第26話:姉と妹と、偽物と
「兄さん」
光の壁が固まりきる前に、セリナが半歩、エルの側へ寄った。声を落として、それでも芯だけは通して。
「私を見つけてね」
「見つける。絶対に」
「当たり前でしょ。見つけられなかったら、今夜の夕飯は抜きだから」
言い終わらないうちに、光の帯が星の間を三つに裂いた。真ん中にエルとフィン。左と右に、それぞれ「セリナ」。右に立つもう一人は――髪の結い目まで、手帳の抱え方まで、寸分たがわなかった。
(これはあの少女への証明だ。でも、それだけじゃない。対話を知らないと言った子に、対話がどういうものか――やって見せる)
「第一問」エルは息を整えた。「管理都市で甲冑が暴走した夜。セリナが真っ先にしたことは、何だった」
左のセリナが少し間を置いた。
「……まず、兄さんの腕を掴んだ。それから周りを見て、何人いるか数えた。数えたら、動けた」
順序は前後して、どこか手探りだった。思い出しながら喋っている声。
右のセリナは、淀まなかった。
「あの夜ね。兄さんの腕を掴んで、それから人数を数えたの。七人。動けるのが四人。広場を拠点にして、逃げ道を先に組み立てた」
(右だ。数の置き方も、段取りの語り口も、いつものセリナそのものだ。左は……曖昧すぎる)
「……右だ。右がセリナだ」
「不正解」
少女の声が天から落ちてきた。
「右は私の再現体だ。記録に基づく再現は、本人を超えることがある」
左の――本物のセリナが、黙った。自分の答えが「セリナらしくない」と切り捨てられた。その顔から表情が抜けて、指先が爪の端をこすりはじめる。
フィンが低く言った。
「エル。正確さで殴り合ったら、読み解く力にゃ勝てない。記録の中を漁っても、向こうの方が記録に詳しいんだ。切り口を変えろ」
「……第二問」
エルは探す場所を変えた。事実じゃない。旅がこの子をどう変えたか、だ。
「もし僕の予言書に、最初から旅の全部が書いてあったとしたら――セリナは、どうしてた」
再現体が先に口を開いた。
「無駄のない道筋で導けたわ。寄り道を省いて、最短で。……でも、それだと出会えなかった人もいるわね」
淀みのない、行儀のいい反省だった。変わった分を勘定に入れてはいる。それでもまだ、管理者の器の内側で喋っている。
本物のセリナは、鼻で笑った。
「……つまんないわね、それ」
「寄り道しなきゃフィンにも会えなかったし、あの変な宿にも泊まってない。――まあ、パンは焦がさずに済んだかもしれないけど」
(「つまんない」。旅立つ前のこの子なら、寄り道を「無駄」の一言で切り捨てていた。この答えは、僕にも読めなかった)
「……左だ。左が本物だ」
正解。けれど、確信は薄い。
光柱の奥で、少女の声が揺れた。
「変化の型を取り込んだ。次の回では、この差も再現できる」
光が明滅する。再現体の輪郭が、また一段、鮮明になった。
エルは黙った。事実では負けた。変化は辛うじて拾ったが、問いを重ねるほど、向こうは正確になっていく。同じ手では、遠からず追いつかれる。
フィンが耳打ちするように言った。
「エル。セリナを思い出そうとするな。セリナは今、そこにいる」
――そこにいる。
「……第三問は、質問じゃない」
「?」少女が問い返す。「問い以外で、どう見分ける」
「二人に、何も聞かない。ただ――ここにいる」
沈黙が落ちた。エルは動かない。ただ、待った。
先に動いたのは、再現体だった。エルの隣へ、ごく自然に歩み寄る。声の高さまで整えて、穏やかに。
「兄さん、疲れてない? 水、飲む?」
ほどよい距離。過不足のない気遣い。記録から組み上げた、理想の妹だった。
――左のセリナの目が、据わった。
手帳を握る手が、白くなるまで力んでいる。
「……ちょっと。何よその距離。近い。近いわよ」
「兄さん、そっちから離れて。今すぐ」
爪の端を、また、こすっている。不安と怒りの入り混じった、どの記録にも書かれていない反応。
「……左が本物だ」
「根拠は」少女が問う。
「第一問で、僕は負けた。記録の中のセリナを探したからだ。あなたの記録の方が、あの子の記憶より正確だった」
「第二問は、辛うじて拾えた。変わったセリナを見つけたから。……でも、あなたはすぐに学んだ」
「第三問で、僕は何も聞かなかった。ただ待った。そうしたら――セリナが、僕の知らないセリナを見せた」
エルは、左の本物をまっすぐ見た。
「あなたの再現体は、過ぎたことから最善を組み立てる。でも――まだ起きていないことは、組み立てられない」
「僕が正解を見つけたんじゃない。セリナが、正解を作ったんだ。僕はそれを信じて、選んだだけだ」
左の本物がぷいと顔を背けた。耳まで赤い。
「……べ、別に、目くじらなんか立ててないわよ。管理上の不備を指摘しただけ」
フィンが噴いた。
「いや、思いっきり立ててたぞ」
「黙ってて」
再現体が、光の粒にほどけて消えた。壁がひとつ薄くなり、光柱の前に、少女の本来の姿だけが残る。
「……第三問で勝ったのは、記録でも、記憶でもない」
抑揚のない、けれど澄んだ声だった。
「まだ起きていない反応。その場に居合わせなければ、生まれなかったもの。エル・クレインは、それを確信もなく選んだ。不確かな選択が、正確な再現を上回った」
光柱が揺れた。さっきまで、受け入れも突き放しもできずに明滅していた光が、今は違う揺れ方をしている。理解の、震えだった。
「……これが、対話か。既にあるものを差し出し合うのではなく、その場で、新しいものが生まれる」
「私は、裁定しかできなかった。命じられて、判定を返す。それより外を、知らなかった」
声が途切れた。一拍、沈黙。
「……できないのではなく、やったことがなかった」
いつかエルが差し出した言葉を、少女は自分の手で拾い上げた。
セリナの声が、ふっと低いところへ落ちた。
「……ありがとう、兄さん。見つけてくれて」
管理者の声じゃなかった。数も、段取りも、何も乗っていない。ただの、セリナの声だった。
それから、少しだけ間を置いて、セリナが続けた。
「双子都市の泉で、私が何を見たか――まだ、聞かないのね」
覗いたきり、どちらからも触れずにきた。聞けない、と思ったまま、エルがずっと胸の底に仕舞っていたものだった。
「大したものじゃなかったわ。……あれより、今の方がいいって、さっき分かったの。だから、それだけ」
何を見たのかは、言わなかった。エルも、聞かなかった。それで足りていた。
差し出そうとしたエルの手を、少女がやんわりと止めた。
「……一つ、伝えておく。頁の裏に溜まった記録を読み出せば、本体はそれを受け取る。だが――読み出された記録は、頁から消える。あなたの書は、また空白に戻る。旅の証は、手元に残らない」
「戻せないの」
「これは、そういう手だ」
村を出てからの日々が、頁の裏に積もっている。セリナと歩いた道も、フィンの軽口も、双子都市の泉も。手放せば、確かめる術は、もうない。
(でも――起きたことは、消えない。憶えているのは、書じゃない。僕たちだ)
遠くで、マルタの声が蘇る。量りにかけられた時、お前さんが何を差し出すか。
――これだったのか。
エルは頷いて、予言書を差し出した。少女が、その手に自分の手を重ねる。封が、解ける。
空白だった頁の裏側が光りはじめた。旅の記録が、光柱へ流れ込んでいく。壁面に、消えかけていた記述が次々よみがえる。新しい文字が生まれていく。中央の予言書が、初めて外の記録を受け取りはじめた。
頁の裏の記録が、一枚、また一枚と、手を離れていく。旅の証がほどけ、エルの書は、元の白紙へ戻っていく。その流れに紛れて、隅に溜まっていた黒い澱のようなものも、光にほぐれて消えた。エルは、気づかなかった。手放していくものの、その一点だけを、見ていた。
「……こんなにも」少女の声が掠れた。「世界は、苦しんでいたのか」
壁面が明滅し、温度が揺らぎ、光柱が大きく震える。声にならないものが、空間そのものから漏れていた。
「うん。でも、苦しんでいただけじゃない」エルは言った。「声を聞いてくれた人がいた。選ぶことを、教えてくれた人がいた」
少女が手を離した。光の壁が音もなく消えて、星の間に、温かい光が戻ってくる。その瞳が、まっすぐエルを見た。
「エル・クレイン。同行を……申請する」




