」


「試すな!」


 直樹と美咲の声が重なった。


 美咲はアイを見て言う。


「とにかく、変なことしない。昨日、勝手に魔法を使わないって覚えたでしょ」


「覚えた」


「ドラ焼きで懐柔もしない」


「それはまだ検討中」


「検討しない」


 アイは少しむくれた。


「じゃあ、魔法少女がいきなり攻撃してきたら?」


「まず話を聞く」


「聞いてくれなかったら?」


「逃げる」


「悪魔として弱くない?」


 直樹はアイを見た。


「ケガしない悪魔は強いんだろ」


 アイは、はっとした顔になった。


「ベルバラ先生の教え……!」


「そこで感動するな」


 アリスが笑う。


「悪魔ちゃん、体育会系魔法少女対策してる」


「魔法少女対策に体育理論を混ぜるな」


 そのとき、教室の前方にある電子掲示板が、ぴこんと鳴った。


 全員がそちらを見る。


 表示されたのは、校内連絡だった。


『文化祭後の未確認魔法反応について』


『関係者は、放課後に生徒会室へ集合してください』


『対象:真央直樹、天満アイ、佐藤美咲、見上宙、ほか必要に応じて』


 直樹は固まった。


「……また俺が最初にいる」


 アイが画面を見上げる。


「ダーリン、中心人物だから?」


「言うな」


 美咲が腕を組む。


「私も入ってるのね」


 アリスが自分を指さす。


「あれ、私は?」


 光の声が廊下側から聞こえた。


「鏡野さんは、必要に応じてです」


 アリスが振り向く。


「白金くん、いたの?」


 光はタブレットを持って、穏やかに立っていた。


「文化祭後の噂が拡散しすぎないよう、確認しています」


 直樹は光を見る。


「白金、頼む。魔法少女って単語を校内広報に載せないでくれ」


「全体向けには載せません」


「内部見出しには?」


 光は少しだけ目をそらした。


「検討中です」


「検討するな!」


 アイはふと、窓の外を見た。


 校庭には、昨日の片づけで残ったテントの骨組みが見える。


 その向こう、体育館の屋根のあたりで、一瞬だけ小さな光がまたたいた気がした。


「……星?」


 アイがつぶやく。


 直樹も窓を見る。


 けれど、そこにはもう何もない。


 ただの朝の光。


 ただの学校。


 ただの文化祭翌日。


 そう思いたい。


 とても思いたい。


 だが、直樹の高校生活に“ただの”という言葉は、もうほとんど残っていない。


 クラスメイトがまた騒ぎ出す。


「魔法少女来るってマジっぽくない?」


「悪魔ちゃん、対策会議しようぜ」


「真央、救出される側?」


「されない!」


 直樹は全力で叫んだ。


「俺は囚われてない! 救出されない! ジャンルも増やさない!」


 ワラ人形が低く言った。


「次回。囚われの一般男子」


「勝手に予告を読むなぁぁぁ!」


 文化祭翌日の教室は、祭りの余韻から、あっという間に魔法少女の噂で満たされた。


 そして直樹だけが知っていた。


 噂はだいたい、現実になる。


 少なくとも、この学校では。


* * *


 魔法少女の噂は、朝の教室を一周し、廊下へ広がり、購買前で味をつけられ、階段踊り場でなぜか増量されていた。


「夜の校舎で光ったらしい」

「星型の魔法陣だって」

「悪魔ちゃんを倒す正義の少女が来るって」

「真央が囚われてるって」

「最後だけ違う!」


 直樹は廊下で叫んだ。


 文化祭翌日の学校は、まだ片づけ途中だった。


 廊下の端には、撤去待ちの立て看板。


 階段の踊り場には、誰かが落とした黒いリボン。


 掲示板には、文化祭の投票結果が貼られ、その横に「忘れ物一覧」が増えている。


 直樹たちは、放課後の生徒会室呼び出しについて話しながら、廊下を歩いていた。


 直樹、アイ、美咲、アリス。


 少し後ろに、宙。


 ワラ人形つき。


「ねえ、ダーリン」


「嫌な予感がするから先に却下」


「まだ何も言ってないよ!」


「お前の“ねえ、ダーリン”は、だいたい問題提起の鐘なんだよ」


 アイは頬を膨らませる。


「魔法少女が来たら、アタシも決め台詞あったほうがいいかなって」


「ほら問題だった」


 アリスが笑う。


「悪魔ちゃんの決め台詞、ちょっと聞きたいかも」


「聞きたくない!」


 美咲が腕を組む。


「どうせ“世界征服”とか“契約”とか入れるんでしょ」


 アイは胸を張った。


「入れるよ!」


「入れるな」


 直樹と美咲の声が重なった。


 そのとき、廊下の向こうで、小さな声がした。


「あ、すみません。落としましたよ」


 一人の女子生徒が、床に落ちていた生徒手帳を拾い上げていた。


 肩まで伸びた髪をきちんと整え、制服もきれいに着ている。


 背筋がまっすぐで、動作に無駄がない。


 拾った生徒手帳を両手で差し出された下級生は、慌てて頭を下げた。


「あ、ありがとうございます!」


「いえ。文化祭の片づけで廊下に物が多いので、気をつけてくださいね」


 声はやわらかい。


 けれど、どこか芯がある。


 その女子生徒は、続けて廊下の端に落ちていた紙コップを拾い、近くのゴミ袋へ入れた。


 さらに、道に迷っているらしい一年生に声をかける。


「文化祭実行委員室なら、この先の階段を上がって右です。今は片づけ受付も同じ場所です」


「あ、助かります!」


「いってらっしゃい」


 完璧だった。


 普通にいい子だった。


 何もおかしくない。


 だからこそ、直樹は足を止めた。


「……怖い」


 美咲が横目で見る。


「何がよ」


「ああいう普通にいい子が出てくると、逆に怖い」


「警戒心が育ちすぎでしょ」


 アリスが笑った。


「真央、もう普通の親切を伏線扱いしてるじゃん」


「この学校で普通の親切が普通のまま終わった例を、俺はあまり知らない」


「それは、まあ……」


 アリスが一瞬だけ言葉に詰まった。


 美咲も否定しきれず、目をそらす。


「……ないわけじゃないでしょ」


「すぐに出てこない時点で負けだ」


 アイはその女子生徒をじっと見ていた。


「いい人間って感じがする」


「お前、言い方が悪魔側なんだよ」


 宙がぽつりと言う。


「善性、強め」


 ワラ人形が低い声で続けた。


「ただし、反応あり」


 直樹はゆっくり振り向く。


「反応って何」


 宙は答えなかった。


 女子生徒が、こちらへ歩いてくる。


 彼女の手には、小さな星型のチャームがついたキーホルダーがあった。


 鞄につけているのではない。


 なぜか、手の中で大事そうに握っている。


 文化祭の余韻が残る廊下で、それは少しだけ不自然にきらめいて見えた。


 彼女が直樹たちの近くを通りかかった、その瞬間。


 星型のチャームが、ぱっと光った。


 廊下の空気が、一瞬だけ張りつめる。


 アイの尻尾が、ぴんと跳ねた。


「ひゃっ!?」


 女子生徒も足を止めた。


 彼女は自分のチャームを見て、次にアイを見る。


 目が大きく開かれた。


 驚き。


 警戒。


 そして、使命感。


 その三つが、ものすごい速さで表情に浮かんだ。


「悪魔反応……!」


 アイは自分を指さした。


「え、アタシ?」


 直樹は頭を抱えた。


「反応しちゃった!」


 美咲が小声で言う。


「普通にいい子じゃなかったの?」


「普通にいい子だった。普通にいい子のまま、魔法少女側だった」


 アリスが目を輝かせる。


「来た。ジャンル来た」


「喜ぶな!」


 女子生徒は、すっと直樹たちの前に立った。


 姿勢がきれいだ。


 真面目さがにじみ出ている。


 校則も守りそうだし、落とし物も届けそうだし、遅刻もしなさそうだ。


 だが、その手の星型チャームだけが、明らかに日常から浮いている。


「あなたが……悪魔」


 女子生徒はアイを見た。


 アイは少しむっとする。


「悪魔じゃなくて、仔悪魔見習いだよ」


「否定の方向が違う!」


 直樹は即座に突っ込む。


 女子生徒の警戒が深まった。


「見習い……つまり、これから人を惑わす修行中ということですね」


「解釈が鋭くて悪い!」


 アイは慌てて手を振る。


「違うよ! 最近はちゃんと申請もするし、魂も取らないし、契約も不要って言えるし、ドラ焼きだけ!」


「情報量が多いです」


「ですよね!」


 直樹は思わず同意した。


 女子生徒は、今度は直樹を見た。


 まっすぐな目だった。


 真面目で、心配そうで、そして、すでに何かを誤解している目だった。


「あなた」


「はい?」


「もしかして……悪魔に囚われているの?」


 廊下が一瞬、静かになった。


 直樹は口を開けたまま固まった。


 アイが目を丸くする。


 美咲が額を押さえる。


 アリスが口元を押さえて笑いをこらえる。


 宙のワラ人形が、ぽつりと告げた。


「救出対象、確認」


「確認するな!」


 直樹は我に返り、全力で叫んだ。


「朝の廊下で急に重い誤解をするな!」


 女子生徒は、むしろ真剣さを増した。


「大丈夫です。落ち着いてください。悪魔に支配されている人は、自分が囚われていることを認められない場合があります」


「俺の否定を症状扱いするな!」


 アイが直樹の腕にしがみついた。


「ダーリンはアタシの契約者だよ!」


 女子生徒の表情が、さらに強張った。


「契約者……!」


 直樹はアイを振り向いた。


「お前はなぜ、毎回誤解の燃料を足す!」


「だって本当だもん!」


「本当の言い方が悪いんだよ!」


 美咲が間に入った。


「ちょっと待って。あなた、名前は?」


 女子生徒は、はっとしたように姿勢を正した。


「失礼しました。珠瀬那々美です」


 丁寧に頭を下げる。


 普通なら、好印象しかない自己紹介だった。


 ただし、手元の星型チャームはまだ光っている。


 アリスが小声で言う。


「珠瀬さん、めっちゃちゃんとしてるのに、手元だけ完全に変身アイテムなんだけど」


「言うな。俺も思ってる」


 直樹が小声で返す。


 那々美はアイを見て、静かに言った。


「天満アイさん、ですね」


 アイは驚く。


「アタシの名前、知ってるの?」


「文化祭の後、未確認反応について少し調べました。魔界風ドラ焼きカフェの周辺で、強い悪魔反応が観測されています」


 直樹は目を閉じた。


「店名だけ聞くと、こっちが悪いみたいだな……」


 美咲が冷静に言う。


「実際、名前はだいぶ悪魔寄りだったし」


「否定できない!」


 那々美は、今度は直樹へ一歩近づいた。


「真央直樹さん」


「なんで俺の名前まで」


「噂で」


「噂で個人情報が流れてる!」


「悪魔契約の中心人物だと」


「俺を中心にするな!」


 那々美は、真剣な顔で言う。


「安心してください。もしあなたが悪魔契約に巻き込まれているなら、私が必ず――」


「必ず?」


「助けます」


 直樹は天井を仰いだ。


 悪い子ではない。


 むしろ、ものすごくいい子そうだ。


 落とし物を拾い、道案内をし、文化祭後のゴミまで片づけるような子である。


 ただし、善意が今、一直線に間違った方向へ走り出している。


「……美咲」


「何」


「普通にいい子って怖いな」


「今回は否定しない」


 アイは那々美をじっと見ていた。


「あなた、魔法少女?」


 那々美は少しだけ目を見開いた。


 頬がかすかに赤くなる。


「ま、まだ正式に名乗ったわけでは……」


 アリスが小声で言う。


「照れてる。かわいい」


 直樹は頭を抱える。


「かわいいで済むジャンルならよかったんだけどな」


 那々美は星型チャームを握り直した。


 光はまだ小さく脈打っている。


 廊下に、妙な緊張感が広がった。


 文化祭翌日。


 片づけ途中の校舎。


 昨日までドラ焼きカフェだった日常の延長線上に、ついに魔法少女らしき存在が立ってしまった。


 直樹は、心の底から思う。


 どうしてこの学校では、普通にいい子まで普通に登場してくれないのか。


 那々美は決意を込めた顔で言った。


「詳しい事情を聞かせてください。悪魔契約に関わることなら、放っておけません」


 直樹は叫んだ。


「聞く前から救出する気満々なのをやめろぉぉぉ!」


* * *


 珠瀬那々美は、普通にいい子だった。


 落とし物を拾う。


 道案内をする。


 文化祭後のゴミを自主的に片づける。


 困っている人を見たら放っておけない。


 その一点だけ見れば、鏡星学園が誇る模範的生徒である。


 ただし、今、その善意は真央直樹へ全力で向いていた。


 しかも、方向が致命的に間違っていた。


「大丈夫です」


 那々美は、星型チャームを握りしめながら、直樹の前に一歩出た。


 その表情は真剣だった。


 真剣すぎて、逆に怖い。


「私が必ず助けます」


「助けなくていい。まず話を聞け」


 直樹は即座に返した。


 だが、那々美の目は揺らがない。


 むしろ、直樹の否定を“助けを求められないほど追い詰められている証拠”として受け取ったらしい。


 善意が強い。


 思い込みも強い。


 この二つが合体すると、だいたい人の話を聞かなくなる。


 アイが直樹の袖をつかんで、むっとした顔で言った。


「ダーリンはアタシの契約者だよ!」


 直樹は振り向いた。


「お前も言い方を考えろ!」


 那々美の星型チャームが、さらに強く光った。


「契約者……やはり拘束されている!」


「ほら見ろ!」


「だって本当だもん!」


「本当をそのまま言うな! 世の中には文脈ってものがある!」


 美咲が間に入ろうとする。


「珠瀬さん、ちょっと落ち着いて。直樹は確かに巻き込まれてるけど、囚われてるっていうか……」


 直樹は美咲を見る。


「そこは即否定してくれないか?」


「いや、被害者ではあるし」


「幼なじみが一番刺してくる!」


 アリスが小声で言う。


「でも“悪魔に囚われた一般男子”って、絵面としては強いよね」


「絵面で俺の人生を判断するな!」


 宙はワラ人形を直樹のほうへ向けた。


 ワラ人形が低く言う。


「救出対象、抵抗中」


「実況するな!」


 那々美は一歩下がり、星型チャームを胸の前に掲げた。


 廊下の空気が、きらりと揺れる。


 朝の蛍光灯の下なのに、どこか夜空のような光が走った。


 アイの尻尾がぴんと立つ。


「な、なに? 攻撃?」


 那々美は静かに息を吸った。


「悪しき契約に囚われし者を救うため――」


「待て」


 直樹は右手を上げた。


「ここ、廊下」


 那々美は一瞬だけ止まった。


「はい」


「朝の廊下」


「はい」


「生徒が通る」


「はい」


「そこで何か始めようとしてる?」


 那々美は、まじめな顔で答えた。


「変身を」


「廊下の真ん中で始めるな!」


 直樹の叫びが響く。


 通りかかった生徒たちが足を止めた。


「え、変身?」

「魔法少女マジ?」

「悪魔ちゃんの前で?」

「真央、やっぱり中心じゃん」


「中心じゃない!」


 那々美は少し頬を赤くした。


「で、でも、悪魔反応が出ていますし、悪魔契約に関わる危険があるなら、今ここで対処しなければ――」


「まず生徒会室へ行け! 今日呼び出されてるだろ!」


「生徒会の確認を待っていては、手遅れになるかもしれません」


「手遅れになるほどのこと、今起きてない!」


 アイは直樹の後ろから顔を出す。


「アタシ、今日はまだ何もしてないよ!」


「“今日はまだ”って言うな」


 那々美はその言葉に反応した。


「やはり、普段は何かをしているのですね」


「違う! 違わないけど違う!」


 アリスがぼそっと言う。


「真央、説明がもう負けてる」


「分かってる!」


 那々美は、チャームを高く掲げた。


 星型の光が弾ける。


 髪がふわりと浮く。


 リボンのような光が、足元に円を描いた。


 そして彼女は、まっすぐな声で唱え始める。


「星の輝きに導かれ、愛と正義と清らかなる願いを胸に、闇を照らす希望の――」


「長い!」


 直樹は反射で突っ込んだ。


 那々美は少しだけむっとする。


「まだ序盤です」


「序盤なの!?」


「名乗りと変身口上は、心を整える大切な手順です」


「整える前に廊下を塞いでる!」


 実際、廊下はすでに小さな人だかりになっていた。


 文化祭翌日で、みんな疲れているはずなのに、こういう妙なイベントへの反応だけは早い。


 悪魔ちゃんの次に魔法少女。


 ジャンルの追加に、学校全体が慣れ始めている。


 慣れてはいけない。


 直樹はそう思った。


 那々美は、再び口上を続けようとする。


「星の輝きに導かれ――」


「戻るな!」


「途中で止められると最初からになります」


「仕様が面倒くさい!」


 そのときだった。


「そこぉぉぉぉぉっ!」


 廊下に、体育館の天井まで届きそうな声が響いた。


 人だかりが一斉に割れる。


 その向こうから、ジャージ姿の体育教師・伊原先生が現れた。


 通称、ベルバラ先生。


 昨日、廊下飛行を止めた生活指導の圧である。


 ベルバラ先生は、変身ポーズの途中で片足を少し引いていた那々美を、鋭い目で見た。


「珠瀬!」


「は、はい!」


「変身ポーズを取るなら端に寄れ! 軸足が甘い!」


 直樹は叫んだ。


「そこを指導するんですか!?」


 ベルバラ先生は胸を張る。


「廊下の中央は通行の場だ! ポーズを取るなら壁際! 回転するなら周囲確認! 片足で立つなら体幹を意識しろ!」


「魔法少女の変身を体育の授業にしないでください!」


 那々美は、なぜか真面目に姿勢を直した。


「す、すみません。こうですか?」


「もう少し膝を柔らかく!」


「はい!」


「指先まで意識!」


「はい!」


「視線はまっすぐ!」


「はい!」


 直樹は頭を抱えた。


「指導が通ってる……」


 アイは感心したように見ている。


「魔法少女も準備運動いるんだね」


「お前まで学ぶな!」


 美咲は小さくつぶやく。


「でも、ポーズの軸が安定したわね」


「美咲まで分析するな!」


 アリスは目を輝かせている。


「完成度、上がってきた」


「上げるな!」


 宙のワラ人形が低く告げた。


「変身成功率、上昇」


「お前も煽るな!」


 ベルバラ先生は、周囲の生徒たちにも声を張った。


「見物で廊下を塞ぐな! 教室へ戻れ! 魔法少女でも悪魔でも、通行の妨げは生活指導対象だ!」


 生徒たちが、わあっと散っていく。


「生活指導、つよ」

「魔法より声量」

「ベルバラ先生、ジャンルに負けないな」


 直樹は深くうなずいた。


「本当に負けないな……」


 那々美は星型チャームを下ろし、少し恥ずかしそうに咳払いした。


「……失礼しました。場所を改めます」


「改めなくていい。話し合いで解決しよう」


 直樹は即座に言った。


 那々美はまっすぐ直樹を見る。


「ですが、あなたを救う必要があるなら」


「ない」


「本人が否定しても」


「それを症状扱いするな」


 アイがまた前に出る。


「ダーリンはアタシの――」


 直樹がアイの口を手でふさいだ。


「今その単語を言うな」


「むぐ」


 那々美の星型チャームは、まだ小さく光っている。


 完全に諦めたわけではない。


 むしろ、場所を改めれば続きがある、という顔をしている。


 直樹は嫌な予感で背筋が冷えた。


 これは終わっていない。


 ただ、廊下での初変身が生活指導によって一時停止しただけだ。


 ベルバラ先生は、最後に那々美へ力強く言った。


「珠瀬。正義感はよし! だが、正義も廊下では端に寄れ!」


 直樹は思わず突っ込んだ。


「名言みたいに言わないでください!」


 那々美は真剣にうなずいた。


「分かりました。次から気をつけます」


「次がある前提なの!?」


 アイは直樹の腕をつかんだまま、小声で言った。


「ダーリン、あの子、絶対また来るよ」


「分かってる」


「ドラ焼き、用意する?」


「買収するな」


 直樹は、廊下の向こうへ去っていく那々美の背中を見送った。


 普通にいい子。


 真面目。


 正義感が強い。


 そして、思い込みで変身しかける。


 鏡星学園に、また新しい危険人物が増えた。


 直樹は小さくつぶやく。


「文化祭の後片づけ、まだ終わってないんだけどな……」


 ワラ人形が、ぽつりと告げた。


「次は放課後」


「予告するなぁぁぁ!」


* * *


 放課後。


 直樹たちは、生徒会室へ向かう前に中庭で足止めを食らっていた。


 理由は単純。


 宙のワラ人形が、いきなり言ったのだ。


「放課後。中庭。星、来る」


 直樹は当然、無視したかった。


 だが、こういうときの宙の予告は、たいてい嫌な方向に当たる。


 そして、嫌な予感ほど現実は律儀に回収する。


 校舎と体育館のあいだにある中庭。


 文化祭の片づけで一時的に置かれていたパイプ椅子が隅に積まれ、植え込みには、昨日の飾りに使われた星型の紙片が一枚だけ引っかかっていた。


 そこへ、光が降りた。


 夕方の空に、星のような輝きが走る。


 きらきらと細かい粒子が舞い、風もないのにリボンが揺れた。


 直樹は眉間を押さえた。


「……来たな」


 アイは直樹の後ろに半歩隠れつつ、でも興味に負けて顔を出す。


「魔法少女?」


 美咲は身構える。


「本当に来るのね……」


 アリスは両手を胸の前で握った。


「うわ、完成度高いやつだ」


「撮るなよ」


「撮らないって。心のカメラだけ」


「だからそのカメラも怖いんだよ」


 光の中から、珠瀬那々美が現れた。


 朝の廊下で見た、真面目で普通の女子生徒ではない。


 星とリボンを基調にした衣装。


 胸元には星型のブローチ。


 手には、先ほどのチャームが変化したらしい短いステッキ。


 髪には、淡く光るリボン。


 足元には、星の軌跡。


 どこからどう見ても、魔法少女だった。


 ただし、本人の頬はうっすら赤い。


 正義感で押し切っているが、衣装そのものにはまだ少し照れがあるらしい。


 直樹は、その微妙な人間味に余計困った。


「普通に恥ずかしそうなのが、逆にリアルだ……」


 那々美はステッキを構え、きりっとした顔で言った。


「悪しき悪魔よ。人の心を惑わし、契約で縛るその所業、見過ごせません!」


 アイはすぐに反論した。


「悪しきってほど悪くないよ! まだ見習いだし!」


 直樹はアイを見た。


「悪魔であることは否定しないから話がややこしい!」


「だって、仔悪魔見習いは本当だもん!」


「今は本当を言えばいい場面じゃない!」


 那々美の表情が引き締まる。


「見習いであっても、悪魔は悪魔です」


 アイはむっとした。


「魔法少女だって、見習いみたいなものじゃないの?」


 那々美が一瞬だけ揺らいだ。


「わ、私は……正式に選ばれたわけではありますが、経験という意味では、まだ初期段階で……」


「ほら見習い!」


「違います! 正義の実践には段階があるだけです!」


 直樹は額を押さえる。


「見習い同士で張り合うな!」


 美咲が那々美へ声をかける。


「珠瀬さん、まず落ち着いて。アイは確かに悪魔だけど、いきなり退治するような相手じゃないから」


「確かに悪魔だけど、の時点で助けになってない!」


 アイが叫ぶ。


 アリスは小声で言う。


「悪魔ちゃん、今日は完全に敵役ビジュだよね」


「アリス!」


「ごめん。でも黒赤リボンの悪魔ちゃんと星リボン魔法少女、対比が強すぎて」


 直樹は即座に突っ込む。


「ビジュアル構図で戦闘を肯定するな!」


 那々美は一歩進み出た。


 中庭の地面に、淡い星型の光が浮かぶ。


「あなたが真央直樹さんを契約で縛っているのなら、私はその契約を浄化します」


 直樹は即座に手を上げた。


「縛られてない。いや、巻き込まれてはいるけど、縛られてるわけじゃない。あと浄化しなくていい」


 那々美は心配そうに直樹を見た。


「自覚がないのですね……」


「俺の説明を症状に変換するな!」


 アイは直樹の腕をつかむ。


「ダーリンはアタシの契約者だよ!」


 直樹は空を仰いだ。


「だからその言い方をやめろぉぉぉ!」


 那々美はステッキを胸の前に構えた。


「やはり、放ってはおけません」


 そして、深く息を吸う。


 美咲が嫌な予感を察した。


「まさか、また始めるの?」


 アリスが目を輝かせる。


「名乗り来る?」


 宙がワラ人形を持ち上げる。


「長い」


 直樹は先に叫んだ。


「予告するな!」


 那々美は、夕暮れの中庭で、ステッキを掲げた。


「星の輝きに導かれ、迷える心を照らす一番星。愛と勇気と清らかなる願いを胸に、闇を払い、契約の鎖を断ち切る光の――」


「長い! 名乗りが長い!」


 直樹が途中で割り込んだ。


 那々美は頬を赤くしたまま、むっとする。


「まだ名前まで到達していません」


「名前まで到達してないの!?」


「名乗りは魔法少女の大切な儀式です!」


「儀式扱いだとまた生徒会案件になるぞ!」


 那々美が固まった。


「生徒会案件……?」


 美咲がうなずく。


「この学校、わりと本当にそうなるわよ」


 アリスも言う。


「変身、結界、浄化、たぶん全部申請いる流れ」


 宙のワラ人形が低く告げた。


「儀式。届出制」


 那々美は少し動揺した。


「魔法少女の名乗りに、届出が……?」


 直樹は言った。


「普通はいらない。でもこの学校だと、たぶん真奈会長が必要って言う」


 那々美は一瞬、真面目に考え込んだ。


 そのあたりが、那々美の那々美たるところだった。


 正義感で変身してくるのに、校則や手続きと言われるとちゃんと気にする。


 普通にいい子なのだ。


 普通にいい子なのに、魔法少女なのだ。


 直樹にとっては、そこが一番ややこしい。


 アイはその隙に、直樹の後ろから小さく顔を出した。


「ねえ、魔法少女」


「何ですか、悪魔」


「アタシ、今日はまだ何もしてないよ」


 那々美は真剣に返す。


「悪魔は、何かをする前に止める必要がある場合もあります」


「予防浄化!?」


 直樹は叫んだ。


「そんな物騒な健康診断みたいな概念を作るな!」


 那々美はさらに言う。


「契約で人を縛り、世界征服を目指すと聞きました」


 アイは胸を張る。


「世界征服は目標だけど、最近は申請してから参加する方向だよ!」


「言い直しても危ない単語が残ってる!」


 美咲がすぐにアイの肩を押さえる。


「アイ、余計なこと言わない」


「でも、ちゃんと参加って言ったよ!」


「征服が混ざってるのよ!」


 那々美はますます混乱していた。


 悪魔。


 契約。


 世界征服。


 申請。


 参加。


 ドラ焼き。


 直樹。


 たぶん、那々美の中で正義の判断材料が渋滞している。


 アリスが小声で直樹に言う。


「魔法少女側、情報処理落ちしてない?」


「俺も初日からずっと処理落ちしてる」


 那々美は、もう一度ステッキを構え直した。


「とにかく、私は確認します。天満アイさん。あなたは本当に、人を傷つける悪魔ではないのですか」


 アイは一瞬だけ、言葉に詰まった。


 いつものように「泣く子も黙る仔悪魔ちゃんだよ!」とは言わなかった。


 ただ少しだけ、視線を下げた。


「……悪魔だけど」


 直樹はアイを見た。


 那々美も黙る。


 アイは小さく続ける。


「でも、文化祭は楽しかったよ。みんなと一緒にやった。ドラ焼きも売った。ちょっと煙は出たけど」


「最後で台無しにするな」


 直樹は小声で突っ込んだ。


 那々美は、まだ警戒を解かない。


 だが、完全に撃つつもりでもなさそうだった。


 そこへ、宙のワラ人形がぼそりと言った。


「名乗り、中断中」


 那々美がはっとする。


「そうでした」


 直樹は慌てた。


「思い出すな!」


 那々美は頬を赤くしながらも、ステッキを掲げ直した。


「星の輝きに導かれ――」


「最初から戻るな!」


「途中からでは、心が整いません!」


「やっぱり仕様が面倒くさい!」


 その瞬間、中庭の奥から校内放送のチャイムが鳴った。


『関係者の皆さんは、放課後、生徒会室へ集合してください。未確認魔法反応に関する確認を行います』


 直樹は両手を合わせた。


「生徒会長、今だけありがとう!」


 那々美は放送を聞いて、きちんとステッキを下ろした。


「……分かりました。正式な確認の場で、改めて事情を聞きます」


「変身は?」


「完了しています」


「名乗りは?」


「未完了です」


「未完了のままで頼む」


 那々美は真面目な顔で首を振った。


「それはできません」


 直樹は天を仰いだ。


「できてくれ……!」


 アイは直樹の袖を引く。


「ダーリン、あの子、真面目だね」


「真面目すぎる」


「悪魔より話が通じないかも」


「魔法少女にその感想を持つ日が来るとは思わなかった」


 夕暮れの中庭。


 悪魔ちゃんと魔法少女は、まだ戦っていない。


 だが、直樹の平穏は、もうだいぶ浄化されて消えかけていた。


 那々美は最後に、アイへまっすぐ視線を向けた。


「天満アイさん。私は、あなたを見極めます」


 アイはむっとして、直樹の腕にしがみつく。


「アタシだって、魔法少女を見極めるもん」


 直樹は叫んだ。


「互いに見極める前に、まず俺を挟むな!」


 宙のワラ人形が低く締めた。


「正式対面、完了」


「勝手にイベント名をつけるなぁぁぁ!」


* * *


 中庭の空気が、きらきらと揺れていた。


 文化祭翌日の放課後。


 昨日までドラ焼きカフェの片づけに追われていたはずの学校で、今度は魔法少女がステッキを構えている。


 普通の高校生活とは、何だったのか。


 直樹は、遠い目をした。


「……俺、昨日まで文化祭の片づけしてたんだよな」


 美咲が隣で言う。


「してたわね」


「で、今日これ?」


「これね」


「学校行事の切り替えが激しすぎないか?」


 アリスが楽しそうに言った。


「文化祭の次が魔法少女バトルって、イベントカレンダー強いね」


「そんなカレンダー破り捨てたい」


 那々美は、ステッキをアイへ向けていた。


 星とリボンの光が、彼女の周囲で小さく回る。


 真面目で、まっすぐで、かなり本気。


 その本気が、今はとても困る。


「天満アイさん」


 那々美は凛とした声で言った。


「あなたが悪魔契約によって人を縛り、真央直樹さんを惑わせているのなら、私はその契約を浄化します」


 アイは直樹の後ろへ隠れた。


「ダーリン、浄化って何!?」


「俺に聞くな! たぶん、お前にとってよくないやつ!」


「アタシ、浄化されたらどうなるの!? 角が取れる? 尻尾が消える? ドラ焼き食べても味がしなくなる!?」


「最後が一番怖いのかよ!」


 那々美は少し困った顔をした。


「浄化は、悪しき契約や闇の力を清めるためのものです。必要以上に傷つけるつもりはありません」


「“必要以上”って言葉がもう怖い!」


 直樹は那々美の前に半歩出る。


「珠瀬さん、待て。まず話し合おう。魔法を人に向ける前に、まず言葉だ」


「でも、悪魔は言葉で人を惑わせます」


「その理屈だと、会話不能になる!」


 アイが直樹の肩越しに叫んだ。


「アタシ、そんなに惑わせてないよ!」


 美咲が冷静に言う。


「直樹は毎日かなり惑わされてるけどね」


「幼なじみが証拠を積み上げるな!」


 那々美のステッキの先に、星型の光が集まり始めた。


 それは小さな光弾だった。


 ただし、形はやけに可愛い。


 星型の中心に、小さなハート。


 ハートの周りに、さらに小さなリボン。


 全体としては、攻撃というより、雑貨売り場のシールに見える。


 だが、アイは本能的にそれを怖がっていた。


「ひゃあっ、光ってる! かわいいのに怖い!」


 直樹も叫ぶ。


「かわいい形なら許されると思うなよ!」


 宙がいつの間にか横へ移動し、ワラ人形を掲げていた。


「観測開始」


「開始するな!」


 ワラ人形が低い声で続ける。


「浄化魔法。星型。出力、不安定」


 那々美が少しだけ動揺する。


「ふ、不安定ではありません。初回実戦なので、調整中です」


 宙は首をかしげた。


「命中精度、やや低い」


「初回なので!」


 那々美が思わず叫んだ。


 直樹は全力で突っ込む。


「初回の浄化を人に向けるな!」


 アリスが小声で言う。


「初回実戦で中庭デビュー、めっちゃ主人公っぽい」


「俺たちをチュートリアル敵にするな!」


 那々美は赤くなりながらも、ステッキを構え直した。


「だ、大丈夫です。狙いは外しません」


 宙がすぐに言う。


「手首、ぶれている」


「言わないでください!」


「足幅、狭い」


 美咲もつい言ってしまった。


「それはちょっと思った」


 直樹は美咲を見る。


「お前までフォーム指導に入るな!」


 アイは完全に慌てていた。


「ダーリン、どうしよう!? アタシ、浄化されちゃう!?」


「まず俺の背中から離れろ。俺まで巻き込まれる!」


「やだ! ダーリンを盾にする!」


「堂々と言うな!」


 那々美の目が見開かれる。


「盾……! やはり、契約者を利用している!」


「違う! 今のは違わなくもないけど違う!」


 アイは慌てて直樹から離れた。


「じゃあ、盾にしない! 正々堂々逃げる!」


「逃げる方向に正々堂々を使うな!」


 その瞬間、那々美のステッキから星型の光弾が放たれた。


 ぱしゅん、と可愛い音がした。


 威力のある音ではない。


 だが、光弾は妙な軌道で飛んだ。


 まっすぐアイへ向かったと思ったら、途中でふわっと右へ寄り、なぜか植え込みの上をくるっと回ってから、再び戻ってくる。


「曲がった!」


 アイが叫ぶ。


 宙が淡々と言う。


「誘導性能、未調整」


 那々美も焦る。


「ま、曲がるんですか!?」


 直樹は叫んだ。


「撃った本人が驚くな!」


 アイは中庭を走る。


 ただし、全力ではない。


 昨日ベルバラ先生に「廊下を走るな」「飛ぶなら準備運動」と言われた影響で、微妙に歩幅を気にしている。


「走っていい場所!? 中庭は走っていい!?」


 美咲が即答する。


「人にぶつからなければいい!」


「分かった!」


 アイは小さな翼を出しかけた。


 直樹が叫ぶ。


「飛ぶな!」


「じゃあ跳ぶ!」


「似たようなことをするな!」


 光弾はアイの頭上をかすめ、星くずのような光を散らした。


 アイはしゃがみ込む。


「ひゃあっ! 角がぴりってした!」


「当たってないのに!?」


 那々美は真剣な顔で言う。


「悪魔の力に反応しているのかもしれません」


 ベル先生の声が、その後ろから聞こえた。


「興味深いわね」


 直樹は振り返った。


 いた。


 鈴鳴ベル先生が、いつの間にか中庭の端に立っていた。


 白衣。


 タブレット。


 そして、手には小型の測定器。


 直樹は即座に叫ぶ。


「興味を持つな!」


 ベル先生はにこやかに答える。


「魔法少女系統の浄化エネルギーを直接観測できる機会なんて、なかなかないのよ」


「学校で発生しなくていい機会です!」


 那々美はベル先生を見て、少し困惑した。


「先生、その機械は……」


「変身および浄化エネルギー測定器の試作型よ」


「もう試作してるんですか!?」


 直樹の叫びに、ベル先生は首をかしげる。


「朝の噂を聞いてから作ったから、まだ簡易版だけど」


「仕事が早い方向が間違ってる!」


 その間にも、星型光弾は中庭をふらふら飛んでいた。


 アイは植え込みの横を回り込み、直樹は巻き込まれないように逃げ、アリスは撮りたそうな手を必死に抑え、美咲は周囲に人がいないか確認している。


「アリス、撮らない!」


「分かってる! でも、すごく撮りたい!」


「本音が出てる!」


 宙はワラ人形を光弾の軌道に向ける。


「軌道、楕円。回避容易」


 那々美が涙目になる。


「初回なので!」


「そこ、もう言い訳として定着してるぞ!」


 直樹が叫んだ瞬間、光弾はなぜか急に角度を変えた。


 アイではなく、ベル先生の測定器へ向かって飛ぶ。


「あら」


 ベル先生が目を丸くした。


「測定器に反応した?」


 直樹は青ざめる。


「先生、避けて!」


 星型光弾は、測定器の正面に命中した。


 ぱきゅん。


 やはり音は可愛い。


 だが、測定器の反応は可愛くなかった。


 ぴかーん。


 測定器の画面に、大きな星マークが表示された。


 続いて、謎のファンファーレ。


『きらめき反応を検出しました』

『浄化カテゴリを新規登録します』

『魔法少女モードを開始します』


 直樹は絶叫した。


「また機械が新ジャンルに適応した!」


 ベル先生は目を輝かせる。


「すごいわ。測定器側が魔法少女系統を学習したのね」


「学習しないでください!」


 測定器から、さらに小さな星型の警告音が鳴る。


『悪魔反応、近接』

『契約反応、近接』

『ツッコミ反応、過剰』


 直樹は測定器を指さした。


「最後、俺だろ!」


 宙がうなずく。


「過剰」


「認めるな!」


 アイは、ようやく光弾が消えたことに気づき、ほっと胸をなで下ろした。


「助かった……アタシ、まだ仔悪魔ちゃんのままだ」


 那々美はステッキを下ろし、申し訳なさそうに眉を下げた。


「す、すみません。外すつもりは……」


 直樹は即座に言った。


「当てるつもりだった時点で問題なんだよ!」


「でも、浄化対象が――」


「対象って言うな!」


 美咲が那々美の前に立つ。


「珠瀬さん。悪い子じゃないのは分かるけど、いきなり魔法を撃つのはだめ。アイが悪魔なのは事実でも、話を聞いてから」


 那々美は少ししゅんとした。


「……はい」


 アイは美咲の後ろから顔を出す。


「美咲、アタシのこと守った?」


 美咲はそっぽを向く。


「別に。中庭で騒ぎを大きくされたくないだけ」


 アイはにこっと笑った。


「ありがと」


「だから、そういうのいいから」


 直樹はそのやり取りを見て、少しだけほっとした。


 だが、安心した瞬間に、ベル先生の測定器がまた鳴った。


『魔法少女モード、追加測定可能』

『再試行しますか?』


 ベル先生が指を伸ばす。


 直樹が全力で止めた。


「押すな!」


「でも、再現性を確認しないと」


「再現しなくていい!」


 那々美は真面目な顔で言う。


「私も、次はもう少し精度を――」


「次も撃たなくていい!」


 宙のワラ人形が低く締める。


「初回浄化、失敗」


 那々美は肩を落とした。


「失敗……」


 直樹は慌てて言う。


「いや、失敗でいいんだよ! むしろ成功されても困る!」


 アイは自分の角を触りながら言った。


「浄化、怖い……」


 那々美はその顔を見て、少しだけ言葉を失った。


 初めて、目の前の“悪魔”が普通に怖がっていることに気づいたようだった。


 直樹はその隙に、全員へ向けて言う。


「とにかく、生徒会室へ行くぞ。これ以上ここで何かしたら、魔法少女も悪魔も先生の測定器も全部まとめて真奈会長案件だ」


 那々美がびくっとした。


 アイもびくっとした。


 ベル先生も、ほんの少しだけ測定器を後ろに隠した。


 直樹は思った。


 魔法より、悪魔より、測定器より。


 この学校では、生徒会長のほうが抑止力として強い。


 中庭に、謎の星型アラームの余韻だけが残っていた。


 直樹は疲れた声でつぶやく。


「……文化祭の次の日に、浄化魔法の初回テストを受ける高校生って何なんだ」


 ワラ人形が答えた。


「囚われの一般男子」


「まだ言うかぁぁぁ!」


* * *


 星型の浄化魔法は、ベル先生の測定器に当たって終わった。


 アイは無事。


 中庭も無事。


 直樹の平穏は、いつも通り無事ではない。


 測定器はまだ、


『魔法少女モード』

『浄化カテゴリ』

『ツッコミ反応、過剰』


 などという、人生で一度も見たくなかった単語を表示している。


 直樹はそれを見て、深く息を吐いた。


「……もう生徒会室に行こう。これ以上ここにいると、俺の高校生活が新しい用語で埋まる」


 アイも、こくこくとうなずいた。


「うん。浄化、怖い。アタシ、まだ悪魔ちゃんでいたい」


「悪魔ちゃんでいることを肯定する場面ではないけど、今はそれでいい」


 そのとき、那々美がすっと直樹の前に立った。


 ステッキを下ろし、しかし表情はまだ真剣。


 まるで悪の組織から一般市民を守るような立ち位置だった。


 直樹は嫌な予感しかしなかった。


「珠瀬さん?」


「安心してください」


 那々美は、まっすぐ直樹を見た。


「悪魔の契約から、私があなたを解放します」


「解放されたい気持ちは日々あるけど、今その方向じゃない!」


 直樹の叫びが中庭に響く。


 アイが即座に反応した。


「ダーリンはアタシの契約者!」


 美咲がアイの肩をつかむ。


「その言い方、本当にやめなさい」


「でも本当だもん!」


「本当でも、今それを言うと最悪の意味になるの!」


 那々美の目がさらに鋭くなる。


「やはり、所有を主張している……!」


 直樹は両手を振った。


「違う! 違わない部分があるから説明しづらいけど違う!」


 アリスが横からぼそっと言う。


「悪魔ちゃん、完全に敵役の台詞なんだよね」


 アイはむっとしてアリスを見た。


「アタシ、敵役じゃないもん!」


 直樹はアイを見る。


「だったら、敵役っぽい台詞をやめろ」


「敵役っぽい台詞って何?」


「“ダーリンはアタシの契約者”とか」


「でも契約者だよ?」


「だから! それが! 今! 敵役っぽい!」


 那々美は、直樹の腕を見た。


 悪魔契約の名残のような、薄い反応がまだ見えるらしい。


 星型チャームが小さく明滅する。


「真央さん。あなたは、自分の意思でその契約を受け入れているのですか?」


 直樹は固まった。


「……難しい質問をするな」


 美咲が小声で言う。


「事故みたいなものよね」


「そう。契約事故」


 宙のワラ人形が言う。


「同意ボタン事故」


「具体的に言うな!」


 那々美は真剣に受け止めた。


「同意が不十分な契約……やはり問題があります」


「そこはまあ、間違ってはいないんだけど!」


 アイが慌てる。


「でも、アタシ、最近はちゃんと聞くよ! 文化祭でも、煙が出たとき、ダーリンにどうすればいいか聞いた!」


 那々美が少しだけ目を瞬かせる。


「煙?」


「魔界風スモーク装置がちょっとだけ」


「ちょっとじゃない」


 美咲が訂正した。


「でも、アイはそのとき勝手に魔法を使わなかったわ」


 アイは胸を張る。


「うん。アタシ、聞いたら止まった!」


 那々美は困惑した顔になる。


 悪魔。


 契約。


 浄化対象。


 だけど、聞いたら止まる。


 正義の判断基準が、また渋滞しているようだった。


 直樹はその隙に説明を続ける。


「こいつは、迷惑だ」


「ダーリン!?」


 アイがショックを受ける。


「事実だろ。うるさいし、勝手だし、すぐ征服とか言うし、ドラ焼きでだいたい釣れる」


「言い方!」


「でも、誰かを傷つけるために契約してるわけじゃない」


 那々美の表情が少しだけ変わった。


 直樹は続ける。


「少なくとも、俺を助けるためにアイを浄化する、みたいな話ではない」


 アイは直樹を見る。


 いつものようにすぐ騒がず、少しだけ黙った。


 美咲も、アリスも、宙も、一瞬だけ静かになる。


 ベル先生の測定器だけが、


『ツッコミ反応、低下』

『情緒反応、微弱上昇』


 と空気を読まない表示を出した。


 直樹は測定器を指さす。


「先生、その機械を黙らせてください」


 ベル先生はにこっと笑った。


「いいデータが取れているわ」


「台無しだ!」


 那々美はまだステッキを握っている。


 けれど、さっきより少しだけ力が抜けていた。


「では、真央さんは……助けを求めていないのですか?」


「少なくとも、魔法で解放されたいわけじゃない」


「では、何からなら解放されたいですか?」


 直樹は即答した。


「騒動」


 全員が黙った。


 アイが目をそらす。


 ベル先生が測定器を後ろに隠す。


 宙のワラ人形が沈黙する。


 アリスが小声で言う。


「それはまあ、無理かも」


「そこは嘘でも希望をくれ!」


 那々美は少し考え込んだ。


「つまり、悪魔から救うのではなく、騒動から救う必要がある……?」


「余計にややこしい使命を設定しないでくれ!」


 アイが直樹の袖をつかむ。


「ダーリン、アタシ、騒動じゃないよね?」


「騒動の中心ではある」


「中心……」


「ただし、全部お前だけのせいでもない」


 アイが少しだけ顔を上げた。


 美咲が腕を組んで言う。


「そうね。ベル先生とか宙とか、アリスとか、だいたい周りも広げるし」


 アリスが笑う。


「ちょっと待って、私も入ってる?」


「入ってる」


 美咲と直樹が同時に言った。


 宙のワラ人形が低く言う。


「騒動共同体」


「変な共同体を作るな!」


 那々美はそのやり取りをじっと見ていた。


 悪魔に支配された悲惨な一般男子、という図には見えない。


 むしろ、ものすごく疲れているが、周囲にツッコミを入れ続けている一般男子に見える。


 いや、それも十分に救いが必要かもしれない。


 那々美は小さく首を振った。


「ですが、契約による問題があるなら、私は見過ごせません」


 直樹はうなずく。


「そこは分かった。だから、まず話を聞いてくれ。撃つ前に」


「……分かりました。撃つ前に聞きます」


「それを最初にしてくれ」


 アイがほっとした顔になる。


「よかった。浄化、延期?」


「延期じゃない。中止にしろ」


 那々美は真面目に言った。


「必要がなければ、行いません」


「必要がある前提を残すな!」


 アリスが楽しそうに手を叩く。


「すごい。魔法少女と悪魔ちゃん、いったん停戦?」


「戦争にするな」


 美咲が那々美に向き直る。


「珠瀬さん。とりあえず、このあと生徒会室で説明することになってるから、一緒に来たら?」


 那々美は姿勢を正した。


「はい。私も、未確認魔法反応の関係者として説明します」


 直樹は力なく笑った。


「関係者がまた増えた……」


 アイは那々美をちらっと見てから、直樹の近くに寄った。


「でも、ダーリンはアタシの契約者だからね」


 美咲が即座に言った。


「その言い方をやめなさいって」


 那々美も反応する。


「やはり所有の主張が――」


 直樹は叫んだ。


「だから戻るな! 今、少し進んだだろ!」


 アイは考え込む。


「じゃあ……ダーリンは、アタシの大事な人間界滞在補助者?」


 直樹は微妙な顔をした。


「長いけど、さっきよりはマシだ」


 那々美は少しだけ目を細める。


「大事な、ですか」


 アイは頬を赤くして、そっぽを向いた。


「べ、別に悪魔契約上の表現だよ」


「お前が照れると、さらに説明しづらいんだよ」


 ベル先生の測定器がまた鳴った。


『情緒反応、上昇』


 直樹は即座に叫んだ。


「恋愛カテゴリを追加するなよ!」


 測定器が、ぴこん、と星を出した。


『カテゴリ候補:契約ラブコメ』


「最初からそこに分類するなぁぁぁ!」


 直樹の叫びが、中庭に響く。


 那々美は、その叫びを聞きながら小さくつぶやいた。


「……本当に、助けが必要なのかもしれません」


「今度は別の意味で救おうとするな!」


 こうして直樹は、悪魔から解放されることなく、魔法少女から救出対象として認定されかけたまま、生徒会室へ向かうことになった。


 平穏からは、今日も遠い。


* * *


 生徒会室の空気は、いつ来ても重い。


 いや、厳密には空気が重いのではない。


 机の上に積まれた書類。


 きれいに並べられたファイル。


 無駄のない椅子の配置。


 そして中央に座る鳴海真奈の姿勢。


 それら全部が合わさって、「ここでは勢いだけでは生き残れません」と無言で告げてくるのだ。


 直樹は生徒会室に入った瞬間、もう負けた気がした。


「……帰りたい」


 アイが小声で言う。


「ダーリン、アタシも」


「お前は今日、浄化されかけた側だろ。帰るな」


 那々美は、魔法少女姿のまま少し緊張している。


 本人も、まさか変身後に生徒会室へ来るとは思っていなかったのだろう。


 星とリボンの衣装が、生徒会室の端正な空気の中で明らかに浮いている。


 アリスはそれを見て、小声でつぶやいた。


「生徒会室に魔法少女、絵面つよ」


「絵面で判断するな」


 美咲が即座に止める。


 宙はワラ人形を膝に乗せている。


 ベル先生は、なぜか測定器を白衣のポケットに隠していた。


 隠しているつもりらしいが、星型のアラームが時々ぴこんと鳴るので、まったく隠せていない。


 真奈は全員を見渡し、静かに口を開いた。


「校内での魔法少女活動について、説明をお願いします」


 那々美が目を瞬かせた。


「魔法少女活動……?」


「はい」


 真奈は表情を変えずに言った。


「変身、結界展開、浄化魔法、魔法弾の使用。すべて校内安全に関わります」


 直樹は思わず感動した。


「生徒会長、魔法少女にも強い!」


 那々美はステッキを胸の前で握ったまま、戸惑っている。


「で、でも私は、悪魔反応を感知して、危険な契約から人を守るために――」


「目的は確認します」


 真奈は資料を一枚めくる。


「ただし、目的が正義であっても、校内で魔法弾を使用した事実は別途確認が必要です」


「正義も別途確認されるんだ……」


 アリスが小声で言う。


 直樹はうなずいた。


「この学校では、正義も申請制かもしれない」


「真央くん」


「はい」


 真奈に名前を呼ばれ、直樹は即座に背筋を伸ばした。


「あなたは今回、悪魔契約によって行動を制限されていましたか」


「されてません」


 アイが手を上げる。


「ダーリンはアタシの契約者だけど――」


 美咲がすかさずアイの口をふさぐ。


「今その言い方しない」


「むぐ」


 真奈は淡々と確認する。


「天満さん。契約という言葉を使う場合は、相手の意思と状況説明を省かないでください」


 アイは口を解放され、少し小さな声で言った。


「……はい」


 那々美が真剣な顔で直樹を見る。


「ですが、真央さんは日々困っているように見えます」


「困ってはいる」


 直樹は即答した。


 アイがショックを受ける。


「ダーリン!」


「事実だろ」


 真奈はうなずく。


「困っていることと、魔法的な救出が必要であることは別です」


「生徒会長、今日も分類が強い」


 光が横でタブレットに記録している。


「記録します。困っていることと救出が必要であることは別、と」


「白金、それ見出しにしないでくれよ」


「全体公開はしません」


「内部見出しには?」


 光は少しだけ間を置いた。


「候補としては」


「候補にするな!」


 真奈は次に那々美を見る。


「珠瀬さん。あなたの目的を確認します」


「はい」


「あなたは、天満さんを悪魔として浄化しようとしましたか」


 那々美は一瞬、言葉に詰まる。


 だが、すぐに真面目にうなずいた。


「はい。悪魔反応が出ていましたし、契約による拘束の可能性があると判断しました」


 アイがむっとする。


「アタシ、拘束なんてしてないもん」


 直樹は横から言う。


「まあ、腕にしがみつく頻度は高いけどな」


「ダーリン!」


「そういうところだぞ」


 美咲はため息をついた。


「アイは言い方と距離感が悪いの。珠瀬さんは判断が早すぎるの。どっちも一回落ち着きなさい」


 那々美は少し恐縮する。


「すみません」


 アイも小さく言う。


「……うん」


 直樹は目を丸くした。


「美咲が一番先生っぽい」


「うるさい」


 真奈はさらに確認を続ける。


「校内で魔法を使用する必要性はありましたか」


 那々美は答える。


「悪魔契約の危険性があると判断したためです」


「被害状況は」


 光が補足する。


「現時点で人的被害なし。物的被害として、鈴鳴先生の測定器に浄化魔法が命中。測定器が魔法少女モードへ移行しました」


 真奈がベル先生を見る。


「鈴鳴先生」


 ベル先生はにこっと笑う。


「いいデータが取れたわ」


「機材の持ち込みと測定について、後ほど別途説明をお願いします」


「……はい」


 直樹は小声で言う。


「先生にも強い……」


 宙のワラ人形が低く言った。


「書類、最強」


「その人形も静かに」


 真奈に言われ、宙はワラ人形の口元を手で押さえた。


 ワラ人形は、くぐもった声で「むぐ」と言った。


 真奈はタブレットに視線を移す。


「白金くん。記録の整理を」


「はい」


 光は画面を操作しながら読み上げた。


「本件の内部整理案です。第一、文化祭後に未確認魔法反応が観測。第二、珠瀬さんが悪魔反応を感知。第三、中庭で天満さんに対し浄化魔法を使用未遂、または一部使用。第四、測定器に命中。第五、関係者を生徒会室へ招集」


 直樹は眉をひそめる。


「だいたい合ってるけど、俺の精神的被害も入れてくれ」


 光は真面目にうなずく。


「真央くんの精神的負荷は継続観察項目に入れています」


「入ってるの!?」


 光は続ける。


「内部見出し案としては――」


 直樹は身構えた。


「待て」


「『魔法少女、悪魔ちゃんを浄化未遂』」


「見出しにするな!」


 アリスが小さく手を上げる。


「でも読みたい」


「読むな!」


 光は穏やかに言う。


「外部には出しません」


「内部でも嫌だ!」


 真奈は赤ペンを取り、光のタブレット横に置かれた紙資料へ線を引いた。


「見出しは中立的にしてください」


 光はうなずく。


「では、『未確認魔法反応に関する事実確認』で」


 直樹は胸をなで下ろした。


「まともだ……」


 アリスは少しつまらなそうに言う。


「固い」


 真奈がアリスを見る。


「固いほうが安全な場面です」


「はい」


 アリスは素直に引いた。


 直樹は内心で感心する。


 陽キャも魔法少女も悪魔も教師も、人形も、真奈の前ではだいたい一回止まる。


 止まらないのは、たぶんベル先生の機材くらいだ。


 真奈は那々美へ向き直った。


「珠瀬さん。あなたの正義感を否定するつもりはありません」


 那々美の表情が少し緩む。


「ですが、校内で他者に向けて魔法を使う場合、相手の状況確認、周囲の安全確認、必要性の説明が必要です」


「……はい」


「特に、浄化という行為が相手にどのような影響を与えるか不明な状態では、実行を認められません」


 アイが小さくうなずく。


「アタシも、何が起こるか分かんなくて怖かった」


 那々美はアイを見る。


 さっきまでの「浄化すべき悪魔」という視線より、少しだけ迷いがあった。


「……怖かったんですか」


「うん。角が取れたら困るし」


 直樹がすかさず突っ込む。


「そこなのか」


「ドラ焼きの味がしなくなるかもしれないし」


「そこもなのか」


 真奈は表情を変えないまま言う。


「いずれも本人にとって重大な影響です」


 直樹は思わず真奈を見た。


「角とドラ焼き味覚まで尊重するんですか」


「本人の身体および感覚に関わることです」


「生徒会長、倫理がちゃんとしてる……!」


 那々美は、少しだけステッキを下げた。


「分かりました。今後は、確認なしの浄化は控えます」


 直樹は言う。


「確認しても基本控えてくれ」


 アイはほっとする。


「じゃあ、今日は浄化なし?」


 真奈が答えた。


「現時点では認めません」


 アイはぱあっと明るくなった。


「やった!」


 那々美は真面目に言う。


「ただし、悪魔契約に問題がないかは、引き続き確認します」


 直樹は頭を抱えた。


「監視者が増えた……」


 真奈は次にアイを見る。


「天満さん。あなたも、契約者という表現で真央くんの意思を飛ばさないよう注意してください」


「はい……」


「ダーリン呼びについては、本人が嫌がっている場合、控える努力を」


 アイは直樹を見た。


「ダーリン、嫌?」


 直樹は言葉に詰まる。


「……話がややこしくなる場面では嫌だ」


 アイは少し考える。


「じゃあ、場面限定で控える」


「全部控えるとは言わないんだな」


「それは無理」


「即答かよ」


 美咲が半眼で言う。


「そのあたりも問題よね」


 アリスはにやにやしている。


「でも、場面限定ダーリンって、ちょっと面白い」


「広げるな」


 光がメモしかけた。


 直樹が叫ぶ。


「白金、メモするな!」


「内部用です」


「内部用でもだ!」


 真奈は最後に、全員へ向けて言った。


「本件は、未確認魔法活動および悪魔契約に関する事実確認として扱います。校内での戦闘行為は禁止。浄化、契約、測定、撮影、広報化はいずれも事前確認を行ってください」


 直樹は力なく笑った。


「この学校、禁止事項の並びがすごいな……」


 宙のワラ人形が、押さえられた口元から低く言った。


「浄化、契約、測定、撮影、広報化」


「復唱するな! 呪文みたいになる!」


 那々美は姿勢を正し、深く頭を下げた。


「分かりました。以後、気をつけます」


 アイも、少し遅れて頭を下げる。


「アタシも、言い方気をつける」


 直樹はその二人を見て、少しだけ安心した。


 魔法少女と悪魔。


 正義と契約。


 浄化とダーリン。


 どう考えても混ざると危険な組み合わせだが、少なくとも今は、書類の前で一度止まった。


 やはり、この学校で一番強いのは、生徒会長かもしれない。


 そのとき、ベル先生の測定器がぴこんと鳴った。


『生徒会審査モードを追加しますか?』


 直樹は叫んだ。


「機械まで真奈会長に適応するなぁぁぁ!」


* * *


 生徒会室に、ひとまず平穏が戻った。


 魔法少女の浄化は保留。


 悪魔契約は事情確認。


 撮影、広報化、測定、結界、魔法弾の使用は事前確認。


 鳴海真奈の書類と赤ペンによって、魔法少女と仔悪魔の初対決は、いったん「未確認魔法活動に関する事実確認」という、ものすごく固い名前に封じ込められた。


 直樹は椅子に座ったまま、深く息を吐く。


「……助かった」


 アイも胸をなで下ろす。


「浄化されなかった……」


 那々美はステッキを両手で持ち、少し反省したようにうつむいている。


「確認なしの浄化は控えます」


「控えるじゃなくて、基本しない方向で頼む」


 直樹がそう言った、その瞬間。


 ぴこん。


 部屋の隅から、星型の軽快な電子音が鳴った。


 直樹はゆっくり振り向く。


 鈴鳴ベル先生が、にこやかに測定器を取り出していた。


「では、次は測定ね」


「では、じゃない!」


 直樹は椅子から立ち上がった。


「今、真奈会長が“測定も事前確認”って言ったばかりですよね!?」


 ベル先生は白衣の袖を揺らしながら、平然と答える。


「ええ。だから確認しながら測ればいいのよ」


「確認と同時に測るな!」


 ベル先生の手にあるのは、さっき浄化魔法を受けて勝手に魔法少女モードへ移行した測定器だった。


 画面には、きらきらした星のアイコンが増えている。


『変身エネルギー測定』

『浄化出力測定』

『決め台詞長さ解析』

『ツッコミ反応連動』


 直樹は画面を指さした。


「最後、俺を混ぜるな!」


 ベル先生は目を輝かせる。


「決め台詞の長さと魔力出力の相関を測れば、魔法少女システムの基礎理論が見えてくるかもしれないわ」


「人の決め台詞を研究対象にするな!」


 那々美は少しだけ頬を赤くした。


「で、でも、決め台詞が長いほど、心が整うんです」


 宙が無表情で言った。


「長いほど隙が増える」


 那々美が振り向く。


「それは言わないでください!」


 ワラ人形が低く続ける。


「中断されると最初から」


「仕様を分析しないでください!」


 アリスは手を叩きそうになって、真奈の視線に気づき、途中で止めた。


「危な。今、拍手すると見世物感出るやつだった」


 美咲が半眼で言う。


「分かってるなら最初からやめなさい」


「いや、完成度が気になって」


「完成度より安全」


 真奈は静かにベル先生を見る。


「鈴鳴先生」


 ベル先生の手が、測定開始ボタンの上で止まった。


「はい」


「測定も申請してください」


「まだ測るだけよ」


「測る前に申請です」


 直樹は思わず叫んだ。


「魔法より書類が先に来る学校!」


 真奈は机の引き出しから、一枚の用紙を取り出した。


 タイトルは、


『校内特殊現象測定に関する実験計画書』


 直樹は顔を引きつらせた。


「そんな書類、もうあるんですか」


 光が丁寧に説明する。


「鈴鳴先生用に作成しました」


「専用書式!?」


 ベル先生は用紙を受け取り、少し楽しそうに目を通す。


「測定対象、測定方法、想定される危険性、同意確認、周囲への影響、結果の公開範囲……よくできているわね」


 真奈は淡々と言う。


「記入してください」


「今?」


「今です」


「測定後では?」


「測定前です」


「データがないと計画が――」


「計画がないと測定できません」


 直樹は小声でつぶやく。


「書類、強すぎる……」


 アイが感心したように言う。


「魔法少女より強い?」


「少なくとも、ベル先生には効いてる」


 那々美は、少し戸惑いながら真奈を見た。


「あの、私も書く必要がありますか?」


 真奈はすぐに別の用紙を出した。


「はい。魔法少女活動に関する確認書です」


「魔法少女活動に確認書が……」


 直樹は那々美の肩にそっと声をかける。


「ようこそ、鏡星学園へ」


「前から在学しています」


「今日から別の意味でだ」


 光がタブレットに何かを打っている。


 直樹は嫌な予感で見る。


「白金、何を書いてる」


「内部記録です」


「見出しは?」


 光は少しだけ間を置いた。


「『決め台詞の長さ、書類で止まる』」


「見出しにするな!」


 アリスが小声で言う。


「でも読みたい」


「読むな!」


 宙が那々美のステッキをじっと見ている。


「変身エネルギー、安定」


 那々美は少し身を引いた。


「観察しないでください」


「少しだけ」


「少しでも!」


 ベル先生が実験計画書に書き込みながら言う。


「珠瀬さん、決め台詞は全文で何秒くらい?」


「えっ」


「途中で真央くんに止められたから、完全版をまだ聞いていないのよ」


 直樹が机を叩いた。


「完全版を聞こうとするな!」


 那々美は頬を赤くしながら、少しだけ胸を張った。


「完全版は、心を整え、星の加護を受け、悪しき契約を断ち切るための大切な――」


「説明も長い!」


 美咲がため息をつく。


「珠瀬さん、真面目なのは分かるけど、戦闘中にそれだけ長いと危ないわよ」


「はい……それは、少し反省しています」


 アイが小さく手を上げる。


「じゃあ、アタシも悪魔決め台詞を短くする」


 直樹は警戒した。


「今まであったのか?」


「今から作る」


「作るな」


 アリスが言う。


「悪魔ちゃんは、“契約不要、ドラ焼きだけ!”でよくない?」


「文化祭の接客に戻すな!」


 アイは目を輝かせる。


「それ、悪魔っぽくないけど強い!」


 那々美が真面目にうなずく。


「契約不要なら、悪性は下がります」


「魔法少女が評価するな!」


 真奈は机を軽く叩いた。


 たったそれだけで、室内が静かになる。


「話が逸れています」


 全員が姿勢を正した。


 真奈はまずベル先生を見る。


「鈴鳴先生。測定器の使用は、実験計画書提出後、対象者の同意を得てからです」


「はい」


 次に那々美を見る。


「珠瀬さん。校内での変身、魔法弾、浄化行為は、安全確認と事情確認を優先してください」


「はい」


 次にアイを見る。


「天満さん。自分を悪魔だと説明するときは、相手を不安にさせる表現を避けてください」


「はい……たぶん」


「たぶんではなく、努力してください」


「努力します」


 最後に直樹を見る。


「真央くん」


「はい」


「あなたは、関係者として引き続き事実確認に協力してください」


 直樹は頭を抱えた。


「結局俺が関係者代表みたいになってる!」


 光が小声で言う。


「代表という表現は避けています」


「避けても役割が来てる!」


 ベル先生の測定器が、またぴこんと鳴った。


『書類提出待機モード』

『測定延期』

『ツッコミ反応、安定』


 直樹は画面を見た。


「……初めてまともな方向に止まった気がする」


 ベル先生は少し残念そうに測定器をしまった。


「仕方ないわね。申請が通るまで待ちましょう」


「通す気なんですか!?」


 真奈が即座に言う。


「内容によります」


「可能性を残さないでください!」


 那々美は、用紙を両手で持ちながらつぶやいた。


「魔法少女になると、書類も増えるんですね……」


 直樹は遠い目をした。


「この学校では、悪魔になっても、魔法少女になっても、たぶん書類が増える」


 アイがしみじみ言う。


「人間界、奥が深いね」


「深さの方向が嫌すぎる」


 宙のワラ人形が、最後に低く告げた。


「魔法より書類」


 直樹は力なく突っ込む。


「今日の教訓みたいに言うな……」


* * *


 生徒会室には、妙な緊張感が漂っていた。


 悪魔。


 魔法少女。


 生徒会長。


 広報補佐。


 マッドサイエンティスト教師。


 ワラ人形。


 そして、そのすべての中心に座らされている真央直樹。


 直樹は思った。


 この配置、絶対におかしい。


 普通の高校生は、生徒会室で悪魔と魔法少女の事情確認に同席しない。


 普通の高校生は、浄化魔法の被害状況を聞かれない。


 普通の高校生は、測定器に「契約ラブコメ」などと分類されない。


「真央くん」


 真奈が静かに名前を呼ぶ。


「はい」


「現実逃避しないでください」


「心を読まないでください」


 真奈は書類を整え、那々美とアイを向かい合わせに座らせた。


 直樹はアイの隣。


 美咲は直樹の反対側。


 アリスは少し後ろ。


 宙はワラ人形を膝に乗せ、ベル先生は測定器を机の下に隠している。


 光はすでに記録用タブレットを構えていた。


 真奈が言う。


「では、まず事実確認を行います。珠瀬さん、天満さんに質問がある場合は、魔法ではなく言葉でお願いします」


 那々美は姿勢を正した。


「はい」


 アイも少し緊張した顔でうなずく。


「言葉なら得意だよ」


 直樹は即座に言った。


「その自信が一番怖い」


 那々美は、まっすぐアイを見る。


「天満さん。あなたはなぜ、人間界で契約を?」


 アイは胸を張った。


「ダーリンと一緒に世界征服実習をするため!」


「世界征服!?」


 那々美の椅子が、がたっと音を立てた。


 直樹は机を叩く。


「言い方!」


 アイは慌てて言い直す。


「えっと、でも最近は、申請してから征服」


 真奈が即座に言う。


「参加です」


「参加してから征服」


「戻すな!」


 直樹のツッコミが飛ぶ。


 那々美は混乱していた。


 星型チャームを握る手に力が入っている。


「参加してから、征服……?」


「違う! そこをつなげて覚えないでくれ!」


 美咲がアイをにらむ。


「アイ、ちゃんと説明しなさい。悪魔語じゃなくて、人間界の言い方で」


「悪魔語じゃないもん!」


「じゃあ悪魔っぽい日本語」


「それは……そうかも」


 アイは少し考えた。


「アタシは、仔悪魔見習いで、人間界で実習しなきゃいけなくて、ダーリンと仮契約してるの」


 那々美は真剣に聞いている。


 アイは続ける。


「でも、命令したら怒られたから、最近はお願いするようにしてる」


 直樹がうなずく。


「そこは少し進歩した」


「案件動画も、ダーリンが嫌ならやらないって言った」


「それも進歩した」


「文化祭では、学校を征服しようとしたけど、参加に直された」


「そこは反省しろ」


 那々美は眉を寄せた。


「つまり、悪魔契約によって真央さんを巻き込み、命令し、案件動画に出そうとし、文化祭で学校を征服しようとした……?」


 直樹は頭を抱えた。


「要約すると最悪になる!」


 アリスが小声で言う。


「悪魔ちゃん、箇条書きに弱すぎる」


「弱いとかいう問題じゃない!」


 光がタブレットに目を落とす。


「内部整理上も、箇条書きにするとかなり危険です」


「整理しないでくれ!」


 アイは焦って手を振った。


「違うよ! 違わないけど、違うよ! アタシ、ダーリンを困らせたいわけじゃなくて!」


 那々美はきっぱりと言う。


「困らせているのでは?」


 アイが固まった。


「……それは」


 直樹は思わず言った。


「困ってはいる」


「ダーリン!」


「でも、悪意でやってるわけじゃないのは分かってる」


 アイは少しだけ目を丸くした。


 那々美はさらに混乱した顔になる。


「どうして、あなたたちはこの悪魔を止めないんですか?」


 直樹は即答した。


「止めてる。毎日止めてる。ものすごく止めてる」


 美咲もうなずく。


「止めてるわよ。登校中も、授業中も、文化祭でも、たぶん家でも」


「たぶんじゃない。家でも止めてる」


 アイが少しむくれる。


「アタシ、そんなに止められてる?」


「自覚がないのが一番怖い」


 アリスが笑う。


「悪魔ちゃん、アクセル強いもんね」


 宙のワラ人形が低く言った。


「ブレーキ、外付け」


「俺のことか?」


「主に」


「否定しろよ!」


 那々美は、まだ納得していない。


「でも、悪魔です。契約を使って人間界に干渉しているのなら、危険ではありませんか」


 美咲は少しだけ表情を引き締めた。


「危険なときはあるわよ。だから止めてる。でも、倒すとか浄化するとか、そういう話じゃないの」


 那々美は美咲を見る。


「なぜですか」


「クラスメイトだから」


 美咲の答えは短かった。


 アイが、美咲を見た。


 いつもなら、すぐに「ライバルがいいこと言った!」とか「美咲、アタシのこと認めた?」とか騒ぐところだった。


 でも、今回は黙っていた。


 美咲は少し気まずそうに続ける。


「迷惑だけどね。かなり。ものすごく」


「そこは強調するんだ」


 直樹が小声で突っ込む。


「事実でしょ」


「そうだけど」


 真奈が静かに言う。


「本校では、天満さんの学園滞在を条件付きで認めています。問題があれば是正しますが、存在そのものを排除する判断はしていません」


 那々美は真奈を見る。


「生徒会長として、悪魔を認めるのですか」


「悪魔としてではなく、生徒として扱います」


 真奈の声は淡々としていた。


「もちろん、危険行為は認めません。契約、魔法、撮影、広報、測定、いずれも必要に応じて制限します」


 ベル先生が測定器を少し隠し直した。


 直樹はそれを見逃さない。


「先生、今の“測定”に反応しましたね」


「してないわ」


「測定器が震えてます」


 ぴこん。


『測定希望』


「機械が正直!」


 那々美は、アイへ視線を戻した。


「あなたは……悪いことをしたいわけではないのですか」


 アイはすぐに答えようとして、言葉に詰まった。


 いつもの調子なら、ここで「悪魔だから悪いこともするよ!」と胸を張っていたかもしれない。


 けれど、今は言えなかった。


 那々美の目が真剣だったから。


 自分が本当に“倒すべきもの”として見られていると、分かったから。


「……アタシは」


 アイは小さく言う。


「悪魔だよ」


 直樹は黙った。


 美咲も、真奈も、アリスも、少しだけ何も言わなかった。


 アイは自分の指先を見つめる。


「悪魔だから、契約するし、世界征服したいって思うし、ドラ焼きは供物だと思うし、ダーリンを契約者って呼ぶ」


 直樹が小さく突っ込む。


「最後は呼称の問題だろ」


 アイは少しだけ笑いかけたが、すぐに表情を戻した。


「でも、ダーリンが本当に嫌なことは、したくないよ」


 那々美の表情が揺れる。


 アイは続ける。


「美咲やアリスや宙や、真奈会長や光に怒られるのは怖いけど……でも、学校にいていいって言われたから、アタシ、参加したい」


 直樹は横で少しだけ目を伏せた。


 文化祭の最後。


 アイが言った言葉。


 アタシ、学校に参加した。


 その続きが、ここにあった。


 アイは小さな声で言う。


「だから、いきなり敵って言われると……ちょっと困る」


 生徒会室が静かになった。


 那々美は、言葉を失っていた。


 悪魔は倒すべきもの。


 契約は断ち切るべきもの。


 困っている人は救うべきもの。


 那々美の中にある正義の形は、きっとまっすぐだった。


 でも、目の前の悪魔は、悪事を宣言しながら、傷ついた顔をしている。


 直樹は那々美を見る。


「な? ややこしいだろ」


 那々美は、小さくうなずいた。


「……とても」


 アリスが空気を少し軽くするように言った。


「悪魔ちゃん、悪魔だけど悪魔しきれてないんだよね」


 アイはむっとする。


「アタシ、ちゃんと悪魔だもん」


 直樹は言う。


「悪魔なら、敵役っぽい台詞を減らせ」


「それは努力する」


 美咲がすかさず言う。


「あと、世界征服も言わない」


「努力する」


 真奈が続ける。


「校内では参加と言ってください」


「努力します」


 光が穏やかに言う。


「広報上もそのほうが安全です」


「努力する!」


 宙のワラ人形が低く言う。


「悪魔、努力中」


「まとめるな!」


 那々美は、少しだけステッキを下げた。


「分かりました。あなたが危険ではないと、今すぐ判断はできません」


 アイの肩が少し落ちる。


「うん」


「でも、今すぐ浄化すべき相手だとも、判断できません」


 アイは顔を上げた。


 那々美は真面目な顔で言う。


「だから、確認します。見極めます。あなたが本当に、誰かを傷つける悪魔ではないのか」


 直樹はすぐに言った。


「見極めるなら、まず人の話を聞いてくれ。撃つ前に」


「はい」


 那々美は素直にうなずいた。


 アイは少しだけ安心したように息を吐く。


「じゃあ、敵じゃない?」


 那々美は少し考えた。


「保留です」


「保留!?」


 直樹は叫ぶ。


「魔法少女の判断、行政手続きみたいになってきたな!」


 真奈は静かに言う。


「保留は適切です」


「生徒会長が認めた!」


 光がタブレットに入力する。


「内部整理:悪魔ちゃん浄化判断、保留」


「だから見出しにするな!」


 アリスが笑う。


「でも、ちょっといいタイトル」


「よくない!」


 アイは少しだけ口を尖らせた。


「アタシ、悪魔なのに、保留……」


 直樹はその横顔を見た。


 いつものアイなら、もっと騒ぐ。


 なのに、今は少しだけ静かだった。


 敵として見られること。


 浄化対象として見られること。


 それは、アイにとって初めての痛みだったのかもしれない。


 直樹は、なんとなく言葉を探し――結局、いつもの調子で言った。


「まあ、保留ならまだマシだろ。少なくとも今日、浄化されない」


 アイは直樹を見る。


「ダーリン、慰めてる?」


「事実確認だ」


「真奈会長みたい」


「それは褒め言葉か?」


 真奈が少しだけ咳払いした。


「事実確認は続きます」


 直樹は椅子に座り直した。


「まだ続くのか……」


 宙のワラ人形が、低く告げる。


「話し合い、長期戦」


「魔法少女の名乗りより長くするなよ……」


 那々美とアイ。


 魔法少女と仔悪魔。


 二人の言葉は、まだ全然噛み合っていない。


 けれど、少なくとも一つだけ変わった。


 那々美は、アイを即座に撃つのをやめた。


 アイは、那々美をただの敵として笑い飛ばすのをやめた。


 直樹は思う。


 進展としては、小さい。


 でもこの学校では、小さい進展がないと、次はだいたい爆発する。


 だから今日のところは、これで十分なのかもしれない。


 測定器さえ黙っていれば。


 ぴこん。


『相互理解反応、微弱』


 直樹は叫んだ。


「だから黙ってろぉぉぉ!」


* * *


 生徒会室の空気は、さっきより少しだけ静かになっていた。


 那々美とアイの話し合いは、噛み合っていない。


 けれど、何も変わらなかったわけではない。


 那々美は、アイを即座に浄化することをやめた。


 アイは、那々美をただの敵として見なくなった。


 直樹は、今日の騒動がこのまま「話し合い」で終わる可能性を、ほんの少しだけ信じかけていた。


 そう。


 信じかけた。


 そういう油断を、現実はだいたい許さない。


 那々美は、星型のステッキを静かに握り直した。


「でも」


 その声は、さっきより小さい。


 けれど、正義感の芯はまだ折れていなかった。


「でも、悪魔は危険です。契約で人を縛るなら、止めなければ」


 アイが顔を上げた。


「アタシは……」


 反論しようとしたのだと思う。


 いつものアイなら、すぐに言い返していただろう。


 悪魔だから契約するんだとか、ダーリンはアタシの契約者だとか、世界征服実習は大事なんだとか。


 けれど、その言葉が、今回は出てこなかった。


 敵。


 悪魔。


 浄化対象。


 その単語が、アイの中で引っかかっているのが分かった。


 直樹は、椅子から立ち上がった。


「真央くん?」


 真奈が視線を向ける。


 直樹は、那々美とアイの間に立った。


 正直、立ちたくはなかった。


 魔法少女と仔悪魔の間に立つ高校生。


 絵面だけなら完全に巻き込まれ系主人公だ。


 いや、実際そうなのだが、認めたくはない。


 直樹はアイをちらっと見てから、那々美に言った。


「こいつは迷惑だ」


「ダーリン!?」


 アイが悲鳴みたいな声を上げる。


 直樹は構わず続けた。


「うるさいし、勝手だし、ドラ焼きに弱いし、契約書も読ませないし、毎回俺を巻き込む」


「だ、ダーリン……?」


「朝から騒ぐ。学校でも騒ぐ。生徒会にも呼び出される。文化祭では煙を出すし、案件だの契約だの、俺の平穏を粉々にしてくる」


 アイの肩が、少しずつ下がっていく。


 美咲が口を開きかけたが、直樹は続けた。


「でも」


 生徒会室が静まった。


 ベル先生の測定器まで、なぜか一瞬だけ黙った。


「浄化されるほど悪いやつじゃない」


 那々美の目が揺れた。


 アイも止まった。


 直樹は、そっぽを向きながら言う。


「こいつは悪魔だけど、悪いことばっかり考えてるわけじゃない。いや、考えてはいるな。世界征服とか言うし」


「ダーリン、どっち?」


「黙ってろ。今、かばってる途中だ」


「かばってるのに悪口多くない?」


「事実確認だ」


 真奈が静かにうなずく。


「事実確認は重要です」


「会長まで乗らないでください!」


 アリスが小声で美咲に言う。


「真央、照れ隠し下手すぎない?」


「昔からよ」


「昔からなの!?」


 直樹は咳払いした。


「とにかく、こいつは面倒くさい。ものすごく面倒くさい。でも、怖がらせていいやつでも、消していいやつでもない」


 アイは直樹を見上げていた。


 いつものように「ダーリン、かっこいい!」と飛びついてこない。


 ただ、目を少しだけ丸くしている。


 直樹は那々美を見る。


「だから、珠瀬さん。悪魔だからって、いきなり浄化するのはやめてくれ」


 那々美はステッキを握ったまま、言葉を探していた。


「でも、契約で誰かを縛っているなら……」


「そのときは止める」


「あなたが?」


「俺も、美咲も、真奈会長も、たぶん周りが全力で止める」


 美咲が腕を組む。


「止めるわよ。毎回」


 アリスも笑って言う。


「私も公開前には止める方向で」


「公開以外も止めろ」


 宙のワラ人形が低く言った。


「観測はする」


「止めろとは言わないんだな!」


 ベル先生がにこやかに言う。


「必要なら測定も――」


 真奈が視線だけで止めた。


 ベル先生は黙って測定器をしまった。


 直樹は思った。


 この学校、ツッコミ以外の抑止力がようやく増えてきた気がする。


 いや、増え方が悪魔、魔法少女、生徒会、測定器なので、普通ではない。


 那々美は少しうつむいた。


「私は……困っている人を、放っておけないんです」


 その声は、さっきよりずっと普通の女子生徒の声だった。


「悪魔反応があって、契約があって、誰かが縛られているかもしれないと思ったら、止めなきゃって」


 直樹はうなずく。


「それは分かった。たぶん、そこは悪くない」


 那々美が顔を上げる。


「でも、やり方は間違ってた」


 直樹がそう言うと、那々美は小さく息をのんだ。


 直樹はすぐに目をそらす。


「俺が偉そうに言うことじゃないけどな。俺もだいたい毎回、逃げるか叫ぶかだから」


「自覚あったんだ」


 美咲が言う。


「あるわ!」


 アイが小さく手を上げた。


「ダーリン」


「何だよ」


「アタシ、浄化されるほど悪くない?」


 直樹は一瞬だけ黙った。


 それから、少しぶっきらぼうに言う。


「少なくとも、俺はそう思ってる」


 アイの顔が、ぱっと明るくなる。


「ダーリン……!」


「抱きつくなよ。今、いい感じで話が終わりかけてるんだから」


「もう遅い!」


「遅いって何が――うわっ!」


 アイが直樹の腕に飛びついた。


 那々美のチャームがぴかっと光る。


 直樹が即座に叫ぶ。


「ほら! その距離感が誤解を生む!」


 那々美はチャームを見て、ぐっとこらえた。


「……確認なしの浄化は控えます」


「偉い! 今のは偉い!」


 美咲がアイの襟首をつかんで引きはがす。


「アイも離れなさい」


「えー」


「えーじゃない」


 直樹は咳払いをした。


「あと、浄化するときは本人同意と校内申請を通してからにしてくれ」


 真奈が即座にうなずく。


「その通りです」


 アイが直樹を指さした。


「そこは感動のまま終わらせてよ!」


 直樹はそっぽを向く。


「感動だけだと後でまた騒動になるだろ」


 真奈は淡々と補足する。


「同意確認、影響範囲、安全確認、実施理由、事後報告。すべて必要です」


 那々美は真剣にメモを取り始めた。


「浄化にも、事後報告……」


 直樹は顔を引きつらせる。


「珠瀬さん、真面目に覚えなくていいから。いや、覚えるなら“やらない”を最初に覚えて」


 光がタブレットを見ながら言う。


「内部記録としては、『真央くん、悪魔ちゃんを浄化対象から保護』でしょうか」


「見出しにするな!」


 アリスが即座に言った。


「でも、それは読みたい」


「読むな!」


 宙のワラ人形が低く言う。


「契約者、保護者化」


「俺を保護者にするな!」


 ベル先生の測定器が、ポケットの中でぴこんと鳴った。


『情緒反応、上昇』

『契約ラブコメ濃度、上昇』


 直樹は叫んだ。


「だからそのカテゴリを消せぇぇぇ!」


 那々美は、その騒がしいやり取りを見つめていた。


 悪魔は危険。


 契約は警戒すべきもの。


 それは、たぶん間違いではない。


 けれど、目の前の悪魔は、直樹に怒られて、かばわれて、喜んで、また怒られている。


 そこには、単純な敵と被害者の形はなかった。


 那々美は、静かにステッキを下ろした。


「分かりました。今すぐの浄化は、行いません」


 アイはほっと息を吐く。


 直樹も、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。


 だが、那々美はすぐに続ける。


「ただし、天満さんが本当に危険ではないのか、私は引き続き見極めます」


 直樹は頭を抱えた。


「見極める方向は残るのか……」


 アイは胸を張った。


「いいよ。アタシが悪くない悪魔だって見せてあげる!」


 美咲が即座に言う。


「その言い方も微妙」


「じゃあ、良識ある仔悪魔!」


「良識があるなら世界征服って言わない」


「じゃあ、参加型仔悪魔!」


 真奈がうなずく。


「校内ではその方向でお願いします」


 直樹は遠い目をした。


「方向でいいのか……」


 こうして、直樹はアイをかばった。


 ただし、その結果、魔法少女からの監視は継続。


 生徒会の記録も継続。


 ベル先生の測定興味も継続。


 つまり、平穏は継続しなかった。


 直樹は小さくつぶやいた。


「かばったのに、俺の負担が減ってない……」


 アイが嬉しそうに笑う。


「ダーリン、ありがと」


 その顔を見てしまうと、直樹はそれ以上文句を言いづらくなる。


 だから、代わりにいつものように叫んだ。


「次からは、かばいやすい悪魔でいてくれ!」


 アイは元気よく答える。


「努力する!」


「そこは即答で約束しろぉぉぉ!」


* * *


 直樹がアイをかばったことで、生徒会室の空気は少しだけ変わった。


 少なくとも、さっきまでのように「悪魔だから浄化」という流れではなくなった。


 それは進歩である。


 たぶん。


 この学校では、浄化魔法が飛んでこなくなっただけで、十分に進歩と言っていい。


 那々美はステッキを両手で持ち、しばらく考え込んでいた。


 アイはそわそわしながら、その様子を見ている。


 直樹は、今度こそ面倒な話が終わることを祈っていた。


 真奈は書類を整え、光はタブレットを構え、ベル先生は測定器をポケットにしまったふりをしている。


 宙のワラ人形は、なぜか小さくうなずいていた。


 那々美が顔を上げる。


「分かりました」


 生徒会室に、静かな声が落ちた。


「今回は、浄化を保留します」


 直樹は即座に言った。


「保留って怖いな」


 アイも小さく手を上げる。


「中止じゃないの?」


 那々美は真面目な顔で首を振った。


「あなたが本当に人を傷つけない悪魔なのか、まだ判断できません」


「アタシ、そんなに怖い?」


 アイの声が、少しだけ弱くなる。


 直樹は横から言った。


「言動は怖い」


「ダーリン!?」


「でも、中身はそこまで怖くない」


「そこは最初に言って!」


 那々美はアイをまっすぐ見た。


「天満アイさん。あなたが本当に、人を傷つけない悪魔なのか。契約を、人を縛るためではなく、誰かと関わるために使えるのか。私は見極めます」


 アイは目をぱちぱちさせた。


「見極める……」


 アリスが小声で言う。


「魔法少女の見極め宣言、強い」


 直樹は頭を抱えた。


「強くしなくていい」


 アイは恐る恐る聞いた。


「それって、監視するの?」


 那々美は少し考え、きりっとした顔で答えた。


「正義の見守りです」


 直樹は即座に突っ込んだ。


「言い換えても監視だ!」


 那々美は少し頬を赤くした。


「監視という言葉だと、印象が強すぎます」


「行為は同じだろ!」


 光がタブレットを見ながら言った。


「校内広報では扱いません」


 直樹は全力でうなずく。


「扱わないでくれ!」


 光は穏やかに続ける。


「内部記録では、“魔法少女による正義の見守り宣言”と――」


「内部でも扱うな!」


 アリスが手を上げる。


「でも、その見出しちょっと読みたい」


「読むな!」


 美咲はため息をついた。


「珠瀬さん、見守るのはいいけど、勝手に魔法を撃ったりしないこと。アイも、見守られるようなことをしないこと」


 アイは胸を張る。


「大丈夫。アタシ、良識ある仔悪魔を目指すから」


 直樹がすぐに言う。


「良識あるやつは、世界征服って言わない」


「じゃあ、参加型仔悪魔」


 真奈が静かにうなずいた。


「校内では、その表現を推奨します」


 直樹は真奈を見る。


「推奨しちゃうんですか」


「問題のある表現よりは安全です」


 アイは少し得意げになった。


「参加型仔悪魔、天満アイ!」


 那々美は真面目にメモしようとした。


 直樹は叫ぶ。


「珠瀬さん、そこは覚えなくていい!」


 宙のワラ人形が低く言う。


「新分類、登録」


「お前も登録するな!」


 ベル先生のポケットから、ぴこん、と音がした。


『参加型仔悪魔カテゴリを追加しますか?』


 直樹は机を叩いた。


「測定器まで分類するなぁぁぁ!」


 ベル先生はにこにこと測定器を押さえる。


「大丈夫。申請前だから追加しないわ」


「申請したら追加する気ですか!?」


 真奈が即座に言う。


「追加する場合も、事前確認を」


「もう何でも申請だな!」


 那々美は、改めてアイへ向き直った。


「天満さん」


「なに?」


「私は、悪魔だからという理由だけで、あなたを敵と決めつけないようにします」


 アイの表情が少しだけ変わった。


 それは、嬉しそうで、でも少し照れくさそうで、まだ完全には信じていない顔だった。


「……うん」


「ただし」


「ただし?」


「危険な契約や、人を困らせる行為があった場合は、止めます」


 アイは胸を張った。


「望むところだよ!」


 直樹はすぐに言う。


「望むな。止められないようにしろ」


「それは努力する!」


「そこは約束しろ!」


 美咲が軽くアイの頭を小突いた。


「また“努力する”で逃げない」


「むう」


 那々美はそのやり取りを見て、少しだけ目を細めた。


 敵。


 味方。


 悪魔。


 魔法少女。


 そんな単純な区分では、この場は整理できないらしい。


 少なくとも、直樹たちはこの悪魔を、本気で敵として扱ってはいない。


 那々美は、ステッキを下ろした。


「分かりました。今日は、これで」


 直樹はようやく息を吐いた。


「終わった……?」


 真奈が書類を整える。


「本日の確認は、いったん終了です」


 直樹は椅子に沈み込んだ。


「“いったん”って言葉、嫌いになりそうだ」


 そのとき、生徒会室のドアが勢いよく開いた。


「そこまで!」


 全員が振り向く。


 ジャージ姿のベルバラ先生が立っていた。


 なぜここに来たのかは分からない。


 だが、声の圧だけで場が締まる。


「珠瀬!」


「は、はい!」


 那々美が反射的に姿勢を正す。


 ベルバラ先生は、びしっと指を突きつけた。


「変身するなら、まず準備運動だ!」


 那々美は真剣にうなずきかけて、少し戸惑った。


「魔法少女にも必要ですか?」


「必要だ!」


「そうなんですか……!」


 直樹は思わず叫んだ。


「何の話で締めてるんだ!」


 ベルバラ先生は堂々と言う。


「魔法も悪魔も、ケガをしてからでは遅い! 足首、膝、肩、首! 変身前に動かせ!」


 アイが目を輝かせる。


「アタシもホウキに乗る前にやったほうがいい?」


「当然だ!」


「分かった!」


 直樹はアイを見る。


「そこで素直に学ぶな!」


 美咲は苦笑する。


「でも、準備運動は大事よ」


「正論なのが困る!」


 アリスが楽しそうに言う。


「魔法少女と仔悪魔の合同ストレッチ、ちょっと見たい」


「見世物にするな!」


 光がタブレットに指を置いたまま止まる。


「校内広報では扱いません」


「絶対に扱うな!」


 真奈は一瞬だけ目を閉じた。


「体育活動として扱う場合は、場所を体育館またはグラウンドにしてください」


 直樹は頭を抱えた。


「生徒会長まで適切に整理しないでください!」


 那々美はステッキをしまい、真剣な顔で言った。


「分かりました。次回から、変身前に準備運動を行います」


 直樹は叫んだ。


「次回がある前提で話をまとめるな!」


 アイは那々美を見て、少しだけ笑った。


「魔法少女って大変だね」


 那々美も、ほんの少しだけ笑う。


「悪魔も、大変そうですね」


「うん。申請とか」


「私も、申請が増えそうです」


 二人は微妙に噛み合っていない。


 けれど、さっきまでよりはずっとましだった。


 直樹はその様子を見て、小さく息を吐く。


 浄化は保留。


 敵認定も保留。


 代わりに、正義の見守りという名の監視が始まった。


 つまり、また一人、直樹の周囲に濃い人物が増えたということである。


 ワラ人形がぽつりと言った。


「監視者、追加」


 直樹は力なく突っ込む。


「俺の人生、アップデートするたび監視機能が増えるな……」


* * *


 放課後の事情確認は、どうにか終わった。


 浄化は保留。


 監視は開始。


 測定は申請待ち。


 広報化は内部見出し止まり。


 生徒会室を出た直樹は、校門へ向かう途中で深く息を吐いた。


「……文化祭の翌日って、普通はもっと穏やかなんじゃないのか」


 隣でアイが、少しむくれた顔をしている。


 美咲は鞄を肩にかけ、呆れたように言った。


「普通の文化祭ならね」


「うちの文化祭も、昨日までは比較的普通だったはずなんだ」


「魔界風ドラ焼きカフェの時点で普通ではないわよ」


「そこを言われると弱い」


 アイはしばらく黙っていた。


 いつもなら、帰り道でも騒いでいる。


 ドラ焼きの話か、世界征服の話か、直樹にまとわりつく話か。


 だいたいその三択である。


 だが今日は、少しだけ静かだった。


 直樹が横目で見ると、アイは自分の小さな角を指で触っていた。


「ねえ、ダーリン」


「何だよ」


「アタシ、そんなに悪い悪魔に見える?」


 直樹は一瞬、答えに詰まった。


 美咲も少しだけ視線をやる。


 夕方の通学路。


 文化祭の余韻はもう遠く、空は茜色に染まっている。


 アイの影には、小さな翼と尻尾が映っていた。


 悪魔と言えば、確かに悪魔だ。


 本人も否定しない。


 むしろ誇る。


 問題は、その誇り方が毎回ややこしいことである。


 直樹は、少し困ったように言った。


「見た目と発言は、わりと」


「ひどい!」


「事実だろ。角あるし、尻尾あるし、契約者とか世界征服とか言うし」


「でも、最近は参加って言ってる!」


「そのあと征服を戻すだろ」


 アイは口を尖らせる。


「むう」


 直樹は頭をかく。


「でも、中身は……まあ、知ってるやつには分かる」


 アイが少しだけ顔を上げた。


「ダーリンは分かる?」


「全部は分からない」


「そこは分かるって言ってよ!」


「嘘は言わない」


 直樹は少しだけ目をそらした。


「けど、倒す相手じゃないことくらいは分かる」


 アイは、ぱちぱちと瞬きをした。


 それから、ゆっくり笑った。


 さっきまでのむくれ顔ではなく、いつもの調子に戻りきる一歩手前みたいな、少し照れた笑顔だった。


「じゃあ、アタシ、もっと悪くない悪魔になる」


 美咲がすかさず言う。


「悪魔をやめる気はないのね」


 アイは胸を張った。


「仔悪魔ちゃんだから」


 直樹は苦笑する。


「そこは譲らないんだな」


「うん。アタシは仔悪魔ちゃんで、ダーリンの――」


 美咲がアイをにらむ。


 アイは言い直した。


「人間界滞在補助者の大事な相手!」


 直樹は微妙な顔になる。


「言い直した結果、だいぶ長い」


「でも敵役っぽくないでしょ?」


「まあ、さっきよりはな」


 アイは得意げに笑った。


「進歩!」


「自分で言うな」


 そのとき。


 通学路の電柱の陰で、何かがきらりと光った。


 直樹は足を止める。


「……今、星っぽい光が見えたんだが」


 美咲も目を細める。


「見えたわね」


 アイは直樹の袖をつかむ。


「魔法少女?」


 電柱の陰から、そろりとリボンの端が見えた。


 続いて、星型のステッキの先。


 さらに、ものすごく真剣な顔の珠瀬那々美。


 どう見ても尾行だった。


 那々美は、こちらに気づかれたことに気づき、はっと姿勢を正した。


「こ、これは違います」


 直樹は半眼になる。


「何が」


「尾行ではありません」


「誰もまだ尾行って言ってない」


 那々美は少し頬を赤くしながら、きりっと言った。


「悪魔と契約者……いえ、天満さんと真央さんの様子を、正義の見守りとして確認していただけです」


「言い換えても尾行だ!」


 アイは眉をひそめる。


「監視してるの?」


「正義の見守りです」


「監視だよね?」


「正義の見守りです」


「言い張れば変わると思ってるのか!」


 その直後、反対側の植え込みから、がさりと音がした。


 全員が振り向く。


 見上宙が、ワラ人形を抱えて立っていた。


「監視対象、増えた」


 那々美が飛び上がる。


「きゃっ!?」


 直樹も叫ぶ。


「お前もいたのか!」


 宙は無表情でうなずく。


「魔法少女の監視行動を観測」


「監視を監視するな!」


 ワラ人形が低く言った。


「多重監視」


「怖い単語を増やすな!」


 那々美は胸に手を当てて、息を整えている。


「び、びっくりしました……」


 アイは少しだけ勝ち誇った顔をする。


「魔法少女、隠密苦手?」


 那々美は赤くなる。


「初回なので」


 直樹は頭を抱えた。


「その言い訳、万能にするな」


 美咲はため息をつく。


「とりあえず、尾行も監視もやめなさい。普通に話しかければいいでしょ」


 那々美は真面目にうなずく。


「次からは、事前に声をかけます」


「次がある前提なのね」


 美咲の指摘に、直樹は遠い目をした。


「もう絶対あるだろ。俺には分かる」


 そのとき、全員のスマホが同時に震えた。


 ぴこん。


 校内連絡アプリからだった。


 直樹は嫌な予感とともに画面を見る。


『未確認魔法活動に関する注意喚起』


『校内での変身・浄化・結界展開は、周囲の安全を確認してください』


『魔法弾の使用、悪魔契約の発動、測定機器の設置、広報化には事前確認が必要です』


 直樹はスマホを持つ手を震わせた。


「注意喚起の対象が具体的すぎる!」


 アイが画面をのぞき込む。


「悪魔契約も入ってる」


 那々美も画面を見る。


「変身・浄化・結界展開……私ですね」


 宙が言う。


「測定機器、ベル先生」


 美咲が続ける。


「広報化、白金くんとアリスね」


 アリスはいないのに、どこかでくしゃみをしていそうだった。


 直樹は空を仰ぐ。


「この学校、問題が起きるたびに注意喚起の項目が増えるな……」


 すぐに、光から個別メッセージが届いた。


『外部公開はしていません。校内向けの安全注意です』


 直樹は即返信した。


『ありがとう。でも見出しは?』


 少し間があった。


『内部見出しは、未確認魔法活動、校内安全の新段階へ、です』


 直樹は眉をひそめる。


「……ギリギリまともだ」


 次のメッセージ。


『候補案には、魔法少女、悪魔ちゃんを見守る、もありましたが却下しました』


「却下してくれて本当にありがとう!」


 アイが首をかしげる。


「それ、ちょっとかわいいのに」


 直樹は即答した。


「かわいくない。俺の平穏がまた見出しになる」


 那々美はスマホを胸元で握った。


「校内でも注意喚起された以上、私も慎重に行動します」


 直樹はほっとする。


「頼むぞ。本当に」


「はい。慎重に見守ります」


「だから見守りをやめろとは言わないんだな!」


 宙のワラ人形が低く言った。


「監視、継続」


「継続するな!」


 夕焼けの通学路に、直樹の叫びが響いた。


 アイは、その隣で少しだけ笑っていた。


 那々美は、まだ少し警戒している。


 宙は観測している。


 美咲は呆れている。


 そして直樹は、今日も平穏から遠い。


 そこへ、どこからともなく、妙に大げさなナレーションが流れた。


 ――悪魔と魔法少女がぶつかった、その翌日。


 校内には、新たな噂が駆け巡る。


 悪魔ちゃんは本当に悪いのか。


 魔法少女は本当に正義なのか。


 そして、真央直樹は本当に一般男子なのか。


「最後だけ疑問にするな!」


 直樹のツッコミで、夕焼け空が震えた。


 ナレーションは、さらに続く。


 正義の見守りを宣言した魔法少女。


 参加型仔悪魔を目指す悪魔ちゃん。


 そのあいだで、またしても救出対象にされかける少年。


 次回。


『第10話 魔法少女、悪魔ちゃんを監視する!』


 または。


『第10話 悪魔ちゃんと魔法少女、休戦できません!』


「タイトル候補を二つ出すな!」


 アイは目を輝かせる。


「アタシ、休戦ってしたことない!」


 那々美は真面目に言う。


「監視ではなく、正義の見守りです」


 宙が続ける。


「監視対象、三名」


 美咲がため息をつく。


「もう全員落ち着きなさい」


 直樹は鞄を握りしめ、空に向かって叫んだ。


「監視も休戦も、俺の平穏から遠いんだよぉぉぉ!」


 こうして、文化祭翌日の魔法少女騒動は、浄化こそ回避されたものの、新たな監視者を増やして幕を閉じた。


 真央直樹の平穏は、また一歩遠ざかった。


 ただし、アイは少しだけ嬉しそうだった。


 それがまた、直樹を少しだけ困らせるのだった。

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