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【完結】定刻の鐘と、ケーキと、王太子と~前世は検察事務官。断罪を止めたら、恋人役のはずが本物の婚約者になりました~  作者: 木風


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第十四話 恋人役で王都へ出ます

翌々日の午後、私は北棟の書記官室で、いつものように数字と格闘していた。


帳簿の数字は嘘をつかない、というのは半分だけ本当だ。

数字そのものは嘘をつかない。けれど、人間はいくらでも数字に嘘をつかせる。

そのことを、ここ最近の私は嫌というほど痛感している。


ドレイク宰相周辺の帳簿と購買記録を洗い始めて五日。

差し替えられた頁、偽造された印章、不自然な確認記号。

いくつか手がかりは拾えた。だが、決定打にはまだ届かない。


そして同時に、私はもう一つの任務も背負っていた。


王太子リシャール殿下の、恋人のふり。


……思い返しても、とんでもない話である。


「ベルラン書記官」


書類の山の向こうから、マリウスが顔を出した。


「はい」

「西棟からお呼びです」

「またですか」

「またです」


私はペンを置いた。

また、で通じてしまうあたり、最近の私はだいぶおかしな立場にいる気がする。


鼻梁のメガネを押し上げ、席を立つ。

周囲から微妙な視線を感じたが、気にしないことにした。

気にし始めると仕事がやりづらい。仕事がやりづらくなると定時に帰れない。それは困る。


西棟の一室に通されると、リシャール殿下はすでに身支度を整えていた。

いつもの執務服ではなく、濃紺の外套に、銀糸の入った控えめな上着。

王太子としては比較的簡素なのだろうが、それでも質のよさは隠しようがない。

簡素なのに、簡素で終わらない。そういうところがいかにも王族だと思う。


私は一礼した。


「お呼びと伺いました」

「ああ。今日は外に出る」

「外、ですか」

「そうだ」


嫌な予感がした。


「ちなみに、それは調査でしょうか」

「調査でもある」

「でもあるということは、違う意味合いも含まれているんですね」

「察しがいいな」


殿下はごく自然に言った。


「今日は王都を歩く。お前と二人で」

「……なぜでしょう」

「偽恋人として、ある程度人目につく必要があるからだ」

「必要なんですか」

「必要だ。ドレイクの耳にも、私の周囲の貴族どもにも、お前が私にとって特別な女だと思わせる必要がある」

「言い方が少し雑ではありませんか」

「雑か?」

「だいぶ」


殿下は少しだけ笑った。


「それと、もう一つ」

「はい」

「先日見つけた差し替え帳簿に使われていた紙とインクの出どころを絞りたい。王都の文具商と製本工房をいくつか回る」

「……それは最初に言ってください」

「後から言っても、お前は来るだろう」

「まあ、調査なら来ますが」

「なら問題ない」


この人は本当に、人の扱いに迷いがない。


私は小さく息を吐いた。


「勤務扱いですか」

「当然だ」

「時間外になりませんか」

「ならないように帰す」

「ケーキ屋に寄れる時間は」

「確保する」

「わかりました。お供します」


殿下は満足そうに頷いた。


「よし」

「何がよしなんですか」

「交渉成立だ」


それから私は、王都へ向かう馬車の中で、これが思った以上に面倒な任務であることを知ることになった。


まず、距離が近い。


向かい合って座るのかと思っていたら、殿下は当然のように私の隣へ腰を下ろした。

王太子用の馬車は無駄に広いのに、わざわざ隣である。

広いのだから向かいでいいではないか、と心の中では思ったが、口には出さなかった。


馬車が石畳を進むたびに、座席がわずかに揺れる。

そのたびに肩が触れそうな距離になるのが、妙に落ち着かない。

しかも殿下はまったく気にした様子がない。

気にしているのが私だけみたいで、それも少し悔しかった。


「緊張しているか」

「少し」

「なぜ」

「王太子殿下と二人で外出する平凡な書記官が、この世にそう何人もいるとは思えませんので」

「今日は平凡な書記官ではなく、私の恋人だ」

「その設定を忘れないよう努力します」


殿下は「努力でどうにかなるものか」と小さく言った。


どういう意味だろう。


馬車が王都の中央通りに入る頃には、窓の外は午後の陽光で明るく照らされていた。

春も終わりかけていて、風はもう少しだけ夏の匂いを含んでいる。


最初に降りたのは、王都でも古い老舗の文具店だった。

表には品のよい看板が掲げられ、ガラス窓の向こうには、色とりどりのインク瓶や帳簿用紙、封蝋、筆記具が整然と並んでいる。

いかにも、王宮御用達です、と言わんばかりの店構えだった。


馬車を降りる時、殿下が当然のように手を差し出してきた。


「……自分で降りられますが」

「今日はそういう日ではない」

「そういう日、なんですね」

「そういう日だ」


私は一瞬ためらってから、その手に指先を乗せた。

上質な革手袋越しでもわかるくらい、しっかりとした手だった。

ぐらつかないよう支えられているだけのはずなのに、妙に意識してしまう。


店に入ると、初老の店主が目を丸くした。

だがすぐに、訓練された商人らしく深々と頭を下げる。


「これは、王太子殿下。ようこそお越しくださいました」

「ああ。少し紙を見たい」

「もちろんでございます。……そちらは」


店主の目が私に向く。

私は一瞬だけ固まったが、その前に殿下がさらりと言った。


「私の連れだ」

「左様でございますか」


その一言で、店主の目つきが変わった。

露骨ではない。けれど扱いが、確かに一段丁寧になる。

私はその変化に少しだけ落ち着かない気持ちになった。

恋人のふり、というのは、思っていた以上に周囲の空気を変えるらしい。


店内に並ぶ紙を見て回りながら、私は差し替え帳簿に使われていた紙質と似たものを探した。

厚み、漉きの細かさ、端の断ち方、繊維の入り方。

数種類を手に取って比べていると、殿下が横から覗き込む。


「どうだ」

「……この二種類が近いです。でも完全には一致しません」

「何が違う」

「こっちは繊維が少し粗いです。もう一つは表面の艶が足りない。帳簿の差し替えに使われた紙は、たぶん特注です」

「特注か」

「王宮向けに納めている上質紙か、貴族向けの少量発注品かと」


店主にいくつか尋ねると、案の定、王宮西棟に納める紙は通常品とは別口で管理しているという。

さらに最近、宰相府経由で大量の帳簿用紙が注文されたとも教えてくれた。


私は殿下と視線を交わした。

殿下はごく小さく頷く。


「注文書の控えは残っていますか」

「ございます。ただ、通常はお見せできるものでは……」

「私の名で頼む」

「かしこまりました」


本当に、権力とは便利なものだ。


店主が控えを取りに下がった隙に、私は小さく囁いた。


「こういう時だけは、王太子という肩書きが羨ましいです」

「こういう時だけか?」

「あとたまに、菓子職人を自由に呼べるところとか」

「随分と範囲が狭いな」

「私にとっては重要です」


殿下はまた口元を緩めた。


店を出る頃には、いくつかの注文先と、宰相府の補佐官名義の控えが絞れていた。

収穫は上々だった。

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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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