第12話 森の深淵で迷う幼い怨霊を救ったのは、やはり怨霊でした。
一方その頃――。
鬱蒼とした大樹の根元で、ノアは膝を抱えて丸まっていた。
溢れ出る涙が、幽体である頬を伝って足元の腐葉土へと消えていく。胸の奥が、焼き切れるように痛かった。
(……僕だけだったんだ。)
同じ怒りを抱き、同じように人間を憎んでいると思っていた。だけどシロ姉ちゃんが力を振るっていたのは憎悪のためなんかじゃない。幼くて愚かな自分を守るため、降りかかる火の粉を必死に振り払っていただけだった。
『……でも、もういいもんっ!お姉ちゃんなんか、知らない。』
ノアは掠れた声で呟き、小さな拳を強く握りしめた。
『一人でやる……。僕一人で、あの戦争で僕たちを殺した人間どもを、全員皆殺しにしてやるんだ……ッ!』
涙を拭い、誓いを立てる。しかし己の憎悪に没頭するあまり、ノアは周囲の変貌に全く気づいていなかった。完全な闇に包まれていたことを…。――生温かい、ねっとりとした不快な気配が、足元から這い上がってくる。
(……え? これ……何……?)
立ち上がろうとしたノアの足が、鉛のように重い。
◇
—————「迷いの森の正体…?」
ノアを追いかけるシロの後ろで、ラシュガルが迷いの森の正体を明かす。
「『迷いの森』は単に生者の道を惑わすだけの森ではない。命を落とした者たちの未練が澱み、『死んだ魂さえも行き先を迷って彷徨う』領域だ。」
「さっきまでは何ともなかったけど…。」
「この森は昼と夜では別の顔を持っていてな。日が暮れれば死者の時間にすり替わる。昼間に来る冒険者たちを追い払っていたのはそのためだ。」
「追い払うのにちゃんとした理由があったのかよ。」
「もちろん。あの坊主は幼さにそぐわない力を持っている。生者でさえ惑わされるのに、行き過ぎた力の怨霊ともなれば、取り込みたいとして寄ってくるぞ。」
「……(お願いだから無事でいて…!と焦るシロ)。」
「ノアを見つけたとして、どうやったらそいつらを振り払えるんだ?」
「言っただろう、我はただの蛇ではないと…」
◇
霧の奥から、無数の無機質な『影』が蠢きながら現れる。
『帰レナイ……イキサキガ……分カラナイ……』
『一緒ニ……彷徨オウ……永遠ニ……』
「く、来るな……っ!」
ノアは慌てて手に『縛鎖の強怨』を生成し、押し寄せる影たちへ放った。だが――鎖は影たちをすり抜け、何の手応えも残さない。
『なっ……!? 効かない……!?』
相手もまた、実体を持たない幽霊。しかも灰燼街の怨霊たちのような「怒り」すら持たない、ただただ魂を呑み込もうとする『虚無の彷徨客』たちだった。
その数は数十、数百と森の闇から湧き出し、ノアを圧倒的な数で包み込んでいく。
『暗イ……寂シイ……』
『オ前モ……自分ノ居場所ナンテ……ナカッタンダロウ……?』
直後、ノアの脳裏に直接、ドロリとした絶望が流れ込んできた。
「あ……あぁぁぁっ……!?」
頭を抱えて蹲る。
精神を直接苛む無数の呪詛。己の幼さ、シロへの申し訳なさ、人間への憎悪すらも「虚無」へと塗りつぶされていく。意識が急速に遠のき、自分が自分でなくなっていく感覚。
(ダメだ……これ以上は……呑まれる……。)
膝をつき、視界が闇に染まっていく絶望の中で、ノアの脳裏に最後に浮かんだのは――二人の大切な存在だった。
(……お姉ちゃん……ユウキ……助けて……っ!)
その瞬間――。
――ガァァァンッ!!
圧倒的な「死の波動」が夜の森を切り裂いた。
ノアを包み込んでいた彷徨う魂たちが、悲鳴を上げる隙すら与えられず、一瞬で残らず霧散していく。
「……ッ!(漆黒の瞳に激怒を宿し、ノアの前に立ち塞がるシロ)」
「ノアっ!!」
闇を払って追いついた俺はすぐさま屈み込み、衰弱したノアの小さな身体をしっかりと抱きしめた。
「よかった……無事だった……! 探したんだよ、ノア!」
「シロ姉ちゃん……ユウキまで? ?」
ノアが呆然と目を見開く。
「きゅ〜う!!」
俺の左腕から滑り出たラシュガルが、黄金の光を放ちながらノアの頭上に躍り出た。
「我はラシュガル。『再生』そして『浄化』を司る聖なる蛇。」
純白の身体から溢れ出た聖なる波動が、ノアの精神を苛んでいた彷徨う魂の毒気を綺麗に洗い流していく。
さらにラシュガルは暗闇の森の奥へと一筋の光の道を照らし出した。行き場を失っていた彷徨う魂たちに「行くべき黄泉の道」を示し、森全体の禍々しい気配を鎮めていく。
「ふぅ……間一髪であったな。こやつらがおらねば、お主は今頃迷いの森の一部となっておったぞ。」
ラシュガルの言葉にノアは溢れ出る涙を止められなかった。
「……どうして……っ。僕……お姉ちゃんに酷いこと言ったのに……っ! 一人で勝手に出て行ったのに……っ!」
ノアの叫びを受け止めたのは、静かに膝をついたシロだった。
シロはそっとノアの頬に冷たい手を添えた。震えるほど小さな声で、ノアに「本心」を伝えたのだ。
「(……ごめんね、ノア。私……うまく言えなくて。)」
「……え……?」
「シロ…声が…」
「(私だって……人間が恐ろしい。自分たちを殺した戦争が……憎くないわけじゃない。でもね。私にとって一番大切なのは人間を殺すことじゃない。……あなたと一緒に、生きてるみたいに笑い合えることなの。)」
シロは涙を浮かべ、優しくノアの頭を撫でた。
「(憎しみだけで過ごすには悲しすぎるよ。だから私は……ノアがこれ以上、憎しみに心を壊されないように……守りたかったの。)」
シロの偽らざる本心だった。血が繋がってはいないけれど、自分の最期にかばいきれなかった幼い男の子への、消えることのない深い愛だったのだ。
「お姉ちゃん……っ! ごめんなさい……ごめんなさいっ……!!」
ノアはシロの胸に飛び込み、子供のように声を上げて泣きじゃくった。シロもまた、ノアを強く、強く抱きしめ返した。
その光景を、ユウキは温かな眼差しで見守っていた。
しばらくして泣き疲れたノアがゆっくりと顔を上げた。その瞳からは先ほどまでの刺々しさが消え、どこか吹っ切れたような柔らかさが戻っていた。
「……ユウキ。お姉ちゃん。」
「ん?」
「僕……人間を憎む気持ち、すぐには消せないと思う。あんな理不尽な殺され方をして……やっぱり急には許せないよ。」
ノアは素直に自分の気持ちを口にした。
「でも……お姉ちゃんを傷つけてしまうってこともわかった。……僕、ユウキやお姉ちゃんたちと一緒に過ごしながら……少しずつ、変わっていければいいなって……そう思うんだ。』
「強いね、ノア。……その決心は誰にでもできることじゃない。」
俺は優しくノアの頭を撫でた。
「ありがとう。ゆっくり、一緒に考えていこう。」
「……なんでユウキがお礼を言うんだ?」
「う~ん。ノアが復讐とは別の道を探ろうとしてくれたからかな。」
「(私もすごく嬉しいよ。)」
夜の帳が降りた迷いの森に、静かで穏やかな時間が流れる。ラシュガルの光に導かれ、俺たちは固く手をつなぎ合いながら森の外へと歩き出した。
「さあ、遅いけど街へ戻ろう。あぁ…ギルドに行って報告しなきゃな……この蛇のこと。」
「我は酒を所望するぞ。」
「まだ飲むのかよっ!」
「(ラシュガルはお酒を気に入っちゃったみたい。)」
「酒ってそんなに美味いのか?」
「いや、俺はそんなに…」
「美味い!浸かっても良いくらいだ。」
「はいはい。それじゃあラシュガルの加入祝いでパーティにしよう!」
「(お~~~っ!!!)」
「やった~~~僕はお肉食べるっ!!!」
悲しい過去も、消えない傷痕も抱えたまま。それでも一歩、また確かに踏み出すのだった。
第12話を読んでいただきありがとうございます!
シロの真意である「憎しみではなく、ノアと共に笑い合いたい」という愛が伝わり、ノアもまた自分の幼さと向き合って「すぐには変われないけれど、シロ姉ちゃんたちと共に変わっていきたい」と温かな成長を見せてくれました。
単なる「復讐者の幽霊」ではなく、ユウキの温もりに触れて少しずつ歩み寄っていく彼らの絆が、より一層深まったと感じております。
「ノアお帰りなさい!」「シロちゃんの声が戻って良かった!」「ラシュガルもやるときはやるんだね。」と思ってくださった方は、ぜひブックマーク登録と下部の**評価(★★★★★)**をよろしくお願いいたします!
明日も21:00に更新します!




