第15話:古き祈りの街(後編)
翌朝、土煙が上がった。
護り手の紋章を掲げた馬車が、街へ入ってくる。
「巡回部隊だ!」
誰かの叫びで、街の空気が張りつめた。馬車から降りてきたのは数人の兵士。そして――
「……っ」
息が止まった。
見覚えのある顔。
ヴィンセント・ローウェル。僕の村で、僕を見たあの護り手だ。
部下を率いた、公的な巡回。上からの命令で動かされているんだろう。
(あの人は、補足確認のためにまた来ると言って、村を出ていった。書状は届いた。村は加護圏の外へ切り離された。そこから先の足取りを、僕は知らない。なのに今、この街に立っている)
ヴィンセントもこちらに気づいている。それでも表情は動かさない。部下の手前、私的な興味より公務を優先しているのかもしれない。
「異端信仰の実態調査、ならびに是正指導のため、この地域を巡回する」
村で聞いたときより、声が硬い。
「予言書の庇護の外へ出ることは、危険行為である。星読みは異端信仰と見なす。住民は速やかに加護圏へ帰還せよ」
言葉は丁寧なのに、有無を言わせない圧があった。
住民の顔がこわばる。それでも、誰ひとり下がらなかった。人垣を割って、マルタが前へ出る。
「この街はね、二百年前からこうやって生きてきたのさ。予言書がなくたって、星は読める。天気も分かる。隣は助けてくれる。――それの、どこが異端だい」
兵士のひとりが、卓の上の革袋ごと石片を掴み上げた。
「待て」
ヴィンセントの声が飛ぶ。
「証拠品は記録してから回収する。手順を踏め」
兵士が渋々、袋を卓へ戻した。記録には手間がかかる。手順とは、そういうものだ。
マルタの問いに、ヴィンセントの返しは一拍遅れた。口が開いて、また閉じる。部下からは死角になる角度で――唇を噛んだのが、僕の場所からだけ見えた。
(あのときと同じだ。村で僕を見た、あの目。あれは、標的を値踏みするような目じゃなかった。今も。命令で来ているのに、この人は本当は――)
「なあ、あんた。この街、嘘みたいに揉め事がねえんだぜ」
フィンが、兵士のひとりに近づいていく。
「護り手が仕切ってる街の、四分の一以下だ。『異端の街がいっとう平和でした』なんて上に報告したら、お偉方はどんな顔をするかねえ」
兵士が、ちらりと隊長の横顔をうかがった。
セリナが一歩、前へ出る。
「付け加えるわ。病死の割合も、護り手が管轄する街を下回る。予言書なしでこの数字を出している自治のかたちを、調査報告として上げれば――あなたの手柄になるんじゃない」
猫をかぶった丁寧語じゃない。剥き出しの、切っ先みたいな声だった。
一拍の、間。
「……この地域の自治実態は、継続調査とする。即時是正は保留。記録を取り、本部へ報告する」
部下たちが顔を見合わせた。それでも、異を唱える者はいなかった。
フィンが、ヴィンセントにも届く場所で呟く。
「権威で人を従わせるやり口は、俺の生まれた国でもさんざん見たぜ。……最後は、全部崩れちまったけどな」
笑ったままだった。ただ、声の底だけが少し乾いていた。
ヴィンセントは言い返さない。その沈黙が意外だったのか、フィンは「……ま、あの隊長さんは見込みがあるかもな」と、独り言みたいに付け足した。
隊が引き上げていく。すれ違いざま、ヴィンセントと目が合った。
何か言いたげな――あるいは「気をつけろ」とでも告げているような目。確証はない。
(ヴィンセント、彼は……何なんだ。……分からない。本当は何か別の目的があるのだろうか)
◇
住民に見送られて、街を出た。別れ際、マルタが小さなお守りを僕の掌に握らせる。
「星の護りだよ。道中、気をつけな」
予言がなくても、人は生きられる。頭では分かっていたことだ。でも、この目で見た。笑っている人たちを。声をかけ合う人たちを。不便で、無駄も多くて、それでも自分の判断で立っている人たちを。
(僕の書は「欠陥品」だと思ってた。困難の予告ばかりで、ほとんど白紙で。……でも、あの街の人たちは、全員が同じように予言を持たないまま生きていた。それでも、生きていた。だったら、僕も――)
「だったら」の先は、まだ言葉にならない。それでも、胸の奥で何かが確かに動いた。
街を出てすぐ、セリナがいつものように今日の行動指針を書き始めようとして、ふと手を止めた。
「……今日の指針は、なしにしようかしら」
僕が驚いて振り向くと、セリナは少し照れたように目を逸らした。
「たまには兄さんの直感に任せてみるのも……統計として、意味のある回数が欲しいだけよ」
返事に迷っているうちに、セリナはもう歩き出していた。耳の先が、うっすら赤い。
「おやおや。嬢ちゃんが管理をサボるとはねえ。世界がひっくり返るかもな」
フィンの軽口に、セリナがじろりと睨む。フィンは首をすくめた。僕は笑いを噛み殺して、二人の半歩うしろを歩いた。
渓谷を抜けると、山あいの冷たい風が正面から吹きつけてきた。マルタの言っていた「静かなる剣」が待つ、その方角だ。
街の境を越えた、その瞬間――
頁が、熱い。
温もりが戻っていた。それも、旅のあいだずっと感じていた、あの微かな導きとは違う。一瞬だけ、はっきりと灼けるような熱。白紙だった頁が、淡く光る。
「……っ。戻った。いや――前より強い」
セリナの目が鋭くなる。
「予言書が圏外を出た途端に……いえ、違う。反応の強さが、以前と別物だわ。何かに引き寄せられてる?」
僕の掌には、確かに「方角」を指すような感覚が残っていた。山あいの、ずっと奥。そこから何かに引かれている。そう感じた。
「……行こう。こっちだ」
今度は「直感」じゃないと知っている。予言書が指しているのだと分かったうえで、それでも自分の足で歩く。
その違いを、僕はまだ、うまく言葉にできない。




