「優しさと嘘」
献上品の一部先渡しは門前払いを防ぐのにある程度の効果は挙げたようで、「ヤナギ様に取り次ごう」とは約束してくれたものの、日が落ちるまで待ちぼうけを食らわせた挙句、「現在、ヤナギ様は多忙を極めている。伝えておくから、明日また参られよ」と、結局鋼一行は宿町まで引き返す羽目になった。
これに意外にも、鋼は素直に従った。
城に着いたのは夕刻であり、身分を隠し通すなら、その日のうちに会える望みはどのみち薄かったのだ。慎重を喫してあえてそうしたのだから引き下がるしかない。
鋼は黙っていた。
城から引き返した時も、宿を取る時も、牛と荷車を預けて番に駄賃を渡す時も、厠へ用を足しに行く時も、表情らしい表情も浮かべず、幽鬼のように漂っていた。
これにアヤヒはぴんときてしまう。
キレたのだ。こやつは。
鋼は普段からむすっとしていて口調はキツイしすぐ殴るしで不満があればすぐ口にする。いつも何かに怒っているように剣呑とした顔付きだ。だが、鋼にはそれが平常で、それ以外の時がおかしい事をここ数日でアヤヒは学んでいた。
鋼はどうにも許せない事があったとき、血の気が引いて冷静になる手合いではないだろうか。
そして静かに爆発するのだ。
鋼のその様子をアヤヒは危険信号と見なし、片時も目を離さないようにした。親子で別の部屋にするのはおかしいからと宿帳も同じ間に書いた。階を貸し切って巫女たちも隣室に控えさせ、目を光らせるようにした。
そんななかで、鋼は何故か床に銭を広げ、金勘定なぞしている。
会話も無く、同じ部屋で銭をまとめて紐でくくる作業を、アヤヒはしばらく見つめていた。
「のう、鋼」
返事は、すぐには返ってこなった。
「のう」
「なんだよ」
その不機嫌そうな声が、何故か微笑ましく感じてしまう。
「前、船でおぬしに聞きそびれたことがあっての、憶えているか? あの女が乗り込んできたときじゃ」
「いや」
「雅嬢のことじゃ」
ぴた、と手が止まる。
「何が聞きたい」
「いやの、あの子はおぬしの、本当の子供なのか、と気になったゆえ」
鋼はしばらく黙った。
こちらの意図を探っているような目。
「あいつは、捨て子だよ。こっちまで逃げてくるとき、拾ったんだ」
「では母親はいないのだな?」
「ああ。俺ひとりで育てた」
それを聞き、アヤヒはひとつ息を吐いた。
「のう鋼、わらわが八犬の話を聞いたのは、陛下御自身の口からじゃ。それは話したな」
「ああ」
「わらわはおぬしの活躍を聞いて育った…と言って良いくらいじゃ。それほどたくさん聞いた。陛下は話をするとき、いつも、とても穏やかに、懐かしむような容相をしておった。わらわの生まれる前のことじゃから、心の内を推し量ることはできぬが、陛下はそのときの失敗を…おぬしのことを、恨んではおらぬのだけは確かなのじゃ」
十年前、陛下を拉致しようとした八犬衆による『天略事件』。裏で手を引いていたのは何を隠そう天元陛下本人である。郭内でも、その真相は長らく封殺されてきた。天元が民を見捨て、宮城を自ら離れようとしたなど誰の耳にも触れていいものではなかった。
「陛下の…母上の御心は、きっとあの頃から変わっておらぬのだ」
鋼は銅銭を強く、強く握りしめた。
「そう、確かめたのか?」
「確かめずともわかる。でなければ、何故わらわに八犬の話などできる? 母上はいまだ、おぬしに連れ去られたいと願っておる」
それを聞いて寸刻、鋼は止めていた作業に戻った。
「鋼は母上のことを、今はどう想っておるのじゃ?」
沈黙。慎重に言葉を選んでいるのが分かる。
「…俺は陛下に裏切られた、と、思っていた」
五十枚でひとくくり、手の中に収まるように。強く指で弾けば止め糸が解けるように調整している。
「けれど、よくよく考えるりゃ、裏切ったのは俺の方だ。俺は人間を信奉していただけで、彼女を信じてあげられていなかった。人間さえ味方に付ければ何もかもも上手くいって、全部救われるって馬鹿みたいに信じてた、どこにでもいる仕様もない若造だったんだ。ここ十年でそれが身に染みてわかったよ」
束になった銭を集め、布でひとつにまとめた。
「今さら俺にあのひとを救う資格なんてないよ。国とか体制とか、変えられる器じゃなかったんだ。合わせる顔がない」
「母上はそのときのことを未だに悔やんでおられるのじゃ。御身が犬であることを明かしておったなら、きっと違ったであろうと…」
「いいや同じだ。俺が馬鹿だったから陛下はそれを明かせなかったんだ。実際、んなこと先に知らされてたら、天領に乗り込もうともしなかったぜ、絶対」
「じゃが…」
「過ぎたことだ。仕方ないだろ」
「じゃが、わらわは母上を救いたい! この国を変えてみせたいのじゃ!」
ムキになってアヤヒは叫んだ。
「郭内は頽廃しておる。総統府も新たな火種を探そうと躍起になっておるのじゃ。また母上が悲しむ。わらわにこの時、霊玉の人器が宿ったのは、大いなる意志が世界を変えよと、天命を授けたからに違いないのじゃ!」
鋼が向ける険しい目線。
アヤヒは身が竦みそうになる。
浮かれている、と思われているのが分かった。霊玉の人器が発現したくらいで図に乗るな小娘が、と。
鋼はかつての自分を見るようで、不愉快なのだろう。怒りも当然あるだろう。終わった事を蒸し返してどうするつもりだと言いたいのだろう。
「これは、わらわ勝手に吠えておるだけじゃ。おぬしが今さら、と言う気持ちは分かる。おぬしにはおぬしの、わらわにはわらわの道があるからの……じゃが、こうは思ってくれぬか? わらわとおぬし、目指す先は違うが、今はこうして道を交えておる。この道の交わりにはきっと意味があるのじゃ…とな?」
鋼は大きく息を吐いた。
そして、ふっと笑った。
「これから先のことを、俺なりに考えてみたけどな、どうも行く先々でお前が横切ってくる気がしてくる。ここまで関わったんだし、この件が片付いたからって、ハイさよなら、で済むわけにはいかなそうだ」
「じゃ、じゃあの!」
「まあ、しばらく世話になることも考えなっくちゃな、とは思ってたさ」
「わ、わふー!」
遠慮も何もない。思い切り腰に飛びついていた。
「わらわはの! おぬしを気に入っておるのじゃ!」
「…そりゃどーも」
「しばらくと言わず、いつまででも良いぞ!」
「あー…姫さま、弁天院のご党首様におかれましては、何卒、下位のものに気安く触れたりせぬように願いしますぞ。それと尻尾で機嫌が分かるのは、はしたないです。半人前の証ですぞ」
「構わん。ここにいるのはわらわとおぬしだけじゃ」
見られてる見られてる。ふすまの隙間、縦一列に並ぶ血走った巫女たちの目が、天井裏で何か鋭利なものをしゃり、しゃりと研ぐ音が。
さりとて、これほどあからさまな好意を向けられて悪い気がするはずもなく、鋼も手元にある頭を撫でてやるくらいの甲斐性はあるのだった。
(やりずれぇ……)
+
アヤヒが豪快に寝静まったころ、鋼はひと通りの準備を終えて宿を飛び出していた。
音も立てず観笠が並走してくる。
「おっさん、おめー言ってることちがくねえ?」
「何がだよ」
「しばらく世話になるんじゃなかったのかよ」
鋼はとても悪そうな顔で笑う。
「お前こそ、止めないのか?」
「知らんし。アヤヒ様はああだけど、観笠は観笠なりにアヤヒ様のこと考えてっし。こうやって見張ってんなら、しゅ、しゅ、主命? に背くことにはなんねーからな」
「俺も何もなけりゃ戻ってくるさ。ただアヤヒは、ヌルい。理想を唱えりゃ犬が付いてくると思ってるな。あっちの出方を待つだけじゃ、いいようにあしらわれて終わりだ」
「アヤヒ様を信じてないんだな」
「んな甘い世界じゃねーよ。ヤナギの野郎がどんな奴かアヤヒは知らないんだ」
あの食わせ者を。
今は狒々じじいで通っているが、部類の戦好きでもある山青の主を。
『独槍のヤナギ』を。
「娘さん探しに行くんだよな?」
「そうだが何か?」
「ジッサイ見つけたらどうすんだ。アヤヒ様置いて逃げんのか?」
「…………」
「ま、観笠はそのほういーけどねー」
アヤヒとの約束。雅をその命に変えても見つけ出して取り戻す事。
そんなのは、いい。
アヤヒが命を張る事なんて、ない。
いくら責任を感じていても、雅の事は本来アヤヒに直接関わりの無い事で、それに心を取られたら、やるべき事もできなくなってしまうかもしれない。
悪いが、国なんてどうでもいいのだ。
意味なんて無くたっていい。
アヤヒに助ける義理があっても、鋼には助けられる義理が無いのだから。
「死んでも助けてやんねーかんなー」
観笠のやる気のない忠告に、鋼は苦笑を返すだけだった。




