第5話_謝罪配信は悪魔のはじまり
その日、仔悪魔は裁かれる。
罪状。
悪魔契約アプリを用いた契約者への命令。
命令ログの無断共有。
コメント欄の炎上。
そして、ドラ焼き百個を対価とした悪魔的請求。
暗い法廷に、木槌の音が響く。
被告席には、仔悪魔見習い・天満アイ。
黒いマントではなく、なぜか謝罪用の黒ジャケットを羽織り、いつもの元気な尻尾もしゅんと下がっている。
証言台には、真央直樹。
目の下には深い疲労。
手にはスマホ。
その画面には、流出した命令ログの切り抜き動画が映っていた。
『仔悪魔ちゃん、契約者を一日使ってみた』
『ダーリンのツッコミまとめ』
『命令よりお願いのほうが強かった件』
検察官が重々しく問う。
「問題の発言は?」
巨大スクリーンに、証拠映像が映し出される。
『ダーリン、ドラ焼き買ってきて!』
「軽い!」
直樹のツッコミが、法廷に響いた。
だが、裁判は続く。
「証拠映像は?」
スクリーンに映るのは、叫ぶ直樹のサムネイル。
口を大きく開け、魂まで吐き出しそうな顔をしている。
横には、満面の笑みのアイ。
テロップ。
『契約者、魂の叫び!』
「魂までコンテンツ化するな!」
「判決は?」
裁判長が木槌を振り下ろす。
「被告・天満アイに、ドラ焼き百個の分割払いを命じる」
「炎上法廷にするな! あと分割払いにしても百個は百個だ!」
直樹の叫びで、法廷の空気にヒビが入る。
だが、ナレーションはまだ終わらない。
悪魔契約アプリから流出した命令ログ。
燃え上がるコメント欄。
涙の謝罪会見。
魔界案件動画。
世界に向けて頭を下げる仔悪魔。
そして彼女は、震える声で言った。
「アタシは――」
「言うな」
「悪く――」
「言うなって言ってるだろ!」
「ありません!」
「最悪のタイミングで最悪の台詞を言うなぁぁぁ!」
直樹のツッコミが、炎上法廷サスペンスを粉々にした。
そして、現実。
真央家の朝。
直樹は自室の机に向かい、スマホ画面を見つめて青ざめていた。
夢ではない。
嘘ナレーションでもない。
画面には、昨夜投稿されたらしい動画の再生数が、じわじわ増えている。
『再生数:増加中』
『コメント:この悪魔ちゃん面白い』
『コメント:契約者のツッコミが良い』
『コメント:謝罪配信まだ?』
直樹は、ゆっくりとスマホを机に置いた。
そして、両手で顔を覆った。
「……終わった」
横から、アイがひょこっと顔を出す。
「ダーリン、朝からどうしたの?」
「どうしたの、じゃない」
直樹はスマホを指さした。
「お前と悪魔アプリが、俺の一日をネットに放流した」
アイは画面をのぞき込んだ。
数秒。
沈黙。
そして、ぱあっと目を輝かせる。
「ダーリン、アタシ、面白いって言われてる!」
「今は喜ぶ場面じゃない!」
「でも、コメントで“悪魔ちゃんかわいい”って」
「見るな! 読むな! 受け取るな!」
「“契約者のツッコミが良い”だって。ダーリンも褒められてるよ?」
「俺のツッコミは評価されるために出してるんじゃない! 生存本能だ!」
階下から、母・真実の声が聞こえた。
「直樹ー、朝ごはんできたわよー。あと、アイちゃん有名人になったの?」
「母さんも乗らないで!」
続いて、遊羅の声。
「お兄ちゃん、配信者デビューするの?」
「しない! 俺は普通の高校生でいたいだけだ!」
アイはスマホを抱え、きらきらした目で直樹を見る。
「でもダーリン、謝罪配信って何するの?」
「まず、その言葉に興味を持つな」
「泣いたほうがいい?」
「演出から入るな」
「ドラ焼き持って謝れば許される?」
「供物で炎上を消そうとするな!」
直樹はスマホを奪い返し、画面を必死にスクロールする。
コメントは増えている。
再生数も増えている。
そして、関連動画の欄には、すでに不穏な文字が並び始めていた。
『仔悪魔ちゃん切り抜き集』
『ダーリン観察日記・初回』
『謝罪配信待機所』
直樹の指が止まった。
「待機所を作るな……」
アイが首をかしげる。
「待ってくれてるなら、行ったほうがいいんじゃない?」
「行かない! 謝罪配信はイベント参加じゃない!」
直樹は立ち上がり、深く息を吸った。
今日やるべきことは決まった。
動画を消す。
コメントを止める。
謝罪配信を回避する。
そして何より、アイに余計なことを言わせない。
難易度は、世界征服より高いかもしれない。
「いいか、アイ。今日一日、お前は“アタシは悪くありません”だけは絶対に言うな」
「うん、分かった!」
「本当だな?」
「うん!」
「絶対だぞ?」
「うん! アタシは悪く――」
「言うなぁぁぁ!」
第5話。
謝罪配信は、まだ始まっていない。
しかし、炎上の火種はすでにスマホの中で、悪魔的に燃え始めていた。
* * *
真央直樹は、スマホを見ていた。
見なければよかった。
だが、見てしまった。
画面には、昨夜勝手に投稿された命令ログの切り抜き動画が表示されている。
『仔悪魔ちゃん、契約者を一日使ってみた』
『命令よりお願いのほうが強かった件』
『ダーリンのツッコミまとめ』
「まとめるな……」
直樹は、朝から声がかすれていた。
動画のサムネイルには、叫ぶ自分の顔。
隣には、なぜか満面の笑みのアイ。
画面の下では、再生数が少しずつ増えている。
『再生数:増加中』
「増えるな……頼むから増えるな……」
もちろん、頼んでも増える。
ネットは人の祈りにそこまで優しくない。
コメント欄には、次々と文字が流れていた。
『この悪魔ちゃん面白い』
『契約者のツッコミが良い』
『命令されてもキレが落ちないの草』
『ダーリン観察日記、次回希望』
『謝罪配信まだ?』
直樹はスマホを握りしめた。
「俺の一日をコンテンツ化するな!」
その叫びに、隣でアイがぴくっと反応した。
アイは、直樹のベッド横に座り込んで、スマホ画面をのぞき込んでいる。
昨夜は反省していた。
少なくとも、直樹にはそう見えた。
しかし、コメント欄を読んだ瞬間、アイの目が少しだけきらっと光った。
「ダーリン、アタシ、面白いって言われてる」
「今は喜ぶ場面じゃない!」
「でも、かわいいって」
「読むな!」
「契約者のツッコミが良いって。ダーリンも人気だよ?」
「人気じゃない! 俺は被害者として消費されてるんだ!」
「消費税かかる?」
「社会制度の話じゃない!」
アイはスマホを指さした。
「この“謝罪配信まだ?”って、何?」
「知らなくていい。覚えなくていい。興味を持つな」
「配信って、世界に向けて宣言するやつでしょ?」
「だいたい合ってるけど、今はその理解が一番危険だ!」
「じゃあ、謝罪配信って、世界に向けてごめんなさいするの?」
「そうだ。でも、お前がやると世界に向けて余計なことを言う予感しかしない!」
そのとき、階下から母・真実の声がした。
「直樹ー、朝ごはんできたわよー」
「今それどころじゃない!」
「あら、アイちゃん有名人?」
「母さんも乗らないで!」
真実の声は、いつもどおり穏やかだった。
悪魔が居候しても。
息子が魔王扱いされても。
命令ログが投稿されても。
真央家の母は、だいたい朝食を優先する。
強い。
強すぎる。
さらに、廊下から軽い足音が近づいてきた。
ドアが開く。
遊羅が顔を出した。
「お兄ちゃん、配信者デビュー?」
「デビューしない!」
「じゃあ、アイお姉ちゃんがデビュー?」
「させない!」
「でも、サムネかわいいよ」
「見るな! 妹にまで見られた!」
遊羅はスマホをのぞき込み、目を輝かせる。
「コメントで、お兄ちゃんのツッコミ褒められてるよ」
「家族に解説されると傷が深い!」
「お兄ちゃん、ツッコミ系配信者向いてるんじゃない?」
「向いてたまるか! 俺は普通の高校生だ!」
アイがぽんと手を打った。
「じゃあ、アタシが悪魔ちゃんで、ダーリンがツッコミ係?」
「係にするな!」
「コンビ名どうする?」
「組まない!」
「“仔悪魔ちゃんとダーリン”?」
「最悪だ!」
「“命令よりお願い”?」
「教訓をコンビ名にするな!」
直樹は深呼吸した。
落ち着け。
今やるべきことは、アイを止めること。
コメント欄を見せないこと。
再生数を忘れること。
それから、学校に行く前に動画を削除する方法を探すこと。
普通の高校生の朝とは、だいぶ違う。
「いいか、アイ。今日、学校でこの話を振られても、絶対に調子に乗るな」
「うん」
「“アタシ人気者?”とか言うな」
「うん」
「“世界征服の第一歩”とか言うな」
「うん」
「“アタシは悪くありません”は絶対に言うな」
「うん!」
アイは元気よくうなずいた。
直樹はその元気が一番信用できなかった。
「本当に分かってるか?」
「分かってるよ。今日はちゃんと謝る」
「誰に?」
「視聴者のみんなに!」
「違う!」
直樹は頭を抱えた。
「まず俺だ! 動画にされた俺! 命令された俺! サムネにされた俺!」
「あ」
アイは目を丸くした。
それから少しだけ視線を落とす。
「……そっか。ダーリンに迷惑かけたんだった」
「今気づいたのかよ」
「ちょっと、面白いって言われて浮かれてた」
「正直だな」
アイは、しゅんとした顔で直樹を見た。
「ごめんね、ダーリン」
直樹は一瞬だけ言葉に詰まった。
朝から散々だった。
だが、こういう顔をされると怒りにくい。
それがまた悔しい。
「……謝る相手は分かったみたいだな」
「うん」
「じゃあ、学校では余計なこと言うなよ」
「うん!」
直樹はスマホをポケットに入れた。
すると、通知音が鳴った。
ぴこん。
『コメントが追加されました』
『悪魔ちゃん、朝配信まだ?』
直樹は、ゆっくり天井を見上げた。
「朝配信するなぁぁぁ!」
真央家の朝に、今日も直樹の叫びが響く。
そして階下から、真実ののんびりした声が返ってきた。
「直樹ー、叫ぶならごはん食べてからにしなさーい」
「叫びたくて叫んでるんじゃない!」
こうして、真央直樹の一日は始まった。
昨日より悪い一日が始まることは、もうほとんど確定していた。
* * *
通学路。
朝の住宅街は、いつもどおりだった。
制服姿の生徒たちが駅のほうへ歩き、ゴミ出しを終えた近所の人が井戸端会議をし、コンビニの前では新作スイーツのポスターが朝日に照らされている。
ただひとつ、いつもどおりではないものがある。
真央直樹のスマホである。
ぴこん。
『コメントが追加されました』
ぴこん。
『再生数が増加中です』
ぴこん。
『謝罪配信待機所に新規参加者が――』
「通知を止めろぉぉぉ!」
直樹は歩きながらスマホを握りしめた。
隣では、アイが妙にそわそわしている。
反省している。
たぶんしている。
でも、コメント欄で「悪魔ちゃん面白い」と言われた余韻が、まだ尻尾の先に残っている。
「ねえ、ダーリン」
「嫌な予感がするから、先に否定しておく」
「炎上って、火属性の評価が上がるってこと?」
「違う!」
直樹は即答した。
「社会的に焼かれるって意味だ!」
「社会的に焼かれる……」
アイは真剣な顔で考え込む。
「人間界の火あぶり?」
「違うけど、精神的にはちょっと近い!」
「悪魔としては強そう」
「強そうじゃない! 危険なんだよ!」
アイは首をかしげた。
「でも、悪魔って火とか煙とか似合うでしょ?」
「それは演出上の話だ!」
「炎上したら、アタシの悪魔ランク上がる?」
「下がる! 少なくとも人間界での信用は下がる!」
「信用って、悪魔に必要?」
「現代悪魔には必要なんだろ! お前らコンプラ研修あるんだから!」
アイは「あ」と手を打った。
「そういえば、魔界の先生が言ってた。炎上は、火属性実習ではなく広報事故ですって」
「知ってるなら勘違いするな!」
「だって、言葉がかっこいいんだもん。炎上」
「かっこよくない! 怖い!」
直樹が叫んだところで、前方から見慣れた声が飛んできた。
「朝から何騒いでるの」
佐藤美咲だった。
バスケ部の朝練はない日らしく、今日は普通に通学鞄を肩にかけている。
美咲は直樹の顔を見て、次にアイを見て、最後に直樹のスマホを見た。
そして一秒で理解した。
「またアプリ?」
「今回はアプリとネットだ!」
「悪化してるじゃない!」
「俺もそう思う!」
アイは少しだけ胸を張った。
「美咲、アタシ、面白いって言われた」
「喜んでる場合じゃないでしょ」
美咲の声が、いつもより少し低くなった。
アイはむっとする。
「でも、悪く言われてるわけじゃないよ?」
「そういう問題じゃないの」
「じゃあ、どういう問題?」
美咲は直樹を指さした。
「直樹が困ってる」
アイは、言い返そうとして止まった。
直樹は目の下に疲れを貼りつけたまま、スマホの通知を必死に消している。
寝不足。
焦り。
朝から三回は叫んだ喉。
どう見ても、面白がれる状態ではない。
アイの尻尾が、少しだけ下がった。
「……ダーリン、そんなに困ってる?」
「困ってるに決まってるだろ」
直樹はため息をついた。
「俺の顔がサムネになって、ツッコミが切り抜かれて、謝罪配信を待たれてるんだぞ。普通の高校生の朝じゃない」
「直樹の普通、だいぶ前から壊れてるけどね」
「美咲、今それ言う?」
「ごめん。事実が口から出た」
「幼なじみの遠慮がゼロ!」
美咲はアイに向き直る。
「アイ。あんたが悪気なくても、直樹が嫌がってるなら止めなきゃだめ」
「うん……」
「あと、炎上を火属性評価みたいに喜ばない」
「うん」
「謝罪配信を世界征服の第一歩にしない」
「まだ言ってない」
「言いそうな顔してた」
「……ちょっとだけ」
「ほら!」
直樹は頭を抱えた。
「学校に着く前から指導が必要な悪魔って何なんだ」
アイは少ししゅんとした顔で、直樹の横に並び直した。
「じゃあ、今日はどうすればいい?」
「まず、動画の話を振られても調子に乗らない」
「うん」
「コメントを読んで喜ばない」
「うん」
「“アタシは悪くありません”って言わない」
「それ、さっきも言われた」
「何度でも言う。危険ワードだからな」
美咲も横からうなずく。
「あと、“誤解させたならごめんなさい”もだめ」
「それっぽいのに?」
「それっぽいから危ないの」
「人間界の謝罪、難しい……」
アイは真剣に悩んでいる。
悪魔契約より難しいのかもしれない。
いや、実際難しい。
「じゃあ、こう言えばいい?」
アイは胸に手を当て、妙に堂々と言った。
「このたびは、アタシの魅力が人間界に広がりすぎて――」
「最初から違う!」
直樹と美咲の声がそろった。
アイはびくっとする。
「だ、だめ?」
「だめ!」
「謝罪の一行目で自分を褒めるな!」
そのとき、直樹のスマホがまた鳴った。
ぴこん。
『新規コメント:登校配信まだ?』
直樹はスマホを見て、顔を青くした。
「誰が見てるんだよ……」
美咲が顔をしかめる。
「本当に早く消したほうがいいわね」
「分かってる。でも消し方が魔界アプリ経由で分かりにくいんだよ」
「ベル先生に見てもらう?」
「一番見せたくない人だけど、一番見られる人なんだよな……」
アイが小さく手を挙げる。
「アタシも手伝う」
直樹はアイを見た。
さっきまで浮かれていた顔ではない。
少しだけ申し訳なさそうな顔だった。
「……余計なボタンを押さないならな」
「押さない!」
「本当だな?」
「押さないってば!」
「“共有したことにする”とか押すなよ」
「それは押さない!」
「“謝罪配信を開始する”も押すなよ」
「それも押さない!」
「“ドラ焼き案件を受ける”も押すなよ」
「それはちょっと考える」
「考えるな!」
美咲が深くため息をついた。
「……先が思いやられるわね」
「もう始まる前から終わってる」
直樹はそう言って、学校へ向かって歩き出した。
アイはその隣を歩く。
美咲も、少し後ろからついてくる。
スマホはまだ、ときどき鳴っていた。
ぴこん。
ぴこん。
ぴこん。
炎上という言葉を、アイはまだ完全には分かっていない。
けれど、直樹が困っていることだけは、少しだけ分かった。
それが分かっただけ、たぶん昨日よりはましである。
たぶん。
直樹は、その「たぶん」が一番怖かった。
* * *
鏡星学園高等部、一年二組。
直樹は教室の前で、一度深呼吸した。
大丈夫だ。
学校は学びの場である。
少なくとも、動画の再生数を確認する場ではない。
コメント欄で盛り上がる場でもない。
自分のツッコミを切り抜きとして評価される場でもない。
「……よし」
直樹は教室のドアを開けた。
その瞬間。
「悪魔ちゃん来た!」
「真央も来た!」
「本物だ!」
「昨日のツッコミの人だ!」
「俺は動画素材じゃない!」
終わっていた。
教室は、すでに完全に終わっていた。
数人のクラスメイトが机を寄せ合い、学校配布タブレットをのぞき込んでいる。
別の数人はスマホを隠す気もなく見ている。
そして電子黒板には、誰が書いたのか、コメント欄風の文字がずらりと並んでいた。
『謝罪配信まだ?』
『ダーリン観察日記、第2回希望』
『真央ツッコミ切り抜き集』
『命令よりお願い、神回』
『ドラ焼き候補まとめ欲しい』
直樹は無言で教卓へ向かった。
黒板消しを手に取る。
そして全力で消した。
「俺をシリーズ化するな!」
チョークの粉が舞う。
しかし、クラスメイトたちのテンションは下がらない。
「真央、昨日のツッコミよかったぞ」
「よくない!」
「“俺の音量をアプリ管理するな!”が好き」
「俺の声が消えた瞬間だぞ!」
「“丸ければ何でもドラ焼きにするな!”も名言」
「名言じゃない! あれは悲鳴だ!」
「“本人じゃなくて椅子に実行するなぁぁぁ!”も捨てがたい」
「人生で二度と言いたくない台詞だ!」
教室がどっと笑う。
直樹は笑えない。
アイは隣で、ちょっとだけ誇らしげだった。
「ダーリン、人気だね」
「人気じゃない。被害が拡散してるだけだ!」
「でも、みんな笑ってるよ?」
「俺の尊厳も一緒に笑われてるんだよ!」
美咲がアイの頭を軽く小突いた。
「そこで喜ばない」
「うっ」
「朝言ったでしょ。直樹が困ってるって」
「……うん」
アイは一瞬しゅんとした。
だが、すぐに別のクラスメイトが手を挙げる。
「悪魔ちゃん、昨日の命令って本当に効いたの?」
アイの目が、ほんの少し輝きかける。
直樹と美咲が同時に振り向いた。
「乗るな」
「乗らない!」
アイは両手で口を押さえた。
えらい。
昨日よりは、たぶん、えらい。
しかし、クラスメイトは容赦ない。
「じゃあ真央、今ここでツッコミ再現して」
「しない!」
「“共有するな! タグをつけるな!”ってやつ」
「再現要求するな!」
「おお、今のも使える」
「使うな!」
電子黒板の端に、誰かがまた書いた。
『新規名言:使うな!』
直樹は黒板消しを投げかけて、ぎりぎりで止めた。
「学校の備品を投げるところだった……危ない……」
美咲が腕を組んでクラスを見渡す。
「みんな、面白がりすぎ。本人が嫌がってるでしょ」
「佐藤さん、幼なじみガード入った」
「ガードじゃない!」
「美咲のツッコミも切り抜けるな」
「切り抜くな!」
直樹は美咲を見た。
「お前まで巻き込まれ始めてるぞ」
「分かってるわよ!」
アイが少しだけ笑う。
「美咲も人気者?」
「うれしくない!」
そのとき、後ろの席から小さな声がした。
「コメント欄、教室へ転写」
見上宙だった。
いつの間にか席についている。
膝の上にはワラ人形。
そのワラ人形が低い声で言った。
「現実とネットの境界が薄い」
「朝から怖いこと言うな!」
宙はタブレットを直樹へ向ける。
「分類中」
「何を?」
「真央ツッコミ評価」
「分類するな!」
画面には、見たくない項目が並んでいた。
『怒鳴り系』
『絶望系』
『規約ツッコミ系』
『ドラ焼き拒否系』
『尊厳防衛系』
「俺の叫びをジャンル分けするな!」
ワラ人形が言う。
「尊厳防衛系、人気」
「人気で守れる尊厳はない!」
教室はまた笑った。
笑い声の中で、アイは直樹の横顔をちらっと見る。
直樹は本気で疲れている。
叫びすぎて、少し声がかすれている。
アイは、さっきより小さな声で言った。
「ダーリン、ごめんね」
直樹は一瞬だけ黙った。
だが、すぐにクラスメイトが騒ぐ。
「おっ、謝罪配信の練習?」
「今の切り抜きたい」
「謝罪一号?」
「切り抜くな! 今のは普通の謝罪だ!」
直樹は叫び、アイは慌てて両手を振る。
「違うよ! 今のはダーリンに言ったの!」
美咲がすかさず言う。
「そう。そこ大事」
クラスメイトたちは少しだけ静かになった。
ほんの少しだけ。
しかし、平穏は長続きしない。
電子黒板が勝手にぴこんと鳴った。
『関連コメントを取得しました』
『謝罪配信まだ?』
『悪魔ちゃん本人降臨?』
『ダーリン、今日もキレてる』
直樹は黒板を見上げた。
目が死んでいる。
「……教室の電子黒板までコメント欄になるな」
アイが恐る恐る言う。
「ダーリン、どうする?」
「まず消す」
「その次は?」
「ベル先生に止めてもらう」
「先生に?」
「一番信用できないけど、一番こういうのに詳しい」
宙が静かにうなずく。
「危険人物に危険物を渡す判断」
「言うな! 俺だって分かってる!」
チャイムが鳴った。
直樹は、消し残った電子黒板の文字をにらむ。
『ダーリン観察日記、第2回希望』
直樹は黒板消しを握りしめた。
「絶対に、第2回はない」
アイが小さく手を挙げる。
「番外編は?」
「ない!」
今日の教室は、授業が始まる前からコメント欄だった。
そして直樹は、コメント欄の中心に立たされていた。
本人の同意なしに。
* * *
電子黒板のコメント欄化は、ベル先生が来る前にいったん止まった。
いったん、である。
完全に止まったわけではない。
黒板の右下には、まだ小さく通知が残っている。
『新規コメントがあります』
直樹はそれを見ないふりをした。
見たら負けだ。
読んだら負けだ。
反応したら切り抜かれる。
もはや彼の高校生活は、基本無料だが尊厳課金のソーシャルゲームみたいになっていた。
「解析、完了」
後ろの席から、見上宙の声がした。
直樹は、振り向く前から嫌な予感がした。
「何を解析した」
「コメント欄」
「やめろ」
「分類した」
「やめろって言った直後に成果を出すな!」
宙は学校配布タブレットを机の上に置いた。
画面には、謎に整った表が表示されている。
『好意的コメント』
『ネタ化コメント』
『炎上予備軍』
『魔界反応あり』
『ドラ焼き関連』
『直樹のツッコミ評価』
直樹は画面を見た瞬間、机に額をぶつけそうになった。
「俺のツッコミ評価という項目を作るな!」
宙は無表情で言う。
「多かったから」
「数の問題じゃない!」
ワラ人形が、低い声で読み上げた。
「悪魔ちゃんかわいい」
「読むな!」
「契約者かわいそう」
「分かってるなら助けてくれ!」
「謝罪より次回が見たい」
「俺の人生を連載形式で楽しむな!」
「ダーリン呼び、案件?」
「案件にするな!」
クラスメイトたちが、また笑い出す。
直樹は両手で耳をふさぎたくなった。
「読み上げるな! 俺の心が削れる!」
宙は首を少し傾けた。
「削れている様子も、反応として有用」
「俺を心理実験に使うな!」
アイはタブレットをのぞき込み、少しだけ目を輝かせる。
「好意的コメントって、いいやつだよね?」
「いいとは限らない」
宙は淡々と言った。
「かわいい、面白い、次も見たい。好意的。ただし、本人の困惑を消費している」
アイの表情が少し止まる。
「消費……」
美咲が横から言う。
「そう。笑ってる人が悪意あるとは限らないけど、直樹が嫌がってるなら問題でしょ」
「うん……」
アイは小さくうなずいた。
だが、ワラ人形はさらに読み上げる。
「命令されてもキレが落ちないの草」
「だから読むな!」
「丸ければ何でもドラ焼きにするな、好き」
「あれは好きになられるための台詞じゃない!」
「本人じゃなくて椅子に実行するな、今年の名言」
「今年を代表するな!」
直樹の叫びに、クラスがまた笑う。
宙はその反応もメモしている。
「ツッコミ再現性、高い」
「再現じゃない! 現在進行形の被害だ!」
美咲がタブレットをのぞき込んだ。
「炎上予備軍って何?」
宙は画面を切り替える。
「まだ燃えてはいない。でも、燃やせる文脈を探しているコメント」
「言い方が怖いわね」
「たとえば」
ワラ人形が読み上げる。
「悪魔ちゃん、謝罪する気あるの?」
「命令された契約者かわいそう」
「学校は何してるの?」
「先生出てこい」
直樹は青ざめた。
「最後、ベル先生が本当に出てくるやつだ……」
「出てきたら余計燃えそうね」
美咲が真顔で言った。
「やめろ。想像できるからやめろ」
アイは落ち着かない様子で羽を小さく揺らした。
「アタシ、そんなつもりじゃ……」
「だから、つもりじゃなくても外に出たら勝手に読まれるんだよ」
直樹は疲れた声で言った。
「ネット怖い……」
「悪魔より?」
「少なくとも今朝は悪魔より怖い」
「アタシ、悪魔なのに負けた……」
「そこで悔しがるな!」
宙は次の項目を指さした。
「ドラ焼き関連」
「それはもう見なくていい」
「多い」
「見なくていいって!」
ワラ人形が構わず読む。
「ドラ焼き案件待ってます」
「契約対価が百個なのリアル」
「供物ポイントどこで貯まる?」
「悪魔ちゃんコラボ和菓子希望」
アイの目がまた輝きかけた。
「コラボ和菓子……!」
美咲がすかさず肩をつかむ。
「戻ってきなさい」
「でも、ドラ焼きがいっぱい広まるかも」
「謝罪前に商品展開を考えるな!」
直樹は頭を抱えた。
「ドラ焼き百個が、まさかマーケティング用語に見える日が来るとは……」
宙は最後の項目を開いた。
『魔界反応あり』
その表示だけ、文字の色が少し違っていた。
赤黒い。
見慣れた悪魔契約アプリの色に近い。
直樹は眉をひそめる。
「……なんだよ、それ」
宙は少しだけ間を置いた。
「一部の拡散元に、魔界署名のような痕跡」
アイが顔を上げる。
「魔界署名?」
「確定ではない」
宙は淡々と続ける。
「でも、人間界の通常アカウントではない反応が混ざっている」
「つまり?」
直樹が聞くと、ワラ人形が低く答えた。
「見られている」
「誰に!?」
「まだ不明」
「不明が一番怖い!」
アイは不安そうにスマホを見る。
「魔界実習管理局かな……」
「そういう組織名をさらっと出すな。怖いから」
宙はタブレットを閉じた。
「炎上ではなく、玩具化に近い」
直樹は固まった。
「……玩具化?」
「見ている側は、怒るより遊んでいる」
「それも嫌だ!」
「悪意は低い。消費性は高い」
「専門的に言われても嫌だ!」
美咲が腕を組む。
「でも、それならなおさら早く止めたほうがいいわね。面白がられて広がるほうが止まりにくいし」
「正論が重い……」
アイは小さく手を挙げた。
「じゃあ、どうすればいいの?」
宙は無表情で言った。
「謝罪配信」
「やらない!」
直樹が即答する。
ワラ人形が続ける。
「または、訂正文」
「そっちはまだ分かる!」
「または、供物配布」
「分からない!」
アイがぱっと顔を上げた。
「ドラ焼き配れば――」
「燃料を配るな!」
そのとき、廊下から軽い足音が近づいてきた。
白衣のすれる音。
嫌な予感しかしない足音。
教室のドアが開く。
鈴鳴ベル先生が、なぜか小型プロジェクターとリングライトを抱えて立っていた。
「おはよう。炎上対応には、まずコンプライアンス研修が必要ね」
直樹は、深く息を吸った。
「先生」
「何かしら」
「リングライトを置いてから、その台詞を言ってください」
ベル先生はにっこり笑った。
「大丈夫。これは研修用よ」
「その“大丈夫”が一番大丈夫じゃない!」
宙は静かにメモを取る。
「次段階、開始」
「開始するなぁぁぁ!」
教室コメント欄化事件は、解析によって終わるどころか、正式な授業の形を取り始めていた。
* * *
鈴鳴ベル先生は、教室に入ってきた。
白衣。
小型プロジェクター。
リングライト。
ピンマイク。
折りたたみ式の黒い背景布。
そして、なぜか「謝罪」と書かれた札。
直樹は一目見ただけで、心の警報が全部鳴った。
「先生。授業の準備じゃないですよね、それ」
「授業の準備よ」
「何の授業ですか」
「炎上対応には、まずコンプライアンス研修が必要ね」
「まともな単語と危険な機材を同時に持ち込まないでください!」
ベル先生は、にこやかに教卓へプロジェクターを置いた。
電子黒板がぱっと切り替わる。
『悪魔でも分かる謝罪配信入門』
教室がざわついた。
「授業っぽい」
「でもタイトルがやばい」
「悪魔でも分かるって、本人いるし」
「本人って言うな!」
アイは黒板を見て、少しだけ姿勢を正した。
「アタシ向け?」
「どう見てもお前向けだろ」
ベル先生は指示棒を伸ばす。
「まず、炎上対応で大事なのは、最初に言い訳しないこと」
「おお……」
クラスメイトが少し感心した。
直樹も、そこだけはうなずく。
「そこはまともですね」
「次に、“誤解させたならごめんなさい”は危険」
美咲が腕を組んでうなずいた。
「それは分かる」
アイが首をかしげる。
「なんで? 謝ってるっぽいよ?」
「“悪いのは受け取った側です”って聞こえることがあるから」
美咲が説明する。
アイは目を丸くした。
「人間界の謝罪、罠が多い……」
「悪魔契約より細かいぞ、たぶん」
直樹が言うと、アイは真剣にうなずいた。
「次。被害者を置き去りにしない」
ベル先生がスライドを進める。
『誰に迷惑をかけたのかを確認しましょう』
その下に、なぜか大きく直樹の顔写真が出た。
「俺を教材にするな!」
「分かりやすい被害者例として」
「例じゃなくて本人です!」
アイが小さく直樹を見た。
「ダーリン……」
「そこでしんみりするな。写真の選び方に怒ってるだけだ」
ベル先生はさらにスライドを進める。
『謝罪中に宣伝しない』
『ドラ焼きキャンペーンを挟まない』
『悪魔スマイルは控えめに』
直樹は指示棒を奪いそうになった。
「最後の二つ、アイ専用ですよね?」
「実践的でしょ?」
「実践的すぎるんですよ!」
アイは不満そうに頬をふくらませる。
「ドラ焼きキャンペーンだめなの?」
「だめに決まってるでしょ」
美咲が即答した。
「でも、謝罪の最後に“お詫びにドラ焼き一個無料”って言ったら、みんな嬉しくない?」
「謝罪を販促にするな!」
「じゃあ半額?」
「値引きの問題じゃない!」
クラスメイトの一人が手を挙げた。
「先生、悪魔スマイルって何ですか?」
ベル先生は満面の笑みで答える。
「反省しているはずなのに、なぜか世界征服に成功したみたいな顔のことよ」
全員がアイを見た。
アイはぱっと笑う。
「こう?」
「それ!」
直樹と美咲が同時に叫んだ。
ベル先生は満足そうにうなずく。
「謝罪の型だけ真似ると、かえって燃えるわ。大事なのは、何をしたか、誰に迷惑をかけたか、これからどうするかを、自分の言葉で説明すること」
直樹は思わず黙った。
ちゃんとしている。
内容だけ聞けば、かなりちゃんとしている。
問題は、その横でリングライトが眩しく光っていることだった。
「先生」
「何かしら」
「まともなこと言ってるのに配信機材を出さないでください!」
「練習には環境づくりも必要よ」
「その環境が一番危険なんです!」
ベル先生は黒い背景布を広げ始めた。
教室の前方が、一気に謝罪会見っぽくなる。
ピンマイクが教卓に並び、リングライトがアイの顔をきれいに照らす。
アイは思わず背筋を伸ばした。
「なんか、世界に向けて話す感じがする」
「感じるな!」
宙が後ろでメモを取っている。
「謝罪環境、整備」
「整備するな!」
ワラ人形が低い声で言う。
「まず一礼」
「人形に謝罪指導される日が来るとは思わなかった!」
ベル先生はアイの前に札を置いた。
『謝罪練習中』
直樹はその札をひっくり返した。
裏には、
『本番ではありません』
と書かれていた。
「なんで裏まで準備してるんですか!」
「誤配信対策」
「誤配信する前提じゃないですか!」
美咲がベル先生をじっと見た。
「先生。本当に配信しませんよね?」
「もちろん。今は研修よ」
「今は?」
「言葉の綾よ」
「その綾が怖いんですけど」
アイはそわそわしながら手を挙げる。
「先生。謝るとき、角は隠したほうがいい?」
「今回は隠さないほうがいいわ。あなたが悪魔であることも含めて、何をしたか説明する必要があるから」
「じゃあ、尻尾は?」
「動きすぎると反省していないように見えるから、控えめに」
アイは自分の尻尾を両手で押さえた。
「む、難しい……」
「そこは努力しろ」
直樹が言うと、アイは小さくうなずいた。
「うん。ダーリンに迷惑かけたから」
その言い方だけは、少しだけ真面目だった。
直樹は返事に詰まりかける。
だが、すぐにベル先生の声が飛んだ。
「では、次は謝罪文作成ね」
「やっぱりやるんですか!?」
「もちろん。研修は座学だけでは身につかないわ」
クラスメイトたちが一斉に盛り上がる。
「謝罪文作成会議!」
「悪魔ちゃん初稿に期待」
「真央、添削係な」
「俺を火消し係に固定するな!」
宙が静かにうなずく。
「全稿、記録」
「保存するな! 流出する!」
アイはリングライトの前で、ぎゅっと拳を握った。
「アタシ、ちゃんと謝罪文を書く!」
「その意気はいい」
直樹は警戒しながら言った。
「ただし、最初の一文に“アタシは悪くありません”を入れるなよ」
アイは目をそらした。
「……入れようとしてた?」
「ちょっとだけ」
「ちょっとでもだめだ!」
ベル先生が楽しそうに手を叩いた。
「では始めましょう。悪魔でも分かる、謝罪文作成実習」
直樹は天井を仰いだ。
炎上対応の授業は、どう見ても次の炎上を育てていた。
* * *
ベル先生の号令で、教室はなぜか謝罪文作成会議になった。
ここは高校である。
国語の授業でも、現代社会の授業でも、道徳の授業でもない。
だが電子黒板には、堂々とこう表示されている。
『実習:炎上を広げない謝罪文を書こう』
「学校で教える内容としては、時代に合ってる気もするけど……」
直樹は頭を抱えた。
「俺を教材にするな」
ベル先生は楽しそうに教卓へ肘をつく。
「大丈夫よ。今回は実践的な内容だから」
「先生が“大丈夫”って言った時点で、俺の中では警報です」
「まずはアイちゃんに謝罪文を書いてもらいましょう」
アイはぴんと背筋を伸ばした。
目の前にはプリント。
右手にはペン。
左手には、なぜかドラ焼きの包み紙。
「なんでドラ焼き持ってる」
「集中力を高めるため」
「謝罪文に糖分補給を持ち込むな」
アイは真剣な顔でペンを走らせた。
教室が静まり返る。
クラスメイトたちも興味津々で見守っている。
そして、アイは胸を張って初稿を読み上げた。
「このたびは、アタシがかわいすぎて注目を集めてしまい――」
「最初から違う」
美咲が即座に切った。
「謝罪する気がない文章だ!」
直樹も即座に続いた。
アイはきょとんとする。
「え、だめ?」
「だめに決まってるでしょ!」
「でも、コメントでかわいいって――」
「コメントを根拠に謝罪文を書くな!」
ベル先生は赤ペンを持って、楽しそうに添削する。
「“かわいすぎて”は自己評価が強いわね。炎上時には危険」
「そこを冷静に分析しないでください」
「では、第二稿」
アイはうなずき、また書き始めた。
今度は少し考えている。
反省しているようにも見える。
そして読み上げる。
「悪魔としては正しい行動でしたが、人間界ではまだ早かったようで――」
「言い訳!」
直樹の声が教室に響いた。
「悪魔基準を持ち込むな! あと“まだ早かった”って、いつかやる気だろ!」
「いつか人間界が追いついたら……」
「追いつかなくていい!」
美咲は腕を組んでため息をつく。
「謝るときに“自分の世界では正しい”って言ったら、相手は余計怒るわよ」
「人間界、繊細……」
「悪魔界が雑すぎるのよ」
ベル先生は第二稿にも赤を入れる。
「“悪魔としては正しい”は削除。“人間界ではまだ早かった”も削除。あと、世界征服予定を匂わせる表現は全部削除ね」
「ほとんど消えた!」
「それだけ危険文だったってことだ」
直樹が言うと、アイはむむっと頬をふくらませた。
「じゃあ、次はちゃんと謝る」
「最初からそうしてくれ」
アイは三度目のプリントに向き合った。
今度こそ。
直樹は少しだけ期待した。
美咲も、厳しい顔をしながら見守っている。
クラスメイトたちも、さすがに静かになった。
アイは深呼吸した。
そして、堂々と読み上げた。
「アタシは悪くありませんが、ダーリンが叫んでいるので謝ります」
「最悪!」
美咲が机を叩いた。
「謝罪で俺を盾にするな!」
直樹も立ち上がった。
「“悪くありません”を入れるなって朝から何回言った!?」
「でも、正直に――」
「正直と開き直りは違う!」
「ダーリンが叫んでるのは事実だよ?」
「俺が叫ぶ原因がお前なんだよ!」
クラスメイトの一人が小声で言う。
「でも、真央が叫んでるので謝ります、ちょっと好き」
「好きになるな!」
別の生徒が頷く。
「サムネ映えする」
「映えさせるな!」
電子黒板の端に、また誰かが書き込んだ。
『名文:ダーリンが叫んでいるので謝ります』
直樹は黒板消しをつかんだ。
「残すな!」
美咲がアイのプリントを取り上げる。
「アイ、謝罪文って、自分が悪くない理由を書くものじゃないの」
「じゃあ、何を書くの?」
「何をしたか。誰に迷惑をかけたか。これからどうするか」
アイは、少し黙った。
「何をしたか……命令ログを出しちゃった」
「そう」
「誰に迷惑をかけたか……ダーリン」
「まずはね」
「これからどうするか……ダーリンを素材にしない」
「その言い方はちょっと嫌だが、方向性は合ってる」
直樹は疲れた声で言った。
アイは四枚目のプリントに向き合う。
その横で、宙が淡々とタブレットを操作していた。
直樹は嫌な予感がして振り向く。
「宙。何してる」
「保存」
「保存するな! 流出する!」
「初稿から第三稿まで、事故例として価値がある」
「価値を見出すな!」
ワラ人形が低い声で言う。
「後世に残すべき」
「残すな! 黒歴史を文化財にするな!」
ベル先生は赤ペンをくるりと回した。
「でも、失敗例は大切よ。謝罪文は、何を書かないかを学ぶものでもあるから」
「先生、まともなことを言いながら、失敗例を全部保存しようとしないでください」
「匿名化すれば教材になるわ」
「俺が一番匿名化できない被害者なんですよ!」
クラスメイトたちは楽しそうに見ている。
教室は完全に会議室になっていた。
いや、炎上対策室である。
しかも参加者の半分くらいが、炎上を面白がっている。
直樹の胃に悪い。
アイは四枚目を書き終えた。
今度は少しだけ声が小さい。
「……このたびは、アタシの契約アプリのせいで、ダーリンの命令ログが勝手に共有されてしまいました。ダーリンを困らせて、ごめんなさい。これからは、命令じゃなくてお願いをちゃんと覚えます。動画を面白がらないようにします」
教室が、少し静かになった。
美咲がプリントをのぞき込む。
「……まあ、今までで一番まし」
直樹も、少しだけ視線をそらす。
「最初からそれを書け」
「うん」
アイは小さくうなずいた。
少しだけ、反省している顔だった。
ベル先生は赤ペンで一か所だけ丸をつける。
「いいわね。ただし、“動画を面白がらないようにします”は、やや危ういわ」
「なんで?」
「“面白いと思っていた”ことが伝わるから」
「思ってた……」
「そこを外に向けて言うかどうかは、別問題ね」
アイはしゅんとする。
直樹はため息をついた。
「……俺にはもう言ったからいい。外には書くな」
「うん」
美咲がうなずく。
「じゃあ、外向けには短く。本人にはちゃんと謝る。それでいいんじゃない?」
アイは直樹を見る。
「ダーリン、もう一回謝ったほうがいい?」
「今はいい。授業が進まない」
「じゃあ、あとで謝る」
「それは……まあ、聞く」
クラスメイトがにやにやした。
「おっ」
「謝罪予約」
「ダーリン対応、柔らかくなった?」
「そこを拾うな!」
宙がタブレットに何か入力する。
「第四稿、暫定採用」
「だから保存するな!」
ワラ人形が言う。
「流出防止設定、必要」
「お前が一番分かってるじゃないか!」
ベル先生はプリントをまとめ、にっこり笑った。
「では次は、実際に誰に謝るべきかを整理しましょう」
直樹は、嫌な予感と少しだけまともな予感を同時に覚えた。
この授業、危険だ。
けれど、たまに本当に必要なことを言う。
そこが一番厄介だった。
* * *
謝罪文作成会議は、いったん休憩になった。
理由は単純である。
アイが謝罪文を書くたびに、直樹の胃が削れ、ベル先生の赤ペンが踊り、宙の保存ファイルが増えていくからだ。
このまま続けると、謝罪文より先に直樹の精神が完成稿になってしまう。
「アイ、ちょっと来なさい」
美咲がアイの手首をつかんだ。
「え?」
「いいから」
美咲はアイを教室の隅へ連れていく。
黒板前では、直樹がまだクラスメイトたちに囲まれていた。
「真央、あの“共有するな! タグをつけるな!”ってやつ、もう一回」
「しない!」
「じゃあ“俺をシリーズ化するな!”」
「再演依頼するな!」
「今のもいい」
「よくない!」
教室の一角だけ、まだコメント欄の熱を残している。
アイはそこを見て、少しだけ肩を落とした。
「ダーリン、ずっと叫んでる」
「叫ばせてるの、だいたいあんたでしょ」
「うっ」
美咲は腕を組んだ。
怒っている。
けれど、ただ怒鳴る感じではなかった。
体育会系の勢いはあるが、今はちゃんと言葉を選んでいる。
「アイ。謝罪って、みんなにいい顔することじゃないでしょ」
アイは首をかしげる。
「じゃあ、何?」
「迷惑かけた相手に、ごめんって言うこと」
「視聴者じゃなくて?」
「まず直樹」
美咲はきっぱり言った。
「コメント欄の人たちにどう見えるかより、先に直樹がどう思ってるかでしょ」
アイは、もう一度直樹を見る。
直樹は黒板消しを手にして、クラスメイトと戦っていた。
「切り抜き集のタイトル、どれがいい?」
「作るな!」
「“契約者、叫ぶ”」
「動物番組みたいにするな!」
「“ダーリン怒りの十二連発”」
「数えるな!」
直樹の声は、だいぶかすれている。
それでも、完全には逃げない。
怒りながら、否定しながら、アイの騒動に巻き込まれ続けている。
アイの表情が、少しだけ曇った。
「アタシ、ダーリンを困らせてばっかりだね」
「まあ、困らせてる」
「そこは否定してくれないんだ」
「否定したら嘘になるでしょ」
美咲は少しだけ視線をそらした。
「でも、直樹は本気で嫌だったら、あそこまで付き合わない」
「そうなの?」
「そうよ。あいつ、面倒くさいことは嫌いだけど、困ってる相手を完全に放っておけるほど器用じゃないから」
「ダーリン、優しい?」
「……本人に言ったら、絶対否定するけどね」
アイはじっと直樹を見つめた。
直樹は今、クラスメイトから渡された謎の紙を破っている。
『ツッコミ再現リクエスト一覧』
「リクエスト制にするな!」
アイは小さく笑いかけて、でもすぐに表情を戻した。
「美咲」
「何?」
「アタシ、ちゃんと謝ったら、またお願いしてもいい?」
美咲は眉を上げた。
「内容によるって言われるわよ」
「やっぱり?」
「絶対言う」
アイは少しだけ笑った。
「ダーリンらしいね」
「そこを分かり始めてるなら、少しは進歩してるんじゃない?」
「進歩……仔悪魔成長中?」
「調子に乗らない」
「はい」
美咲はため息をつく。
「お願いすること自体が悪いわけじゃないの。直樹だって、必要なことなら文句言いながら手伝うと思う」
「文句言いながら」
「そこはセット」
「ダーリンっぽい」
「でも、お願いっていうのは、断られるかもしれないって分かって言うものよ」
アイは目を丸くした。
「断られるかもしれない?」
「そう。命令じゃないから」
「……そっか」
アイは自分の手を見た。
昨日、命令アプリが動いていたときは、言えば直樹が動いた。
止まって、走って、座って、黒板を消して。
でもそれは、直樹が自分で選んだことではなかった。
お願いは違う。
言っても、断られるかもしれない。
それでも、聞いてもらえることもある。
「お願いって、難しいね」
「悪魔には特にね」
「人間にも難しくない?」
「……まあ、そうかも」
美咲は少しだけ苦笑した。
そのとき、直樹の声が飛んできた。
「おい、アイ! 美咲! そっちで何を相談してる!」
アイはぱっと顔を上げる。
「ダーリン!」
「嫌な相談なら今すぐやめろ!」
「嫌じゃないよ。たぶん」
「たぶんをやめろ!」
美咲が肩をすくめる。
「ほら、行ってきなさい」
「うん」
「でも、今は謝罪配信の練習じゃなくて、本人に話すこと。分かった?」
「分かった」
アイは一歩踏み出した。
けれど、すぐに振り返る。
「美咲」
「何?」
「美咲も、ダーリンのことよく見てるね」
「なっ」
美咲の顔が一瞬で赤くなる。
「べ、別に! 幼なじみだから分かるだけ!」
「古参だから?」
「その言い方やめなさい!」
「じゃあ、直樹観察歴長い人」
「もっと嫌!」
直樹が遠くから叫ぶ。
「俺を観察対象にするな!」
宙が静かに手を挙げた。
「観察対象としては適切」
「お前は黙ってろ!」
教室がまた笑う。
アイも少し笑った。
でも、さっきとは違う笑い方だった。
コメント欄を見て浮かれる笑いではなく、直樹が怒っているのに、なぜか少し安心するような笑い。
アイは直樹のほうへ歩いていく。
「ダーリン」
「なんだ。謝罪文第四稿なら、もう少しまともに――」
「あとで、ちゃんと謝っていい?」
直樹は言葉を止めた。
クラスメイトも、少しだけ静かになる。
美咲は教室の隅で、腕を組んだまま見ていた。
直樹は気まずそうに目をそらす。
「……今じゃないのか」
「今だと、みんな見てるから」
「まあ、それはそうだな」
「だから、あとで。配信じゃなくて、ダーリンに」
直樹は少しだけ黙った。
それから、いつものようにぶっきらぼうに言う。
「……内容による」
アイは笑った。
「やっぱり言った」
「何がだよ」
「ううん。なんでもない」
美咲は小さく息を吐く。
謝罪配信騒動は、まだ終わっていない。
動画も消えていない。
コメント欄も燃えたり遊ばれたりしている。
でも、アイが謝る相手だけは、少しだけ見えてきた。
視聴者ではない。
コメント欄ではない。
まずは、目の前でずっと叫んでくれている契約者だった。
* * *
放課後ではない。
授業中でもない。
正確には、休み時間と授業時間の境界が、ベル先生の「教育的配慮」という名の力技で踏みつぶされた時間だった。
直樹たちは、理科準備室へ連行されていた。
理由は、ベル先生いわく、
「謝罪配信をするかどうかは別として、練習環境は必要だから」
である。
「別なら作らないでください」
直樹は、理科準備室のドアを開けた瞬間に言った。
だが、もう遅い。
そこにあったのは、理科準備室ではなかった。
黒い背景布。
机の上に並んだマイク。
まぶしすぎるリングライト。
なぜか魔界文字で「反省」と表示されるテロップ装置。
画面の端には、炎の形をしたメーター。
そして部屋の隅には、丁寧に小皿へ乗せられたドラ焼き。
「謝罪配信する前提で準備しないでください!」
直樹は叫んだ。
ベル先生は白衣の袖を揺らし、涼しい顔で言う。
「備えあれば憂いなしよ」
「備えがあるから憂いが増えてるんです!」
美咲も部屋を見回し、頭を押さえた。
「先生、本気で配信するつもりじゃないですよね?」
「もちろんよ。まずは練習ね」
「“まずは”が怖いんですけど」
アイは黒背景の前に座らされていた。
リングライトの光を浴びて、妙にきれいに映っている。
角の影までいい感じに出ていた。
「ダーリン、これ、アタシちょっと悪魔っぽくない?」
「謝罪の練習で悪魔っぽさを盛るな」
「でも、雰囲気大事って先生が」
「大事にする方向が違う!」
ベル先生は機材を一つずつ指さす。
「こちらが謝罪用黒背景。こちらが音声収録用マイク。こちらがコメント自動読み上げシステム」
その横で、宙がワラ人形を抱えて立っていた。
ワラ人形の背中には、小さなケーブルがつながっている。
直樹は目を疑った。
「なんでワラ人形が接続されてるんだ」
宙が無表情で答える。
「コメント自動読み上げワラ人形連携」
「単語を並べても正気にはならないぞ!」
ワラ人形が低い声で言った。
「悪魔ちゃん、かわいい」
「今読むな!」
「謝罪より次回が見たい」
「今読むなって!」
「ダーリンのツッコミ、助かる」
「助けてるのは俺じゃない! 削られてるんだ!」
ベル先生は満足そうにうなずいた。
「読み上げ精度は良好ね」
「精度より倫理を見てください!」
美咲が黒い背景布をつまむ。
「これ、本格的すぎません?」
「謝罪は見た目も大事なのよ。暗めの背景、落ち着いた照明、過度に飾らない姿勢」
「言ってることはまともなのに、ここが学校の理科準備室なのが全部台無しなんです」
アイは椅子の上でそわそわしている。
「じゃあ、アタシは頭下げればいいの?」
「その前に言葉だ」
直樹は腕を組む。
「お前は頭を下げながら余計なことを言う可能性がある」
「たとえば?」
「“アタシは悪くありません”」
「それは言わないってば」
「“悪魔としては正しい行動でした”」
「それも消した」
「“お詫びにドラ焼きキャンペーン”」
「それはちょっと惜しい」
「惜しくない!」
ベル先生が、炎の形をしたメーターを起動した。
画面に文字が浮かぶ。
『炎上度メーター』
『現在:くすぶり』
「くすぶってるんですか!?」
「軽度ね。まだ燃え広がってはいないわ」
「その表現がもう嫌です!」
美咲がメーターを指さす。
「これ、何で測ってるんですか?」
「コメントの速度、否定的単語、拡散範囲、直樹くんの叫び声量」
「最後を測定対象に入れるな!」
宙がノートに書く。
「叫び声量、重要」
「重要じゃない!」
アイは黒背景の前で、両手を膝に置いた。
いつものように胸を張ろうとして、美咲ににらまれ、あわてて背筋を直す。
「こ、こう?」
「悪魔スマイル控えめ」
「こう?」
「それは世界征服前夜の顔」
「じゃあ、こう?」
「今度はドラ焼きを我慢してる顔」
「人間界の表情管理、難しい!」
直樹はため息をついた。
「謝罪って、表情だけでやるものじゃないからな」
「うん……」
アイは小さくうなずく。
その横で、ベル先生がマイクのスイッチを確認していた。
直樹は見逃さなかった。
「先生。今、何を押しました?」
「マイクの確認よ」
「配信ボタンじゃないですよね?」
「違うわ。たぶん」
「たぶんをやめろ!」
美咲が素早く配線を確認する。
「これ、本当に外につながってませんよね?」
宙がケーブルを一本持ち上げた。
「校内限定回線、検出」
「抜け!」
直樹と美咲が同時に叫ぶ。
宙は無表情でケーブルを抜いた。
ワラ人形が言う。
「録画準備」
「録画するな!」
「練習記録」
「記録が一番信用できないんだよ!」
ベル先生は軽く手を叩いた。
「はいはい、録画なし。外部配信なし。校内回線も切断。これで安心ね」
「安心したいのに、先生が言うと不安が増えます」
「では、始めましょう」
ベル先生は、アイの前に一枚の紙を置いた。
そこには、第四稿をもとにした謝罪文が書かれている。
直樹は、アイの正面ではなく横に立った。
美咲は腕を組んで少し離れたところ。
宙はワラ人形を抱え、無表情で観察中。
理科準備室の空気が、妙に本番っぽくなる。
だからこそ、直樹は念を押した。
「いいか。これは練習だ」
「うん」
「外には出さない」
「うん」
「変なアドリブを入れない」
「うん」
「ドラ焼きの宣伝をしない」
「……うん」
「今、間があったぞ」
「我慢した」
「えらいけど怖い!」
ベル先生がにっこり笑う。
「では、謝罪配信リハーサル、開始」
「配信じゃなくて練習!」
直樹が叫んだ瞬間、炎上度メーターがぴこんと鳴った。
『ツッコミ声量:上昇』
『注目度:微増』
「俺の声で注目度を上げるな!」
アイは黒背景の前で、深呼吸をした。
次の瞬間、直樹は強烈な嫌な予感に襲われた。
この部屋には、配信機材がある。
ベル先生がいる。
宙がいる。
ワラ人形が接続されている。
そして、アイがしゃべろうとしている。
条件はそろっていた。
事故が起きる条件が。
* * *
理科準備室は、完全に謝罪配信スタジオだった。
黒い背景。
まぶしいリングライト。
机に並んだマイク。
画面の端でゆらゆら燃える炎上度メーター。
そして、なぜか差し入れ台に置かれたドラ焼き。
直樹はそのドラ焼きを見て、まず差し入れ台を部屋の隅へ押しやった。
「謝罪の視界に供物を入れるな」
「でも、安心するから……」
「謝罪中に安心する方向が間違ってる」
アイは黒背景の前に座っていた。
いつもより姿勢が硬い。
尻尾も小さく丸まっている。
さすがのアイも、配信っぽい空気には緊張するらしい。
もっとも、それが本番ではないと何度言っても、ベル先生の機材が本番感を全力で出しているせいで、説得力はゼロだった。
ベル先生がにこやかに言う。
「では、謝罪配信リハーサルを始めましょう」
「配信じゃなくて練習です」
「言葉の響きよ」
「その響きが危ないんです!」
美咲は腕を組み、アイの正面に立つ。
「アイ。さっき作った文章を読むだけ。余計なことは言わない」
「う、うん」
「アドリブ禁止」
「分かった」
「ドラ焼きの宣伝禁止」
「……分かった」
「今の間は何?」
「心のドラ焼きと別れを告げてた」
「別れて」
宙は部屋の隅で、ワラ人形をマイクの横に置いていた。
直樹はすぐ気づいた。
「宙。何をしてる」
「コメント読み上げ待機」
「待機するな」
ワラ人形が低い声で言う。
「次は涙」
「演出で泣かせようとするな!」
ベル先生が炎上度メーターを起動する。
『炎上度:くすぶり』
『発言リスク監視中』
「監視されながら謝るって、逆に緊張しない?」
アイが小声で言った。
「緊張してるなら、余計なことは言うな」
直樹は真剣に釘を刺す。
アイはこくこくとうなずいた。
そして、深呼吸。
黒背景の前で、仔悪魔見習いは紙を両手で持った。
「このたびは……」
教室とは違う静けさが、理科準備室を包む。
アイはちらっと直樹を見た。
直樹は腕を組んだまま、黙ってうなずく。
アイはもう一度紙へ視線を落とした。
「このたびは、アタシの命令機能がダーリンの平穏を破壊し、ついでにドラ焼き候補を増やしてしまい――」
「ついでにするな!」
直樹のツッコミが即座に飛んだ。
炎上度メーターが、ぴこんと鳴る。
『炎上度:小』
「上がった!?」
ベル先生が冷静に言う。
「“ついでに”が軽すぎたわね」
「先生、分析してないで止めてください!」
アイは慌てて紙を見直す。
「えっと、今のなし。もう一回」
「なしで済むのがリハーサルのいいところだ。だから外につなぐなよ、本当に」
「つながっていないわ」
ベル先生は微笑む。
「たぶん」
「たぶんをやめろ!」
アイは再び深呼吸した。
「世界征服の意図はありませんでした。まだ」
「“まだ”を消しなさい!」
美咲がすかさず叫んだ。
「だって、完全にないって言うと嘘になるし……」
「今は正直さの出し方が違う!」
直樹も額を押さえる。
「謝罪で未来の犯行予定をにおわせるな!」
炎上度メーターがまた鳴る。
『炎上度:中』
『危険語:世界征服』
『危険語:まだ』
宙がノートに書き込む。
「発言リスク、上昇」
「記録するな!」
ワラ人形が低い声で補足する。
「次は涙」
「涙で流せる段階じゃない!」
アイは泣きそうな顔で直樹を見る。
「ダーリン、謝罪って難しい」
「難しいけど、お前はいちいち地雷を踏みに行くな」
「地雷って、人間界の謝罪にも埋まってるんだね」
「お前が持ち込んでる分も多い」
ベル先生が赤ペンで紙に線を引く。
「“世界征服”と“まだ”は削除。次」
アイはうなずく。
「今後は命令ではなくお願いを中心に、よりよい契約者生活を――」
「契約者生活を改善する話じゃない!」
直樹が叫んだ。
「俺との契約生活をサービス改善みたいに言うな!」
「でも、昨日よりはお願いを覚えたし」
「そこはいい。でも謝罪文に経営改善計画を混ぜるな!」
美咲が紙をのぞき込む。
「“よりよい契約者生活”は消す」
「じゃあ、“よりよいダーリン生活”?」
「悪化した!」
「“よりよい人間界滞在補助関係”?」
「急に固い!」
ベル先生は楽しそうに赤ペンを走らせる。
「面白いわね。謝罪文が、謝罪、契約更新、世界征服計画、ドラ焼き販促の四方向へ分裂しているわ」
「面白がるな!」
その瞬間、炎上度メーターが大きく点滅した。
『炎上度:中』
『注目度:上昇』
『校内限定回線を検出』
直樹の顔から血の気が引いた。
「今、何て出た」
美咲も振り向く。
「校内限定回線?」
ベル先生が端末を確認する。
「あら。本当に接続されかけているわね」
「“あら”じゃない!」
宙がケーブルの先を持ち上げる。
「自動接続。謝罪環境を検出したため、校内配信準備に移行」
「学校のシステム、何を検出してるんだ!」
ワラ人形が読み上げる。
「配信タイトル候補。仔悪魔ちゃん、謝罪に挑戦」
「読むな!」
「サムネイル候補。黒背景と困り顔」
「サムネを作るな!」
アイは椅子から立ち上がりかける。
「え、これ本当に流れるの?」
「流れる前に止める!」
直樹は机を飛び越える勢いでケーブルへ向かった。
ベル先生が指さす。
「真央くん、そこの赤いケーブル!」
「赤が三本ある!」
「一番悪魔っぽいやつ!」
「全部悪魔っぽい!」
美咲が素早く一本をつかむ。
「これ?」
宙が首を振る。
「それは炎上度メーター」
「抜いてもいい気がする!」
直樹は別のケーブルに手を伸ばす。
画面にはケーブルに手を伸ばす。
画面にはカウントが出た。
『校内限定配信まで』
『三』
「カウントするな!」
『二』
アイが慌てる。
「ダーリン、お願い、止めて!」
「分かってる!」
『一』
直樹は、床に膝をつきながら最後のケーブルを引っこ抜いた。
ぶつん。
リングライトが一瞬だけ暗くなる。
炎上度メーターが停止する。
ワラ人形の声も、途中でぷつりと切れた。
「……止まった?」
アイが恐る恐る聞く。
ベル先生は端末を確認する。
「校内配信、未開始。録画データも生成前ね」
直樹は床に座り込んだまま、天井を見上げた。
「危なかった! 謝罪前に再炎上するところだった!」
美咲も肩で息をしている。
「本番じゃないのに、なんでこんなに疲れるの……」
「本番に近い機材を使ったからね」
ベル先生が平然と言う。
直樹はゆっくり起き上がった。
「先生」
「何かしら」
「次に“備えあれば憂いなし”って言ったら、俺はその備えを全部没収します」
「それは困るわね」
「困ってください!」
アイは黒背景の前で、しょんぼりしていた。
「アタシ、謝ろうとしただけなのに、また迷惑かけた」
直樹は返事に詰まった。
怒りたい。
ものすごく怒りたい。
だが、アイの顔は、さっきまでの練習用の困り顔ではない。
本当に困っている顔だった。
美咲がそれを見て、少しだけ声を落とす。
「……いったん、配信の練習はやめましょ」
宙がワラ人形のケーブルを抜きながら言った。
「配信形式、危険」
「今さら!?」
直樹は叫んだ。
だが、誰も反論しなかった。
謝罪配信リハーサルは、大失敗に終わった。
ただひとつ分かったことがある。
アイに必要なのは、配信の練習ではない。
たぶん、もっと単純なことだった。
* * *
リハーサルは止まった。
リングライトは消灯。
マイクも停止。
炎上度メーターも、直樹がケーブルを引っこ抜いたおかげで沈黙している。
ただし、理科準備室の空気だけは、まだ少しだけ焦げくさい。
比喩である。
たぶん。
「……アタシ、謝罪配信すれば許されるのかなって思った」
黒背景の前で、アイがぽつりと言った。
さっきまでの悪魔スマイルはない。
ドラ焼きのことも言わない。
尻尾も、膝の横で小さく丸まっている。
直樹は、床に座り込んだままケーブルの束を握っていた。
「許すかどうかは、配信の向こうの人間じゃなくて、迷惑かけられた相手が決めることだろ」
アイはゆっくり顔を上げる。
「ダーリンは怒ってる?」
「怒ってる」
即答だった。
アイの肩が、分かりやすく落ちる。
「……だよね」
「命令されたし、ログは勝手に出たし、サムネにされたし、切り抜き集とか言われたし、謝罪配信待機所まで作られかけた」
「うん……」
「あと、俺の叫び声量が測定された」
ベル先生が横から小さく手を挙げる。
「正確には、参考値として――」
「先生は黙っててください」
「はい」
珍しくベル先生が一歩引いた。
珍しい。
危険な実験器具が爆発しなかったくらい珍しい。
アイは膝の上で手を握った。
「アタシ、面白いって言われて、ちょっと嬉しかった」
「知ってる」
「ダーリンが困ってるのに」
「知ってる」
「謝罪文、変なのばっかり書いた」
「知ってる」
「ドラ焼きキャンペーン、ちょっと本気で考えた」
「それは今初めて知った。やめろ」
「うん」
美咲が少し離れた場所で、腕を組んだまま見ている。
宙はワラ人形のケーブルを片づけていた。
ワラ人形は何か言いたそうだったが、美咲がにらんだので沈黙した。
人形にも空気は読めるらしい。
アイは、配信用のカメラが置かれていた机をちらっと見た。
でも、そちらには向かなかった。
まっすぐ直樹を見る。
「ダーリン、ごめんね」
直樹は、思わず目をそらしそうになった。
だが、アイは続けた。
「命令したことも、ログが出ちゃったことも、面白いって言われてちょっと喜んだことも」
「……最後まで正直だな」
「悪魔だけど、そこはちゃんと言う」
「悪魔なら、そこをごまかすんじゃないのか」
「ごまかしたら、ダーリンに嫌われるかもしれないでしょ」
直樹は黙った。
その言い方は、いつもの押しつけがましい「ダーリン」ではなかった。
少し怖がっている声だった。
契約があるからそばにいる。
命令があれば動かせる。
動画になれば、みんなに見てもらえる。
でも、それで直樹に嫌われたら意味がない。
アイは、たぶんそれを今さら理解している。
「……別に」
直樹はそっぽを向いた。
「ちゃんと謝るなら、聞くって言っただろ」
アイの顔が少しだけ上がる。
「じゃあ、許してくれる?」
「そこは内容による」
「またそれ」
「便利な言葉なんだよ」
アイは少しだけ笑った。
笑ったが、すぐに真面目な顔に戻る。
「次からは、命令じゃなくてお願いする」
「内容による」
「動画にしない」
「当然だ」
「勝手に共有しない」
「それも当然だ」
「ダーリンのツッコミを素材にしない」
「一番大事だ」
「お願い素材にもしない」
「素材にする前提をやめろ」
美咲が小さく吹き出した。
宙が無表情でメモを取りかける。
直樹はすぐ気づいた。
「宙、今の書くな」
「名言候補」
「候補に入れるな!」
ワラ人形が小さく言った。
「素材禁止素材」
「ややこしい!」
空気が少しだけ緩んだ。
アイも、今度は普通に笑った。
直樹はため息をつき、ようやく床から立ち上がる。
「とにかく、もう配信形式はなしだ。お前がしゃべると、どうしても余計な単語が混ざる」
「世界征服とか?」
「そう」
「まだ、とか?」
「そう」
「ドラ焼きキャンペーンとか?」
「そう!」
ベル先生が指を鳴らす。
「つまり、短い訂正文がよさそうね」
「それを最初から提案してください」
「実験してみないと分からないこともあるわ」
「俺を燃焼実験に使うな!」
美咲がアイの横に立った。
「でも、今のはちゃんと謝れてたんじゃない?」
アイはぱっと美咲を見る。
「ほんと?」
「少なくとも、謝罪文の初稿よりは百倍まし」
「初稿、そんなにだめだった?」
「だめだった」
「第二稿は?」
「だめ」
「第三稿は?」
「最悪」
「うう……」
直樹がぼそっと言う。
「第四稿と今ので、ようやく人間界の入り口だな」
「アタシ、人間界謝罪レベル一?」
「レベル表にするな」
アイは立ち上がり、直樹の少し前に来た。
いつものように腕に抱きつこうとして、途中で止まる。
代わりに、ちょこんと頭を下げた。
「ダーリン、ごめんね」
二回目。
今度は少しだけ、言い慣れていないけれど、ちゃんと届く声だった。
直樹は頬をかきながら言う。
「……分かった」
「怒ってる?」
「まだ怒ってる」
「そっか」
「でも、もう一回燃やしたらもっと怒る」
「うん。燃やさない」
「炎上を火属性評価だと思うのも禁止」
「うん」
「ドラ焼きで鎮火しようとするのも禁止」
「それはちょっと惜しいけど、うん」
「惜しむな!」
理科準備室に、少しだけ笑いが戻った。
配信はしていない。
誰も見ていない。
コメントも流れていない。
だからこそ、ようやく謝罪らしいものになった。
直樹は、黒背景とマイクの山を見てから、アイを見る。
「謝る相手を間違えるなよ」
「うん」
「俺もだけど、あとで学校関係とか、勝手に映ったやつとか、ちゃんと確認する」
「うん。ダーリン、手伝ってくれる?」
直樹は一瞬だけ黙った。
それから、いつもの調子で言う。
「内容による」
アイは笑った。
「じゃあ、お願いする内容、ちゃんと考える」
「そこからだな」
美咲がうなずいた。
「やっと少しまともになったわね」
ベル先生が満足そうに端末を操作する。
「では次は、配信ではなく訂正文の作成ね」
直樹はすぐ振り向く。
「先生。今度こそ、機材は使いませんよね?」
「もちろん。訂正文にリングライトは不要よ」
「当たり前です」
宙が小さく手を挙げた。
「録画は?」
「不要!」
「記録は?」
「最低限!」
「ワラ人形朗読は?」
「絶対にいらない!」
ワラ人形が、どこか残念そうに沈黙した。
アイはもう一度、直樹を見た。
「ダーリン」
「今度は何だ」
「ありがと。怒ってるのに、聞いてくれて」
直樹は、またそっぽを向いた。
「……聞いただけだ」
「うん」
「許したわけじゃない」
「うん」
「でも、訂正文は手伝う」
「うん!」
「喜びすぎるな」
「ちょっとだけ!」
「ちょっとだけにしろよ」
炎上度メーターは止まっている。
コメント欄も、ここにはない。
黒背景の前で、仔悪魔はようやく、配信ではない謝罪を覚え始めていた。
* * *
結論から言うと、謝罪配信は中止になった。
理由は、いくつかある。
まず、配信すると余計に広がる。
次に、アイが本番で余計なことを言う危険が高い。
さらに、動画には学校の教室やクラスメイトの声、直樹の顔面サムネイルなど、本人たちがまったく望んでいない情報が含まれている。
そして最大の理由。
「アイ、本番で絶対に“アタシは悪くありません”って言いそうだから」
「言わないよ!」
「本当に?」
「たぶん!」
「だから中止だ!」
直樹の即決だった。
理科準備室の黒背景は、ベル先生によって畳まれている。
リングライトも消えた。
マイクも片づけられた。
炎上度メーターは、直樹がケーブルを抜いたまま、床で沈黙している。
この部屋で一番安心できる状態である。
ベル先生は端末を操作しながら言った。
「では、方針を変更しましょう。謝罪配信ではなく、削除申請と訂正文」
「最初からそれでよかったんじゃないですか?」
「実験してみないと、配信形式の危険性は実感できないでしょう?」
「俺は実感したくなかったです」
美咲が腕を組んでうなずく。
「配信はやめたほうがいいわ。アイ、本番になったら絶対テンション変わるし」
「変わらないよ!」
「リングライト浴びた瞬間、悪魔っぽい顔してたでしょ」
「ちょっとだけ」
「ちょっとでもだめ」
アイはしゅんと肩を落とした。
「謝罪って、目立っちゃだめなんだね」
「基本的にはな」
直樹は疲れた声で言った。
「目立つための謝罪は、もう謝罪じゃない」
「じゃあ、どうするの?」
「短く、事実だけを訂正する」
ベル先生が電子黒板へ訂正文案を表示した。
『本日共有された動画は、魔界契約アプリの誤作動によるものです。関係者への無断共有であり、現在削除対応中です。真央直樹を配信素材として扱わないでください』
直樹は読み終えて、眉をひそめた。
「最後だけ俺の心の声が入ってる」
美咲は真顔で言う。
「大事でしょ」
「大事だけど、訂正文に私怨を混ぜるな」
「私怨じゃないわよ。人権よ」
「急に重い!」
ベル先生は赤ペンを持つ必要もないのに、端末上で文章を添削している。
「最後の一文は少し柔らかくしましょうか。“関係者を無断で配信・切り抜き等の素材として扱うことはお控えください”」
「急にちゃんとした!」
「教師ですから」
「たまに思い出したように教師になるのやめてください」
宙が横からタブレットを差し出した。
「補足」
「嫌な補足だな」
「一部、魔界側にミラーあり」
直樹は固まった。
「ミラー?」
ワラ人形が低い声で説明する。
「複製。再投稿。別経路保存」
「ミラーするな!」
アイが不安そうに身を乗り出す。
「魔界側って、どこ?」
「確定ではない」
宙は淡々と言った。
「ただし、拡散経路の一部に魔界実習管理局系の署名に似た痕跡」
「管理局って、アイの実習を見るところだよな?」
「たぶん」
「たぶんが怖い!」
アイは尻尾を小さく揺らす。
「アタシの実習評価、下がるかな……」
「そこを心配する前に、まず俺の動画を消せ」
「うん……」
ベル先生が端末を操作する。
「人間界側には削除申請を出しておくわ。校内システムからも共有停止。魔界側は、契約アプリ経由で異議申し立てを試すしかないわね」
「悪魔契約アプリに異議申し立てとかあるんですか」
「あるわよ。現代悪魔はコンプラにうるさいから」
「うるさいわりに、勝手に共有したんですけど」
「だから誤作動扱いで押すの」
「押し方が大人の交渉!」
美咲が訂正文を見ながら言う。
「これなら、余計なこと言わないで済むわね」
「アイが手書きで何か足さなければな」
直樹が言った瞬間、アイがぴくっとした。
手にはペン。
訂正文の下に、すでに小さく書き足そうとしている。
『ダーリン、ごめんね』
「書くな!」
アイは慌てて手を止めた。
「だめ?」
「それは外向けじゃなくて、本人に言えばいい」
「でも、訂正文にも入れたほうが気持ちが伝わるかなって」
「配信の向こうに伝える前に、まず目の前の俺に言え」
アイは少し黙った。
それから、ペンを置いた。
直樹のほうを向く。
「じゃあ、もう一回言う」
「……おう」
アイは、少しだけ背筋を伸ばした。
黒背景もない。
リングライトもない。
マイクもない。
ワラ人形の読み上げもない。
ただ、直樹の前に立っているだけ。
「ダーリン、ごめんね」
直樹は、困ったように頬をかいた。
「……分かった」
「怒ってる?」
「まだ怒ってる」
「うん」
「でも、今のは聞いた」
アイは小さくうなずいた。
「ありがとう」
美咲がその様子を見て、少しだけ表情を緩める。
「それでいいのよ。配信向けに飾らなくても」
宙がタブレットに何かを入力する。
「本人向け謝罪、成立」
「記録するな」
「短く」
「短くても記録するな」
ワラ人形が低く言う。
「謝罪成功クリップ――」
「クリップ化するな!」
直樹のツッコミで、少しだけ空気が戻る。
ベル先生は端末を操作し、削除申請の画面を出した。
『共有停止申請』
『理由を選択してください』
『無断共有』
『個人情報を含む』
『魔界契約アプリの誤作動』
『契約者が叫んでいる』
「最後の選択肢、俺専用ですよね?」
「自動生成みたいね」
「アプリにまで叫んでいる扱いされた……」
ベル先生は迷わず複数項目を選択する。
『無断共有』
『個人情報を含む』
『魔界契約アプリの誤作動』
直樹は最後の項目を指さした。
「そこ、普通に通るんですか」
「魔界系トラブルではよくある理由ね」
「よくあるんだ……」
アイが小さくうつむく。
「アタシのせいで、みんなに迷惑かけた」
「そうだな」
直樹は否定しなかった。
でも、続けて言う。
「だから、消すのを手伝え。あと、次から変なボタンを押すな」
「うん」
「コメントで褒められても浮かれるな」
「うん」
「ドラ焼き案件を勝手に受けるな」
「それはまだ来てな――」
直樹はアイを見た。
アイは目をそらした。
「……うん」
「今の間、何だ」
「未来への可能性」
「可能性を閉じろ」
ベル先生が送信ボタンを押す。
『削除申請を送信しました』
『訂正文を掲載しますか?』
選択肢。
『掲載する』
『あとで掲載する』
『掲載したことにする』
直樹は画面を見て、真顔になった。
「この系統の選択肢、二度と信用しない」
「今回は私が押すわ」
ベル先生が慎重に『掲載する』を押す。
画面に、訂正文が表示された。
『本日共有された動画は、魔界契約アプリの誤作動によるものです。関係者への無断共有であり、現在削除対応中です。関係者を無断で配信・切り抜き等の素材として扱うことはお控えください』
直樹は確認して、深く息を吐いた。
「……これで、とりあえず人間界側は止まるといいな」
宙が言う。
「人間界側は」
「魔界側を残すな!」
ベル先生は端末を閉じた。
「魔界側は夜まで様子を見ましょう。契約アプリに反応が出るかもしれない」
「夜まで不安を持ち帰るのか……」
アイは、直樹の隣で小さく手を挙げた。
「ダーリン」
「今度は何だ」
「帰ったら、もう一回だけ謝っていい?」
「何回謝る気だよ」
「ちゃんと覚えたいから」
直樹は少しだけ黙った。
それから、目をそらして言う。
「……内容による」
アイは笑った。
「じゃあ、短くする」
「そうしろ」
美咲がぼそっと言う。
「だいぶ扱い方、分かってきたじゃない」
「誰のだよ」
「お互いの」
「変なまとめ方をするな」
理科準備室の配信機材は片づけられていく。
謝罪配信は中止。
代わりに、短い訂正文。
派手な反省ではない。
泣きの演出もない。
ドラ焼きキャンペーンもない。
それでも、少なくとも今のアイには、そのほうがずっと正しい謝り方だった。
* * *
その日の夜。
真央家は、ようやく静かになっていた。
命令ログの切り抜き動画は、ひとまず削除申請が通った。
校内システムからの共有も止まった。
訂正文も掲載された。
謝罪配信は、直樹の全力阻止により回避された。
つまり、今日一日の騒動は終わった。
……と、普通なら思うところである。
だが、真央直樹はもう知っている。
この家に仔悪魔がいる限り、「終わった」はだいたい次の災害の準備期間でしかない。
「疲れた……」
直樹は自室のベッドに倒れ込んでいた。
制服は着替えた。
鞄も置いた。
宿題は開いていない。
開く気力もない。
今日は、教室がコメント欄になり、理科準備室が謝罪スタジオになり、ワラ人形がコメントを読み上げ、ベル先生が炎上度メーターを起動した。
普通の高校生の一日としては、過積載である。
床の上では、アイが正座していた。
なぜか、妙に姿勢がいい。
「今日はごめんね、ダーリン。配信しなくてよかった」
「本当にな」
直樹は枕に顔を埋めたまま言う。
「お前が配信で“アタシは悪くありません”って言ったら終わってた」
「言わないよ。たぶん」
「たぶんをやめろ」
「じゃあ、八割言わない」
「二割残すな」
「九割九分?」
「一分を消せ」
アイは膝の上で手をもじもじさせた。
「でも、ちゃんと謝れたかな」
「配信の前よりは、だいぶましだった」
「ダーリン、怒ってる?」
「まだ怒ってる」
「うん」
「でも、謝ったことは聞いた」
アイは少しだけ笑った。
「じゃあ、明日からは命令じゃなくてお願いする」
「内容による」
「やっぱり言った」
「便利なんだよ、その返事」
直樹は寝返りを打った。
そのときだった。
机の上に置いていたスマホが、ぴこん、と鳴った。
直樹の体が固まる。
アイの尻尾も固まる。
二人は同時にスマホを見た。
「……今の音、普通の通知じゃないよな」
「魔界契約アプリの音だね」
「最悪だ」
直樹は、ものすごく見たくない顔でスマホを手に取る。
画面には、黒と赤の悪魔的な通知が表示されていた。
『魔界実習管理局から通知があります』
「出た……」
直樹の声が低くなる。
「魔界側にミラーありとか言ってたやつの本体っぽいのが出た……」
アイはおそるおそる画面をのぞく。
『今回の人間界反応を評価しました』
『仔悪魔アイの注目度:上昇』
『契約者ツッコミ性能:高評価』
直樹は無言になった。
数秒後。
「俺の何を評価してるんだ」
怒りが、静かに立ち上がる。
アイは逆に目を丸くした。
「ダーリン、ツッコミ性能高評価だって」
「性能じゃない! 俺は家電じゃない!」
『炎上回避行動:一部成功』
『謝罪配信未遂:教育的価値あり』
『ドラ焼き関連反応:市場性あり』
「市場性を見出すな!」
アイの目が、きらんと光った。
「ドラ焼き、やっぱり可能性あるんだ」
「お前はその光を今すぐ消せ」
さらに通知は続く。
『次回実習課題』
『案件動画による供物プロモーション』
直樹は固まった。
「……案件動画?」
アイは一拍遅れて、ぱあっと顔を輝かせた。
「供物プロモーションって、ドラ焼きの宣伝?」
「絶対に違う。いや、たぶんドラ焼きだとしても絶対に嫌だ!」
「でも、供物って書いてあるよ?」
「供物って言い方がもう嫌なんだよ!」
「ダーリン、案件って何?」
「商品を紹介して、対価をもらうやつだ」
「対価!」
「食いつくな!」
「ドラ焼き百個?」
「百個から離れろ!」
スマホ画面に、さらに小さな文字が出る。
『推奨タイトル案』
『仔悪魔ちゃんが選ぶ、悪魔的供物ベストスリー』
『契約者が叫んだ! 本当においしいドラ焼き案件』
『ダーリンと学ぶ、正しい供物レビュー』
「俺を出すな!」
直樹はスマホを布団に投げかけて、ぎりぎりで止めた。
投げたら負けだ。
割れたら修理費がかかる。
契約アプリは消えない。
現実は非情である。
そのとき、部屋の照明がふっと暗くなった。
窓の外に、なぜかスポットライトのような月明かり。
どこからともなく、重々しいナレーションが響きはじめる。
炎上を乗り越えた仔悪魔アイに、魔界から新たな任務が下される。
商品を紹介せよ。
供物を宣伝せよ。
契約者を巻き込め。
悪魔案件動画、開幕。
黒背景。
派手なテロップ。
山積みのドラ焼き。
画面中央で、アイが満面の笑みを浮かべる。
「このドラ焼き、悪魔的においしいよ!」
「案件で“悪魔的”って言うな!」
隣には、なぜか無理やり座らされた直樹。
手にはドラ焼き。
目には絶望。
『契約者のリアクションも必見!』
「必見にするな!」
『提供:魔界実習管理局』
「提供するな! 俺の生活をスポンサー枠に入れるな!」
次回、広告戦争コメディ。
『案件悪魔アイ――提供は魔界実習管理局でお送りします』
「お送りしなくていい!」
そこで、アイが満面の笑みで両手を広げた。
「第6話、悪魔案件はドラ焼きの香り!」
「やっぱりドラ焼きかぁぁぁ!」
直樹の叫びで、嘘次回予告は粉々に砕け散った。
現実に戻る。
真央家の自室。
スマホには、まだ魔界実習管理局からの通知が表示されている。
『案件動画説明会:近日開催』
『契約者同席推奨』
『ドラ焼き持参可』
直樹は、ゆっくりとスマホを伏せた。
「見なかったことにしよう」
アイがすぐに言う。
「ダーリン、見なかったことにしても、アプリは同意したことにするかも」
「不吉なことを言うな!」
「でも、ドラ焼き持参可だよ」
「そこに希望を見出すな!」
アイは少しだけ笑った。
「今日、アタシちょっと反省したけど」
「うん」
「明日は、またちょっと頑張っていい?」
直樹は、嫌な予感しかしない顔でアイを見た。
「何を」
「人間界実習」
「案件動画は頑張るな」
「内容による?」
「言う側になるな!」
アイは楽しそうに笑った。
直樹は布団を頭からかぶる。
「寝る。今日はもう何も聞かない」
「おやすみ、ダーリン」
「おやすみ。明日、絶対に案件の話をするなよ」
「うん。たぶん」
「たぶんをやめろぉぉぉ!」
夜の真央家に、今日最後の直樹の叫びが響いた。
謝罪配信は回避された。
炎上も、ひとまず鎮火した。
しかし、魔界はそれを「注目度上昇」と呼んだ。
そして、悪魔は新たな炎を持ってくる。
第5話、完。
ただし、次の火種はドラ焼きの香りがした。




