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戦う犬の冒険  作者: 地藤零一
6章
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36/38

「暁の突撃」


 鬨の声が上がる。

 柳川の町では兵士たちが巨人を取り囲んでいる。

 雨のように放たれる火矢。一斉に弾ける火石銃の銃声。惜しげも無く費やされる大砲群の大合唱。

 怒涛のような反抗に晒されながらも、巨人は怯む様子を見せない。

 まるで下にいる犬など眼中に無いかのように。

 ただ空だけを見上げていた。


「……こっち見てるよな」

「見ておるのう」

「あっちも、俺たちを狙ってるんだ」


 東の空。明照帆は町の外から柳川を見下ろしていた。


「火、点けようとしてるみたいだけどよ、あれ、燃やせるのか?」

「不可能ではない。吊天弦は糸じゃから、その一本を燃やすことは容易いことじゃ。じゃが何本も何本も束ねられると難しい。それに、こんな街なかで、吊天弦を燃やすなど、わらわなら絶対しなんだ」

「ふーん」


 他人事のように眺める鋼を、アヤヒは不安混じりに見上げる。


「鋼、ひとつ言っておく」

「なんだよ」

「あれはわらわが引き受ける」


 アヤヒに目を合わせた。


「もとよりあれは、わらわが発端で始まったことなのじゃ。わらわが収めなくてはらん。おぬしは巻き込まれただけで、関係ない」


「…………」


 鋼は、アヤヒの頭に手を置いていた。


「いつの間にそんな良い子ちゃんになったんだよ。何もかも自分のせい、自分の責任だ、みたいに言ってると、悪い大人に付け込まれるぞ。俺みたいなのにな」


「わ、わふ…」


 親指で額を撫でる。


「ありがとな。急いで来てくれて。船動かせなかったはずだろ。なんだ、ひとりでもやればできるじゃねえか」


「わふ……こ、こんなものは、気合じゃ。明照帆にもはや乱れはない。おぬしと…長くいたからかもしれん。追い風も、あったからの」


 言いながら、泣きそうになって目を伏せるアヤヒを見ると、鋼はさすがに心が痛んだ。


 ──巻き込んだのは、どっちだろう。


 真実はまだ見えてこない。

 この出来事は、巨大な世界のうねりの中の、ほんの一部分にも思えてくる。


「関係ないとか、義理とかじゃねえ。俺が残してきた因縁でもあるんだ。言い方は嫌いだが、運命の帰結ってヤツかもな」


「……運命、その流れの中に、わらわもいるのか」


 アヤヒは肩を震わせ、喉を引っ込めるように笑った。


「──愉快じゃ! ならばその怒涛に身を委ねようぞ! 雲のごとく舞い、雨のように激しく流れよう! ゆくぞ鋼!」


 扇子を軍配にして振るう。


「帆を上げよー!!」


 甲板に集まったすべての巫女が一斉に走り出した。


「展帆開始! 展帆開始!」


 風はまだ吹いている。東から西へ吹く追い風だ。初めに飛び込んで来た時のように柳川の中心に居座る巨人に、帆を広げ、再戦を挑む。


「突撃開始じゃ──────っ!!」


 巫女たちが歌い始めた。

 今度は帆走とともに機走も行わなければならない。持てる力すべてを使い、真っ直ぐに飛んで行くのだ。

 アヤヒは舵輪を握った。

 当然予想されるであろう巨人の迎撃に、船の舵だけでは対処できない。

 その後ろから、鋼が舵輪を握る。


「我射丸(がしゃまる)──!!」


 声を合図にして、ぐんと船は引かれるような加速を見せた。

 明照帆の機動力と我射丸の加速。このふたつ合わせて船はかつてない快速を発揮していた。足が浮き、前方へ真っ逆さまに落ちるような加速。船体が軋みを上げる。各所で異常振動が発生する。固定するひまの無かった船具が船の後ろへ後ろへと引きずられていく。

 そのとき船は、まるで柳川の空を駆ける流星のようだったという。

 凄まじい力をもって迫る隕石のようであった。


 巨人が反応を見せる。

 腕が無数に分かれ、逆巻く渦になって広がりながら突撃する明照帆を包み込もうとしていた。


「は、ああああああああぁぁ─────っ!!」


 船はあり得ない挙動を見せた。

 真っ直ぐ前に進みながら、舵を一切取らず真横に移動したのだ。

 我射丸の力。慣性制御。巨人に自分を押し付けながら走った時のように船に乗った勢いを別方向に散らし、急激な移動を成し遂げたのである。

 船体は変わらず加速したまま、明照帆は触手の迎撃を直線的な動きで縦横無尽に逃れ続けた。


 重ねて触手が展開される。

 左と、右で網を編むように。密度の濃い迎撃網はさながら空に広がる巨大な蜘蛛の巣であった。前方に撃てる砲は無く、船から触手を退けられる手段は無い。


「──アヤヒ! 意識しろ! 抜けられる道を! お前の意識を俺が追うッ!」


 一瞬でも船体がすり抜けられる隙間があればいい。それを念じればたとえ微細な動きでも明照帆に伝わる。明照帆に伝われば、それを加速させている鋼にも伝わる。


「────ッ」


 機動が捻れる。

 横風を浴び傾くように、体勢を変え、身をよじりながら、隙間から隙間へ飛び込んでいく。船が横倒しになり天地がひっくり返る。横転し、無理な体勢のまま絶対に通れないはずの網目を、針に糸を通すように突き進んで行く。



 アヤヒは信じられないでいた。

 明照帆にこんな動きをさせているのもそうだが、それを思い付く鋼の発想。すぐさまそれを実行する決断力に。

 憧れ、一度は幻滅し、普通の犬らしいところもあると思った。

 計算して嘘をつく事や、非情なところに嫌気も差した。

 それでも惹かれた。

 アヤヒに思い付けない事を次々と見つけ出し、勝機をたぐり寄せ、自分の判断に賭け、迷いなく身を投げ出せる勇気を見せられた。

 都合の良い幻想なんかじゃない。

 ここにいる鋼に、アヤヒは再び憧れたのだ。



 船が最後の網目を抜ける。

 開け放たれた空。眼前にはおぞましい藁人形の面相。幾重にも張り巡らされた罠の奥の奥にあった、ほんの刹那の勝機。


「──今じゃッ!! 降ろせぇぇぇ!!」


 空に船を係留するための重り。

 前後に取り付けられた錨。

 計四つ、それを同時に落とした。

 猛烈な速度ですれ違う。

 錨は狙い違わず巨人の胸に、肩に、首に、顔面に飛び込んで、突き刺さっていた。


                 +


 数分前。船上にて──


「軽い!? あれがか!」


 大仰に鋼は頷いた。


「何度か攻撃して解った。風に煽られてよろけるくらいだ。俺の蹴りで吹っ飛んだのも、我射丸の力だけじゃない。あいつ自身が、異様に軽いんだ」


 巨人は、あの見た目にかかわらずとても軽い。


「うむぅ……確かに吊天弦は羽のように軽い。じゃが、軽いからといってあの頑丈さに変わりは無かろう」


「頑丈さなんてどうだっていいさ。厄介なのはあの場にずっと居座られて、暴れ回られる事だろ。柳川の町から離さなきゃ何も始まらねえ」


 この船ならそれができる。

 我射丸と力を合わせれば、あれを吊り上げる事ができる──


                 +


「──上がれぇぇえええええええッ!!」


 その絶叫は祈りだった。

 この瞬間にすべてを賭けた。

 これが失敗したら終わりだ。何もかも呑み込まれる。

 雅を助けたい、ただ一心でここまで来た。

 それが終わる。綱渡りの糸が途切れる。自分の過去も、力も、何かのためにと思えたからこそ、身の支えになりえたのだ。目指す先があったからすべてのものに意味が芽生えた。それが無ければ、自分のすべてはがらんどうの虚ろだった。

 加速。

 加速を、もっと加速を。

 命を燃やせ。この瞬間のために生きてきたと思えるほどに。

 もっと速く、もっと強く、もっと激しく、もっと、加速加速加速加速加速加速加速加速加速加速加速──!!


 アヤヒが何かを叫んでいた。

 船の上から、たくさんの物が投げ落とされる。

 使うもの。必要なもの。砲弾や、大砲が、ありとあらゆるものが放り出される。

 少しでも船を軽くしようとしているのだ。


「あ       ああ        ああああああ     あああああああああああああああああ      !」


 巨人が身をよじり、土煙を上げ、引きずられて行く。

 足が。

 離れた。

 巨人が宙に、柳川の空に舞う。



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