「交わる牙」
三度。
翌木の仕掛けた回数がそれだ。
馬の速度は、駆け足を控えめにしたくらいのもので、決して糸の斬撃を上回るものではなかったし、ヤナギは無理に逃れようともしなかった。
三度とも、風が抜けるように逸らされたのだ。
騎馬の練習でもする軽やかさでヤナギは翌木を軸に周回し続ける。徐々に間合いを詰めて誘っているが分かる。きっと攻撃範囲は見極められていた。四度目に仕掛ける時が、ヤナギに仕掛けられる時だと直感し、翌木は迷わず予備動作に移る。
四度目。
右腕の五糸を、斜め上方から振り下ろす。
五条の津波が走る。
巻き上がる砂利は、もはやそれ自体攻撃手段として成立するほど激しい濁流となって襲いかかった。その異様は剣戟を交える戦いではなく、怒れる龍を鎮める調伏劇そのものだ。ただ一度食らえば、馬ごとなます切りにされる力の奔流に、ヤナギはまた効果範囲の外側へすり抜けた。
討って出る。切り返し、円の運動から一直線の突撃へ。
翌木は残していた左の五糸を、全身をしならせて振り抜く。
絶対に躱せないように、前方と左右を包む弧を描く軌道。
この時、起きた出来事を説明するのは難しい。
結果として翌木の斬撃は致命打を与えられなかったし、ヤナギは景気良く矛を振り回しただけで、翌木にはかすりもせず、金星を挙げたのは、まともに翌木を跳ね飛ばした馬であった。
木の葉のように吹き飛ばされた翌木は、しかし寸毫のいとまさえ空かせず立ち上がる。三つ足をついて、息も荒げだ。
ヤナギも無事では済まされなかった。
左半身に鞭で打たれたような傷が走っている。着物が大きく裂け血が流れていた。
「フム、やはり糸か。すさまじい斬れ味だな。受け切ったと思ったが、少し触れただけでこれだ」
傷跡を見下ろして、冷静に。
「だが軽い。糸そのものに重みがないから触れたり巻き付いたものは切り裂けるが、横からの力に弱い。ひどく直線的だ。だから簡単に切っ先で絡め取ることができた。そして──」
翌木は必死に息を整えようとしていた。
心臓は早鐘のように鳴り、肩が重い。
「疲れているな。んん? たったこれだけ、まだ二分もやり合っていないのに。馬に轢かれたのが辛かったか? いやダメージはそれほどでもないハズだ。そうだろ? んん~? なぜそんなに消耗している?」
思うに、とぐるぐる馬を歩かせて挑発的にヤナギは語った。
「あの絡繰人形、力を無駄に使わないための道具だったんじゃないかぁ? 小さな歯車をたくさん回すより、大きな歯車に勢いをつけて回す方がラクだろ? これだけ無茶苦茶やると、そうとう疲れるんじゃないか? あ~ん?」
ふざけた振る舞いをしても決して翌木の間合いには踏み込んで来ない。まったく油断が無い。
「このままじわじわ動けなくなるまでなぶるか、いや、こちらも受け切れるとは限らんし、対策されるかも知れん。どうするか、フーム」
庭を囲う松明の前で ふと脚を止め、
「──これだァ!!」
思い切り火を弾き飛ばした。
翌木はすかさず糸を張り巡らし迎撃するが、燃え盛る松脂に、掴み取った糸が焼かれてしまった。
「──っ!」
「ソラソラソラッ!」
次々と松明が飛ばされ、翌木は逃げ惑う。
迎撃するだけ糸の無駄と判断。弾ける火の粉に触れたとて火傷する程度で済む。本命はヤナギ自身。
だが、気付いた時には追い詰められていた。
辺りを炎で囲まれていた。
火の回りが早いうえ、勢いが異様に強いのだ。
ヤナギは最初から翌木が糸を武器にしている事を見抜いていたのだろう。
そして、あらかじめ庭に松脂を撒いておいた。
翌木が最初、庭に入るのを躊躇ったのはその臭いのせいである。
炎が巻き上げる気流のせいで上手く糸が操れない。渾身の力を込めてあと一撃といったところ。それほど翌木には余裕が無く、ヤナギに通じる有効な手立ても思い付かなかった。まさか、ヤナギ自身が挑んでくるとは思わなかったのだ。こんなことなら短筒のひとつでも隠し持っていれば良かった。こと戦においてヤナギは一枚も二枚も上手であった。
「仕る!」
躊躇無くヤナギは仕掛ける。誤魔化しも何も無い全身全霊を投げた突撃。
ただでさえ一度防がれた斬撃を、翌木は真正直な迎撃には回さなかった。十糸すべてが前後左右、別々の角度からヤナギを襲った。斬撃ではない。一度ヤナギを捕えるためだ。突撃を躱したうえで馬上から引きずり下ろし、八つ裂きにするためだった。
直進を選んだヤナギと、それを絡め取ろうとした翌木。
このふたりに差があったとすれば、土壇場の突破力だろう。
翌木は火が燃え移るのも構わず、低く地を這って突撃を避けていたし、糸は確実に標的のあった場所を捕えていた。直後バラバラに切り刻まれたのが糸の絡み付いたヤナギの矛で、馬上にヤナギの姿は無く、弾け飛んだ切っ先を宙で咥えて飛びかってきたヤナギが翌木には見えていなかった。
それだけの話だ。
「──ガウ!」
刃は深々と翌木の身に沈んだ。
「ああ! 嘘だ!」
「姐さん!!」
あまりにあっけない幕切れ。
阿天座の男たちは泣き叫び、雅は呆然と立ち尽くしていた。動きを止めた翌木から名残惜しむようにヤナギは離れ、炎で揺れ動く視界の中に雅を捉える。
「さあ、殿下、こちらに来てもらいましょうか」
雅は、引かれたように歩み出す。
その目にヤナギは映っていなかった。横たわる翌木を見ていた。小さな肩が震えていた。喩えようもない感情に、その身を焦がされていた。
ヤナギを通り過ぎ、翌木の元へ。
「翌木さん」
まだ息はあった。だからなんだという程度には。
何を言ったらいいか分からない。手の中で散りゆく命があることに、雅は現実味がわかないのだ。命を懸けた決闘が目の前で起こった事に、心が追いつかなかった。泣いたらいいか、悲しんだらいいか、わからなかった。
だから、日常の続きであるように、問いをした。
「世界の謎は、どうやったら解けますか?」
もっとも翌木に答えを返すほどの気力はなく、弱々しく顎を動かすだけだ。
信じられない。
あれだけの理想、目標、信条を持っていても、こんな簡単に死んでしまう。報われない。それが雅には理解できなかった。
ふ、と翌木は笑った。
こんなときに何を、と思ったのかも知れない。
それが愉快だったのかも知れない。
その笑みが答えだったように、雅には思えた。
「さ、女王殿下、そんな賊には構わず城へ。これから忙しくなりますぞ」
「私は女王なんかじゃありません」
「…は? いったい何をおっしゃって」
「私は人間です。あなたの自由にはならない」
「訳の分からないことを…おら、者ども、殿下を城まで運んで差し上げろ」
乱暴に襟を掴み上げられ、雅は全力で抵抗した。
「いやっ、やめて!! やだっ! やだ……!」
「大人しくせんか」
「こんなの、助けて、パパ──」
直後、
天性の勘をもって、ヤナギはその場から離れていた。
そうしていなければ、降り注ぐ殺意に全身を射抜かれていただろう。
殺意は銅銭の形をしていた。
中空から弾丸のごとき勢いで、銅銭の雨が撃ち込まれたのだ。
ヤナギは見た。
殺意の在処を。
飛来する白い塊を。
戦闘の跡も生々しい、畑のように耕された庭に、降り立ったそれを。
黒と青みがかった白い毛並みが、首の周りだけごわごわの、一目で北方出身とわかる犬。
眉間に寄るシワのような模様。常に怒りをたたえているような凶悪としか言いようのない面相。
燃え盛る庭に、白く浮き上がる殺意の塊。
ヤナギは声を絞り出した。
「鋼牙…! 破城の鋼牙! 涌泉の八犬士! 八犬の鋼牙か!!」
お前に名乗る名は無いとばかりに鋼は敵意の咆哮を上げた。
ここまでがC82で頒布した「戦う犬の冒険2」の内容になります。
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