「平和に仕えしもの」
壁門の上にずらりと並ぶ弓兵たちは、明らかに翌木たちを待ち伏せたもので、飛び退いて路地裏に駆け込もうとした時にはもう槍持ちの犬に路地の入り口を塞がれていた。数は二十、三十、四十を超える。赤茶色の具足は、ヤナギ軍特有のもの。
「誰の差し金でありますか!」
壁門の奥。望楼の頂点に、激しく指示を飛ばす犬がいる。──佐野権左衛門重秀。庭師から槍方指南役にまで成り上がった叩き上げの武将。
「佐野殿!! これはヤナギ殿のご理解あっての事でございましょうかっ!!」
烈火のごとく吠える翌木を佐野は侮蔑の眼差しをもって見下ろす。
「貴様らはこの柳川に騒乱を持ち込む下賤の輩だ!! この地を守るお役目を果たさせてもらおう! ここで死ね! 殿下は我らが丁重にお出迎えする!」
「つまりは、お手前様の独断にございますね」
遠慮する必要はなくなった。
「皆の衆、誠意をもって、蹴散らしませい!」
「「「応さ!!」」」
手に手にまろび出てきたものは、大小様々な火石銃。阿天座の面々はそれを一斉にぶっ放した。
「さあさあ、確とご覧じませ! 通りゃんせ! 通りゃんせ! ここは天人様の細道じゃ! 囲まれる前に逃りゃんせ! 阻む者は斃しゃんせ!」
勢い込んで路地に駆け込むが、既に建物の上に弓手が配置されていた。
そこらにある仕切り板や戸を外して盾に、鉢植えを被って兜に、一座は路地を駆ける抜ける。その姿はものの見事に烏合の衆。水桶が盛大に割れ、家禽の檻が砕け散る。あちこちで罵声が飛び、降りしきる矢に封殺されていく。屋根を伝って跳ぶ犬の影。先々で鳴らされる犬笛の音。
「丁重な出迎えとは随分でありますなぁ」
「姐さん姐さん、こりゃいけねえぜ。頭を押さえられてる。どこいってもバレバレですぜ」
「下からじゃ狙いにくいっす。ジリ貧っす。マジヤバっす」
「ケツいてえ! ケツに刺さった! 俺のケツが!」
地の利が最悪。それが分からない翌木じゃない。あの望楼から大まかな位置は見えるだろうし、屋根の上の敵はどこまでも食い下がっている。
このまま区画の端へ端へと追い込まれるのは目に見えた。それに門を押さえられてたら、どこへ行こうと逃げ道は無い。
「申、殿下を頼みますよ」
「ふへへは! じゃあこっちはこっちで何とかしますわ」
一歩踏み出すあいだにもう翌木の姿は消えていた。
意識を取り戻した雅は、申に抱えられたまま目を白黒させる。
「あっ、あのっ、なにごとなのですか!」
「あー姫さん、大丈夫安心してくだせえ。こんくらい慣れっこですから。姐さんに任しときゃ、何もかもうまくいきますって」
屋根の上で犬の悲鳴が上がる。通りに出てきた敵に容赦無く弾を叩き込み、阿天座はひとかたまりの波となって邪魔者を呑み込んで行く。
+
矢を放つには近すぎる、刀を抜くには遠すぎる、それが翌木の必殺距離だ。
実に十秒。
きっかり十の首が飛んだ。
それが屋根に配置した弓手のすべてであった。
「何をしておる! こちらに来るぞ!」
佐野は怒鳴る。たかが女と侮ったわけがない。あの女の強さは、槍と指をへし折られた佐野自身がよく知っていた。今度は最初から大男より翌木の方を警戒していた。だからこそ槍ではなくより遠くから仕留められる弓を選んだのだ。
翌木は盲目。
飛来する矢が見えるわけがない。
「引きつけずに射れ! 矢の量をもって捉えよ!」
壁門に伏した兵は二十。元は門前まで引き寄せて、一気に仕留めるつもりが、耳が良いのか鼻が良いのか予期せず遠くから気付かれてしまった。だが、自ら向かって来るなら兎撃ちより容易い。
屋根を伝い疾駆する翌木に、矢の奔流が押し寄せる。
退いても寄っても当たる必中の物量。
翌木の前に、突然黒い塊が割り込んだ。
「なん…だあれは!?」
鎧武者だった。
城を襲った鎧武者。
それには違いない。
だが首が無い。
左腕が無い。胸から上が岩石に潰されたかのように爆ぜている。
それが全力疾走してくるのである。
翌木の盾になってたちまち矢衾になる奇怪な何か。まだ動く。千切れかけで垂れ下がる片腕を振り回し、足腰だけが獰猛な獣のように、血を求め迫る亡者そのものの呈で。
「ひ、ひあああァァ!!」
「化け物だ!」
「休むな!! 撃て!!」
動揺は恐怖へ転じるが、手を止める者はいない。突かれたように矢をつがえ、放ち続ける弓手たち。
手持ちの矢をすべて使い果たした時、化け物はもう壁に飛び移るまで肉迫していた。
そこにあるのは武者というより雲丹や針鼠と言ったほうが正しく、ひきつけを起こしたようにぎりぎりと動くさまは、もう悪鬼と言うより他に無かった。
「あああああああ───!!」
槍に持ち変えた兵が四方八方から吶喊する。
壁に降り立つと同時に串刺しにされ、寄ってたかって突き上げられるともはや形を保つ事も難しく、鎧武者はバラバラに裂かれ、壁から落下していった。
「やった! やっつけたぞ!」
沸き立つ兵士のなかで、望楼の上にいる佐野だけが、一時の安堵も無く、息を飲んで弓を構えている。
からん、
と。
漆塗りに、桜模様の入った下駄が、兵たちのいるすぐそばで鳴った。
翌木は望楼の元に降り立っていた。
この時まだ佐野も、他の兵たちも、屋根にいた他の弓手がどうやって首を跳ねられたのか解らなかった。気を付けていたのは、やたらと大きな馬鹿みたいに強い男がいるから絶対に近付けさせない事。女の方も何をするか分からないから十分に注意する事。仲間がやられたところを見れば、腕利きであるのには違いなく、しかしこの人数相手に何が出来るという油断は確かにあったのだ。
旋風が巻き起こった。
油断の代償として、その風は、兵の血と肉の一部から出来ていた。
数瞬後に壁の上に動くものはいなくなっていた。
翌木は鮮血のひとしずくさえ浴びていない。
「…手応えがありませんなぁ。内政にかまけて兵の鍛錬を怠っていましたか」
「……糸か! 強靭な糸を刃のように走らせているのだな!」
翌木の指先から血を吸って垂れる十の筋を見て、佐野はそう判断した。
「はい。それが解ったとして、どうなされるお心算ですか?」
「既にそれだけの血を吸えば重さで自由は利くまい! そして貴様は盲目! あの大男を盾にしてしか矢は防げぬ有様よ。ならば!」
佐野は、自らの弓に矢をつがえる。
佐野の弓は、ほかの弓手とは太さも長さも違っていた。
身の丈よりもゆうに高く、幅は通常の弓の三倍はある。
そしてつがえた矢は、芯まで鉄で作られていた。
並の使い手では弦を引く事さえ叶わない。その威力は樹齢百年の樫を貫くほどだ。
加えて彼我の位置関係。佐野は望楼の高みにいて、手すりや柱に守られる。
翌木は退路が左右に無い一本道の開けた場所。
散らばった配下たちを見るにすべて肘や首、膝などの関節部を切断されている事から、あの糸では鎧を寸断する事はできないのではないかと考える。
恐らく一度巻き付けて引き寄せる事で、肉を切り裂く攻撃法なのだろう。近接していないうえ、周りに障害物があればそれだけ狙いは難しくなる。
攻守ともに絶対的な有利が佐野に揃っていた。
佐野は翌木を、標的を真っ直ぐに見据えて離さない。弓は既に最大限まで引き絞られている。
だが、翌木はその場から動こうともしない。
弓に狙われているのだ。普通なら逃げ回るなり何なりするはずだ。何故動かない。それは余裕以外の何物にも見えず、佐野は不気味で仕方が無かった。へし折られた指が、今更ずきずきと痛み、舌から汗がとめどなく溢れてくる。鼻が痛いほど乾く。毛の逆立ちと全身のかゆみ。視界の端がぐるぐる回り、ともすれば狙いを失いそうに、
「──まだでやんしょうか?」
その一言に背中を押された。
カン、と乾いた音に放たれた矢は風を裂き、確実に翌木の元へ到達した。
そして、それだけだった。
翌木の鼻先一寸で、虚空に縫い止められていた。
見えない蜘蛛の糸に絡め取られるように。
「馬鹿な…馬鹿な馬鹿な馬鹿なッ!! 見えぬ筈だ!! …まさか、掴み取ったというのか? たかが糸で、鉄の矢を!? あり得ぬ!!」
「あり得たからこうしてあるのでございましょう? それに、目が見えないなんて誰が言いましたか」
「なんだと…」
「私には見えております。こうして目を閉じていても世界の姿が、あり得べき真実が。美しい山々が、空が、上る月が、匂い立つ風が」
「何を言っている!」
「ですから、あってはいけないものも、はっきりと見えるのです」
佐野が二本目の矢をつがえる前に翌木は動いた。
「〝彩七美〟──」
望楼が、吹き飛んだ。
丸太の柱が、銅張りの屋根が、高台をなすありとあらゆる構造物が、細切れになって飛散した。
「座興は終わりです。主人でなく、平和に仕えていた貴方を尊敬します。願わくば、次に生まれ変わるなら、戦乱の無き世にまた会えましょう」




