「争いに身を捧げるもの」
柳川城は外周を幾重にも縫って本丸へと通じる、まさに戦ためにある城で、一度入れば出ることもまた難しい迷路のような城である。広大な敷地のほとんどは練兵場としての機能しており、坂や階段が意図的に多く設けられ、侵入者を閉じ込める仕掛けの狭い通路や、誘い込んで挟撃するための隘路、馬を並べて突撃するためにあるとしか思えない太い坂路が複雑に入り組んでいて、古式然とした景観が周りの町から浮き上がっていた。
本丸へと直行する唯一の参道。
五重の門に守られた、戦時であれば絶対に誰も使わないような狭い階段がある。
その門が、この真夜中にすべて開け放たれていた。
阿天座はそこを一直線に駆け上がって行く。
抱えられた雅は、面が落ちないように片手で支えている。面の下から夜空の月を見上げている。
やがて本丸の庭へと道が開けた時、待っていたのはヤナギと数名の家臣だけであった。
灯火の元にぼうと浮かび上がるヤナギの顔は、待ちに待った時がやってきたとでも言うような凄絶さに塗られていた。
翌木は先頭に踏み出し、ふと足を止める。
「──ヤナギ殿、ここに殿下をお連れしました」
「御苦労。殿下、お初にお目にかかります。山青が領主、ヤナギと申します」
押し出され雅はあたふた慌てた。
とりあえずぺこりとお辞儀する。
「こんばんは。えっと…あの、あなたが、私を連れてくるように言ったひとなのですか?」
「違いますが、同じようなものです。そやつらは私の取引相手のようなもの。あなた様ここへお連れしたのは、利害の一致あってのことですな。もとより信用の置ける奴原ではありません。ゆえに失礼を承知でまず確かめさせていただきたい。──あなた様が本物かどうかを」
うやうやしく礼をする。翌木は口を挟んだ。
「お待ちに。何をなさるお心算でありゃんしょう? 面を取って確かめるとでも? 無礼でしょう」
「こちらも田舎侍ゆえ、殿下の顔ばせは未だ拝ませてもらったことがない。いざ見せられても判断の仕様が無いのだ。よってまあ、殿下にしか知らないことを二三尋ねさせていただこう」
それくらいなら構わないだろう。翌木は引き下がった。
「殿下、良いですかな?」
「は、はい!」
「ここ柳川にいらした、ご用向きをお聞かせ下さい」
雅は大いに慌てた。
「あの、その、私はなにも…翌木さんに攫われて来ましたので…」
「は? いやそうでしょうけど、ご自分でいらした経緯があるはずです」
「私は、その、前から来たいなぁと思ってて、模倣人器もたくさんあるので、勉強になるかなぁ、ってその、憧れてて…ごめんなさい」
ヤナギは家臣とひそひそ話した。「まじで?」「勉強熱心であると聞きます」「とぼけてるって絶対」「理由があるのでは」「めんこい声ですな」「柳川を褒めてくださった。きっと本物です」「えー…」
向き直り表情を引き締めた。
「では重ねて尋ねる。近くの村に、あの空を飛ぶ船を降ろされたようですが、あのような人器は見たことがありませぬ。何と言う人器で、どのような飛行原理で空に浮いておるのですかな?」
真偽を見定める呈を取り、ヤナギが一方的に情報を引き出そうとしている事に翌木は気付いた。
口出しはしない。好きにすればいい。あんな子供の描いた絵をそのまま実現させたような模倣人器には興味がない。
「あれは明照帆といって船倉に浮かせた珠の遠心力を漕ぎ手が正逆反転させて、損失分を相殺するようにうまく力を循環させてる、みたいです。だから最初に浮かせる力は自力でまかなってるんですよ」
「うーむ、何を言われてるかさっぱりわかりませんが、何かすごい専門的な知識がおありなのは確かなようですな。弁天院とはまさに人器の守護者たる家、感服いたします」
「すごいですよね」
「? …では最後に、あなた様の御名を、避諱無しにこちらへ書き下し賜りいただければと存じます」
家臣のひとりが短冊と筆を持ち出して届けた。避諱というのは高位の者の名を直接呼ぶ、または書き表すことを無礼と見る習慣で、よほど高位の犬となれば自分の名は自分でしか書き記せない。簡易的に一文字とったり読み方を変えたりカナ書きで表すのが犬社会のならわしだ。
「ちなみに、私は柳生と申します」
「は、はい、あの、避諱って?」
「そのまま、あなた様の真名をお書きくだされば」
「はい」
さらさらと書いて翌木に渡した。翌木は文字が読めない。そのまま目を伏せた家臣がヤナギに渡し、ヤナギは眉をひそませた。
みやび。
字、きったねえとヤナギは思った。
かろうじて「あやひ」と読めなくもない。というか避諱かどうかも分からない。あ、のところが、み、にしか見えない。なんだこれ。
「あの、漢字で」
「ご、ごめんなさい! 習ってなくて…」
まじかよ。どういう教育してんだよ。とヤナギは頭が痛くなった。ひ、と書いてびと読むなら日か火だろうが、教養が身につくまで不用意に使わせないよう教えない方針なのかもしれない。話していると、やたら低姿勢でとても外交の務まる器には見えなかった。
まあその方が、傀儡として操るには都合良いかも知れないが。
「あの、ひとつ、聞いていいですか?」
釈然としないヤナギに雅は問いかけた。
「なんなりと」
「この世界は、ヤナギ様にとって、過ごしにくいものですか?」
問いかけが漠然としすぎていて、一瞬意味を計りかねた。
「世界…今の国のありよう、犬社会のことですかな」
「はい」
返答に困る。
仮にも天族がこんな直接的な訊ね方をするだろうか。この渡世に不満があるかなど、為政者が下位の者に。探りや腹芸や韜晦でもない、ほとんど純真無垢と言って良いほど真っ直ぐなやり方だ。
「そうですなぁ…私としちゃありますよ、不満。今の中央集権は腐敗の温床だと思いますし」
「では、変えたいと、思いますか?」
「思いませんな。私はそれほど真面目ではないのです。かといって今の上意下達も気に食わない。これ以上無茶を言われるのなら、お上であろうと牙をむけかねませんな。実際、あなた様を人質に取ったりしてるわけでして」
あまりに過激な物言いに、また悪い癖が出たと家臣団は色をなくした。すでにこれだけの無礼を働いているが、女王殿下の機嫌さえとっておけば後々悪い話にはならないだろうという希望がまだあったのだ。なのに謀反する気があるかと問われて、ありますが何か? と、この殿様は答えたのである。
ヤナギの態度は目に見えて大きくなった。
「ちょうどいい、私も尋ねたかったことがある。人器をひとところに集めよ、などという馬鹿げた勅命は誠であるか。それは陛下の御意志か否か、あなた様なら知っているはずだ」
「それは私から答えましょう」と翌木がしゃしゃり出る。
「下がれよ。今いいとこなんだ」
「いいえ、その真意を女王殿下はご存知でやしゃりません。代わりに私がお答えしましょう」
「吹かすな。役者風情が陛下の御心に触れることなど…」
そこまで口にして、ヤナギは気付いた。
「そうか…そういうことか」
「陛下と殿下は別々の勢力にございます。殿下を他の家臣と切り離したのはこのため。そして、御二方の意思を捻じ曲げ、たなごころに収めんとする勢力もまだ別のもの。そやつらの野心と、私どもは反目する者にございます」
「そうか、では陛下の御心とは如何なるや」
「全ての人器をこの世から消し去ること」
ざわ、と家臣が騒ぎ出す。
「何を世迷言を!」
「陛下がそのようなことをおっしゃる筈がない!」
騒ぐ家臣とは裏腹に、ヤナギは背中に入った虫を取って欲しくてたまらないように、ひきつけでも起こしたように、身を捩らせている。
「…クハ……フハハハハ…ヒハハハハハ!!」
もはや我慢しきれず、笑い出した。
それは見るものをぞっとさせる狂態めいた哄笑であった。
「対立軸がハッキリしたなぁおい!」
「賛同していただけますか」
「まあ待て、少し話をしよう。昔々のお話だ」
光を多く吸った目で、ゴミ箱を開けてみたら金銀財宝が詰まっていたみたいに語る。
「この世がまだ三つの国に別れて、しかもその国の中でも家督だの何だので争いが絶えなかった乱世の話だ。…北の地で、この国をひとまとめにしようって動きがあった。知っての通り八犬衆よ。奴らは不思議な人器の力で並み居る武将をことごとく破り、民を味方につけ都に下っていった。ちょうどそんとき俺は山青を手中に収めて、あとは奴らと一緒に北と西から文渓を突くか、逆に天領に味方して八犬を追い払うか、分かれ道に立たされてたんだな。俺がどうしたか、分かるか?」
「…何もなさらなかった」
「そう! 俺はどっちにも付かなかった! どっちからも使者が来たがはぐらかしてきた! 日和見と侮られた。けど俺ぁわかってたのよ、どっちについても大して面白くねえってな」
嬉々として話すヤナギと、押し黙る翌木。雅は困惑して眺めるしかない。
「結果として八犬は負け、逃げ帰った奴らはねちねち多い回された挙句国すら失った。北の地をひとつにまとめた涌泉という国の名も、一抹の泡だったのよ。他は八犬がいなきゃ烏合の衆だ。つまらん。俺は天領に付いた。そしてここ十年無聊を慰めていたわけだ」
「…何故、でございましょう。山青ほどの力があれば文渓をその手に収めることも難しくなかったはず。何故自ら下に付くような真似を?」
ヤナギは三日月のように笑う。
「文渓はそのとき西と戦えるだけの兵力がなかった。すべてを北に向けざるを得なかった。こっちと北が同盟したら降伏するしかなかったからよ。そんなことをしてしまったら、どうなる、おい? 戦が終わっちまうだろうが!」
夜天を仰ぎ、もどかしそうに涙さえ浮かべて。
「俺は奴らと戦いたかった! 天領軍を飲み込んで西進する八犬衆に正面からぶつかりたかった! 天領を取った暁に国を二分する大戦を! 俺の全知全能を捧げたかった!! なのにあいつら負けやがった負けやがったんだクソ畜生が!!」
皆、言葉を失っていた。
戦は利益のためにやるものだ。
土地を得るため、守るため。栄誉を得るため、誇りを取り戻すため。義を尽くすため。
戦のための戦など誰が好き好んでやるものか。
「──十年、十年の退屈がようやく終わりを遂げる。俺の喜びが分かるか? ようやく、ようやくだ、ようやく天領に巣食う犬が、蘇った八犬が、力ある者が揃って俺を見てくれた…この時を待って、待って、待って待って待って待って待って待って待ち望んだぞ! 今度の戦の中心は、文渓じゃない!! ここ山青にあるッ!!」
歓喜がその身を支配している。言い換えればそれは狂喜であり、常人の理解を置き去りにするものだった。
「早まるなさるなヤナギ殿! 陛下の御意志は、山青の地に敵対するものではござりゃんせん!」
炎を背にするヤナギは、影に塗られた姿で、爛々と輝かせた目だけを翌木に向ける。
「何が違う? なるほど、貴様には俺が鬼のように映るだろう。だが俺と貴様、どう違う? この世から人器を消し去るなど世迷い事をのたまう貴様と、そんな奴らは喜んでブチのめして差し上げようという、戦の大好きな俺とでは、どちらがまともだ?」
「人器は犬には過ぎた力! それが戦の火種になるのなら、取り除くべきという陛下の御心がわかりませぬか!」
「わからんなぁ、戦の何が悪い?」
もはや取引は破談していた。
「…話が通じませぬ」
「待てよ。まだだ、俺はなぁ新しい国を作るってところには賛成なんだ。そもそもそういう話だったろう? 弁天院の女王殿下を旗印にして独立する。攻めてくるものは退ける。いずれ文渓も滅ぼして大国を築き上げる。人のいらぬ世を作る。ほら、まともだ。だからそっちの女王殿下は渡してもらおう。貴様はいらん」
「? ?」
雅はここで大きなずれに気付いた。
もしかしてこのふたりは、何かひどい勘違いをしているのでは。
「あ、あの!」
「八犬の息がかかった者と手を組むつもりはないと、最初からこちらを利用する腹積もりでありましたな!」
「そうよ、織り込み済みだろう? 乗らなかったら無理やり従わせる気だったろう? なら話は早い。乗らない。俺は八犬と戦いたい。殿下は貰い受ける。さあよこせ」
「あの! 私は!」
「させませぬ」
翌木は諸手を大きく振るった。
竜巻のような破壊が巻き起こった。
本丸の庭、石畳が弾け飛び、空中で幾重にも切り刻まれ、砂塵の暴風となって前方にあるものを手当り次第に蹂躙した。
その瞬間に、翌木とヤナギの間にあって、無事なものは何一つ無くなっていた。
ヤナギは直前に大きく飛び退き、本丸のふもとまで下がっていた。
飽きれた逃げ足と、貼り付いた余裕の笑み。
「あの絡繰はどうした? 佐野に壊されたか? んん? おかしいなぁ、腑に落ちんなぁ。それほどの力があって何故あんなものを使っていた?」
「佐野殿の独断、知っていやしゃりましたか」
家臣の連れてきた馬にヤナギは騎乗する。ともに渡された矛は、ここから逃げる気など一切無い事を宣告するものだった。
「あいつは愚直すぎたのよ。仕方ないから指揮は引き継いでやったが、戦場の流れを作る敵があるなら、そこを断ち切らんとなぁ」
「やはりお手前様が…」
翌木の中にふつふつと湧き上がるものがある。それは感情の源泉だった。芝居や見栄の一つも無い、むき出しの怒りがそこにあった。
それを見透かしているようにヤナギは穂先を向ける。
「そういえば、貴様佐野の仇か」
「お手前様は、かわいい手下の仇です」
「仇は討たんとなぁ」
「ええまったく」
口火が切って落とされる。砂利が弾け、風は荒れ、金切り声ような咆哮が炎を揺らし交わされる。




