「意志の力」
柳川城の庭では状況が一転していた。
ヤナギが膝に土を付けている。
あろうことか、土下座である。
雅も、鋼も、そんな光景に言葉を失っていた。
「──先程までの言葉を取り消させて頂きたい。鋼牙よ、侮って済まなかった。陛下におかれましては、小娘などと軽んじて、数々の無礼をはたらき、ひらにひらにお詫び申し上げます」
その潔い謝罪の言葉はかえって雅を構えさせた。この男が簡単に反省するわけないのだ。
「見誤っていたのは私の方だ。鋼牙よ、お前が落ち延びて何の価値もない男に成り下がったと勝手に思い込んでいたが、こういう事情なら納得がいく。その方は現世そのものだ。お前は国ではなく、今度は世界を背負っていたのだな」
鋼は無言で、ヤナギの中心を見ていた。
この男の腹の真ん中にあるただ一点。
それが今ものすごい速さで不気味に変化していくのが分かった。反省の言葉を告げながら、野望の炎をさらに強く強く燃やしているのが肌で感じられた。
ヤナギは面を上げる。
思わず吐きそうになる。
笑顔。
すさまじい、満面の笑顔。
歓喜に継ぐ歓喜。愉悦に継ぐ愉悦。初孫の顔を見て同時に宿敵の死を知ったような、千の女に囲まれて悦楽に身を染めるような、行きすぎたものは何事も醜く歪んで映ることを体現している、万感の想いを込めた、この世のひび割れのような笑顔であった。
「我が宿願叶いました」
「しゅく…がん?」
「は。我が宿願…それは闘争なのです」
ぬらり、とヤナギは立ち上がる。
「陛下は先程申されましたな。自分の価値観が全てだなどと思う傲慢を改めろと。その上で恐れながら申し上げますが、私はどうしようもなく戦にしか価値を見出せない犬なのです。私から戦を取れば、ただのものぐさ。市井の事などほかに任せきりで一日中寝転んで屁をこくだけの穀潰しでございます。いずれ領地を食いつぶして、民を堕落させてしまうでしょう。だが、そんな私でも戦うものがあれば違う! 私の目はいきいきと輝き出し、魂のすべてを注ぎ込めるのです!」
そして一言一言刻み込むように、
「必ず、その男を、殺してみせましょう」
おぞましくも不敵に言い放った。
雅は気丈に構えているが、脚が震えている。心底理解できないのだ。これ以上ヤナギの言葉を聞かせてはならないと鋼は全身で決意した。
「──けっ、頭下げといて結局やること変わんねえじゃねえか。いいかよく聞け。お前が戦大好きで、やめろと言ってもやめるタマじゃねえのは重々承知よ。けどな、その戦う相手がお前の趣味に付き合ってやる保証があって言ってんのか? 残念だが俺には無いね」
じり、と退がる。雅を抱えて、ひとっ飛びでこの城なんて脱出できる。
「…逃げるのか」
「おう、逃げさせてもらうぜ。俺の逃げ足は天下一だ。追ってきたって地の底まで逃げ続けてやるよ」
「そうか、ならば行け」
足が止まる。
ヤナギから目を離さずあらゆる事態に警戒。家臣の連中はいつの間にか逃げているし、蜘蛛女の手下も姿が見えない。応援を呼びに行ったのかもしれないが、その程度、鋼ならわけなく突破できる。ヤナギの見せた物分かりの良さがひたすら不気味であった。
「なんか企んでんのかテメエ」
「企み? ああ、その通りだ。お前ならよく分かっているだろうが、戦とは企みなのだ」
先刻、瞬間的に膨れ上がったヤナギの邪悪さが憑き物のように失せていた。
「俺はな、『運命』の大きさを見ていたのだ。お前の負った『運命』と俺の負った『運命』。それがこの先どうなるものか、盤面を読むように何手先までも想像していたのだよ。するとな、するとな? いいか、必ず、お前は自分の方から、俺と戦いたいと願うようになるんだよ」
「何を言ってやがる!」
「そう考えると勿体無くてな。ここでお前との決着を付けるのも一興ではあるが、逃した方がより面白い」
鋼はどうしようもなく苛立ってしまう。
「なぜだ、なぜそんなことが言える!」
「その御方だからだ」
ヤナギはあくまで敬意をもって雅を指し示した。
「この俺に、何も考えさせず頭を下げさせたほどの御方だぞ。他の犬に隠し通せると思うのか? 無理だ。お前が暮らしていたところでだって、薄々勘付いているものはいたはずだ。いずれはその御方の元に『運命』は束ねられるだろう」
「なにを、何を言って……」
いつの間にか、玄関先に置かれる食糧。
人器どころか、病の相談まで遠回しにされる事も。
喋らず、触れず、与えずとも、鋼の知らない持ち物が家の中には増えていく。
胸が苦しい。心臓が痛いほど跳ね上がっていた。ヤナギの占い師じみた言葉を真っ向から否定できないのだ。下らないとも思えない。それどころか強烈な予感が心臓の内壁を削り取っていく。
殺さないと。
ここで、こいつを、殺さないと。
「……ああああああ───っ!!」
筋肉が本能によって駆動した。それは危機に対するごく当たり前の防衛行動だった。何に対して危険を感じていたのか、正しくは鋼自身も分からない。当ての無い敵意。当ての無い攻撃。五十枚綴りの銅銭が両の手のひらへ滑り込み、我射丸の力を借りて蠕動した。この目の前にある脅威さえ取り除けば、きっとの不安は消え去るのだと必死に思い込もうとしていた。
ヤナギは三日月のようにせせら笑っていた。
そして──
銅銭はただの一枚も放たれなかった。
まったく意識の死角から横槍が入ったのだ。
「──ッヌゥ!」
それはまさに横槍であった。
切り落とされたはずの矛の先端が、ヤナギの肩に突き刺さった。
翌木に止めを刺した、ヤナギの武器である。
「……ハ、ハハハッ! 戦場では面白い事が起こるものだなぁ…こいつ自分で、胸に突き刺さった槍を抜いて、投げ返してきたぞ! 油断した! してやれた!」
「翌木さん!」
血のしたたる胸を押さえて、ヤナギに敗れたはずの翌木はそこに立ち上がっていた。
「鋼牙よぉ、なぁ鋼牙! どうやら今のお前よりこいつの相手をした方が面白そうだ! この執念は称賛に値するぞ!」
ヤナギは多いに喜ぶが、言っていることは虫の足をあと何本引き抜いたら死ぬのか確かめたくてたまらないクソガキとそう変わりない。
鋼は雅の手を掴む。
「雅、こいつはもうほっとけ。逃げる」
「で、でも……翌木さんが…」
「あいつらが勝手に仲間割れしてんだ! 何を吹き込まれたか知らねえが、これ以上関わるな!」
「そうだそうだ! 逃げるがいいぞ! だが覚えておくんだな鋼牙。力とは『意志』だ! 『意志』の力こそが強さなのだ! 腑抜けた今のお前より、この女郎の方がよほど強いということを!」
翌木が糸を繰り出す。
ヤナギは腰刀を抜き放つ。
旋風が巻き起こり、鋼は迷わず雅を抱き上げその場を脱した。
「──待ってろよ鋼牙! どこへ逃げても見つけ出して、必ずその御方を奪いに行ってやるからな!! 必ずお前をぶち殺してやるからなああぁ!!」
不吉な言葉を耳に残して、ヤナギの声は遠ざかっていった。




