間話
ところで、人器を扱う事が許されている犬は少ない。
これは人器そのものが、触れえざるものである事を意味している。
人の手になる物として神聖視されているのも勿論の事、過去に扱いを間違え数え切れないほどの死者を出しているからだ。
例外として、取り扱いを許されているのが、天族と呼ばれる天元の直系と、その家や下部組織に属する神職の者、巫女である。
巫女はその身に『神気』を降ろす事で人器に触れる許しを得る。
何やら胡散臭くなるが、具体的には現世の『穢れ』を人器に触れさせないため、視覚を遮断するのだ。
要するに目を潰す。
と言っても、巫女のすべてが視力を失わなければいけない訳はなく、それらは厳密な階級制に基づいた要職の一部に限った事だし、下級の巫女は目を布で覆うだけだったり単に目隠しするだけだったりする。
共通する決まりとしては、その状態のまま日常業務がこなせる事。
つまり位の高い巫女ほど、普通に暮らす事は難しくなる。
巫女は研究職であり、位が高くなるほどに視力を奪われなくてはならない事は矛盾しているように感じるが、それほどの困難を受け入れた者にしか、人器に触れる資格がないのも人器の持つ凄まじい力と危険性を表しているとも言えよう。
その恩恵が一般に普及する事はほとんど異常事態であり、神威を貶める事になりかねない。
誰もが簡単に人器を使えなどしたら、いつかそれが当たり前になって、誰もありがたがらず、畏れなくなってしまうからだ。
それは犬の滅びを意味した。
故に、禁忌に触れる側面を持つ巫女は祈りと信仰によって、現世の穢れと切り離されなければならなかった。
こうしていくつもの模倣人器が生まれる。どれも犬の生活を豊かにするためのものであり、人器のはたらきを読み取り、その機能や原理の一部を生活に落とし込んだものだ。犬が作った犬のための道具なら、神威を貶める行為にはあたらない。
だが唯一、例外中の例外として、人器を直接使う事を許された巫女がいた。
禁忌を破ったのは柏槇と言う巫女だった。
柏槇には生まれながらに視力が無かった。
しかし理解は良く、まるで物が見えているように目明の者と同じ振る舞いをして、時にその感覚は超常と呼べるほど物事を良く察し、予言さえしたという。
まさに巫女として生まれてきたような子で、神職に召し上げられてからはみるみるうちに出世したらしい。
特異な才能を持っていただけに、彼女は特異な価値観も持っていた。
彼女は神に対しての敬いや、信心などはこれっぽっちも持ち合わせていなかったのだ。
それはいわゆる信仰と呼ぶべきものとは正反対の、穢れた考え。
人器なんてただの道具。
扱いは難しいかもしれないが、解ってしまえば何の事はない。
こんなものをありがたがって崇めたり畏まる奴らの気がしれない。
全ての道具は使われるためにあるのだ。
宝物庫や祠の奥深くに封じて、祈りを捧げたりお供え物をやるなんて、むしろ人器を冒涜しているとしか思えず、そんな益体も無い因習はさっさと滅んでしまえとさえ思っていた。
当然そんな考えは異端もいいとこであり、知られたら打ち首のうえ家名取りつぶし。一族皆路頭に迷ってしまうわけであるから、内心を悟られまいと芝居するくらいには彼女も犬が出来ていた。
人器を研究し尽くして犬の役に立てること。それが彼女の願いであり夢だったからだ。
信じてもいない神に毎夜祈りを捧げるくらいどうってことない。他の巫女が恐れて研究に取り上げないような人器も触り放題なのだから、わざわざ波風立てるような真似はしなかった。
それでも、あるところを境にして、巫女の教えは邪魔になってしまう。
人器は道具だ。
ではその道具は、何のために作られたのか。
犬にとっての人器とは竜巻や火山や雷と同じようなもので、すべては神のなされる事、それによってもたらされる災いも恵みも、等しく自然の起こす現象として受け止められている。
神の力を利用する事は勿論、力の解明さえ厳しく制限されているなかで、「神の意志の解明」など、もう一介の巫女の触れて良い領分ではなかった。
なのに、
研究を続けるうち、「神の意志」は何度も何度も柏槇の前に現れる。
そして、せせら笑うのだ。
それが解らなければ、何も手に付かなくなるほどに。
ある意味それは、人器を研究している者であれば誰もがたどり着く、当然の限界であった。
柏槇は恐れた。
神を冒涜する事ではなく、それを解明して、その先に足を踏み出す事に。
自分は消されてしまうんじゃないか。
異端であることが露呈して、もう二度と人器に触れられなくなってしまうのではないか。
悩んだ。
悩みに悩んで悩み抜いた末。
柏槇は教えを請う決意をした。
天元陛下。
生き神である人間に、謁見を望んだのだ。
死んでその魂は神の元で洗われ、再び現世に生まれ変わるという。そんな研究も立証もできない事を信じているわけではなかったけれど、人間の意志は人間に訊ねるのが一番に決まっていたし、無能で莫迦な盲信者どもに異端だ冒涜だと騒がれるより、この世界の最高権力者に頭から駄目と言われた方がきっぱり諦めも付くものだ。柏槇は玉砕覚悟で謁見に臨んだのである。
そして──
好きにするが良い。
其方の身は朕が守ろう。
まさかのお墨付きを貰った。
柏槇は狂喜して研究に明け暮れたが、この頃から彼女の足取りは曖昧になっていく。
おりしも各地で戦乱が巻き起こり、口伝も記録も信用に足るものは無くなっていった。
天元陛下が柏槇の存在を隠していたからではないかと、一部ではまことしやかに噂されている。
『天略事件』以後、彼女の消息を知る者はいない。
ひとつはっきりしている事は、柳川に眠る至宝〝魂讃〟を目覚めさせたのが、柏槇である事だった。




