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戦う犬の冒険  作者: 地藤零一
3章
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「盲目の夢」



 柳川の町は城下町であり、町自体を三つの険岳が囲む城塞都市だ。

 大きな交易路の分岐点にもなっているため、それ自体が国と言って差し支えないほどに、山青(さんしょう)のすべてが集まる場所である。

 出入りも当然厳しいうえ、税の取り立てまである。

 町の入口には大きな門があって、商犬たちが町に入るための手続きに列を作り、ひどい時は何日も足止めを食らう事さえあった。


 丁度そんな日に出くわしたようで、城門前の道端にテントを張って多くの犬でごったがえす道を、阿天座(あてざ)の面々が乗る馬車は悠々と横切って行った。


 はっきり言って怪しい集団である。

 どいつもこいつも奇天烈な格好で埃まみれの顔をしていて、山賊が大道芸人始めましたという感じの胡散臭さが漂っている。その先頭にいる犬が、遊廓から抜け出したきたような美女なのだから、なおさらだ。


 居並ぶ荷車の横をすり抜け、詰所の番に手形を突きつけると、ほぼ無審査で颯爽と町へ入っていった。


 翌木(あすな)は不思議に思っていた。


 門番といものが、ほとんどお情けで帯刀を許された使い走りなのは知っていたが、それにしても、こんな怪しい集団を素通しするなんて、こいつらやる気があるのだろうか。

 それとも、ヤナギの根回しが効いているのか。


 職務に忠実なのは良い事だが、翌木は目が見えないので番犬の「ああ、こいつらか」という表情も、仕事を右から左に流す怠慢さもわからず、世の中不思議でありますなぁと、ぼけた感触しかない。


「ああ、それにしても気になりましょう、気になりましょうな。あの殿方は一体何処の何方ございましたのでしょう? あの方と出会った時、なくした目がうずきました。懐かしい感覚でございました」


 船中で、弁天院アヤヒ女王殿下の誘拐を邪魔してきた男。

 行動不能には持ちこめたが、こちらも絡繰人形を壊されて戦力は半減した。

 尋常ならざる力の使い手だ。


「あれは放っておいてはいけない不思議でございました。こちらに大任があったとはいえ、捨て置く惜しさがありましょう。ああ、あの方と再び会う事、この翌木に叶いましょうか」


 翌木のとなりに置かれた樽が、かた、と揺れてから言った。


「できますよ」


 蓋が開く。

 白い面の目が覗く。


「私のパパですから」


 聞き耳を立てていた大道具の申が「パパ! パパですってよ!」と腹を抱えて笑った。蹴りをくれると馬車から落ちて、茶店のすだれに突っ込んでいった。


「ぱぱ? ぱぱというのは、弁天院の王配殿下…の事であらせられやしょか?」


「違いますよ。私のパパです」


 なんだろう、噛み合わない。

 陛下の血を引く分家筋が、いわゆる御三家と呼ばれ、都の権力を握っている。これらは世襲ではなく、別に陛下の寵愛を受け御三家の当主を産ませる役としての王配がいるのだった。武芸に優れ、家柄も確かな犬から選ばれると聞くが、王配自体は形式的な権力しか無く、せいぜいいくつか重要な祭事に名を連ねてはいつの間にか消える、御三家とは縁もゆかりもない犬であるはずだ。

 本当のところはよく分からないけれど、でないとしたら何なのだろう。


 不思議な少女だ、と翌木は思う。


 彼女、弁天院アヤヒ女王はおかしな事に、まったく物怖じしない。

 どころか、騒ぎ立ても暴れもしない。

 翌木は手下の連中が、アヤヒと間違え、雅を連れてきた事に気付けなかった。

 知っていたのは、「顔を隠している幼い犬」という事ぐらいで、「めんどくさいから身内の前では前掛けの布(きれ)をしていない」なんてアヤヒの怠け癖までは知る由もなかったのである。


 あまりにも大人しいので、猿轡を巻くのも躊躇われ、ときどきこうして話しては探りを入れているのだった。


「きっとお小遣いくれるパパ的な何かですぜ! 姐さん!」


 走って追いついてきた助平の申を、そこらに転がっていた柄杓で撃退すると、翌木は煙管(キセル)に火を入れた。ふぅ、と一息。他の面子は何やら薄ら笑いを浮かべている感じで、先程からこのお姫様との会話を聞きたくて仕方ないという雰囲気。揃いも揃って下種ばかりだから、身分高く幼い犬なんて格好のからかいの的なのだ。


 そのお姫様からも、物問いたげな視線を感じる。


「あの、あの、あの」


「なんでございましょう」


「翌木さんは、どんな、ご職業の方なんですか?」


 言うこと欠いて、かどわかしに仕事はなんだ、とは。


「私(わたくし)どもは、しがない役者どもの一座にございます。昨今、興行と名の付くものは廃れゆくさだめにあるようで、こうして身分卑しからぬ家の子を攫っては身代金をせしめ、芝居の足しにしているという有様です。有り体に言うと、悪党でございましょう」


 はぁ、と気の抜けた声。


「でも、でも、パパはあんまり、お金持ってないです…ごめんなさい」


「何も、『パパ殿』から銭をせしめようなど。こういうものは、別のお偉い様が落としてくれるものでござりゃんしょう。それに、先刻からお手前様は謙遜していやっしゃる。お手前様は正に国を動かすお方。どうかこの悪党めに気遣い無きようお頼み申します」


「……ふ、ふふふ」


「何かおかしい事でも?」


「自分を悪党だなんていう犬の人、初めて見ました。翌木さんは嘘つきなんですね」


 何故か楽しそうに言う。


「…何故にそう思いますか?」


「だって、まるで、そう思うならそうしろ、って言ってるみたいです。何も悪いことはしてない。こうするのが正しいんだって。分かってもらうのが面倒だから翌木さんは嘘をつくんじゃないですか?」


 ざざ、と。

 手下が一斉に尻尾を隠した。

 攫われてきた立場を分かってないお姫様の発言は、余裕よりも挑発と見て取れたのだ。


「お手前様は…」


 ああ、この姫さん、死んだ。

 その場の誰もがそう思った。


「素敵な方でいやしゃりますなぁ!」


 ところが、翌木はこれで機嫌を良くした。


「怯えもしない、去勢も張らない、心から笑う余裕さえ見せる! その気風の良さにこの翌木、心打たれました! その通り私ども、自らの所業になんら顧みる事ござりゃんせん。お手前様を引っ攫ったのも、別の狙いがあっての事。まぁお金も少しは欲しいですが」


「では、何のために?」


 がばっと蓋を取り払われる。

 目の前に翌木の目隠し。面長の鼻。


「この世界には秘密があります」


 囁くような声だった。

 樽の中から引っ張り出され、雅は外の景色に放り出された。

 柳川の街道。

 町というので、漠然と太い道、平屋の連なる風景を想像していたのだけれど、全然違う。

 その町は石で出来ていた。

 大きな建物がたくさんある。

 どこからか、ごぅんごぅん、と地響きのような音が聞こえる。

 煉瓦の家。整備された道。湯気を立てる側溝。建物の多くは二階建てかそれ以上で、空は狭く縁取られていた。極彩色の外装に、そこここを巡る配管。遥か遠くに霞んで見える煙を吐く尖塔。一直線並んで揺れる、それぞれの屋号をかざした提灯の群れ。


 思わず雅は面を外してしまう。

 うっすらと染み付くような、何かの焼けた匂いがした。


「…すごい、のです」


 五感に刺さる情報密度に、めまいがしそうだった。


「お手前様、柳川は初めておいでやしゃりますか?」


「こんなの、初めて、なのです」


「さよ。文渓の町は歴史ある趣きの町ですが、ここも違った意味で歴史深い場所なのです。近代的と申しましょうか、かつて人がこの世を席巻していた、神々の時代を色濃く再現した町。工業技術なるものを取り入れた要塞都市でございます。都の景色を見慣れた方なら、多少野暮ったく感じるかも分かりませんなぁ」


「わあぁ…」


 朝もやの向こうに建物のほどに大きな歯車が列をなしているのが見える。たくさんの犬が乗った籠を運ぶ軌条が、空を十字に横切っている。町が息をして、鼓動を鳴らし、有機的にうごめいていた。


 雅は目を奪われて言葉もない。


 ふふん、と翌木は笑みを漏らし、空になった樽を放った。馬車に乗りかけていた申が涙目で轢かれていった。


「人の技術、その再現は犬の彼岸でありました。ですが、今でも真に迫れる犬はわずかもおりません。人の残した技術の結晶、人器の働きを模倣するのがせいぜい。あり合わせの品を使う事しかできないのです。活気付いて見える町並も、すべては人器の賜り物。私たちは人の残り香にすがり、かりそめの繁栄に頼っています」


 雅は慌てて面を被り直した。


「あの、それって、悪いこと、なのですか?」


「身に余る力は災厄を呼び込むものでございましょう? 天領の犬どもが柳川に兵を差し向けたのも、すべてはこの町の力、 この町の基盤をなす人器欲しさに違いないのです。ああ、なんたる浅ましさ!」


「……天領か、ら、?」


「お手前様はこの戦を止めるためにまかり越したのでやしゃりましょう? そのお役目は立派な事です。しかし戦を避けたところで、それは一時の火消しに過ぎない。必ずまた新たな火種を呼び込みましょう」


 雅は混乱した。

 戦? 役目?


 すべてが初めて見るものばかり、すべてが初めて聞く事ばかりで、頭が破裂しそうだった。危ないと言われたら何となくどうにかしなきゃいけない、とは思うけれど、でもいきなり、そんな事を言われたって、何をどうすればいいか分からない。


「どうすれば、いいんですか?」


 単刀直入に訊いた。翌木は、


「世界の秘密を解き明かしてくだしゃんせ」


「ひ、みつ…?」


「世界の秘密を解き明かし、新たなる国を作ってくだしゃんせ。人の道具に頼る事無い、犬だけの楽土を築いてくだしゃんせ。でなければ、いつまでも、私たちは、仲間同士殺し合う戦を止められはしません」


「らくど…」


「何卒、何卒、私どもをお救いくだしゃんせ。再び乱世に落ちようとする世界の流れを止めてくだしゃんせ」


 翌木の手が、固く雅の手を締め付けている。

 攫われて、町を見せられ、世界を救えと懇願されている。

 雅はもう指一本も動かせない。


 ごうん、ごうん、と。


 地響きのような音が胸の下を震わせた。

 為す術なく心は停止していた。


「……殿下?」


 あまりの連続で、雅の頭は完全にパンクしてしまっていた。


「あ、姫さん呆けちゃってますね。姐さん役に入り過ぎっすよ。舞台にいる時より熱っぽかったじゃないすか? ぐへへへ、やー、おれ、昔思い出しちゃった」


「……ッ!!」


「ひぃっ!」


 荷台に移っていた申は咄嗟に縮こまったが、鉄拳は落ちてこない。代わりに翌木は、腕を水平に、手のひらを後ろに向けた。


「止まれ」の合図。


「姐さん、どうしやした?」


「音が閉じております。先が騒がしい」


 申は後続の馬車に止まるように言って、進路方向を見渡した。街道の先で犬が集まり、道を塞いでいる。口々に何か文句を言って道の先を指差している。荷車に野菜や家畜、日用品の類が積まれているところを見ると、いつも中央の市場で商売している犬たちのようだ。

 朝方だから、ちょうど今なら店開きの準備をしている頃合いだった。

 申はそのもっと先を見通す。


「あー? なんだありゃ、壁門が閉じてますわ」


 柳川は全体がひとつの城塞である性質上、町がいくつかの壁で区切られていた。区画が交差する場所に望楼が立ち、すぐ下の門を見下ろしている。


 翌木はひとつ、すん、と鼻を動かした。


「──散りませっ!!」


 直後、馬車のある場所へ、雨あられと矢が降り注いだ。



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